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君はなぜ笑う?(6)
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香穂は今、僕の部屋のベッドに腰掛けながら、ため息を吐いている。
ベイエリアを出た後、僕はまっすぐに家に帰り、延期された試験のための勉強に励んでいた。
「あたしが殺されたから、試験延期になったんだっけ?」
「ああ、香穂が殺されたのが試験の前日だったから、いろいろ影響とか考えてのことだったみたい」
「そっか。何か悪いことしちゃった気分……その分、夏休みが少なくなるんだよね?」
「まあ、少なくなるけど、香穂のせいじゃないよ」
「ありがとう、耕司君。耕司君は本当に優しいよね」
「僕は優しくなんかないよ。本当に優しかったら、香穂が死んだって聞いたときに涙が出たんじゃないかな」
「それは違うよ、耕司君。耕司君が泣けなかったのは優しくないからじゃない。あたしはもう知ってる。耕司君が教えてくれたから。特殊な環境で育って涙が出なくなったんでしょ?」
「それはそうだけど。でも、やっぱり僕は冷たい人間だと自分では思うよ」
「耕司君が自分では見えないところに優しさがあるんだよ。あたしにはそれがちゃんと見えてる」
「そっか……」
「幽霊のあたしが言うんだから、信憑性あるよ。耕司君は優しい人。冷たい人なんかじゃない」
「香穂……ありがとう」
一生懸命に香穂が僕を励ましてくれているような気がして嬉しかった。
「耕司君はもっと自分に自信を持っていいと思うよ。耕司君は本当に優しいし、その優しさが見え見えじゃなくて自然だし。それに本当はとても強い人。だからもっと自信を持って」
そう言って微笑む香穂を見ているうちに、僕は股間の辺りのあれが少しおかしな具合になってくるのを感じた。
せっかく香穂が励ましてくれているのに、こんな状態を知られたら台無しになってしまいそうだ。
「どうかしたの?」
「い、いや、別に……」
「え? 何か要すが変だよ? 具合でも悪いの? それとも何か嫌なことでも思い出した?」
香穂が首をかしげながら聞いてくるので、僕は思わず聞いてしまった。
「幽霊とセックスって……出来るのかな?」
僕のその言葉に、香穂はぽかんとしてしまった。
「え? もしかして耕司君……したくなっちゃった?」
「うん、まあ、その……」
ばつが悪い気分で僕が言うと、香穂は笑った。
「あはは、嬉しいな。幽霊になったあたしにそんな気持ちを持ってくれるなんて」
「僕も少し驚いている。ちょっと試してみていい?」
「うん、いいよ。でも、もし上手くいかなかったらごめんね」
僕は香穂を抱きしめようとしたが、やはりそれは無理だった。空気を掴むみたいになって、僕の手は自分の腕を掴んでしまう。
「耕司君……」
瞳を閉じた香穂の顔が近づいてくる。その唇が触れたような微かな感触を感じ、僕も目を閉じた。
「あたしが触ってあげるから……耕司君、自分でやってみて……」
「え? じ、自分で……?」
「うん、あたしが触ってるみたいに思いながら……あたしの中に入ってるみたいに想像しながら……」
「う、うん、分かった……」
香穂の前でマスターベーションをするというのは少し恥ずかしかったけれど。
僕は香穂に言われたとおりに、ズボンを尻の下まで下ろし、自分のものを握りしめて一人でする時みたいに扱いていく。
「耕司君……見て……」
僕が薄目を開けると、目の前の香穂がその胸をはだけ、自分の手を両足の合間に添えて動かしていた。
それを見た瞬間、僕は激しい興奮を覚え、まるで香穂を抱いているときのように激しく手を動かした。
僕の息づかいが荒くなり、香穂の息づかいも荒くなっていく。
