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第四章
身代わり濃姫(72)
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目が慣れてくると、美夜が閉じ込められているのは、どうやら牢のようなところだとわかった。
ただ、時代劇に出てくるような殺風景な牢ではなく、きちんと畳も敷かれてあり、美夜の身体は立派な布団の上に寝かされていた。
おまけに炭も近くにあって、特に寒さを感じずに済むのが、身ごもっていると思われる美夜の身体にとっては不幸中の幸いだったかもしれない。
(信行がそこにいるってことは……ここは末森城……? でも斉藤家の人に連れてこられたはずなのに、どうして……?)
今の状況を必死に整理しようとするが、美夜にはなぜ自分が末森城にいるのか、まったく理解できなかった。
考えられるとすれば、斉藤家と信行が通じていたということなのだろうが、斉藤家の当主である道三には、そんなことをする理由はまったくないはずだ。
(末森城と清洲城はどれぐらい離れているんだろう……)
よほど深く眠っていたのか、清洲で意識を失ってからここに連れてこられるまでの記憶が、美夜にはまったくなかった。
だから、たとえこの牢を抜け出したとして、自力で清洲まで帰ることができるのかどうかも分からない。
美夜は何とか布団の上に身体を起こし、信行を見据える。
格子の向こうの彼は、まるで勝ち誇ったように笑っていた。
「気分はいかがですか、義姉上?」
「良い気分ではないことは確かだわ……」
「そうそう、その顔が良いのですよ、義姉上は。私の周りには、そんな顔をして私を見る者がいませんからねぇ……」
「…………」
美夜がこうしてせめてもの抗議として睨み付けていることでさえ、信行を喜ばせてしまっているのかと思うと、腹立たしい気持ちと共に途方に暮れたくもなる。
この少年を相手に、自分はどうすれば良いのかと……。
「今すぐにでも義姉上の身体を悦ばせてあげたいのは山々なのですが、義姉上は取引の材料ですからね。たとえ私といえども、迂闊に手は出せないのですよ」
信行の言葉に、美夜はさらに眉根を寄せた。
「取引の……材料って……」
「もちろん、兄上の首級との取引です」
「しるし……」
その言葉の意味がわからず美夜が首をかしげると、信行は笑った。
「兄上の首ですよ、首」
信行は首の辺りを斬るような仕草をしながらそう告げてくる。
「首……」
その言葉を聞いた瞬間、美夜は血の気が引く思いだった。
まさかそんな話が今頃清洲の信長との間で交わされているとでもいうのだろうか……。
自分が迂闊にも信行に捕らわれてしまったために信長の命が奪われるようなことがあれば、美夜だってきっと生きていくことができない……。
「や、やめて……お願い……それだけは……」
「ああ、いいですね。その表情……もっと懇願してみてください。だからといって、兄上の運命が変わるということはありませんけどね」
容赦のない信行の言葉に、美夜は涙を必死に堪えるので精一杯だった。
泣いた姿だけは、見せたくない……。
「兄上はきっと、貴方のためなら惜しむことなくご自分の首級を差し出すでしょうね。その時には、兄上の首級とちゃんと対面させてあげますよ」
考えられないような残酷な言葉が次から次へと口から出てくるのは、信行の精神構造がどこか狂っているとしか思えなかった。
でも、確かに信行の言うとおりだとも美夜は思ってしまう。
信長はきっと、美夜を助けるためなら、その首を差し出すことも厭わないだろう。
でも、美夜はそんなことなど望んでいない。
信長が死ななければならないのなら、自分が死ぬ方がまだましだとさえ思う。
そんな美夜の気持ちを見透かしたように、信行は笑う。
「義姉上も、余計なことは考えないことです。一応そこは逃げることも何もできない場所ですが、万が一にも早まった真似をしないように、常に監視はつけておきますし、何かしようものなら、さらに強い薬で眠ってもらいます。ただ、それでは私が楽しめませんからね……」
