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君はなぜ笑う?(5)
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陽だまりカフェを出た後、僕と香穂は一緒に電車に乗った。
「どこか行きたいところはある? 何か記憶の手がかりになりそうなところとか」
「う~ん、今日はもういいや。それより、もうちょっと耕司君とデートしたいな」
「デートかぁ。どこがいいかな」
「デートスポットといえば、海? そういえば耕司君と海って行ったことないよね」
香穂の言葉に僕は思わず苦笑してしまう。
つきあい始めて十日目でラブホテルの門をくぐってしまった僕たちは、デートのたびにどこかへ出かけるでもなくラブホテルに直行することになってしまっていたのだ。
考えてみれば、まともにデートをしたのはつきあい始めの頃ぐらいのものだっただろう。
もう少し香穂が生きていれば、セックスにも少し飽きが来て普通のデートをしようという話になっていたかもしれないけれど。
「海っていっても、この辺りだと海らしい海はないよ。海水浴が出来るような海じゃなくて、ショッピングパークのある海なら電車でいけそうだけど」
「うん、そこでいい。連れて行って」
甘えるように体を寄せてくる香穂に頷いていると、電車の中の人たちの視線を感じた。
そうだった……他の人から見ると僕は独り言を言い続ける怪しい人になっているのだった。
僕はこほんと咳払いをすると、慌ててバッグの中から本を取り出して読む振りをした。
「どうしたの?」
「ん……」
「何かあった?」
「ん……」
僕は喋らずにそう答え続けていたのだけど、ようやく香穂も事情に気付いてくれたようだった。
「あ、そっか。ずっとあたしと喋ってたら、耕司君が不審者に思われちゃうんだ」
「ん……」
「ごめんごめん。周りに人がいるときは気をつけるね」
「ん……」
僕の耳にはこんなにはっきりと香穂の声が聞こえるのに、他の人にはまったく聞こえない。本当に不思議な話だ。
その後も香穂はぶつぶつと独り言のように喋っていたけれど、僕は最低限の返事だけを周囲に気遣いながらし続けた。
電車を降りると、すぐそばがベイエリアになっていて、ショッピングセンターやレストランなどが立ち並ぶ区域がある。
駅を出て大きな信号を渡ろうとしたとき、香穂が立ち止まった。
「どうしたの?」
「ん……なんか幽霊っぽい女の人がいるの。ちょっと話してみるね。あの……すみません。何かお困りですか?」
香穂はそこにいるという幽霊に話しかけたが、僕にはその姿は見えないし、声も聞こえなかった。だけど香穂はちゃんとその女の人の幽霊と話が出来ているようだった。
「そうなんですね。それは大変でしたねぇ。でも、今はもうその日から二ヶ月ぐらい経ってます。だから大丈夫ですよ。ええ、はい。あなたはもう死んでいるんです」
どうやらその幽霊は、まだ死を自覚できていないタイプの幽霊らしかった。
「あたし、同じ幽霊だから分かるんです。ほら、後ろに、ええっと……あなたのお父さんだと思いますけど、ずっとあなたが気付いてくれるのを待っていますよ」
香穂には幽霊の女の人ばかりでなく、それを迎えに来ている人の幽霊まで見えているようだ。
「はい、ええ、良かったです。では、お元気で」
どうやら幽霊の女の人との話は終わったようだった。
「ごめんね、耕司君。無事に逝ってくれたみたい」
「逝ったって?」
「うーんと、成仏?」
「ああ、なるほど」
「さっきの人はここで事故で亡くなったみたい。一瞬のことだったから、死んだことにも気づかなかったみたいで。ここから動けないし、家の鍵も持ってきてしまったままだしどうしようって途方に暮れてたみたい。でも、もう亡くなった日から二ヶ月経ってるから何とかなってますよって言ったら安心して逝っちゃったみたい」
「そうなのか。その女の人は何か恨みがあってここに残ってたわけじゃないんだ?」
