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第二章 さようなら過ぎ去った日よ

第1話「朝は口に金貨をくわえている」

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 その日も、いつも通り朝方にフェルディナンドに叩き起され、外が暗いうちに部屋を出た。
 普段なら雑魚寝部屋に直帰するところだが、今日は別に寄るところがある。

「グーフォ、おはようさん」

 別部隊の宿舎を素通りし、訓練場の近くで待っていた相手に声をかける。待ち合わせ場所はコロコロ変えてくるが、野郎の赤い髪はよく目立った。
 たまには直帰するのでなく、こうやって間に予定を挟むことで周りに勘繰かんぐられずに済む……って考えもあるにはあるが、グーフォにはまた別の用事がある。

「……今回の任務じゃ『アントーニオ』って呼べっつったろ『ジャコモ』」

 赤毛の男は不機嫌そうにボヤき、腰に手を当てて俺の失言をたしなめた。

「なんか似合わねぇんだよ。しっくり来るのにしろよ」
「おめーだってテキトーに決めただろうによぉ……」

 こいつの名前はアントーニオ・ロッソ……と、言うことになっているが、任務用の偽名であって本名じゃない。
 まあ、俺の「ジャコモ・ドラート」も本名じゃねぇけどな。

「そっちはどうだい? 情報集めは得意分野だろ」
「『ジャコモ』の人脈作りにゃ負ける。いつの間に、少尉と仲睦まじくなってんだ?」
「……ま、その辺は色々と事情があってね。運が良かった……っていうには、ちっとばかし微妙だが……」

 グーフォ……いや、「アントーニオ」は「へぇ」と苦虫を噛み潰した顔をし、肩まで伸ばした赤毛をガシガシと掻く。「早くしろ」の合図だ。
 向こうは兵士じゃなく、「郵便屋」として任務に着いているわけで、あんまり長居させるとこうやってイライラし始める。手早く済ませてやるか。

「ほい、報告書だ」
「また中身スッカスカにしてたら、今度こそぶちのめすぞ」
「ひっでぇな。そんなに信用ねぇか、俺」
「少なくとも、不真面目さに関しては誰よりも信用できるよ、この手抜き野郎……! 今日もしっかり15分遅刻しやがって……」

 ……あれ、そうだったか?
 もうちょい早く着いたと思ったんだがな。

「あんまりキチキチすんなよ。人生ってのは程々が一番だぜ」
「うるせぇ……あと何軒回らなきゃだと思ってんだクソが」

 俺をにらみ、グーフォ……いや「アントーニオ」は恨み節を吐き捨てる。
 俺はマフィアの一員ではあるが、大した野心はない。
 グーフォはどうか知らねぇが、構成員として程々に食わせて貰えりゃ充分だと俺は思ってる。……ああ、もちろん、大親分カーポを裏切る気は毛頭ないがな。

「ほれ、お待ちかねの上官についてのネタだ。参考にしな」
「お、ありがとよグラツィエ。助かるぜ……って、もういねぇし……」

 俺が返事をし終わった頃には、グーフォは姿を消していた。……ったく、郵便屋隠れ蓑の仕事なんざ、テキトーで良いだろうに……。

 渡された書簡に目を通す。

 綴られていたのは、アリネーラ家の内部事情だった。



 ***



 人目を盗んでざっと目を通したが、さすがは名門貴族、隠すべき部分はしっかり隠してある。
 それでも、いくつか新しくわかったことはあった。

 まず、長男フェデリコ。……つまり、フェルディナンドの兄貴だ。
 こいつは超がつくほどの落ちこぼれで、今は部屋に引きこもって読書だか彫刻だかに勤しんでいるらしい。たまに女を連れ込んでいるという噂もあるが、真偽不明。
 本来は長男のこいつが領主になるのが順当な道だが、引きこもりな上に遊んでばかりの身には務まらねぇだろうと言われている。

 そして、三男フィリポ。
 こいつは……正確には長男フェデリコと次男フェルディナンド以外の兄弟姉妹五人は、全員現領主の後妻の子だ。
 フィリポはフェルディナンドと同じく成績優秀で、現在は海外に遊学中。何でも、屋敷内は次期領主に関して「フェルディナンド派」と「フィリポ派」で割れているらしい。当たり前のように、長男の派閥はばつがねぇな……。

 あとの兄妹姉妹に関しては割愛かつあい。俺にとって大事な情報は特になさそうだ。

 ……で、一番大事なのが「本人」について、だ。

 フェルディナンドは自分の地位に劣等感を感じているらしい。だから功を焦り、自ら危うい橋を渡ってしまった……ってのが、マローネ中尉の見解だ。
 なんか理由があるのか、と思ったが、ガキの頃から成績優秀で大した綻びは見つからない。
 ……強いて言うなれば、20代初めに急な病で伏せり、軍への配属が遅れた……と、書いてあるぐらいだ。

「……これか……?」

 いやいや、嘘だろ。病なんざどうしようもねぇし、それで軍への配属がちょっと遅れたからって、そこまで気にするか? 病人じゃなくても昼寝シエスタはするし、病人ならなおのこと寝りゃあいい。

 ──軍に入るのが遅い、と。どうせ士官候補生の時期に落第でもしたのだろうと……
 ──私とて貴様や父上に言われずとも理解している……!

 ……あの「落第」って……病のことなのか……?
 まさか、な……。



 ***



(ほぼ雑用だらけの)任務を終え、いつもの如く少尉の部屋へと向かう。……あの野郎、今日は迎えに来なかったな。
 部屋に向かう途中、豪勢ごうせいな馬車が目に入った。見りゃすぐに分かる。明らかに「要人」用のものだ。

 サッと身を隠し、様子を伺う。
 出迎える側の顔に、見覚えがあった。
 いつもより更に険しい顔をしているが、間違いない。……フェルディナンドだ。

「……如何いかがなされましたか。急に……」

 フェルディナンドはどこか緊張感の漂う声で、馬車の中の相手に語りかけている。

「少々話があってな。何……別に構わないだろう? 親子水入らず、語らおうじゃないか」

 視線を相手の方に移す。貼り付けた仮面のような笑みが目に入り、ぞっと肌が粟立あわだった。
 名前だけは、何度も聞いたことがある。写真も何度か見たことがある。
 ファウスティーノ・ダリネーラ。
 フェルディナンドの親父にして、ここ、アリネーラの現領主様だ。
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