いつも二人でセックスしていたときのような空気が、僕の部屋に満ちていった。
やがて僕は射精した。香穂もイッたみたいだった。
「すごい……幽霊になっても……イッちゃうんだぁ……」
「香穂……」
少し息を喘がせながら笑う香穂に僕は手を伸ばす。でもやはりその体に触れることは出来なかった。
「あたし昔からすごい怖がりでね……お化けとか幽霊とか大嫌いだったの。タイミング悪くホラー映画の宣伝とか見ちゃった日には電気を消して眠れなかったり……でも、幽霊って、そんなに人間と変わらないんだね。ただ、体がなくなっちゃうだけで……」
「そうだな……」
「耕司君が怖がらないでいてくれるから、あたしはそう思えるのかも。もし耕司君に怖がられたら、きっと自信なくしちゃいそう」
「そうなのか?」
「そうだよ! 耕司君があたしを普通の人間として扱ってくれるおかげで、あたしは生きているときと同じようにあったかい気持ちでいれるの。きっと他の幽霊も同じなのかも……」
「他の幽霊って……香穂には見えるのか?」
「うん、いろんな幽霊がいるの。あたしたちと同じ時代に生きた人なんだろうなっていう人もいるけど、明らかに違う時代の人もいるよ。戦争中なのかなっていう格好の人とか、たまにお侍さんの格好をした人もいる」
「へええ、そうなんだ」
「とても寂しそうな幽霊もいるよ。まだ自分が死んだって気付いてない幽霊もいる。そうだな。幽霊って、だいたいはあまり幸せそうな雰囲気はしてないかも」
「まあ、そうだろうな。僕のイメージでも幽霊っていえばそんな感じ。うらめしや~? そんな感じ」
「あはは、何かあたしとはぜんぜん違うね」
「うん。香穂はぜんぜん幽霊っぽくないな」
「あたしは好きな人の傍にいて、こうしてセックスもどきみたいことまで出来ちゃうし。不幸な雰囲気なんて醸し出したくても醸し出せそうにないよ」
確かに……幽霊として香穂と再会して以来、僕は彼女が暗く落ち込んだ様子を見たことがない。
まあ、それは生きているときも同じだったけど。
「でも、実際に幽霊だといろいろ不便だろ?」
「うん、まあ……耕司君以外の人とは喋りたくても喋れないし。お腹はすかないからいいんだけど、美味しいものを食べたくても生きてる時みたいに食べるって事は出来ないし」
幽霊は食べ物を食べることは出来ないけど、それを味わうことは出来るらしい。といっても人間のように咀嚼したりは出来ないけれど、味は分かるし、食べているような感覚になることは出来るのだという。
これまでも僕の横にいる香穂は、僕が何かを食べるときに一緒に食べていた。美味しいと言ったり、いまいちだと言ったり。もちろん香穂の腹の中には何も入らず、すべて僕の腹の中に入るだけなのだけど。
「それにしても、耕司君の家っていろいろ大変だったんだねぇ。あたし、彼女なのにぜんぜん分かってなかった……」
ふと香穂がそんなことを言うので、僕は思わず首をかしげた。
「え? いろいろ大変って?」
「お母さん……」
「ああ……まあ、それはもう香穂にも何度も言ってるけど諦めてるし」
「何か想像以上だったなって。今までも何となくは感じてたけど。今日のやりとりはちょっと酷かったね」
どうやら彼女は今日の僕と母のやりとりをどこかで聞いていたらしい。
あの警察の人が来た日以来、母の僕に対する干渉はさらに酷くなり、ここのところは毎日のように癇癪を起こしていた。
どうやら香穂が普通の中小企業のサラリーマンの娘だったことが母のプライドの何かに障ったらしい。
だから今日の母の癇癪の理由は、主に僕が香穂と関わり、あろうことか付き合っていた事実についてとことん問い詰められてしまったのだ。
「今日の話を聞いてたいたんだったら、もしかして香穂にとって嫌なことまで聞いてしまったんじゃないか?」
僕が心配になって聞くと、香穂は慌てて首を横に振った。
「あ、あたしの家のこと? それは気にしてない。そういうのってもう学園に入学するって決めた時から気にしないことにしてたし。それより、家って一番安心できて落ち着ける場所のはずなのに……あんなふうに毎日癇癪を起こされると、辛いよね」
「辛いっていうか……まあ、もう慣れっこだし。僕の何かが悪いんだろう」
「きっと耕司君のお母さんは自分が可哀想なんだね。自分が可哀想で可哀想で仕方がなくて、目の前にある幸せにも気づけない可哀想な人なんだよ」
香穂のその言葉に僕は思わず首をかしげた。
「あの人が可哀想? そうかな?」
何不自由ない暮らしをしているし、誰に対しても自分の主張はねじ曲げずに言い放つし、たいがいはそれを受け入れてもらえる。唯一思い通りにならなかったことといえば僕のことぐらいのものだろう。
「だって、お母さんは自分の思い通りにならないと自分が可哀想になるんでしょ。だったら、いつまで経っても可哀想な自分のまま。だから、可哀想……」
「まあ、そう考えてみればそうかもな」
「そんな可哀想な人に育てられた耕司君も可哀想……」
「僕は別に。自分のことはもう諦めてるし。この家に生まれたんだから仕方がない」
「だから耕司君の心は空っぽなんだよね。お母さんに振り回されたくないから、気がついたら空っぽになってたんでしょ?」
「空っぽ? そうかなぁ?」
「うん。あたし、初めて耕司君を見たとき、ああこの人空っぽだって思ったの。器はとても大きいのに空っぽで……その空っぽの中の一滴にでもなれたらって思って……でも、あたし死んじゃったから……ごめんね……」
「いや、それはもう仕方のないことだし」
僕はそう言いながら、香穂が告白をしてくれたあの時にそんなことを考えていたのかと思った。
恥ずかしそうに……絞り出すようにして、僕に『好き』と告げ、付き合って欲しいと言ってきた香穂……。
僕は彼女がそんな気持ちでいたことを知るはずもなく、軽い気持ちでその告白を受け入れた。
周りに彼女のいる同級生も増えてきたし、付き合うってどういう感じなんだろうと興味もあった。僕にとってあの時の返事はそれほどに軽いものだったのだ。
「ねえ、耕司君。愛されるっていうこと、分かる?」
香穂にふいに問われて、僕はすぐには答えられなかった。
愛されるということ……それは。
いろいろ頭の中で考えて、僕は自分の思う『愛されるということ』について答えた。
「何かと世話を焼いてもらうこと? ご飯を作ってもらったり、ご馳走してもらったり、後は何かを買ってもらったり? それから気にかけてもらったり……後は……」
「違うよ。愛されるっていうのは、こういうことだよ」
そう言って香穂は僕を包み込むようにして抱きしめてきた。もちろん感触はない。けれども、ほんの少しだけ温もりを感じる。
「これも完全じゃないかな。まだ耕司君にはあたしが見えるし、声も聞こえるから。でも、耕司君にはあたしに抱きしめられている感触はないでしょ? それでもあたしは抱きしめている。耕司君が気付いても気付かなくても抱きしめている。耕司君の心が穏やかで幸せでありますようにって祈りながら抱きしめている……愛されるってこういうことだよ。あたしがいずれ成仏して姿も見えなくなって、温もりすら感じなくなってもこうして抱きしめるあたしの存在を感じることが出来たら、それが愛されてる愛を感じるってことなんだよ」
「これが……愛……」
「そうだよ。これが愛に似たものだよ、耕司君。あたしが説明しなくても、耕司君が自ら感じることが出来るようになったら、本物になるんだよ」
「…………」
気がつくと僕の目からは熱いものが溢れだしていた。
僕は赤ん坊の頃はとてもよく泣く子で母さんを困らせてばかりだったという。だけど僕はいつしか、まったく泣かない子になった。笑えば褒められ、泣けば酷く叱られ……いつの間にか僕は泣くということを忘れてしまっていたのだ。
