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君はなぜ笑う?(3)
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そして僕は今……彼女と対峙している。
どうやら彼女は生きているというわけではないらしい。
つまり、幽霊というやつのようだ。
しかし僕の目から見れば、特にどこかが透けているようにも見えないし、足もちゃんとある。僕の中のイメージの幽霊とはかけ離れていた。
「そっかぁ……やっぱりあたし、死んでたんだぁ……」
まるで他人事のように香穂は言う。
「覚えてないの? その……死んだときのこと……」
幽霊にそんなことを聞くのも変な話だなと思いつつ、僕はつい聞いてしまった。
「ん~、耕司君と別れて、そこからの記憶が曖昧なんだよね。何か衝撃があって気を失ったみたいになったのは覚えてるんだけど……」
どうやら香穂は記憶喪失の幽霊らしい。
試しにそっとその手に触れてみようとしたのだけど、その姿かたちははっきりと見えているのに、触れることは出来なかった。僕の手は彼女の体をすり抜けてしまう。ただ、その体が見えている部分に近づくと、ほんのりとした温かさは感じるのだけど。
この様子では霊と話をすることは出来ても、セックスまでは無理だろう。たとえ事に及んでみたにしても、多少の温もりを感じる程度ではおそらく射精まではたどり着くことは出来ないはずだ。気持ちがよほど昂ぶれば話は別だろうが。
これが幽霊というものなのかと僕は漠然と思った。
「お父さんやお母さんに何度話しかけても聞こえてないみたいだし、何かあたしのお葬式が始まっちゃうし。だから死んだのかなぁって思ってたんだけど、まさか本当に死んじゃってたなんてねぇ……」
「悲しいの?」
「うーん……まだその実感もわかない感じ。死ぬってこういうことなのかな~って。でも、トイレとか行きたくならないし、喉も渇かないし、お腹もすかないの。お風呂もずっと入ってないけど、特に臭ったりもしないみたいだし。って、あたしもしかして臭う?」
香穂に問われて僕は少し鼻をひくつかせてみたが、その体からは何の匂いもしなかった。
「何も臭わないよ」
「そっかぁ……良かったぁ……」
香穂は本当にほっとしたように胸をなで下ろしている。
「そういえば耕司君、あたしが幽霊だって分かってるのに、怖くないの?」
「そうだな。足がなかったり血が出てたりしたら多少は怖いだろうけど……香穂は全部ちゃんと見えてるし」
「そっかぁ。耕司君には生きているときのあたしと同じように見えてるんだね」
「うん。生きてるときとそのまま同じに見える。ただ触れないだけかな」
「ん? でも、あたしっていっぱい血が流れて死んじゃったんだよね? お母さんが言ってたの。失血性なんとかが死因でどうのこうのって。でも、どこも怪我してないよね?」
「うん……怪我してるようには見えない。少なくとも僕の目には」
「ねえ、耕司君。あたし、どうやって死んだの?」
香穂に問われて、僕は戸惑いつつも知っている情報を彼女に伝える。
「通り魔みたいなのに刺されて殺されたらしい。犯人は大柄の中年男って話だけど、まだ捕まってないみたいで」
「大柄の中年男かぁ……どうやっても思い出せないんだけど……あっ、ねえ、耕司君。ひとつお願い聞いてくれる?」
「あ、ああ、いいけど」
「あたしのなくなった記憶を一緒に探して欲しいの。そうしたら犯人も分かるかもしれないし。それに少しはお母さんたちの悲しみも癒えるだろうし。んで、あたしも成仏出来る気がするの」
「今はまだ成仏できない状態?」
幽霊のことはよく分からないので、僕は首をかしげながら聞いてみる。
「何でか分からないけど、行くべきところに行けてない状態みたい。それって、あたしの記憶の失われた部分に関係があるっていう気がするの。だからそれがちゃんと判明したら、あたしたぶん成仏できるんじゃないかなぁ。保証はないけど」
「分かった。いいよ。協力するよ」
「え? いいの?」
「うん。僕も香穂のなくなった記憶のことは気になるし、犯人のこともはっきりさせておきたいから」
「ありがとう、耕司君! やっぱり耕司君って優しいなぁ。えへへ」
香穂は生きているときと同じように、マシュマロみたいな顔をほころばせる。
幽霊の記憶を取り戻す……何だか妙なことになってしまったけれど、僕の彼女だった香穂の頼みだし、何とかかなえてあげたいと思う。