「うん、そうじゃないよ。恨みがあって残っている幽霊も確かにいるけど、ほとんどが死んだことに気づけなくて残ってるんじゃないかな? 病気とかだと死ぬっていうのがうすうす分かるけど、事故って一瞬でしょ? だから、何が起こったのか分からなくなるみたい」
「へえ、そうなんだ」
香穂の時はどうだったんだろうとふと思ったけど、何となく聞くのは憚られたので聞かなかった。そのうちに記憶がすべて戻れば、香穂もその時の状況を全部理解できるに違いない。
「あはっ、何か時間取らせちゃってごめんね。いこっか」
「ああ、そうだな。っていうか、もうそこに見えてるぞ」
「あ、本当だ! すごいね! 海の匂いがする!」
「えっと……幽霊も匂いって分かるのか?」
「分かるよ! たぶん生きてたときよりずっと敏感になってるみたい」
「へええ、そうなんだ」
気がつくと香穂は我慢できなくなったみたいに駆けだして信号を渡っていた。
僕も慌てて走ってその後を追いかけた。
「すごいねぇ……海が目の前だよ」
「確かに海だけど……本当にこんな海で良かったのか?」
僕の頭の中で海といえば、砂浜があって、ビーチパラソルがあってというようなものだったのだけど、香穂はコンクリートの建物の前に広がる海でも十分満足してくれたらしい。
夏の乾いた風が心地よく吹き付ける海沿いに設けられたベンチに、僕と香穂は腰掛けた。
「何か食べたいものある?」
「さっきフルーツパフェ食べたし大丈夫だよ。あたし幽霊だし、そもそもお腹すかないしね。あ、でも、耕司君が何か食べたかったら遠慮せずに食べてね。そうしたらあたしも横から少し食べさせてもらうし」
「ちょっと小腹が減ってる感じだし。売店で何か買ってくるよ。せっかくだから香穂の好きなものにしたいんだけど、何がいい?」
「ん~、じゃあ、久しぶりにあれ食べたい。えっと、アメリカンドック!」
「分かった。じゃあ、買ってくるよ。えっと、マスタードとケチャップは両方かけるほう?」
「うん、両方! あとマヨネーズもあったらマヨネーズも!」
「えええ? マヨネーズも……?」
「だって、もう太る心配しなくていいし。あたしマヨネーズ大好きだから、一度やってみたかったんだよね!」
「分かった。じゃあ、マヨネーズもかけてもらえるか聞いてみるよ」
僕は香穂に笑って売店に向かい、アメリカンドックをひとつ買ってきた。二つ買ってきても最終的に食べるのは僕だけなので食べきれないと思ったからだ。
普通はケチャップとマスタードだけのはずのアメリカンドックだけど、頼んでみたらマヨネーズもかけてくれた。
「ほら、マヨネーズつき。先に食べていいよ」
「わぁ、ありがとう! ふふ、嬉しいな! 太らないっていいよね! いただきまーす!」
香穂は嬉しそうに言ってアメリカンドックにかぶりつくような仕草をする。そして幸せそうに顔をほころばせ、目を閉じた。
「んん~! 何かすごくイケない味がする! でも美味しい~! ありがとう、耕司君!」
「いや、幽霊で良かったな。って言い方も変か」
「ううん。今だけは幽霊で良かったと思ってるよ。ふふ、おいひい~♪」
香穂はぱくぱくとアメリカンドックを食べ続けているが、僕が持っているアメリカンドックはどこもかじられたりしていない。買ったときそのままだ。多少は冷めてしまったかなという程度の変化しかない。
「ごちそうさま! ありがとう、もう満足したよ。後は耕司君が食べて」
「あ、ああ、ありがとう」
僕は戸惑いつつも、ケチャップとマスタードとマヨネーズの味のするアメリカンドックをほおばっていく。
ケチャップとマスタードだけよりも味にまろやかさとこくが出ているようで、わりと美味しい。
「うん。悪くないな」
「でしょ? これからは耕司君もマヨネーズプラスで頼むといいよ。耕司君って太りにくい体質みたいだし。マヨネーズたっぷりでも大丈夫そう」
「そんなことないよ。僕だってそんなに毎日マヨネーズばかり食べてたらきっと太るよ」
「そうかなぁ? 大丈夫だよ、耕司君なら」
