君はなぜ笑う?

梵天丸

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君はなぜ笑う?(4)

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 結局、この日は何の手がかりを得ることも出来ず、僕は家に帰るしかなかった。
 家庭教師の日でもあったので、夜には石崎先生が来てくれた。
「今月で耕司君の家庭教師やめることになったんだ」
 部屋に入ってくるなりそう言う石崎先生の顔は、どこか複雑そうな顔をしていた。
「あの……母がまた何か?」
「うん。香穂ちゃんとの接点が兄のカフェだったことがばれたみたいでね。まあ、それはいいんだけど、ひょっとすると耕司君にもお母さんから何か言われるかもしれないけど、大丈夫?」
「大丈夫です。もう慣れてますし。うちに警察の人が来た時点で母はもう半狂乱でしたし」
「まあ、とりあえず今月までだけどよろしくね」
「はい……あの……本当に済みません……」
「いや、いいよ。僕もちょうど本職の仕事のほうが忙しくなりそうでね。だから、もし今回のことがなくても、いずれ家庭教師を続けることは出来なくなっていただろうし。耕司君に会えなくなるのはちょっと寂しいけどね」
 実は石崎先生の本職は家庭教師じゃない。フリーランスでゲーム音楽などの作曲家をしているらしいのだけど、なかなか仕事が安定しないらしい。それで副業として家庭教師をしているのだ。
 母にはそれも気にくわなかったのだろう。ただ、僕が石崎先生を気に入っていたのと、石崎先生の出身大学が国立T医大だったということがこれまで長くお世話になることが出来た理由だったように思う。
 そうなのだ。石崎先生は医師免許まで持っているのに、医者にはならず、収入も不安定な音楽の道に進むことにしたのだ。
 その生き方は僕にとっては眩しいほどに羨ましい。
 僕にはそんなふうに自分の人生を選択する権利はないのだから。
「そうだ。この間、例のスマホゲームのCM見ましたよ。あのBGMが石崎先生の作曲した曲なんですよね?」
「うん。あれはけっこう自信作だったんだ。無事にコンペに通ってくれて良かったよ」
「他にはどんな仕事が決まってるんですか?」
「うーん、守秘義務があるから今は言えないのが多いかな。言えるようになったらまたメールするよ」
「はい。楽しみにしています」
「じゃあ、まずは勉強のほうを片付けてしまおうか。試験は延期になったけど、まだ終わってないからね」
 石崎先生の教え方はとても分かりやすい。それに丁寧だ。僕がどの部分を理解していないのかを理解してくれ、そこを重点的に教えてくれる。
 それに休憩中に聞くゲームの話や音楽の話は、僕にとっては刺激的なものだった。僕の知っている世界とはまるで違う世界……石崎先生は僕にとってあこがれの人でもあったのだ。
 でももうそれも今月で終わってしまうのかと思うと、寂しい気持ちになる。けれども母がそう決めたから仕方がないのだろう。僕には逆らう選択肢なんてないのだから。