いったい何を楽しむというのだろう……信行の悪趣味な言葉を聞いているだけで、美夜は少し収まっていた吐き気がこみ上げてきそうになる。
「私はね、義姉上が私を睨み付け、必死に抵抗する姿が好きなのですよ。眠っていると、それが楽しめないでしょう。だから、兄上の首級が届くまでは、薬など使わなくて済むように、せいぜいおとなしくしていてくださいね」
「…………」
まだ薬の効き目が残っているのか、それともつわりの影響なのか、美夜はうまく言葉が出てこない。
身体も起きているのがやっとの状態で、きっと立ちあがっても、歩くのもおぼつかない状態だろう。
どうしてこんなに身体がいうことをきかないのか……その理由は、信行の口から告げられた。
「義姉上のお身体は、あと数日……兄上の首級が届く頃までは薬が効いていますから、思うようには動かないはずです。その後、身体が自由に動くようになった頃に、兄上の首級の前でたっぷりと可愛がってあげますから」
「いやっ、やめて……っ……お願い……っ……」
あまりにもおぞましい信行の言葉に、美夜は思わず耳を塞ごうとしたが、その手すらうまくは動かなかった。
信行の言った通り、何かの薬が効いている状態なのだろう。
しかしこの薬は、赤ん坊には悪くはないのだろうか……美夜はおぼつかない思考でそんなことを考える。
「信行様……土田御前様がお呼びです」
低い男の声がして、信行はため息をつく。
「もう少しゆっくり義姉上とお話をしたかったのですが……母上がお呼びとあらば、仕方がありませんね。では、また様子を見に来ますよ、義姉上」
信行の足音が去って行くのを聞きながら、美夜は瞳からこみ上げてくるものを堪えることができなかった。
(どうしてあの時……各務野に勝五郎との面会を断ることができなかったんだろう……)
ほんの少しでもあの時に警戒していたなら、体調のこともあるし、各務野だって美夜に無理強いはしなかったはずだ。
なのに、少し油断してしまったために、各務野の言葉に応じてしまい、結果、各務野まであんな目に遭わせてしまった……。
廊下にできた血だまりを、美夜はまだはっきりと思い浮かべることができる。
各務野の命がもし失われるようなことがあれば、それは自分が迂闊だったせいだ……と美夜は思う。
(ごめんなさい……)
心の中で謝ってみても、そんなものは各務野には届かない。そうとわかっていても、美夜は謝罪せずにはいられなかった。
「帰蝶様……」
不意に名を呼ばれ、美夜ははたと顔を上げる。
格子の向こうに、信行ではない誰かの姿があった。
美夜は慌てて瞳の涙をぬぐい、起き上がった。
美夜に話しかけてきた男は、背も高く、かなり体格のしっかりとした男で、信行とはまったく雰囲気の違う、猛々しい空気を纏っていた。
美夜の世界で武将といえば、こんな男だと誰もが想像するような雰囲気の男だ。
しかし、年の頃はまだ若いようで、三十代ぐらいに見えるが、ひょっとすると二十代ということもあるのかもしれない。
「私は信行様にお仕えする柴田勝家というものです。必ず帰蝶様を信長様の元へお帰ししますので、どうか短気などは起こされませんように……」
「どうして……? 貴方は……私を……助けてくれるの?」
不思議に思って美夜が聞くと、柴田勝家を名乗る男はその立派な眉を寄せて顔をしかめる。
「私は……信行様には信長様と正々堂々戦って家督を手に入れてもらいたいのです。このような卑怯なやり方は、武士の道に反しますゆえ」
信行の周りにも、こういう男がいるのだ……と美夜は少し意外な気持ちになった。
完全に信用できるかどうかは分からないが、この男が嘘を言っているようには見えない。
「このような場所に閉じ込められて……さぞお心細いことでしょう……本当に申し訳ありませぬ……」
勝家は心底申し訳なさそうに目を伏せ、頭を下げた。
信行の家臣にまさかそんなことをされるとは思ってもいなかったので、美夜は少し戸惑ってもいる。
「い、いえ……あの……本当に……助けていただけるのですか?」
「はい。そのために動いている者が何名かいます。ただ、逆に信行様の今回の行動を支持する者が多いのも事実ですから、時間はかかります」
「でも、信長様がその間にもしも……」