ともあれ、こうして俺は香穂を成仏させるために、彼女を殺した犯人を探すことになったのだった。
香穂は朝になるとその姿を保つのが難しくなるらしく、朝に現れることはほとんどなかった。だいたい昼過ぎから夕方ぐらいに現れて、夜僕が眠るまでまで一緒にいる。
僕は約束通り、勉強の合間をぬって、香穂を殺した犯人を捜すための協力をした。
香穂の記憶が途切れているのはあの日僕と別れてからだというから、その後に彼女がどのような足取りを通ったのかっが分かれば手がかりがつかめそうな気がする……そう考えた僕は、先日事情聴取に来た刑事の矢代さんに会いに行き、犯人の手がかりがないかどうか聞いてみた。
本当は部外者に情報をあまり教えることは出来ないのだけどと前置きし、矢代刑事は現状で話せることだけを話してくれた。
「実はあれから捜査が難航しててね。香穂さんが言っていた体格の良い中年の男の目撃情報もあまりなくて……」
「あるにはあったんですか?」
「あるにはあったんだけど……どれもこれも曖昧な情報ばかりで、具体的な相手にはたどり着けていないんだ」
「指紋とか……その……現場の遺留品とかから何か分かっていないんですか?」
「そういうものがほとんど残っていないんだ。犯人はよほど用心深く彼女を殺したんだろうなぁ」
どうやら僕が期待したほど捜査は進展していないようだった。ひょっとすると、何か進展はあったけど僕のような部外者には話せないということなのかもしれないけれど。
「そうですか……あの、また来ます」
「ああ、まあまた何か話せることがあれば連絡するよ。ただ、あまり親御さんを心配させるようなことはするなよ」
たぶん、あの夜の母の剣幕を思い出したのだろう。矢代刑事は苦笑気味に僕に言ってくる。
「はい。ありがとうございます」
矢代刑事は僕に笑うと、忙しそうに立ち去っていった。
「手がかりなしか……」
「うん、そうみたいだね」
香穂はずっと僕の隣にいたけれど、やはり矢代刑事にはまったく見えていないようだった。
警察署を出た僕は、香穂の殺害現場になったという公園に来てみた。
そこへ来てもやはり香穂は記憶が戻らないせいか、ぴんとこないようだった。
「覚えがない?」
「うん……公園は見覚えがあるんだけど、たぶんあの殺された日よりも前に来たことがあるからだと思う。あの日の記憶はやっぱり耕司君と別れたあの場所で途切れてる」
「そっか……」
香穂が殺された現場となったらしき場所には、いくつかの花束が置いてあった。
香穂はそれを複雑そうな顔で眺めている。
「あたしのために花束を持ってきてくれる人がいるんだ」
「うん。葬式の時も泣いてる女子がけっこういたよ」
「へえ、あたしって意外と人気者?」
「そうみたいだな。何かノート貸してもらったりして本当に優しかったって言ってたよ」
「あははっ、ノート貸しておいて良かった。貸し渋ってたら、きっと死んだ後に悪口しか言われなかったよね」
「そんなことはないと思うけど」
「でも、花束を持ってきてくれる人もいるんだってことは素直に嬉しいな」
「うん。それは香穂の人徳だと思うよ」
「人徳かぁ。死んでも役に立つのって、それぐらいなのかな。お金も何も持って行けないしねぇ」
「そうだな……」
「ねえ、耕司君はあたしが死んだって聞いたとき悲しかった?」
「うーん……あまりにも驚きすぎて実感がわかなかったんだ。葬式に行けば実感がわくかなとも思ったけど、やっぱり何か夢の中の出来事みたいで……」
「そうなんだ……」
「ごめん……たぶん、こうして幽霊の香穂に再会していなかったら後から悲しみがこみ上げてきたかもしれないけど……」
「こうして喋ってたら、死ぬ前と同じだもんね」
「そうだな。だから余計に実感がわきにくいのかも。もし香穂が僕の前から完全に消えてしまったら、たぶんすごく悲しくなると思う」
「無理に悲しまなくていいよ」
香穂が苦笑するので、僕は正直に事情を打ち明けた。
「僕は他の人みたいに泣けないんだ。何でか分からないけど、どんなに悲しくても泣くことが出来なくて……」
「そうなんだ?」
「だからなのかな。本当なら彼女が亡くなって悲しみのどん底にいるはずなのに、何か夢でも見てるみたいな感じなのは……」
「そっか。耕司君はそんな感じなんだ」
「ごめん、がっかりした?」
「ううん。大丈夫。むしろ、悲しみすぎてたらきっとあたし困ってたと思うし」
「そう言ってもらえると、僕としても気が楽だよ」
僕がそう言うと、香穂はいつものマシュマロみたいな笑みを浮かべた。
どうやら彼女は生きているというわけではないらしい。
つまり、幽霊というやつのようだ。
しかし僕の目から見れば、特にどこかが透けているようにも見えないし、足もちゃんとある。僕の中のイメージの幽霊とはかけ離れていた。
「そっかぁ……やっぱりあたし、死んでたんだぁ……」
まるで他人事のように香穂は言う。
「覚えてないの? その……死んだときのこと……」
幽霊にそんなことを聞くのも変な話だなと思いつつ、僕はつい聞いてしまった。
「ん~、耕司君と別れて、そこからの記憶が曖昧なんだよね。何か衝撃があって気を失ったみたいになったのは覚えてるんだけど……」
どうやら香穂は記憶喪失の幽霊らしい。
試しにそっとその手に触れてみようとしたのだけど、その姿かたちははっきりと見えているのに、触れることは出来なかった。僕の手は彼女の体をすり抜けてしまう。ただ、その体が見えている部分に近づくと、ほんのりとした温かさは感じるのだけど。
この様子では霊と話をすることは出来ても、セックスまでは無理だろう。たとえ事に及んでみたにしても、多少の温もりを感じる程度ではおそらく射精まではたどり着くことは出来ないはずだ。気持ちがよほど昂ぶれば話は別だろうが。
これが幽霊というものなのかと僕は漠然と思った。
「お父さんやお母さんに何度話しかけても聞こえてないみたいだし、何かあたしのお葬式が始まっちゃうし。だから死んだのかなぁって思ってたんだけど、まさか本当に死んじゃってたなんてねぇ……」
「悲しいの?」
「うーん……まだその実感もわかない感じ。死ぬってこういうことなのかな~って。でも、トイレとか行きたくならないし、喉も渇かないし、お腹もすかないの。お風呂もずっと入ってないけど、特に臭ったりもしないみたいだし。って、あたしもしかして臭う?」
香穂に問われて僕は少し鼻をひくつかせてみたが、その体からは何の匂いもしなかった。
「何も臭わないよ」
「そっかぁ……良かったぁ……」
香穂は本当にほっとしたように胸をなで下ろしている。
「そういえば耕司君、あたしが幽霊だって分かってるのに、怖くないの?」
「そうだな。足がなかったり血が出てたりしたら多少は怖いだろうけど……香穂は全部ちゃんと見えてるし」
「そっかぁ。耕司君には生きているときのあたしと同じように見えてるんだね」
「うん。生きてるときとそのまま同じに見える。ただ触れないだけかな」
「ん? でも、あたしっていっぱい血が流れて死んじゃったんだよね? お母さんが言ってたの。失血性なんとかが死因でどうのこうのって。でも、どこも怪我してないよね?」
「うん……怪我してるようには見えない。少なくとも僕の目には」
「ねえ、耕司君。あたし、どうやって死んだの?」
香穂に問われて、僕は戸惑いつつも知っている情報を彼女に伝える。
「通り魔みたいなのに刺されて殺されたらしい。犯人は大柄の中年男って話だけど、まだ捕まってないみたいで」
「大柄の中年男かぁ……どうやっても思い出せないんだけど……あっ、ねえ、耕司君。ひとつお願い聞いてくれる?」
「あ、ああ、いいけど」
「あたしのなくなった記憶を一緒に探して欲しいの。そうしたら犯人も分かるかもしれないし。それに少しはお母さんたちの悲しみも癒えるだろうし。んで、あたしも成仏出来る気がするの」
「今はまだ成仏できない状態?」
幽霊のことはよく分からないので、僕は首をかしげながら聞いてみる。
「何でか分からないけど、行くべきところに行けてない状態みたい。それって、あたしの記憶の失われた部分に関係があるっていう気がするの。だからそれがちゃんと判明したら、あたしたぶん成仏できるんじゃないかなぁ。保証はないけど」
「分かった。いいよ。協力するよ」
「え? いいの?」
「うん。僕も香穂のなくなった記憶のことは気になるし、犯人のこともはっきりさせておきたいから」
「ありがとう、耕司君! やっぱり耕司君って優しいなぁ。えへへ」
香穂は生きているときと同じように、マシュマロみたいな顔をほころばせる。
幽霊の記憶を取り戻す……何だか妙なことになってしまったけれど、僕の彼女だった香穂の頼みだし、何とかかなえてあげたいと思う。
ともあれ、こうして俺は香穂を成仏させるために、彼女を殺した犯人を探すことになったのだった。