「家庭教師の先生、変わっちゃうの?」
 石崎先生が帰った後、僕の部屋にいた香穂が聞いてきた。
「うん、そうみたい」
「自分のことなのに、自分で決められないんだね」
「仕方ないよ。もう諦めてる」
「そっか……」
 香穂が生きていたら、きっと僕の部屋に来ることはなかったに違いない。今は幽霊だから、僕は生まれて初めて女の子を自分の部屋に迎えることが出来ている。
「それにしても、耕司君の部屋っていまどきの子が持ってそうなものって何もないんだね」
「いまどきの子が持ってそうなものって?」
「えっと、漫画とかゲームとか。あとテレビも置いてないし」
「そういうのは勉強の邪魔になるからって買ってもらったことがない」
「えええ~、そうなんだぁ……」
「唯一買ってもらえたのは、このパソコンぐらいかな。これがあるおかげで特に何かの話題に乗り遅れたりすることはないし。ゲームも隠れてこそこそやってるよ。パソコン用のゲームだけど。漫画も読もうと思えば読めるし」
「ふうん……でも、何か不自由だね。お医者さん目指してるんだっけ?」
「そうだな。たぶんそうなるんだろうな」
「自分のことなのに他人事みたい」
「自分で決められないんだから、他人事になるだろ」
「まあ、そうだけど……」
「それより、香穂って何か夢とかあったの? 将来はこういうのになりたいとか。大学は何学部に行きたかったとか?」
「あたしは学校の先生かな。英語が好きだから、英語の先生とかいいなって。でも、英語の先生だと留学経験したほうがいいと思うし。そうなるとお金がって考えると、別の先生のほうがいいのかなぁって思ったりして」
「学校の先生か。香穂らしいな」
「そう? あたしって先生っぽい?」
「何か一生懸命に教えてくれたり、関わってくれたりしてくれそう」
「そうだね。あたし、人と接するのはすごく好き。誰かに頼られるのも好き。人に教えるのもけっこう好きかな」
「だったら、やっぱり先生向きだな」
「でも、実際にもし生きてたら、普通のOLになってたかもしれないし。先のことって分からないよね」
「そうだな……選択肢があればそうなるかもな」
「耕司君……」
 気がつくと香穂が複雑そうな顔をして僕を見ていた。
「あ、別に深い意味はないから気にしなくていいよ。僕は別に医者も悪くないなと思ってるし、将来を好きに選んでいいって言われたらかえって混乱するかもしれない。決まってる方が楽ってこともあるし」
「そっか。そういうふうに考えることが出来ているんだったら、ちょっと安心」
「確かに自由はないし、母さんの過干渉はあるけど、それでも悪いことばかりじゃないよ。授業料の心配もしなくていいし、就職先の心配をする必要もない」
「そうだね。確かにそれはちょっと羨ましいかも」
「それに僕はまだ生きている。幽霊になった香穂よりはぜんぜん恵まれてるよ」
 僕がそう言うと、香穂はようやく安堵したように微笑んだ。

 翌日、僕はまた香穂の記憶探しの手伝いをすることになった。
 ……とはいっても、矢代刑事のほうにも新しい情報は入っていないみたいだし、あまり進展は期待できそうになかった。
 そこで僕と香穂が言い争いになって別れた場所へとやって来たのだが。
「ここでちょっと喧嘩っぽくなったのは覚えてる。あたしが無理言ったからだよね」
 香穂がそう言ってくるので、僕もあの日のことを思い出して少し苦い気分になる。
「今思うと、あの時何でそんなに僕はイライラしてたのかなって。ちょっとぐらい香穂に付き合えば良かった」
「無理ないよ。あたし、耕司君のこと何も分かってなかったんだもん。だからあの時の喧嘩はきっとあたしが悪いんだよ」
 あの日、僕は急いで家に帰ろうとしていた。その前に文具店によって必要なものを買い、店を出たところで香穂に会った。
「あ、良かった。間に合って。あの、ちょっとだけ一緒に来て欲しいんだけど」
「だから、今日は家庭教師の日だから。明日は試験だし……」
「でも、本当にちょっとだけ。ね、お願い?」
「だから、駄目だって。少しでも帰るのが遅れたら、何言われるか分からないんだから……」
「少しだけでも……駄目?」
 香穂は珍しく僕を執拗に誘ってきた。
 前回の試験の成績が悪かったこともあって、僕にとって明日からの試験は大切なものだった。
 香穂にはそんな僕の気持ちは分からないのだろう……あの時の僕はそんな気持ちになっていた。
「だから駄目だって言ってるだろう! いい加減にしろ!」
 僕はそう言い放つと逃げ出すように香穂の前から走り去った。その時の香穂がいったいどんな表情をしていたのかも覚えていない。
「あの時は本当にごめん……イライラしてたんだ。前の試験の成績も悪かったし。次は失敗できないってプレッシャーがあって……」
「うんうん、分かるよ。だからあたしは耕司君のことを何も分かってなかったんだ」
「香穂はあの時……どんな気持ちになった?」
「ちょっと悲しかった。でも、どうして耕司君はそんなに試験が大事なんだろうって不思議にも思った。お母さんが厳しいっていうのは聞いていたけど……」
「僕の頭が本当は良くないのがいけないんだと思う。必死に努力はしてるつもりだけど、本当に頭のいい人は同じ努力をしてももっと良い成績が取れると思うし」
「そんなこと……ないと思うけど……」
「実際に香穂よりも勉強時間は僕のほうが長いはずだよ。僕はバイトもしてないし。だけど、成績はとても香穂にはかなわない」
「ん~、勉強の仕方にも何か問題があるのかも。別に耕司君の頭が悪いって訳じゃないと思うよ」
「いや、そもそも効率の悪い勉強しか出来ない僕が悪いんだよ。っていうか、幽霊に慰められるなんて、本当に情けないな、僕は」
「ここは何かやだな。耕司君、陽だまりカフェにいこう」
「あ、ああ、いいけど」
「あたし、久しぶりにパフェが食べたいな」
 香穂がそう言ってくれたので、僕は正直ほっとした。これ以上不毛な論争を続けていても、誰も救われないのは分かっていたからだ。