美夜が言いかけると、勝家は頷いて答える。
「そうならないように、我々もできるだけ早く動き、我々が動いていることを信長様にも何とかしてお伝えするつもりです。ですから、ご安心ください」
勝家のその言葉に、美夜はここへ来て初めて少し安堵した気持ちになる。
確かに、信行の意に反する人間が内部で動いていることを知れば、さすがに信長も安易な行動は控え、慎重になってくれるはずだ。
「帰蝶様、私と同じように、今回のことを快く思わない者は少なくはありません。信じてくださいと今は申し上げるしかないのですが……どうか私の言葉を信じてもらえますか」
「はい、信じます。勝家殿を……信じて待ちます」
美夜がそう告げると、勝家はその強面な顔を少し崩して笑った。
「ありがとうございます。では、できるだけおとなしくしてお待ちください。そうでないと、また薬を使われてしまいます。いざという時に身体が動かなければ、速やかにお連れすることもできませんので」
「はい……」
「あまり長くいると怪しまれてしまいますので、私はこれで……」
柴田勝家を名乗る男が立ち去って行くのを眺めながら、美夜はそういえば聞いたことがある名だと、ぼんやりと思い出した。
確か……織田信長の有名な家臣の一人だったのではないだろうかと……。
末森城の奥にある一室では、信行と母親の土田御前に面会している人物の姿があった。
首尾良く清洲から美夜を攫い、末森城へ運んだ菊池勝五郎だった。
「では、信長殿が亡き後は、お約束通りに道三様ではなく、義龍様をお引き立ていただけるということで、よろしいのですね」
確認するように勝五郎が問うと、信行は母を見て微笑んだ。
「約束は十分に果たしてもらったことですし、それで構いませんよ。私が家督を継いだ後は、喜んで義龍殿のお力になりましょう。ねえ、母上?」
土田御前も、息子の言葉に微かに首を頷かせる。
「ええ。此度のことはよくやってくれました。これであの子をようやく父親の元へ送ってやれます。もちろん、義龍殿が道三を討つための力添えは惜しみませんよ」
土田御前のいう『あの子』というのは、もちろん、上の子の信長のことだった。
「しかし、まさか斉藤家のほうから、今回の話を持ってきてくれるとは思いませんでしたね」
晴れやかな笑みを浮かべる母子とは対照的に、勝五郎の表情は苦渋に満ちたものだった。
「私たちもできればこのような卑怯なことはしたくありませんでしたが、道三様より義龍様を廃嫡し、信長殿に家督を譲るなどという話が出てしまっているのであれば、さすがに私たち家臣も黙ってはいられません。未だに信じられない話ではありますが……」
「義龍殿は確かにそう聞いたという話ではないですか。それならば、間違いはないのではありあせぬか?」
微笑みながらそう告げてくる土田御前に、勝五郎は一瞬目を奪われかけ、少し経ってから慌てて口を開いた。
「は、はい、それは確かに、義龍様も道三様から直接お聞きになられたと仰っておられました。ですから、間違いはないはずです。それに、道三様の信長殿への肩入れは、少し過ぎているという声も以前からありましたし」
勝五郎は自分にまるで言い聞かせるように言い、頷いた。
「私たちは美濃まで欲しいとは考えていません。現在の織田家と斉藤家の同盟関係が続けば、どちらの家も安泰ですからね」
信行がそう告げると、勝五郎は平伏する。
「では、何とぞ義龍様のことはよろしくお願いします」
「もちろんですよ、ねぇ、母上」
「ええ、私たちもあの子を気に入っている道三よりは、義龍殿とのほうが気が合いそうですし」
「ありがとうございます。では、私はこれにて……」
勝五郎は目の前の母子の雰囲気に、少し異様なものを感じ取り、その場を辞したのだった。
ただ、時代劇に出てくるような殺風景な牢ではなく、きちんと畳も敷かれてあり、美夜の身体は立派な布団の上に寝かされていた。
おまけに炭も近くにあって、特に寒さを感じずに済むのが、身ごもっていると思われる美夜の身体にとっては不幸中の幸いだったかもしれない。
(信行がそこにいるってことは……ここは末森城……? でも斉藤家の人に連れてこられたはずなのに、どうして……?)
今の状況を必死に整理しようとするが、美夜にはなぜ自分が末森城にいるのか、まったく理解できなかった。
考えられるとすれば、斉藤家と信行が通じていたということなのだろうが、斉藤家の当主である道三には、そんなことをする理由はまったくないはずだ。
(末森城と清洲城はどれぐらい離れているんだろう……)
よほど深く眠っていたのか、清洲で意識を失ってからここに連れてこられるまでの記憶が、美夜にはまったくなかった。
だから、たとえこの牢を抜け出したとして、自力で清洲まで帰ることができるのかどうかも分からない。
美夜は何とか布団の上に身体を起こし、信行を見据える。
格子の向こうの彼は、まるで勝ち誇ったように笑っていた。
「気分はいかがですか、義姉上?」
「良い気分ではないことは確かだわ……」
「そうそう、その顔が良いのですよ、義姉上は。私の周りには、そんな顔をして私を見る者がいませんからねぇ……」
「…………」
美夜がこうしてせめてもの抗議として睨み付けていることでさえ、信行を喜ばせてしまっているのかと思うと、腹立たしい気持ちと共に途方に暮れたくもなる。
この少年を相手に、自分はどうすれば良いのかと……。
「今すぐにでも義姉上の身体を悦ばせてあげたいのは山々なのですが、義姉上は取引の材料ですからね。たとえ私といえども、迂闊に手は出せないのですよ」
信行の言葉に、美夜はさらに眉根を寄せた。
「取引の……材料って……」
「もちろん、兄上の首級との取引です」
「しるし……」
その言葉の意味がわからず美夜が首をかしげると、信行は笑った。
「兄上の首ですよ、首」
信行は首の辺りを斬るような仕草をしながらそう告げてくる。
「首……」
その言葉を聞いた瞬間、美夜は血の気が引く思いだった。
まさかそんな話が今頃清洲の信長との間で交わされているとでもいうのだろうか……。
自分が迂闊にも信行に捕らわれてしまったために信長の命が奪われるようなことがあれば、美夜だってきっと生きていくことができない……。
「や、やめて……お願い……それだけは……」
「ああ、いいですね。その表情……もっと懇願してみてください。だからといって、兄上の運命が変わるということはありませんけどね」
容赦のない信行の言葉に、美夜は涙を必死に堪えるので精一杯だった。
泣いた姿だけは、見せたくない……。
「兄上はきっと、貴方のためなら惜しむことなくご自分の首級を差し出すでしょうね。その時には、兄上の首級とちゃんと対面させてあげますよ」
考えられないような残酷な言葉が次から次へと口から出てくるのは、信行の精神構造がどこか狂っているとしか思えなかった。
でも、確かに信行の言うとおりだとも美夜は思ってしまう。
信長はきっと、美夜を助けるためなら、その首を差し出すことも厭わないだろう。
でも、美夜はそんなことなど望んでいない。
信長が死ななければならないのなら、自分が死ぬ方がまだましだとさえ思う。
そんな美夜の気持ちを見透かしたように、信行は笑う。
「義姉上も、余計なことは考えないことです。一応そこは逃げることも何もできない場所ですが、万が一にも早まった真似をしないように、常に監視はつけておきますし、何かしようものなら、さらに強い薬で眠ってもらいます。ただ、それでは私が楽しめませんからね……」
いったい何を楽しむというのだろう……信行の悪趣味な言葉を聞いているだけで、美夜は少し収まっていた吐き気がこみ上げてきそうになる。
「私はね、義姉上が私を睨み付け、必死に抵抗する姿が好きなのですよ。眠っていると、それが楽しめないでしょう。だから、兄上の首級が届くまでは、薬など使わなくて済むように、せいぜいおとなしくしていてくださいね」
「…………」
まだ薬の効き目が残っているのか、それともつわりの影響なのか、美夜はうまく言葉が出てこない。
