16 / 31
第二章 さようなら過ぎ去った日よ
第7話「食欲は食べるうちに出てくる」
しおりを挟む
かしこまった店に行くのは目立つってんで、広場で待ち合わせてからテキトーにメシ屋を探して入ることにした。
「ここの食堂はどうだ? もつ煮込みが最高だぜ」
「何だこの外観は。犬小屋か?」
「……こっちは? フィレンツェ風の肉料理だってよ」
「フィレンツェだと? この看板の品性でフィレンツェを名乗るか。なかなかの蛮勇だな」
この野郎、一発ぐらいぶん殴っても許されるかな?
舌も肥えてんだろうな、どうせ。
そこら辺の路地裏連れ込んで「許して」って言うまでぶち犯すか……ともちょっとだけ思ったが、何とか堪えた。もう、あのクソ親父みてぇなことはしたくねぇんだっつーの……。
「……っ、たく……」
溜息をつき、頭を押さえる。
このままじゃ埒があかねぇと、そこらの屋台で手早く軽食を買って、半ば無理やり押し付けた。
……パニーニとジェラートか。売り場の顔は変わったが、売ってるものは変わらねぇな。
「……何だ、これは」
「昔、お前が唯一『美味い』っつった店だよ。ここ」
俺がそう言うと、フェルディナンドは手に持ったパニーニと、こじんまりとした店構えを交互に見返す。
「広場でサッカーした帰りに、こっそり買い食いするのが一番良いっつってたな」
「何の、話だ」
見開かれた両眼が、伝えてくる。
「記憶にない」ってのは、やっぱり嘘じゃねぇんだろう。……悲しいことだけど、な。
「……とりあえず、食ってみろよ」
俺が促すと、フェルディナンドは恐る恐るといった様子で、パニーニを控えめにひと口かじる。
トマトとパセリの爽やかな匂いが、小麦の香りと共にふわりと鼻腔をくすぐった。
つう、と、白い頬に涙が伝う。
「……美味いか」
俺の言葉に、フェルディナンドはただ一言。
「ああ」
……それだけ返して、黙り込んだ。
***
昼メシの後。
しばらく、互いに無言で運河の周りを歩く。
気まずくはあるが、話題の切り出し方が分からねぇ。
フェルディナンドのまとう気配も、なんて言うのか……緊張してる? 張り詰めている? ……そんな感じの空気で、触りにくい。
「……ひとつ、言っていなかったことがある」
重い沈黙は、フェルディナンドの方から破られた。
「お?」
できるだけ、軽く、明るい語調で聞き返す。
……そうしなければ、もう二度と、真実を話してくれないような気がした。
「私には……21歳より以前の記憶が、大幅に失われている」
「……えっ」
「知識や教養といった部分は失われておらず、断片的に残ったものもある。……が、そう……だな。人々が『思い出』と呼称する類のものは、私にはほとんどない」
21……って、ことは「病」の影響か……?
それで、俺と過ごした思い出もごっそり忘れちまった……って、ことか。
「本当は、思い出す気などなかった」
ぽつり、ぽつりと、フェルディナンドは静かに語り続ける。
「家中の惨憺たる様子を見るに……どんな記憶であれ、ろくな『思い出』ではないだろうと」
……そう、だよな。
こいつの家は、頂点にいる親父からして腐ってる。
クソみたいな理由で犯された時点で、「それまで」のことにもだいたい察しがついちまうのは無理もねぇ。
「…………」
そこで、フェルディナンドは言葉をやめた。
固唾を飲み、続きを待つ。
永遠にも思える、長い沈黙の後。
ようやく、フェルディナンドが口を開き──
「誰か……! 誰かァァァっ!!!! 助けて!!」
──が、話し始めた声は、つんざくような悲鳴にかき消された。
途端に、フェルディナンドの顔つきが「将校」のものになる。
「仕事だ。行くぞ新兵」
「……お、おう!」
「返事は『はい』だ。すぐに本部に連絡を入れろ。衛兵の派遣を要請する」
ぴしりと背筋を伸ばし、奴は「上官」として俺を呼んだ。
***
現場に駆け付けると、その場は散々に荒らされていた。それなりの高級店だろうに、今は見る影もない。
瓶や果物があちらこちらに散らばり、床には血痕も見える。
「……なるほど、強盗か」
「まあ、シチリアじゃ日常風景ですね」
「ここは貴様の故郷ではない。私語は慎め」
俺の軽口に睨みをきかせ、フェルディナンドは「失礼」と声をかけて野次馬をかき分けていく。
……おうおう。完全に「仕事」のスイッチが入っていやがる。
「すぐに衛兵が来る。それまでに、我々が犯人を取り押さえられるに越したことはない」
「……いっそのこと、全部衛兵に任せちまうとか……」
心底サボりたい俺の発言には絶対零度の視線で返し、フェルディナンドは犯人の足跡を追う。
いや、無言って……。逆に怖ぇよ。
犯人は既に現場から逃げちまったらしく、影も形もない。逃走ルートを掴めなきゃ、「取り押さえる」なんてのは到底無理な話だろう。
……ま、心当たりはないでもねぇが。
「……あそこの裏路地突っ走って魔術でも何でも使って壁よじ登って、その辺の廃墟で仲間と合流……ってのが関の山ですかねぇ」
「……根拠は」
「シチリアの奴らならそうします」
「なるほど」
俺の意見に、フェルディナンドは静かに頷いた。
「一理ある」
そのままフェルディナンドは踵を返し、俺が言った通りのルートを探り始める。
……仕方ねぇな。とっとと終わらせて……何ならちょっと良いとこ見せて、デートの続きと洒落込むか。
「ここの食堂はどうだ? もつ煮込みが最高だぜ」
「何だこの外観は。犬小屋か?」
「……こっちは? フィレンツェ風の肉料理だってよ」
「フィレンツェだと? この看板の品性でフィレンツェを名乗るか。なかなかの蛮勇だな」
この野郎、一発ぐらいぶん殴っても許されるかな?