 陽だまりカフェで念願のフルーツパフェを目の前にした香穂は、はぁっと大きなため息を吐く。
「あたしがちゃんと覚えていたら、耕司君に言って犯人を捕まえてもらうのにね~。ううん、あたし記憶力だけは良かったはずなのにな~」
「そうだな。それにしても幽霊って記憶喪失になるんだな」
「だよね。あたしもびっくりしてる。生きてるときにも記憶がぶっ飛ぶなんて経験はなかったし。本当にあの時耕司君と別れて、気がついたらもう死んで自分のお葬式だったんだもん……はぁ……」
 香穂はフルーツパフェを食べるような素振りをしているけれど、先ほどからそれはまったく減っていない。
 自分のコーヒーフロートとともに香穂のリクエストでフルーツパフェを頼んだ僕を見て、陽だまりカフェのオーナーの石崎さんは少し複雑そうな顔をした。
 それはそうだろう。男一人でデザートを二つ頼むなんて、普通はちょっとあり得ない。
 きっと石崎さんは石崎さんなりに、僕の注文を解釈してくれたのだろうけど。
 テーブルの向こう側にフルーツパフェを置いたままコーヒーフロートのアイスクリームを食べる僕を見て、石崎さんが声をかけてくる。
「そのパフェ、香穂ちゃんが好きだったもんな」
「そうですね……」
 僕は出来るだけ沈痛そうな表情でそう答える。まさか僕の目の前に香穂がいるなんて、石崎さんは思いもしないだろう。
「香穂ちゃんは本当に働き者で性格も良くて、うちに来てくれるバイトの子たちの中でも飛び抜けて頼りになる子だったんだ。あんな可哀想な殺され方をして、本当に可哀想だったよ……」
「はい……」
「そのフルーツパフェは僕のおごりにしておくから、ゆっくりしていくといいよ」
「いえ、そんな……」
「せめてもの供養のつもりでね……はぁ、本当にいい子ほど早く死ぬんだよなぁ……」
 切なげにため息を吐きながら、石崎さんは厨房のほうに戻っていった。
 先ほどから香穂は石崎さんの話を聞きながらパフェを食べているのだが、その量はまったく減っていない。
「本当に食べてるの?」
「うん、食べてるよ。相変わらずここのフルーツパフェは美味しくて好き♪」
「それはいいんだけど……なくならないよな、それ」
「うん、なくなりはしないけど……多少味は薄くなってるかも?」
「そうなんだ?」
「よく分からないけど。そうなることもあるって、どこかであった幽霊の人が言ってたよ」
「へええ……ちょっと食べてみていい?」
「いいよ」
 僕はフルーツパフェに自分のコーヒーフロート用のスプーンを伸ばして一口食べてみる。
「薄くなってる……かなぁ? よく分からない。だいぶ溶けてきてはいるみたいだけど」
「そうだね。もったいないから、耕司君、全部食べて。あたしもう満足したし」
「あ、ああ、分かった」
 せっかく石崎さんが香穂のためにとおごってくれたフルーツパフェなので、僕はコーヒーフロートを飲みながらフルーツパフェを食べた。
 人から見たら、奇異な光景だろう。こうなるならせめてコーヒーフロートをただのアイスコーヒーにしておけば良かったと僕は少し後悔した。
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