身体も起きているのがやっとの状態で、きっと立ちあがっても、歩くのもおぼつかない状態だろう。
どうしてこんなに身体がいうことをきかないのか……その理由は、信行の口から告げられた。
「義姉上のお身体は、あと数日……兄上の首級が届く頃までは薬が効いていますから、思うようには動かないはずです。その後、身体が自由に動くようになった頃に、兄上の首級の前でたっぷりと可愛がってあげますから」
「いやっ、やめて……っ……お願い……っ……」
あまりにもおぞましい信行の言葉に、美夜は思わず耳を塞ごうとしたが、その手すらうまくは動かなかった。
信行の言った通り、何かの薬が効いている状態なのだろう。
しかしこの薬は、赤ん坊には悪くはないのだろうか……美夜はおぼつかない思考でそんなことを考える。
「信行様……土田御前様がお呼びです」
低い男の声がして、信行はため息をつく。
「もう少しゆっくり義姉上とお話をしたかったのですが……母上がお呼びとあらば、仕方がありませんね。では、また様子を見に来ますよ、義姉上」
信行の足音が去って行くのを聞きながら、美夜は瞳からこみ上げてくるものを堪えることができなかった。
(どうしてあの時……各務野に勝五郎との面会を断ることができなかったんだろう……)
ほんの少しでもあの時に警戒していたなら、体調のこともあるし、各務野だって美夜に無理強いはしなかったはずだ。
なのに、少し油断してしまったために、各務野の言葉に応じてしまい、結果、各務野まであんな目に遭わせてしまった……。
廊下にできた血だまりを、美夜はまだはっきりと思い浮かべることができる。
各務野の命がもし失われるようなことがあれば、それは自分が迂闊だったせいだ……と美夜は思う。
(ごめんなさい……)
心の中で謝ってみても、そんなものは各務野には届かない。そうとわかっていても、美夜は謝罪せずにはいられなかった。
「帰蝶様……」
不意に名を呼ばれ、美夜ははたと顔を上げる。
格子の向こうに、信行ではない誰かの姿があった。
美夜は慌てて瞳の涙をぬぐい、起き上がった。
美夜に話しかけてきた男は、背も高く、かなり体格のしっかりとした男で、信行とはまったく雰囲気の違う、猛々しい空気を纏っていた。
美夜の世界で武将といえば、こんな男だと誰もが想像するような雰囲気の男だ。
しかし、年の頃はまだ若いようで、三十代ぐらいに見えるが、ひょっとすると二十代ということもあるのかもしれない。
「私は信行様にお仕えする柴田勝家というものです。必ず帰蝶様を信長様の元へお帰ししますので、どうか短気などは起こされませんように……」
「どうして……? 貴方は……私を……助けてくれるの?」
不思議に思って美夜が聞くと、柴田勝家を名乗る男はその立派な眉を寄せて顔をしかめる。
「私は……信行様には信長様と正々堂々戦って家督を手に入れてもらいたいのです。このような卑怯なやり方は、武士の道に反しますゆえ」
信行の周りにも、こういう男がいるのだ……と美夜は少し意外な気持ちになった。
完全に信用できるかどうかは分からないが、この男が嘘を言っているようには見えない。
「このような場所に閉じ込められて……さぞお心細いことでしょう……本当に申し訳ありませぬ……」
勝家は心底申し訳なさそうに目を伏せ、頭を下げた。
信行の家臣にまさかそんなことをされるとは思ってもいなかったので、美夜は少し戸惑ってもいる。
「い、いえ……あの……本当に……助けていただけるのですか?」
「はい。そのために動いている者が何名かいます。ただ、逆に信行様の今回の行動を支持する者が多いのも事実ですから、時間はかかります」
「でも、信長様がその間にもしも……」
美夜が言いかけると、勝家は頷いて答える。