舌も肥えてんだろうな、どうせ。
そこら辺の路地裏連れ込んで「許して」って言うまでぶち犯すか……ともちょっとだけ思ったが、何とか堪えた。もう、あのクソ親父みてぇなことはしたくねぇんだっつーの……。
「……っ、たく……」
溜息をつき、頭を押さえる。
このままじゃ埒があかねぇと、そこらの屋台で手早く軽食を買って、半ば無理やり押し付けた。
……パニーニとジェラートか。売り場の顔は変わったが、売ってるものは変わらねぇな。
「……何だ、これは」
「昔、お前が唯一『美味い』っつった店だよ。ここ」
俺がそう言うと、フェルディナンドは手に持ったパニーニと、こじんまりとした店構えを交互に見返す。
「広場でサッカーした帰りに、こっそり買い食いするのが一番良いっつってたな」
「何の、話だ」
見開かれた両眼が、伝えてくる。
「記憶にない」ってのは、やっぱり嘘じゃねぇんだろう。……悲しいことだけど、な。
「……とりあえず、食ってみろよ」
俺が促すと、フェルディナンドは恐る恐るといった様子で、パニーニを控えめにひと口かじる。
トマトとパセリの爽やかな匂いが、小麦の香りと共にふわりと鼻腔をくすぐった。
つう、と、白い頬に涙が伝う。
「……美味いか」
俺の言葉に、フェルディナンドはただ一言。
「ああ」
……それだけ返して、黙り込んだ。
***
昼メシの後。
しばらく、互いに無言で運河の周りを歩く。
気まずくはあるが、話題の切り出し方が分からねぇ。
フェルディナンドのまとう気配も、なんて言うのか……緊張してる? 張り詰めている? ……そんな感じの空気で、触りにくい。
「……ひとつ、言っていなかったことがある」
重い沈黙は、フェルディナンドの方から破られた。
「お?」
できるだけ、軽く、明るい語調で聞き返す。
……そうしなければ、もう二度と、真実を話してくれないような気がした。
「私には……21歳より以前の記憶が、大幅に失われている」
「……えっ」
「知識や教養といった部分は失われておらず、断片的に残ったものもある。……が、そう……だな。人々が『思い出』と呼称する類のものは、私にはほとんどない」
21……って、ことは「病」の影響か……?
それで、俺と過ごした思い出もごっそり忘れちまった……って、ことか。
「本当は、思い出す気などなかった」
ぽつり、ぽつりと、フェルディナンドは静かに語り続ける。
「家中の惨憺たる様子を見るに……どんな記憶であれ、ろくな『思い出』ではないだろうと」
……そう、だよな。
こいつの家は、頂点にいる親父からして腐ってる。
クソみたいな理由で犯された時点で、「それまで」のことにもだいたい察しがついちまうのは無理もねぇ。
「…………」
そこで、フェルディナンドは言葉をやめた。
固唾を飲み、続きを待つ。
永遠にも思える、長い沈黙の後。
ようやく、フェルディナンドが口を開き──
「誰か……! 誰かァァァっ!!!! 助けて!!」
──が、話し始めた声は、つんざくような悲鳴にかき消された。
途端に、フェルディナンドの顔つきが「将校」のものになる。
「仕事だ。行くぞ新兵」
「……お、おう!」
「返事は『はい』だ。すぐに本部に連絡を入れろ。衛兵の派遣を要請する」
ぴしりと背筋を伸ばし、奴は「上官」として俺を呼んだ。
***
現場に駆け付けると、その場は散々に荒らされていた。それなりの高級店だろうに、今は見る影もない。
瓶や果物があちらこちらに散らばり、床には血痕も見える。
「……なるほど、強盗か」
「まあ、シチリアじゃ日常風景ですね」
「ここは貴様の故郷ではない。私語は慎め」
俺の軽口に睨みをきかせ、フェルディナンドは「失礼」と声をかけて野次馬をかき分けていく。
……おうおう。完全に「仕事」のスイッチが入っていやがる。
「すぐに衛兵が来る。それまでに、我々が犯人を取り押さえられるに越したことはない」
「……いっそのこと、全部衛兵に任せちまうとか……」
心底サボりたい俺の発言には絶対零度の視線で返し、フェルディナンドは犯人の足跡を追う。
いや、無言って……。逆に怖ぇよ。
犯人は既に現場から逃げちまったらしく、影も形もない。逃走ルートを掴めなきゃ、「取り押さえる」なんてのは到底無理な話だろう。
……ま、心当たりはないでもねぇが。
「……あそこの裏路地突っ走って魔術でも何でも使って壁よじ登って、その辺の廃墟で仲間と合流……ってのが関の山ですかねぇ」
「……根拠は」
「シチリアの奴らならそうします」
「なるほど」
俺の意見に、フェルディナンドは静かに頷いた。
「一理ある」
そのままフェルディナンドは踵を返し、俺が言った通りのルートを探り始める。
……仕方ねぇな。とっとと終わらせて……何ならちょっと良いとこ見せて、デートの続きと洒落込むか。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
46
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる