年下将軍に側室として求められて

梵天丸

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年下将軍に側室として求められて(8)

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 側室に入ってからの芭乃の暮らしは、驚くほどに一変してしまった。
 将軍のお伽の相手をしたというただそれだけで、芭乃は以前のように自由に出歩くことも出来なくなり、御所の中でさえ、移動には許可が必要になった。たとえ許可が下りても、一人で出歩くことは出来ず、常に女房や家中の者が付き添う。まるで将軍並みの扱いになってしまった。
 将軍の子を身ごもる、もしくは身ごもっている可能性を考え、その子を守るための措置だといい聞かされても、芭乃は心から納得することは出来なかった。
 また、まだ正室のいない義藤の傍で、謁見にやって来た各地の大名や公家の貴族たちの応対をする機会も増えた。
 着るものも女房の頃とは打って変わり、豪華な着物を何枚も与えられ、まるで人形のように毎日着せ替えをさせられる。
 これまで女房として自由気ままに過ごしてきた芭乃にとっては、窮屈極まりない日々が続いていた。
「義藤様も……こんな窮屈な思いをずっと続けてきたのかな……」
 芭乃は女房の一人として義藤の傍に長い間いたから、将軍の行動がどれだけ制限されているのかはよく知っている。だけど、公方様なのだから仕方がない、と芭乃はどこか他人事のように思っていたし、義藤自身もそうやって自分を納得させているようだった。
 芭乃も自分が置かれた立場は理解しているつもりだし、もしも自分以外の誰かが側室になった場合、それだけの厳重な警戒は当然のことだと思っただろう。
 だけど、頭では理解していても、気持ちでまでは理解できない。
 芭乃が立ち上がって部屋を出ようとすると、すかさず女房がその前を塞ぐように平伏する。
「どちらへおいでですか、小侍従様」
「あ、え、ええと……少し憚りへ」
「はい。では参りましょう」
 用を足すのでさえ、女房に付き従われて雪隠に向かわなくてはならない。うんざりした気分を味わいながらも、慣れていくしかないのだろうと自分に言い聞かせる。
 義藤があえて自分に『以前のままで』いることを望んだ気持ちが、今なら何だかとてもよく分かる気がした。
 女房だった頃に友達だった同僚たちは、今は同じ御所の中でもほとんど顔を合わすこともなくなった。たとえ出会ったとしても、相手は平伏してしまっているので、その顔を見たり、気軽に話をしたりすることさえ憚られてしまう。
(誰かと話をしたいな。何だかもうずっと会話らしい会話をしていない気がする……)
 初めてお伽を命じられたあの夜以来、義藤の閨に呼ばれることはたびたびある。だけど義藤はほとんど話もせず、閨に入るとすぐに芭乃を押し倒し、することを終えると背を向けて眠ってしまう。
 だから、ここしばらくの間は義藤とさえ会話らしい会話をしていなかった。
(また何か……義藤様を怒らせるようなことをしてしまったんだろうか……)
 閨でそれを直接聞けば良いのかもしれないが、何だか気軽に話しかけられない雰囲気を義藤は出している。
(私……どうしたらいいんだろう……)
 芭乃も将軍家に仕えている間にさまざまなことはあったけど、全部時間が経てばそれなりに解決してきた。でも、ここまで出口の見えないことは、初めてかもしれない。
 女房の時代は町へ出歩いたり、それなりに気分転換をしたりして気を紛らわすことも出来たけど、今はそういう解消法も許されない。
 何だか出口のない洞穴に入ってしまったような気分だった。

 いつものように芭乃がすることもなく部屋でぼんやりとしていると、義藤付きの小姓が呼びにきた。
「公方様がお呼びです。謁見のお客様が到着されたので、広間に来るようにと」
「分かりました。行きます」
 謁見に同席するといっても、特に何を喋るでもなく、ただお飾りのようにそこに座っているだけだ。そこで義藤と何らかの会話があるわけでもない。
 ただ、部屋でぼんやりと一人で時間を過ごすよりは、少しは気がまぎれる。
 だから芭乃はちょっとほっとした気分で、小姓の後をついていった。
 すでに謁見用の広間には、義藤が到着している。
 その少し後ろに芭乃が座るための席が設けられていて、小姓に促されて芭乃はそこへ着席した。こうしてここで、義藤が謁見するのを眺めているのが、言ってみれば芭乃の仕事だった。
 謁見の際に芭乃が口を開くことはほとんどない。あったとしても、一言か二言程度、相手の言葉に答えるぐらいだ。
 これが自分の仕事だといわれても、納得なんてとうてい出来そうになかった。けれども、父から聞いた話では、将軍一人が相手をするよりも、夫婦で相手をするほうが相手の満足度もあがるらしい。
(そうか、私たちって一応夫婦なんだ……)
 父からそう言われて、芭乃は初めてそう思った。
 義藤に正室がいれば、ここに座るのは正室の仕事。でも義藤には正室はなく、他に側室もないから、義藤の妻は現状では実質的に芭乃ということになるらしい。
「今日は斉藤家から明智殿が来られる」
 席に着いた芭乃に、義藤がそっと耳打ちする。
(明智……殿……)
 芭乃の胸がどきんと高鳴った。
 名前を聞いただけでこんなにも胸がざわめていしまうのに、顔を見たら……もしも声をかけられたら、どうなってしまうんだろう。
 芭乃は必死に平静を装おうとしたが、その顔がいつもよりも熱くなっているのを抑える方法はない。
 義藤がじっと自分を見つめているのが分かっていても、芭乃は胸のうちの動揺を隠すことが出来なかった。
 そうこうしているうちに、光秀が部屋に入ってきた。
「ご無沙汰しておりました。このたび、ご側室をお迎えになられたということで、おめでとうございます」
 光秀のその凛々しい面を見たとたん、芭乃の心臓はものすごい勢いで鼓動を始める。顔もさらに熱くなっているのを感じるが、気持ちを落ち着かせようとすればするほど、普通ではいられなくなってしまう。
「小侍従様にも、おめでとうございます」
「あ……ありがとうございます……」
 ようやく搾り出すようにした声は、自分でも分かるほどに震えていた。もう光秀は『小侍従殿』とは呼ばない。そのことが彼との距離を感じさせられるようで、胸がずきんと痛んだ。
 しかし動揺しているのは芭乃だけのようで、光秀は笑みさえ浮かべている。自分を側室にとは言ってくれたけど、光秀にとっては政治的な意図だけのものだったのかもしれないと芭乃は何となく思った。ずきん、とまた胸が痛む。
 挨拶を終えると、光秀はさっそく用件に入る。
 斉藤家から将軍家に献上する品々の紹介から、今後の協力関係についてまで、内容は多岐に渡った。義藤は家臣たちを介さず、自らの意見を率直に光秀に伝え、光秀のほうも忌憚のない意見を義藤に伝える。
 義藤は初めて芭乃が閨に入った日、嫉妬で光秀を処罰することさえ考えたという。だけど、今の義藤からはそんな気配はまるで感じられない。
 二人はまるでずっと昔からの友のように意見を交わしあい、時折冗談を言って笑いあったりもしている。
 義藤と光秀がこうした良好な関係を築くことが出来ているのが、もしも芭乃が側室に入ったことによるものだとしたら、少しは気分も慰められそうだった。
 この日の謁見は予定の時間を大幅に超えて行なわれたが、その内容は芭乃の頭にほとんど入ってこなかった。
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