くすくすと笑いこける香穂は、まるで幽霊とは思えない。酷い殺され方をしたというのに、まるで悲壮感がない。
香穂を見ていると、僕も幽霊に対する認識を改めなくてはならないと思う。
「ねえ、耕司君。ちょっと歩きたいな。デートっぽく」
「いいよ。歩こうか」
デートとは言っても、傍から見れば男の僕が一人で歩いているようにしか見えないのだろう。周りには本物の彼女を連れたカップルがたくさんいた。
でも、それで香穂が喜ぶのならそれでいいかと僕は思った。
海沿いのコンクリートの道を、僕と香穂は手を繋ぎながら歩いた。香穂の手の感触はなかったけど、やっぱりときどきその温もりを感じることがある。
「嬉しいな。死んでからこんなふうにデートできるなんて」
「生きてるときにもっと普通のデートをしておけば良かったな。ラブホばっかり行ってごめん」
「仕方ないよ。あたしたち、付き合ってまだ間もなかったし。あたしも耕司君とラブホ行くの嫌じゃなかったよ」
「そう言ってもらえると、僕もちょっと救われる」
「だって、耕司君もまさかあたしがこんなに早く死ぬなんて思わなかったでしょ?」
「思わなかったな。受験の時はこのまま付き合っていられるかなとか考えてたよ」
「さすがに受験の時は会う回数も減っただろうね。それに耕司君は医学部だから、進学してからも会える時間が限られただろうし」
「結婚まで考えると、本当に前途多難だっただろうな。母さんはもう僕の結婚相手を見繕っているみたいだし」
「そうなの?」
「うん。医者の娘とか、政治家の娘とか。あとは官僚の娘。サラリーマンの娘は絶対に嫌だったみたいだ」
「そうなんだ?」
「父はサラリーマンではないけど、企業の社員だからね。それが母にとっては屈辱だったんだ。だから僕の相手にはそれなりの肩書きのある家の娘を選びたかったみたい。母さんは父さんの収入のおかげで贅沢も出来てるのに。そこはまったく考慮に入ってないんだよね」
「大変だねぇ……」
「まあ、仕方ないよ。だから僕も本当は彼女とか作るつもりはなかったんだけど……」
「どうせ結婚できないから?」
「うん。途中で別れるのが決まってるのに付き合うのもなと思ってたんだけど。なぜだか香穂とは付き合うことになってしまったな」
「あたしが強引だったからかな?」
「そんなに強引でもなかったけど……何か僕の心に惹かれるものがあったんだろうな」
「そうなんだ。だったら嬉しい」
香穂はそう言って嬉しそうに顔をほころばせる。
香穂とこうして話していると、僕がいかに『普通』とは違った環境で育ってきたのかを再確認させられる。
周りにも親の干渉が酷い同級生も少なくはないけれど、僕の場合は母さんの感情的な干渉がひときわ大きい。
感情的な干渉は、僕の心のシャッターを硬く丈夫なものにしていった。
そうしなければ、母さんの感情は僕の心の中まで支配し、僕はその支配にきっといつか耐えきれなくなる気がしたから。
「あっ、耕司君! 見て、船だよ! 大きな船。あれ外国の船なんだろうね」
香穂が指さした方角には海上をゆっくりと進む外国の貨物船の姿があった。
「貨物船かな。何を運んでいるんだろうな」
「何だろうね。木材とか? それとも石油かな?」
「石油って感じじゃないみたいだけど」
「何を運んでいるのか書いてあればいいのにね~」
「まあ、何を運んでいても、僕たちには関係ないだろうし」
「そうだけどね。でも、何か夢があるじゃない? 船に乗って海を渡って運んでくるんだよ? あ、もしかして運ばれていくものかもしれないね」
「…………」
幽霊になっても無邪気さを失わない香穂が、ときどき僕には羨ましく感じられ、それが行き過ぎると疎ましく感じられてしまう。
気にしなければいいのに、引っかかってしまう。
それはきっと、香穂が幽霊になっても僕にないものをたくさん持っているからだろう。
「う~ん、やっぱり潮風って気持ちいい。ね、耕司君?」
「あ、ああ、そうだな」
「どうしたの、耕司君? 顔色、悪いよ?」
「ちょっと潮風に酔ったのかな」
「わ、大変だ。じゃあ、そろそろ帰ろうか?」
幽霊に気を遣わせてしまった自分に自己嫌悪を感じつつも、僕は香穂の言葉に頷き、海に背を向けたのだった。
「どこか行きたいところはある? 何か記憶の手がかりになりそうなところとか」
「う~ん、今日はもういいや。それより、もうちょっと耕司君とデートしたいな」
「デートかぁ。どこがいいかな」
「デートスポットといえば、海? そういえば耕司君と海って行ったことないよね」
香穂の言葉に僕は思わず苦笑してしまう。
つきあい始めて十日目でラブホテルの門をくぐってしまった僕たちは、デートのたびにどこかへ出かけるでもなくラブホテルに直行することになってしまっていたのだ。
考えてみれば、まともにデートをしたのはつきあい始めの頃ぐらいのものだっただろう。
もう少し香穂が生きていれば、セックスにも少し飽きが来て普通のデートをしようという話になっていたかもしれないけれど。
「海っていっても、この辺りだと海らしい海はないよ。海水浴が出来るような海じゃなくて、ショッピングパークのある海なら電車でいけそうだけど」
「うん、そこでいい。連れて行って」
甘えるように体を寄せてくる香穂に頷いていると、電車の中の人たちの視線を感じた。
そうだった……他の人から見ると僕は独り言を言い続ける怪しい人になっているのだった。
僕はこほんと咳払いをすると、慌ててバッグの中から本を取り出して読む振りをした。
「どうしたの?」
「ん……」
「何かあった?」
「ん……」
僕は喋らずにそう答え続けていたのだけど、ようやく香穂も事情に気付いてくれたようだった。
「あ、そっか。ずっとあたしと喋ってたら、耕司君が不審者に思われちゃうんだ」
「ん……」
「ごめんごめん。周りに人がいるときは気をつけるね」
「ん……」
僕の耳にはこんなにはっきりと香穂の声が聞こえるのに、他の人にはまったく聞こえない。本当に不思議な話だ。
その後も香穂はぶつぶつと独り言のように喋っていたけれど、僕は最低限の返事だけを周囲に気遣いながらし続けた。
電車を降りると、すぐそばがベイエリアになっていて、ショッピングセンターやレストランなどが立ち並ぶ区域がある。
駅を出て大きな信号を渡ろうとしたとき、香穂が立ち止まった。
「どうしたの?」
「ん……なんか幽霊っぽい女の人がいるの。ちょっと話してみるね。あの……すみません。何かお困りですか?」
香穂はそこにいるという幽霊に話しかけたが、僕にはその姿は見えないし、声も聞こえなかった。だけど香穂はちゃんとその女の人の幽霊と話が出来ているようだった。
「そうなんですね。それは大変でしたねぇ。でも、今はもうその日から二ヶ月ぐらい経ってます。だから大丈夫ですよ。ええ、はい。あなたはもう死んでいるんです」
どうやらその幽霊は、まだ死を自覚できていないタイプの幽霊らしかった。
「あたし、同じ幽霊だから分かるんです。ほら、後ろに、ええっと……あなたのお父さんだと思いますけど、ずっとあなたが気付いてくれるのを待っていますよ」
香穂には幽霊の女の人ばかりでなく、それを迎えに来ている人の幽霊まで見えているようだ。
「はい、ええ、良かったです。では、お元気で」
どうやら幽霊の女の人との話は終わったようだった。
「ごめんね、耕司君。無事に逝ってくれたみたい」
「逝ったって?」
「うーんと、成仏?」
「ああ、なるほど」
「さっきの人はここで事故で亡くなったみたい。一瞬のことだったから、死んだことにも気づかなかったみたいで。ここから動けないし、家の鍵も持ってきてしまったままだしどうしようって途方に暮れてたみたい。でも、もう亡くなった日から二ヶ月経ってるから何とかなってますよって言ったら安心して逝っちゃったみたい」
「そうなのか。その女の人は何か恨みがあってここに残ってたわけじゃないんだ?」
「うん、そうじゃないよ。恨みがあって残っている幽霊も確かにいるけど、ほとんどが死んだことに気づけなくて残ってるんじゃないかな? 病気とかだと死ぬっていうのがうすうす分かるけど、事故って一瞬でしょ? だから、何が起こったのか分からなくなるみたい」
「へえ、そうなんだ」
香穂の時はどうだったんだろうとふと思ったけど、何となく聞くのは憚られたので聞かなかった。そのうちに記憶がすべて戻れば、香穂もその時の状況を全部理解できるに違いない。
「あはっ、何か時間取らせちゃってごめんね。いこっか」
「ああ、そうだな。っていうか、もうそこに見えてるぞ」
「あ、本当だ! すごいね! 海の匂いがする!」
「えっと……幽霊も匂いって分かるのか?」
「分かるよ! たぶん生きてたときよりずっと敏感になってるみたい」
「へええ、そうなんだ」
気がつくと香穂は我慢できなくなったみたいに駆けだして信号を渡っていた。
僕も慌てて走ってその後を追いかけた。
「すごいねぇ……海が目の前だよ」
「確かに海だけど……本当にこんな海で良かったのか?」
僕の頭の中で海といえば、砂浜があって、ビーチパラソルがあってというようなものだったのだけど、香穂はコンクリートの建物の前に広がる海でも十分満足してくれたらしい。
夏の乾いた風が心地よく吹き付ける海沿いに設けられたベンチに、僕と香穂は腰掛けた。
「何か食べたいものある?」
「さっきフルーツパフェ食べたし大丈夫だよ。あたし幽霊だし、そもそもお腹すかないしね。あ、でも、耕司君が何か食べたかったら遠慮せずに食べてね。そうしたらあたしも横から少し食べさせてもらうし」
「ちょっと小腹が減ってる感じだし。売店で何か買ってくるよ。せっかくだから香穂の好きなものにしたいんだけど、何がいい?」
「ん~、じゃあ、久しぶりにあれ食べたい。えっと、アメリカンドック!」
「分かった。じゃあ、買ってくるよ。えっと、マスタードとケチャップは両方かけるほう?」
「うん、両方! あとマヨネーズもあったらマヨネーズも!」
「えええ? マヨネーズも……?」
「だって、もう太る心配しなくていいし。あたしマヨネーズ大好きだから、一度やってみたかったんだよね!」
「分かった。じゃあ、マヨネーズもかけてもらえるか聞いてみるよ」
僕は香穂に笑って売店に向かい、アメリカンドックをひとつ買ってきた。二つ買ってきても最終的に食べるのは僕だけなので食べきれないと思ったからだ。
普通はケチャップとマスタードだけのはずのアメリカンドックだけど、頼んでみたらマヨネーズもかけてくれた。
「ほら、マヨネーズつき。先に食べていいよ」
「わぁ、ありがとう! ふふ、嬉しいな! 太らないっていいよね! いただきまーす!」
香穂は嬉しそうに言ってアメリカンドックにかぶりつくような仕草をする。そして幸せそうに顔をほころばせ、目を閉じた。
「んん~! 何かすごくイケない味がする! でも美味しい~! ありがとう、耕司君!」
「いや、幽霊で良かったな。って言い方も変か」
「ううん。今だけは幽霊で良かったと思ってるよ。ふふ、おいひい~♪」
香穂はぱくぱくとアメリカンドックを食べ続けているが、僕が持っているアメリカンドックはどこもかじられたりしていない。買ったときそのままだ。多少は冷めてしまったかなという程度の変化しかない。
「ごちそうさま! ありがとう、もう満足したよ。後は耕司君が食べて」
「あ、ああ、ありがとう」
僕は戸惑いつつも、ケチャップとマスタードとマヨネーズの味のするアメリカンドックをほおばっていく。
ケチャップとマスタードだけよりも味にまろやかさとこくが出ているようで、わりと美味しい。
「うん。悪くないな」
「でしょ? これからは耕司君もマヨネーズプラスで頼むといいよ。耕司君って太りにくい体質みたいだし。マヨネーズたっぷりでも大丈夫そう」
「そんなことないよ。僕だってそんなに毎日マヨネーズばかり食べてたらきっと太るよ」
「そうかなぁ? 大丈夫だよ、耕司君なら」
くすくすと笑いこける香穂は、まるで幽霊とは思えない。酷い殺され方をしたというのに、まるで悲壮感がない。
香穂を見ていると、僕も幽霊に対する認識を改めなくてはならないと思う。
「ねえ、耕司君。ちょっと歩きたいな。デートっぽく」
「いいよ。歩こうか」
デートとは言っても、傍から見れば男の僕が一人で歩いているようにしか見えないのだろう。周りには本物の彼女を連れたカップルがたくさんいた。
でも、それで香穂が喜ぶのならそれでいいかと僕は思った。
海沿いのコンクリートの道を、僕と香穂は手を繋ぎながら歩いた。香穂の手の感触はなかったけど、やっぱりときどきその温もりを感じることがある。
「嬉しいな。死んでからこんなふうにデートできるなんて」
「生きてるときにもっと普通のデートをしておけば良かったな。ラブホばっかり行ってごめん」
「仕方ないよ。あたしたち、付き合ってまだ間もなかったし。あたしも耕司君とラブホ行くの嫌じゃなかったよ」
「そう言ってもらえると、僕もちょっと救われる」
「だって、耕司君もまさかあたしがこんなに早く死ぬなんて思わなかったでしょ?」
「思わなかったな。受験の時はこのまま付き合っていられるかなとか考えてたよ」
「さすがに受験の時は会う回数も減っただろうね。それに耕司君は医学部だから、進学してからも会える時間が限られただろうし」
「結婚まで考えると、本当に前途多難だっただろうな。母さんはもう僕の結婚相手を見繕っているみたいだし」
「そうなの?」
「うん。医者の娘とか、政治家の娘とか。あとは官僚の娘。サラリーマンの娘は絶対に嫌だったみたいだ」
「そうなんだ?」
「父はサラリーマンではないけど、企業の社員だからね。それが母にとっては屈辱だったんだ。だから僕の相手にはそれなりの肩書きのある家の娘を選びたかったみたい。母さんは父さんの収入のおかげで贅沢も出来てるのに。そこはまったく考慮に入ってないんだよね」
「大変だねぇ……」
「まあ、仕方ないよ。だから僕も本当は彼女とか作るつもりはなかったんだけど……」
「どうせ結婚できないから?」
「うん。途中で別れるのが決まってるのに付き合うのもなと思ってたんだけど。なぜだか香穂とは付き合うことになってしまったな」
「あたしが強引だったからかな?」
「そんなに強引でもなかったけど……何か僕の心に惹かれるものがあったんだろうな」
「そうなんだ。だったら嬉しい」
香穂はそう言って嬉しそうに顔をほころばせる。
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周りにも親の干渉が酷い同級生も少なくはないけれど、僕の場合は母さんの感情的な干渉がひときわ大きい。
感情的な干渉は、僕の心のシャッターを硬く丈夫なものにしていった。
そうしなければ、母さんの感情は僕の心の中まで支配し、僕はその支配にきっといつか耐えきれなくなる気がしたから。
「あっ、耕司君! 見て、船だよ! 大きな船。あれ外国の船なんだろうね」
香穂が指さした方角には海上をゆっくりと進む外国の貨物船の姿があった。
「貨物船かな。何を運んでいるんだろうな」
「何だろうね。木材とか? それとも石油かな?」
「石油って感じじゃないみたいだけど」
「何を運んでいるのか書いてあればいいのにね~」
「まあ、何を運んでいても、僕たちには関係ないだろうし」
「そうだけどね。でも、何か夢があるじゃない? 船に乗って海を渡って運んでくるんだよ? あ、もしかして運ばれていくものかもしれないね」
「…………」
幽霊になっても無邪気さを失わない香穂が、ときどき僕には羨ましく感じられ、それが行き過ぎると疎ましく感じられてしまう。
気にしなければいいのに、引っかかってしまう。
それはきっと、香穂が幽霊になっても僕にないものをたくさん持っているからだろう。
「う~ん、やっぱり潮風って気持ちいい。ね、耕司君?」
「あ、ああ、そうだな」
「どうしたの、耕司君? 顔色、悪いよ?」
「ちょっと潮風に酔ったのかな」
「わ、大変だ。じゃあ、そろそろ帰ろうか?」
幽霊に気を遣わせてしまった自分に自己嫌悪を感じつつも、僕は香穂の言葉に頷き、海に背を向けたのだった。
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