「そうならないように、我々もできるだけ早く動き、我々が動いていることを信長様にも何とかしてお伝えするつもりです。ですから、ご安心ください」
勝家のその言葉に、美夜はここへ来て初めて少し安堵した気持ちになる。
確かに、信行の意に反する人間が内部で動いていることを知れば、さすがに信長も安易な行動は控え、慎重になってくれるはずだ。
「帰蝶様、私と同じように、今回のことを快く思わない者は少なくはありません。信じてくださいと今は申し上げるしかないのですが……どうか私の言葉を信じてもらえますか」
「はい、信じます。勝家殿を……信じて待ちます」
美夜がそう告げると、勝家はその強面な顔を少し崩して笑った。
「ありがとうございます。では、できるだけおとなしくしてお待ちください。そうでないと、また薬を使われてしまいます。いざという時に身体が動かなければ、速やかにお連れすることもできませんので」
「はい……」
「あまり長くいると怪しまれてしまいますので、私はこれで……」
柴田勝家を名乗る男が立ち去って行くのを眺めながら、美夜はそういえば聞いたことがある名だと、ぼんやりと思い出した。
確か……織田信長の有名な家臣の一人だったのではないだろうかと……。
末森城の奥にある一室では、信行と母親の土田御前に面会している人物の姿があった。
首尾良く清洲から美夜を攫い、末森城へ運んだ菊池勝五郎だった。
「では、信長殿が亡き後は、お約束通りに道三様ではなく、義龍様をお引き立ていただけるということで、よろしいのですね」
確認するように勝五郎が問うと、信行は母を見て微笑んだ。
「約束は十分に果たしてもらったことですし、それで構いませんよ。私が家督を継いだ後は、喜んで義龍殿のお力になりましょう。ねえ、母上?」
土田御前も、息子の言葉に微かに首を頷かせる。
「ええ。此度のことはよくやってくれました。これであの子をようやく父親の元へ送ってやれます。もちろん、義龍殿が道三を討つための力添えは惜しみませんよ」
土田御前のいう『あの子』というのは、もちろん、上の子の信長のことだった。
「しかし、まさか斉藤家のほうから、今回の話を持ってきてくれるとは思いませんでしたね」
晴れやかな笑みを浮かべる母子とは対照的に、勝五郎の表情は苦渋に満ちたものだった。
「私たちもできればこのような卑怯なことはしたくありませんでしたが、道三様より義龍様を廃嫡し、信長殿に家督を譲るなどという話が出てしまっているのであれば、さすがに私たち家臣も黙ってはいられません。未だに信じられない話ではありますが……」
「義龍殿は確かにそう聞いたという話ではないですか。それならば、間違いはないのではありあせぬか?」
微笑みながらそう告げてくる土田御前に、勝五郎は一瞬目を奪われかけ、少し経ってから慌てて口を開いた。
「は、はい、それは確かに、義龍様も道三様から直接お聞きになられたと仰っておられました。ですから、間違いはないはずです。それに、道三様の信長殿への肩入れは、少し過ぎているという声も以前からありましたし」
勝五郎は自分にまるで言い聞かせるように言い、頷いた。
「私たちは美濃まで欲しいとは考えていません。現在の織田家と斉藤家の同盟関係が続けば、どちらの家も安泰ですからね」
信行がそう告げると、勝五郎は平伏する。
「では、何とぞ義龍様のことはよろしくお願いします」
「もちろんですよ、ねぇ、母上」
「ええ、私たちもあの子を気に入っている道三よりは、義龍殿とのほうが気が合いそうですし」
「ありがとうございます。では、私はこれにて……」
勝五郎は目の前の母子の雰囲気に、少し異様なものを感じ取り、その場を辞したのだった。
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