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第二章 さようなら過ぎ去った日よ

第7話「食欲は食べるうちに出てくる」

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 かしこまった店に行くのは目立つってんで、広場で待ち合わせてからテキトーにメシ屋を探して入ることにした。

「ここの食堂トラットリアはどうだ? もつ煮込みトリッパが最高だぜ」
「何だこの外観は。犬小屋か?」
「……こっちは? フィレンツェ風の肉料理だってよ」
「フィレンツェだと? この看板の品性でフィレンツェを名乗るか。なかなかの蛮勇だな」

 この野郎、一発ぐらいぶん殴っても許されるかな?
 舌も肥えてんだろうな、どうせ。
 そこら辺の路地裏連れ込んで「許して」って言うまでぶち犯すか……ともちょっとだけ思ったが、何とかこらえた。もう、あのクソ親父みてぇなことはしたくねぇんだっつーの……。

「……っ、たく……」

 溜息をつき、頭を押さえる。
 このままじゃらちがあかねぇと、そこらの屋台で手早く軽食パニーニを買って、半ば無理やり押し付けた。
 ……パニーニとジェラートか。売り場の顔は変わったが、売ってるものは変わらねぇな。

「……何だ、これは」
「昔、お前が唯一『美味いボーノ』っつった店だよ。ここ」

 俺がそう言うと、フェルディナンドは手に持ったパニーニと、こじんまりとした店構えを交互に見返す。

「広場でサッカーした帰りに、こっそり買い食いするのが一番良いっつってたな」
「何の、話だ」

 見開かれた両眼が、伝えてくる。
「記憶にない」ってのは、やっぱり嘘じゃねぇんだろう。……悲しいことだけど、な。

「……とりあえず、食ってみろよ」

 俺が促すと、フェルディナンドは恐る恐るといった様子で、パニーニを控えめにひと口かじる。
 トマトとパセリの爽やかな匂いが、小麦の香りと共にふわりと鼻腔をくすぐった。

 つう、と、白い頬に涙が伝う。

「……美味いか」

 俺の言葉に、フェルディナンドはただ一言。

「ああ」

 ……それだけ返して、黙り込んだ。



 ***



 昼メシの後。
 しばらく、互いに無言で運河の周りを歩く。

 気まずくはあるが、話題の切り出し方が分からねぇ。
 フェルディナンドのまとう気配も、なんて言うのか……緊張してる? 張り詰めている? ……そんな感じの空気で、触りにくい。

「……ひとつ、言っていなかったことがある」

 重い沈黙は、フェルディナンドの方から破られた。

「お?」

 できるだけ、軽く、明るい語調で聞き返す。
 ……そうしなければ、もう二度と、真実を話してくれないような気がした。

「私には……21歳より以前の記憶が、大幅に失われている」
「……えっ」
「知識や教養といった部分は失われておらず、断片的に残ったものもある。……が、そう……だな。人々が『思い出』と呼称するたぐいのものは、私にはほとんどない」

 21……って、ことは「病」の影響か……?
 それで、俺と過ごした思い出もごっそり忘れちまった……って、ことか。

「本当は、思い出す気などなかった」

 ぽつり、ぽつりと、フェルディナンドは静かに語り続ける。

「家中の惨憺さんたんたる様子を見るに……どんな記憶であれ、ろくな『思い出』ではないだろうと」

 ……そう、だよな。
 こいつの家は、頂点にいる親父からして腐ってる。
 クソみたいな理由で犯された時点で、「それまで」のことにもだいたい察しがついちまうのは無理もねぇ。

「…………」

 そこで、フェルディナンドは言葉をやめた。
 固唾かたずを飲み、続きを待つ。
 永遠にも思える、長い沈黙の後。
 ようやく、フェルディナンドが口を開き──

「誰か……! 誰かァァァっ!!!! 助けて!!」

 ──が、話し始めた声は、つんざくような悲鳴にかき消された。
 途端に、フェルディナンドの顔つきが「将校」のものになる。

「仕事だ。行くぞ新兵」
「……お、おう!」
「返事は『はい』だ。すぐに本部に連絡を入れろ。衛兵の派遣を要請する」

 ぴしりと背筋を伸ばし、奴は「上官」として俺を呼んだ。



 ***



 現場に駆け付けると、その場は散々に荒らされていた。それなりの高級店リストランテだろうに、今は見る影もない。
 瓶や果物があちらこちらに散らばり、床には血痕も見える。

「……なるほど、強盗か」
「まあ、シチリアじゃ日常風景ですね」
「ここは貴様の故郷ではない。私語はつつしめ」

 俺の軽口ににらみをきかせ、フェルディナンドは「失礼」と声をかけて野次馬をかき分けていく。
 ……おうおう。完全に「仕事」のスイッチが入っていやがる。

「すぐに衛兵が来る。それまでに、我々が犯人を取り押さえられるに越したことはない」
「……いっそのこと、全部衛兵に任せちまうとか……」

 心底サボりたい俺の発言には絶対零度の視線で返し、フェルディナンドは犯人の足跡を追う。

 いや、無言って……。逆に怖ぇよ。

 犯人は既に現場から逃げちまったらしく、影も形もない。逃走ルートを掴めなきゃ、「取り押さえる」なんてのは到底無理な話だろう。
 ……ま、心当たりはないでもねぇが。

「……あそこの裏路地突っ走って魔術でも何でも使って壁よじ登って、その辺の廃墟で仲間と合流……ってのが関の山ですかねぇ」
「……根拠は」
「シチリアの奴らならそうします」
「なるほど」

 俺の意見に、フェルディナンドは静かに頷いた。

「一理ある」

 そのままフェルディナンドはきびすを返し、俺が言った通りのルートを探り始める。
 ……仕方ねぇな。とっとと終わらせて……何ならちょっと良いとこ見せて、デートの続きと洒落込むか。
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