「耕司君……泣いてるの?」
「ああ……そうみたいだ」
「そっか。じゃあ少しだけ……空っぽじゃなくなったんだね」
僕は悲しかった。香穂を抱きしめてあげられないことが。そして、その膣に僕のペニスを入れてあげることが出来ないことが。
香穂に何かをしてあげることが出来ないことが、僕は悲しくて仕方がなかった。
生きているうちにこんな気持ちになれていたら、きっと香穂が死んだと聞いたときにも、こんな悲しい気持ちになっていたかもしれないのに。
心が空っぽと香穂に指摘され、僕は改めて僕自身のことを考えた。
僕は物心ついた時からずっと、母親の攻撃に遭わないようにということを優先してそれに自分の感情や行動を合わせ続けてきた。
だから、自分が何をやりたいとか、自分が興味があったからとかそういう理由で何かをしたことはなかったと思う。僕は自分の意志を持っていないのだ。
そういう意味では空っぽというのは当たっているのかもしれない。
クラスメートの中に趣味や好きなものがあるやつがいると、口には出さないが羨ましいと思った。僕にはそういうものがなかったし、そういうことが許されていなかったから。
「だから……耕司君は……たんだね……」
僕の隣に寝転がっていた香穂の言葉は少し聞き取りにくかった。わざと小さな声で言ったのかもしれない。
「今何て? 聞こえなかった」
「ううん、何でもないの。あ、そだ。試験が終わったら、行きたいところがあるの。今度耕司君を誘ってみようと思ってたのに行けなかったところ」
「うん、いいよ。行こう」
「どこって聞かないの?」
「香穂の行きたいところなら、どこでもいいよ」
「そっか。じゃあ、試験が終わったらそれがどこか言うね」
「ああ、楽しみにしてるよ」
「あたし幽霊なのにデートまで出来るんだ。ふふふ」
隣の香穂が嬉しそうに笑うのを聞いて、僕も嬉しくなってくる。香穂と一緒にいれば、空っぽの僕の中に何かが少しずつ満たされてくる……そんな気がした。
ベイエリアを出た後、僕はまっすぐに家に帰り、延期された試験のための勉強に励んでいた。
「あたしが殺されたから、試験延期になったんだっけ?」
「ああ、香穂が殺されたのが試験の前日だったから、いろいろ影響とか考えてのことだったみたい」
「そっか。何か悪いことしちゃった気分……その分、夏休みが少なくなるんだよね?」
「まあ、少なくなるけど、香穂のせいじゃないよ」
「ありがとう、耕司君。耕司君は本当に優しいよね」
「僕は優しくなんかないよ。本当に優しかったら、香穂が死んだって聞いたときに涙が出たんじゃないかな」
「それは違うよ、耕司君。耕司君が泣けなかったのは優しくないからじゃない。あたしはもう知ってる。耕司君が教えてくれたから。特殊な環境で育って涙が出なくなったんでしょ?」
「それはそうだけど。でも、やっぱり僕は冷たい人間だと自分では思うよ」
「耕司君が自分では見えないところに優しさがあるんだよ。あたしにはそれがちゃんと見えてる」
「そっか……」
「幽霊のあたしが言うんだから、信憑性あるよ。耕司君は優しい人。冷たい人なんかじゃない」
「香穂……ありがとう」
一生懸命に香穂が僕を励ましてくれているような気がして嬉しかった。
「耕司君はもっと自分に自信を持っていいと思うよ。耕司君は本当に優しいし、その優しさが見え見えじゃなくて自然だし。それに本当はとても強い人。だからもっと自信を持って」
そう言って微笑む香穂を見ているうちに、僕は股間の辺りのあれが少しおかしな具合になってくるのを感じた。
せっかく香穂が励ましてくれているのに、こんな状態を知られたら台無しになってしまいそうだ。
「どうかしたの?」
「い、いや、別に……」
「え? 何か要すが変だよ? 具合でも悪いの? それとも何か嫌なことでも思い出した?」
香穂が首をかしげながら聞いてくるので、僕は思わず聞いてしまった。
「幽霊とセックスって……出来るのかな?」
僕のその言葉に、香穂はぽかんとしてしまった。
「え? もしかして耕司君……したくなっちゃった?」
「うん、まあ、その……」
ばつが悪い気分で僕が言うと、香穂は笑った。
「あはは、嬉しいな。幽霊になったあたしにそんな気持ちを持ってくれるなんて」
「僕も少し驚いている。ちょっと試してみていい?」
「うん、いいよ。でも、もし上手くいかなかったらごめんね」
僕は香穂を抱きしめようとしたが、やはりそれは無理だった。空気を掴むみたいになって、僕の手は自分の腕を掴んでしまう。
「耕司君……」
瞳を閉じた香穂の顔が近づいてくる。その唇が触れたような微かな感触を感じ、僕も目を閉じた。
「あたしが触ってあげるから……耕司君、自分でやってみて……」
「え? じ、自分で……?」
「うん、あたしが触ってるみたいに思いながら……あたしの中に入ってるみたいに想像しながら……」
「う、うん、分かった……」
香穂の前でマスターベーションをするというのは少し恥ずかしかったけれど。
僕は香穂に言われたとおりに、ズボンを尻の下まで下ろし、自分のものを握りしめて一人でする時みたいに扱いていく。
「耕司君……見て……」
僕が薄目を開けると、目の前の香穂がその胸をはだけ、自分の手を両足の合間に添えて動かしていた。
それを見た瞬間、僕は激しい興奮を覚え、まるで香穂を抱いているときのように激しく手を動かした。
僕の息づかいが荒くなり、香穂の息づかいも荒くなっていく。
いつも二人でセックスしていたときのような空気が、僕の部屋に満ちていった。
やがて僕は射精した。香穂もイッたみたいだった。
「すごい……幽霊になっても……イッちゃうんだぁ……」
「香穂……」
少し息を喘がせながら笑う香穂に僕は手を伸ばす。でもやはりその体に触れることは出来なかった。
「あたし昔からすごい怖がりでね……お化けとか幽霊とか大嫌いだったの。タイミング悪くホラー映画の宣伝とか見ちゃった日には電気を消して眠れなかったり……でも、幽霊って、そんなに人間と変わらないんだね。ただ、体がなくなっちゃうだけで……」
「そうだな……」
「耕司君が怖がらないでいてくれるから、あたしはそう思えるのかも。もし耕司君に怖がられたら、きっと自信なくしちゃいそう」
「そうなのか?」
「そうだよ! 耕司君があたしを普通の人間として扱ってくれるおかげで、あたしは生きているときと同じようにあったかい気持ちでいれるの。きっと他の幽霊も同じなのかも……」
「他の幽霊って……香穂には見えるのか?」
「うん、いろんな幽霊がいるの。あたしたちと同じ時代に生きた人なんだろうなっていう人もいるけど、明らかに違う時代の人もいるよ。戦争中なのかなっていう格好の人とか、たまにお侍さんの格好をした人もいる」
「へええ、そうなんだ」
「とても寂しそうな幽霊もいるよ。まだ自分が死んだって気付いてない幽霊もいる。そうだな。幽霊って、だいたいはあまり幸せそうな雰囲気はしてないかも」
「まあ、そうだろうな。僕のイメージでも幽霊っていえばそんな感じ。うらめしや~? そんな感じ」
「あはは、何かあたしとはぜんぜん違うね」
「うん。香穂はぜんぜん幽霊っぽくないな」
「あたしは好きな人の傍にいて、こうしてセックスもどきみたいことまで出来ちゃうし。不幸な雰囲気なんて醸し出したくても醸し出せそうにないよ」
確かに……幽霊として香穂と再会して以来、僕は彼女が暗く落ち込んだ様子を見たことがない。
まあ、それは生きているときも同じだったけど。
「でも、実際に幽霊だといろいろ不便だろ?」
「うん、まあ……耕司君以外の人とは喋りたくても喋れないし。お腹はすかないからいいんだけど、美味しいものを食べたくても生きてる時みたいに食べるって事は出来ないし」