香穂は朝になるとその姿を保つのが難しくなるらしく、朝に現れることはほとんどなかった。だいたい昼過ぎから夕方ぐらいに現れて、夜僕が眠るまでまで一緒にいる。
僕は約束通り、勉強の合間をぬって、香穂を殺した犯人を捜すための協力をした。
香穂の記憶が途切れているのはあの日僕と別れてからだというから、その後に彼女がどのような足取りを通ったのかっが分かれば手がかりがつかめそうな気がする……そう考えた僕は、先日事情聴取に来た刑事の矢代さんに会いに行き、犯人の手がかりがないかどうか聞いてみた。
本当は部外者に情報をあまり教えることは出来ないのだけどと前置きし、矢代刑事は現状で話せることだけを話してくれた。
「実はあれから捜査が難航しててね。香穂さんが言っていた体格の良い中年の男の目撃情報もあまりなくて……」
「あるにはあったんですか?」
「あるにはあったんだけど……どれもこれも曖昧な情報ばかりで、具体的な相手にはたどり着けていないんだ」
「指紋とか……その……現場の遺留品とかから何か分かっていないんですか?」
「そういうものがほとんど残っていないんだ。犯人はよほど用心深く彼女を殺したんだろうなぁ」
どうやら僕が期待したほど捜査は進展していないようだった。ひょっとすると、何か進展はあったけど僕のような部外者には話せないということなのかもしれないけれど。
「そうですか……あの、また来ます」
「ああ、まあまた何か話せることがあれば連絡するよ。ただ、あまり親御さんを心配させるようなことはするなよ」
たぶん、あの夜の母の剣幕を思い出したのだろう。矢代刑事は苦笑気味に僕に言ってくる。
「はい。ありがとうございます」
矢代刑事は僕に笑うと、忙しそうに立ち去っていった。
「手がかりなしか……」
「うん、そうみたいだね」
香穂はずっと僕の隣にいたけれど、やはり矢代刑事にはまったく見えていないようだった。
警察署を出た僕は、香穂の殺害現場になったという公園に来てみた。
そこへ来てもやはり香穂は記憶が戻らないせいか、ぴんとこないようだった。
「覚えがない?」
「うん……公園は見覚えがあるんだけど、たぶんあの殺された日よりも前に来たことがあるからだと思う。あの日の記憶はやっぱり耕司君と別れたあの場所で途切れてる」
「そっか……」
香穂が殺された現場となったらしき場所には、いくつかの花束が置いてあった。
香穂はそれを複雑そうな顔で眺めている。
「あたしのために花束を持ってきてくれる人がいるんだ」
「うん。葬式の時も泣いてる女子がけっこういたよ」
「へえ、あたしって意外と人気者?」
「そうみたいだな。何かノート貸してもらったりして本当に優しかったって言ってたよ」
「あははっ、ノート貸しておいて良かった。貸し渋ってたら、きっと死んだ後に悪口しか言われなかったよね」
「そんなことはないと思うけど」
「でも、花束を持ってきてくれる人もいるんだってことは素直に嬉しいな」
「うん。それは香穂の人徳だと思うよ」
「人徳かぁ。死んでも役に立つのって、それぐらいなのかな。お金も何も持って行けないしねぇ」
「そうだな……」
「ねえ、耕司君はあたしが死んだって聞いたとき悲しかった?」
「うーん……あまりにも驚きすぎて実感がわかなかったんだ。葬式に行けば実感がわくかなとも思ったけど、やっぱり何か夢の中の出来事みたいで……」
「そうなんだ……」
「ごめん……たぶん、こうして幽霊の香穂に再会していなかったら後から悲しみがこみ上げてきたかもしれないけど……」
「こうして喋ってたら、死ぬ前と同じだもんね」
「そうだな。だから余計に実感がわきにくいのかも。もし香穂が僕の前から完全に消えてしまったら、たぶんすごく悲しくなると思う」
「無理に悲しまなくていいよ」
香穂が苦笑するので、僕は正直に事情を打ち明けた。
「僕は他の人みたいに泣けないんだ。何でか分からないけど、どんなに悲しくても泣くことが出来なくて……」
「そうなんだ?」
「だからなのかな。本当なら彼女が亡くなって悲しみのどん底にいるはずなのに、何か夢でも見てるみたいな感じなのは……」
「そっか。耕司君はそんな感じなんだ」
「ごめん、がっかりした?」
「ううん。大丈夫。むしろ、悲しみすぎてたらきっとあたし困ってたと思うし」
「そう言ってもらえると、僕としても気が楽だよ」
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