身代わり濃姫~若き織田信長と高校生ヒロインが、結婚してから恋に落ちる物語~

梵天丸

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第四章

身代わり濃姫(82)

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 船が港に到着して竹千代が降りてくると、本多忠真ほんだただざねは駆け寄って竹千代の前に膝をついた。
「竹千代様! 本多忠真でございます! このたびはご無事のご帰還、家臣一同、心待ちにしておりました!」
 本多忠真の勢いに気圧けおされたりすることもなく、竹千代はにこにこと微笑みながら、忠真を見た。
「出迎えありがとうございます、忠真。此度こたびのことはすべて信長殿のおかげでもあります。松平家は当面、信長殿に恩を返すために力を尽くしていきましょう」
「はっ!! 御意にございます!!!」
 竹千代の周りには松平家の家臣たちが集まっているが、涙ぐむ者たちの姿も少なくなかった。
 松平家の者たちが、いかに自分たちの主である竹千代の解放を待ち望んでいたのかということがよく分かる、と信長は思った。
 やがて家臣たちとの再会も落ち着いたところで、竹千代は信長の元へと駆け寄ってくる。
「信長殿、お久しぶりです」
「元気そうだな、竹千代」
 信長がそう言って笑うと、竹千代はぺこりと頭を下げた。
「信長殿、このたびは私のために手を尽くしてくださり、本当にありがとうございました」
「友が困っているのだから、手を貸すのは当然のことだ。むしろ、遅くなってすまなかった」
「いえ。私はこんなに早く解放されるとは、思いませんでしたから、本当に信長殿に感謝していますし、家臣たちも同じ気持ちだと思います」
「海はどうだった?」
 信長が聞くと、竹千代はとたんに目を輝かせた。
「海はとても素晴らしかったです。天守から見ていたものとはまったく違いました。たくさんの生き物も見ましたし、潮の匂いというのも初めて知りました。それに、波の動きもとても不思議で、どういう仕組みになっているのか調べてみたいと思いました。それから……」
 次から次へと海の話が口から出てきて止まらない竹千代に笑い、信長は告げる。
「これからはそなたはいくらでも好きな時に海を見ることができる。母にも自由に会いに行ける」
「はい……本当にありがとうございます」
「ただ、そなたが本当の自由を手に入れるためには、まず岡崎城を今川の者たちの手から取り戻すことが先決だ」
 信長がそう言うと、竹千代は表情を引き締めて頷いた。
「はい、それは心得ております」
「そなたにとっては初陣となろうが、この本多忠真殿が良き教師となり、そなたを導いてくれるであろう」
 信長が傍らに立つ忠真に視線を向けて言うと、竹千代も忠真を見た。
「そうですね。よろしくお願いします、忠真」
「はっ! 御意にございます!」
「ところで、少し背が伸びたな、竹千代」
 信長の言葉に、竹千代は信長を見上げて笑う。
「それは信長殿も同じでしょう。背丈も伸びられましたし、それに何よりとても大人っぽくなられました」
「俺はもう一応成人しているからな。ちなみに、背丈はまだ伸びておるようだぞ」
「あ、そういえば信長殿、ご結婚おめでとうございます」
「ああ、岡崎城を無事に取り戻したら、そなたを清洲きよすに招いて我が妻となった帰蝶きちょうを紹介しよう。帰蝶もそなたに会いたがっておった」
「本当ですか。それはとても楽しみです」
 嬉しそうに笑う竹千代に、信長は眉間みけんに皺を寄せて顔を近づけた。
「だが、竹千代。ひとつだけ忠告しておく」
「はい、何でしょうか?」
「帰蝶は美しい女子おなごだが、決してれるでないぞ」
 信長が大真面目にそう言ってくるので、竹千代は思わず笑ってしまった。
「はい、分かりました。心しておきます」
 そう答えながら、竹千代は信長の口から『惚れる』などという言葉が出てくるとは想像もせず、おかしくて仕方がなかった。
 里にいた頃の信長にはそんな色気など微塵みじんもなく、女子の話などもしたことがなかったからだ。
 けれども、信長にとってその帰蝶という人は、本当にとても大切な人なのだろうということを竹千代感じた。
 きっと、信長はその帰蝶という女性に精神的にとても支えられているのだろうと思った。
 その支えがあるからこそ、信長は父の死も乗り越え、十六でいきなり当主を引き継ぐようなことになっても、何とかやって来ることができたのではないかと。
 竹千代はますます信長の妻となった帰蝶という女性と会ってみたいという気持ちにもなったのだった。
「さあ、竹千代。しばらく忙しくなるぞ。覚悟しておけ」
「はい。退屈よりは忙しい方がよほど幸せです」
「それは良い覚悟だ。とりあえず、今日の夕刻からは宴の準備をしてある。疲れておらぬのなら、参加して家臣たちをねぎらってやると良い」
「ありがとうございます。ぜひ参加させていただきます」

 その夜は竹千代の帰還祝いを兼ね、織田家と松平家、そして美濃から来ている斉藤家の家臣たちの顔合わせのような形での宴が開かれた。
 松平家の家臣たちは竹千代の帰還を心から喜び、織田家や斎藤家の者たちとも交流を深めた。
 翌日にはその宴の余韻よいんすら感じさせない厳粛な雰囲気で、岡崎城の奪還のための軍議が開かれた。
 岡崎城の現状については本多忠真がよく把握をしていることと、竹千代が戻るまでの間にも軍議を重ねていたこともあり、策はほどなくまとまった。
 そして、竹千代の帰還から二日後、竹千代を総大将に、織田家と斉藤家が助力する形で岡崎城を攻めた。
 岡崎城内の今川勢は、統制がまったく行き届いておらず、周辺の城からの援軍も来ることはなく、おまけに攻めてくるのは松平家のみならず、織田と斎藤も加わった連合軍だったこともあり、終始苦戦した。
 戦況がさらに悪化してくると、岡崎城の今川勢はあっさりと降伏の道を選び、竹千代は無事に初陣を勝利で終えることができたのだった。
 その後は周辺の城との協議も行い、必要であれば戦も行い、当初の予定通りに岡崎城は当面の安泰を手に入れることができたのだった。

 その報告は、清洲にいる美夜にも伝わっている。
「岡崎城の戦も無事に終わったってさ」
 各務野かがみのの見舞いに向かう途中にあまねあまねがそう言ったので、美夜みやはほっと胸をなで下ろした。
「良かった……」
「それと、吉法師きっぽうしは三日後に帰還予定だってさ。やっぱり予定より一日早かったな」
 甘音の言葉に、美夜は微笑んで頷いた。
 本来であれば帰還は帰還は早くてあと四日後のはずだったが、どうやら信長は一日早く切り上げて帰ってくるらしい。
「まあ、出て行ったときよりも帰蝶の悪阻つわりも少し落ち着いて来たし、吉法師も安心するんじゃねーの?」
 甘音の言葉に、美夜は頷く。
 確かに悪阻はここ数日の間は少しましになってきているが、侍医の話によると、通常はあと十日ほどは続くものらしいということなので、まだ完全に安心することはできなかった。
 ただ、峠は越えたのかな……と美夜は感じていた。
「うん、そうだね。まだ少し不安定なところはあるけど、今日は各務野のお見舞いに行く許可も出たし」
 ずっと禁止されていた各務野への見舞いの許可が、今日やっと侍医から下りたので、美夜は久しぶりに各務野と会うことができるのだった。
「各務野も喜ぶと思うぜ。ずっと帰蝶のことを気にしてたから」
 甘音はすでにもう何度も各務野の見舞いに行っているようで、少しずつ良くなっている様子を甘音から聞かされてはいたが、やはり自分で見舞いたいと美夜はずっと思っていた。
 だからその念願が叶って各務野に会いに行くことができるのは、とても嬉しかった。
「私も各務野にはたくさん謝らないと……」
「謝るとかそんなことは考えずに、今日は喜べばいいだけなんじゃねーの? お互いに良くなったんだし」
「うん、そうだね」
 やがて各務野が手当を受けている部屋に着いた。
 襖を開けて美夜が部屋に入ると、各務野は布団の上に起き上がった。
「あ、寝てていいのよ。まだ起きるのは辛いでしょう?」
 美夜がそう言うと、各務野は少し顔をゆがめて胸の辺りを押さえる。
「帰蝶様に……どうしても謝罪をしなくてはと……ずっと……ですから……このたびのこと……本当に申し訳ありませんでした……」
 さすがに起き上がると、各務野は痛みと息苦しさを感じるようで、息が少し乱れてしまっている。
「ううん、謝らなければいけないのは、私のほうなの……もう横になって……」
 美夜がそう言うと、甘音に手伝われて、各務野は再び布団に身を横たえる。
 こうして床にいる各務野を見ると、随分と痩せてしまったなと美夜は思い、胸が痛かった。
 命が助かったことは本当に良かったが、各務野にとって今回のことは、何重にも辛いことだったに違いない。
 美夜は各務野の手を取り、今度は自分が謝罪しなければならないことを告げた。
「ごめんなさい、各務野……私も貴方に謝らなくてはならないことがあるの……信長様はもう私の秘密を知っていて、ここにいる甘音も知っているの……」
 美夜がそう告げると、各務野は少し驚いたように目を見開いた。
「そう……だったのでございますね……」
「もっと早くに言うべきだったのかもしれないけれど、難しい問題だから言えなくて……でも、ちゃんと言っていれば、各務野はあの時、私を菊池勝五郎きくちかつごろうの元に連れて行くようなことはなかったし、各務野が刺されることもなかったと思うの……本当にごめんなさい……」
 美夜が目を伏せると、各務野は首を横に振った。
「いえ……それは仕方のないことと……思います……でも……信長様……ご存知だったのですね……」
「ええ……信長様も各務野に言えば、立場上、道三に報告しなければならなくなるかもしれないということを気遣っていたの……だから……」
「そうでしたか……でも、良うございました……帰蝶様の秘密を知られても、信長様は帰蝶様をとても大切に想ってくださっていたのですね……」
 各務野の言葉に、美夜は頷いた。
「信長様は私の秘密を知っても、私が本物の帰蝶でないと知っても、まったく変わらなかった……ずっと以前と同じように接してくれているわ……」
「良うございました……本当に……」
 各務野の瞳から涙があふれ出すのを見て、美夜は本当にもっと早く各務野を信用して伝えるべきだったと改めて後悔した。
 けれども、もしも言っていたら、各務野は織田家と斉藤家の事情に挟まれて、やはり苦しんだかもしれないとも思ってしまう。
 どちらが良かったのかなどということは、考えても仕方のないことだと分かっていても、各務野の痛々しい姿を見ていると、美夜はどうしても考えざるを得なかった。
「実は信長様は兄様のことも密かに探してくれて……それで兄様の居場所も見つかったの。戦が落ち着いたら、清洲に来てもらうことになっているから、その時には各務野にも改めて紹介するわね」
「そうですか……兄君様のことも……何から何まで……信長様は帰蝶様のためにしてくださっていたのですね……」
「何もかもちゃんと話していればって後悔することばかりで……本当にごめんなさい、各務野。これからは何でもちゃんと話すようにするから……」
「いえ……大切なことだからこそ……帰蝶様が慎重になられたということは……わたくしにもよく分かります……ですから、もうそのことは気になさらないでください……」
「各務野……」
「実際に……帰蝶様からお話されれば……わたくしは自分の立ち場もありますし……苦しんだかもしれません……でも今は……信長様がすべてをご存知と知り……兄君様もご無事と知り……心から安堵あんどしております……」
 各務野が微笑んでそう告げてくれるので、美夜は少し気持ちが軽くなったような気がした。
「帰蝶、そろそろ……」
 そう甘音が促してくるので、美夜は頷いて各務野の手を握りしめた。
「各務野……またお見舞いに来るわね……まだ悪阻の症状が不安定だから、毎日は無理かもしれないけど……」
「いえ……わたくしのほうから帰蝶様のもとへ出向くことができるようにつとめますから、どうか帰蝶様は御安静になさってください……」
「私は病気じゃないし、怪我もしていないから、お医者様の許可さえいただければ、また来るわ」
「はい……」
「じゃあ、そろそろ各務野も休んだほうが良いと思うから、行くわね」
「ありがとうございました……」
「またな、各務野。あたしは帰蝶と違って元気だから、明日もまた様子を見に来るぜ」
「はい……」
 各務野は横になったまま微笑んだ。
 最初に部屋に入った時よりも、その表情は柔らかくなっていた気が美夜にはした。
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