幽霊は食べ物を食べることは出来ないけど、それを味わうことは出来るらしい。といっても人間のように咀嚼したりは出来ないけれど、味は分かるし、食べているような感覚になることは出来るのだという。
これまでも僕の横にいる香穂は、僕が何かを食べるときに一緒に食べていた。美味しいと言ったり、いまいちだと言ったり。もちろん香穂の腹の中には何も入らず、すべて僕の腹の中に入るだけなのだけど。
「それにしても、耕司君の家っていろいろ大変だったんだねぇ。あたし、彼女なのにぜんぜん分かってなかった……」
ふと香穂がそんなことを言うので、僕は思わず首をかしげた。
「え? いろいろ大変って?」
「お母さん……」
「ああ……まあ、それはもう香穂にも何度も言ってるけど諦めてるし」
「何か想像以上だったなって。今までも何となくは感じてたけど。今日のやりとりはちょっと酷かったね」
どうやら彼女は今日の僕と母のやりとりをどこかで聞いていたらしい。
あの警察の人が来た日以来、母の僕に対する干渉はさらに酷くなり、ここのところは毎日のように癇癪を起こしていた。
どうやら香穂が普通の中小企業のサラリーマンの娘だったことが母のプライドの何かに障ったらしい。
だから今日の母の癇癪の理由は、主に僕が香穂と関わり、あろうことか付き合っていた事実についてとことん問い詰められてしまったのだ。
「今日の話を聞いてたいたんだったら、もしかして香穂にとって嫌なことまで聞いてしまったんじゃないか?」
僕が心配になって聞くと、香穂は慌てて首を横に振った。
「あ、あたしの家のこと? それは気にしてない。そういうのってもう学園に入学するって決めた時から気にしないことにしてたし。それより、家って一番安心できて落ち着ける場所のはずなのに……あんなふうに毎日癇癪を起こされると、辛いよね」
「辛いっていうか……まあ、もう慣れっこだし。僕の何かが悪いんだろう」
「きっと耕司君のお母さんは自分が可哀想なんだね。自分が可哀想で可哀想で仕方がなくて、目の前にある幸せにも気づけない可哀想な人なんだよ」
香穂のその言葉に僕は思わず首をかしげた。
「あの人が可哀想? そうかな?」
何不自由ない暮らしをしているし、誰に対しても自分の主張はねじ曲げずに言い放つし、たいがいはそれを受け入れてもらえる。唯一思い通りにならなかったことといえば僕のことぐらいのものだろう。
「だって、お母さんは自分の思い通りにならないと自分が可哀想になるんでしょ。だったら、いつまで経っても可哀想な自分のまま。だから、可哀想……」
「まあ、そう考えてみればそうかもな」
「そんな可哀想な人に育てられた耕司君も可哀想……」
「僕は別に。自分のことはもう諦めてるし。この家に生まれたんだから仕方がない」
「だから耕司君の心は空っぽなんだよね。お母さんに振り回されたくないから、気がついたら空っぽになってたんでしょ?」
「空っぽ? そうかなぁ?」
「うん。あたし、初めて耕司君を見たとき、ああこの人空っぽだって思ったの。器はとても大きいのに空っぽで……その空っぽの中の一滴にでもなれたらって思って……でも、あたし死んじゃったから……ごめんね……」
「いや、それはもう仕方のないことだし」
僕はそう言いながら、香穂が告白をしてくれたあの時にそんなことを考えていたのかと思った。
恥ずかしそうに……絞り出すようにして、僕に『好き』と告げ、付き合って欲しいと言ってきた香穂……。
僕は彼女がそんな気持ちでいたことを知るはずもなく、軽い気持ちでその告白を受け入れた。
周りに彼女のいる同級生も増えてきたし、付き合うってどういう感じなんだろうと興味もあった。僕にとってあの時の返事はそれほどに軽いものだったのだ。
「ねえ、耕司君。愛されるっていうこと、分かる?」
香穂にふいに問われて、僕はすぐには答えられなかった。
愛されるということ……それは。
いろいろ頭の中で考えて、僕は自分の思う『愛されるということ』について答えた。
「何かと世話を焼いてもらうこと? ご飯を作ってもらったり、ご馳走してもらったり、後は何かを買ってもらったり? それから気にかけてもらったり……後は……」
「違うよ。愛されるっていうのは、こういうことだよ」
そう言って香穂は僕を包み込むようにして抱きしめてきた。もちろん感触はない。けれども、ほんの少しだけ温もりを感じる。
「これも完全じゃないかな。まだ耕司君にはあたしが見えるし、声も聞こえるから。でも、耕司君にはあたしに抱きしめられている感触はないでしょ? それでもあたしは抱きしめている。耕司君が気付いても気付かなくても抱きしめている。耕司君の心が穏やかで幸せでありますようにって祈りながら抱きしめている……愛されるってこういうことだよ。あたしがいずれ成仏して姿も見えなくなって、温もりすら感じなくなってもこうして抱きしめるあたしの存在を感じることが出来たら、それが愛されてる愛を感じるってことなんだよ」
「これが……愛……」
「そうだよ。これが愛に似たものだよ、耕司君。あたしが説明しなくても、耕司君が自ら感じることが出来るようになったら、本物になるんだよ」
「…………」
気がつくと僕の目からは熱いものが溢れだしていた。
僕は赤ん坊の頃はとてもよく泣く子で母さんを困らせてばかりだったという。だけど僕はいつしか、まったく泣かない子になった。笑えば褒められ、泣けば酷く叱られ……いつの間にか僕は泣くということを忘れてしまっていたのだ。
「耕司君……泣いてるの?」
「ああ……そうみたいだ」
「そっか。じゃあ少しだけ……空っぽじゃなくなったんだね」
僕は悲しかった。香穂を抱きしめてあげられないことが。そして、その膣に僕のペニスを入れてあげることが出来ないことが。
香穂に何かをしてあげることが出来ないことが、僕は悲しくて仕方がなかった。
生きているうちにこんな気持ちになれていたら、きっと香穂が死んだと聞いたときにも、こんな悲しい気持ちになっていたかもしれないのに。
心が空っぽと香穂に指摘され、僕は改めて僕自身のことを考えた。
僕は物心ついた時からずっと、母親の攻撃に遭わないようにということを優先してそれに自分の感情や行動を合わせ続けてきた。
だから、自分が何をやりたいとか、自分が興味があったからとかそういう理由で何かをしたことはなかったと思う。僕は自分の意志を持っていないのだ。
そういう意味では空っぽというのは当たっているのかもしれない。
クラスメートの中に趣味や好きなものがあるやつがいると、口には出さないが羨ましいと思った。僕にはそういうものがなかったし、そういうことが許されていなかったから。
「だから……耕司君は……たんだね……」
僕の隣に寝転がっていた香穂の言葉は少し聞き取りにくかった。わざと小さな声で言ったのかもしれない。
「今何て? 聞こえなかった」
「ううん、何でもないの。あ、そだ。試験が終わったら、行きたいところがあるの。今度耕司君を誘ってみようと思ってたのに行けなかったところ」
「うん、いいよ。行こう」
「どこって聞かないの?」
「香穂の行きたいところなら、どこでもいいよ」
「そっか。じゃあ、試験が終わったらそれがどこか言うね」
「ああ、楽しみにしてるよ」
「あたし幽霊なのにデートまで出来るんだ。ふふふ」
隣の香穂が嬉しそうに笑うのを聞いて、僕も嬉しくなってくる。香穂と一緒にいれば、空っぽの僕の中に何かが少しずつ満たされてくる……そんな気がした。
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