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第三章

身代わり濃姫(56)

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 戦への緊張感が高まる中で、年が明けた。
 信長にとっては喪中ということもあり、またいつ戦が起こるか分からない状況でもあり、祝い事などは控えるのかと思ったが、喪中という概念はこの時代にはあまりないようで、城の中や外にはさまざまな正月飾りが取り付けられ、年末までの雰囲気とはまるで違う、少し華やかな雰囲気になった。
 年が明けて二日間は宴もあり、また、さまざまな縁起にちなんだ行事が早朝から夜にかけていくつもあり、美夜みやにとっても慌ただしい日々が続いた。
 そんな行事の合間に、織田家の家中の者たちや織田家にゆかりのある者たちが次々に新年の挨拶に訪れ、信長とともに美夜もそれに対応した。
 美夜はそこでただ座って愛想を振りまいているだけだったが、とりあえず信長の妻としての義務を果たし終えた。

「な、何とか無事に終わった……」
 美夜がいた世界でも、正月はなかなか大変な行事だったから、覚悟はしていたものの、婚儀の時以上に大勢の人と対面したこともあり、すべてを終えて寝室に入る頃には、ぐったりと疲れ果てていた。
「お正月って……こんなに大変なのね……」
 これから毎年こんなことがあるのかと思うと、美夜は正月が嫌いになりそうだった。
(でも、これも信長様の妻としての役目だと思ったら、嫌いとか言ってる場合じゃないわよね……)
 信長だって、好き嫌いで仕事を選ぶことはできないのだし……と、美夜は自分に言い聞かせる。
「随分と疲れておるようだな」
 美夜に少し遅れて、信長も寝室に入ってきたが、信長のほうはあまり疲れているといった様子はなさそうだった。
(信長様のほうが大変だったのに……相変わらずタフな人……)
 それだけタフでなければ、織田家の当主などやっていられないのだろうが、改めて感心してしまうところでもあった。
「しかし、まだ終わりではないぞ」
 信長の言葉に、美夜はぎょっとした。
「え……ま、まだ何かあるんですか?」
「そなた、姫始ひめはじめという言葉を知らぬのか?」
「な、何ですか、それ?」
「今日は正月二日だ」
「で、ですよね……」
「つまり、夫婦の交わりも今日から始めなくてはならぬというわけだ」
(そ、そんなものまで行事に組み込まれているなんて……昔って、大変だったのね……)
 仕方がないと美夜が覚悟を決めたとき、信長は顔を近づけてきて告げた。
「そなたが疲れておるのなら、形だけ済ませて休むという方法もある。無理はしなくていい」
「で、でも……形だけだと縁起が悪くなったりしないんですか?」
「縁起は大事だが、抜け道はいくつもある。何より大切なのは、そなたの身体だからな」
 信長は美夜の身体を抱きしめながら言う。
 信長の心遣いは優しく身にしみるほどだったが、形だけでも済ませなければならないほど大事な行事なら、疲れたなどと言っていられないという気がした。
「あの……私、大丈夫ですから、形だけじゃなくて、やっぱりちゃんとしたほうが……」
「いや、無理はしなくていい」
「無理してないです。本当に大丈夫ですから」
 美夜が改めてそう言うと、信長は美夜の顔をのぞき込んでくる。
「先ほどは随分と疲れておったように見えたが」
「でも、大丈夫です。だから始めてください」
 美夜はそう言ったが、信長は再び美夜を抱きしめるだけで何もしてこない。
「信長様……あの……」
「俺はそなたに無理をさせたくないのだ。この数日は慣れぬ行事も多かったであろうしな」
 労ってくれる信長の気持ちはとても温かく嬉しかったのだが……。
「み、美夜……何をしておる?」
 信長が慌てた声を出したのは、自分の身体の中心部に、美夜が触れてきたからだった。
「あの……信長様はぜんぜん大丈夫じゃなさそうですよね?」
 美夜が信長のものの変化を指摘すると、信長は顔を少し赤くした。
「そ、それはそなたがそのようなことをするからだ!」
「私……信長様といつまでも夫婦として一緒にいたいです。だから、ちゃんとしてください」
 夫婦にとっての縁起というのだから、きっと末長く夫婦が添い遂げることができるようにという願いも込められているのだろうと美夜は思う。
 だったら、そういう行事を等閑なおざりにすることは、やっぱりできないと考えたのだった。
「まったく……俺はそなたのことを本気で心配しておるというのに……」
 信長は怒ったように言いながら、少し乱暴に美夜に唇を重ねてくる。
 そのやや乱暴な接吻を受け止めながら、美夜は身体の中心が熱くなって来るのを感じた。
(大丈夫……ちゃんとできそう……)
 美夜はそう思い、自らも信長の硬いものに再び触れていく。
 それはどくどくと脈打っていて、触れているだけで美夜は身体のあの場所が熱く潤ってくるのを感じた。
「加減ができなくても知らぬぞ……」
「はい……覚悟はしてます」
 美夜だって、信長の歯止めがきかなくなることの覚悟なしに、自ら彼のものに触れたりはしない。
 やがてそれが美夜の身体の中を貫いてくると、美夜は疲れも何もかも忘れて、その感覚に夢中になった。
「信長様……っ……」
 美夜のほうからも、何度も信長を求めた。
 信長の荒い息づかい、身体の中を出入りする彼の逞しいもの……すべてに愛おしさを感じた。
 やがて信長の熱いものを身体の奥で受け止めながら、美夜自身ものぼりつめていった。

「姫始め……無事に終わりましたね……」
 美夜がそう言うと、信長はため息をついた。
「そなたを壊してしまわぬかと冷や冷やした……身体のほうは問題ないか?」
「大丈夫です。むしろ、ぐっすり眠れそうな気がします……」
「もう仕事は済んだ。ゆっくり眠って良いぞ」
 信長はそう告げると、美夜に接吻してくる。
「はい、もう眠いのが……限界みたいです……」
 信長の手で髪や頬を撫でられる感触に安堵あんど感を感じながら、美夜は目を閉じた。
 どうやら眠気も体力も限界だったようで、美夜はすぐに眠りに落ちていった。

 二日間の正月行事が終わると、城内はいつもの空気に戻り、信長たちは連日軍議を開いて、信行派への対応について話し合いを行っていた。
 里に預けられた信親は、まだ黙秘を続けているという。
 信親の証言次第では、信行派の結束を崩すこともできると考える家臣たちからは、信親への取り調べが緩すぎるのではないかとの批判も高まっていた。
 ――そんな矢先だった。
 末森城で療養中だったはずの佐々木信親のぶちかの義父、佐々木永益ながますが突然清洲きよす城の信長の元を訪ねてきた。
 人払いをして欲しいという永益の要望を受け入れ、信長は二人きりで永益と向き合った。
 末森城は今、臨戦態勢になっており、城の出入りも厳しく監視されているはずだ。
 そこから出て来るというのは容易なことではなかっただろうし、永益はそれなりの覚悟を決めてやって来たということになる……と信長は考えていた。
 だから信長は、人払いにも応じ、永益とじっくり話をしようという気持ちになったのだった。
「末森城からここへ来るのは大変であっただろう」
 信長が労るように言うと、永益は信長の前に平伏した。
「申し訳ありませんでした。もっと早くに真実をお話するべきでした。本来であれば、信秀様が生きておられたときに……」
 永益の声は震えていた。
 よほどの事情があるのだろうと、信長は思った。
「話してくれぬか。俺が里に預けられている間に、信親にいったい何があったのか……どのような事情であれ、信親の罪は許されるものではない。だが、俺は真実が知りたい」
「はい……私もすべてをお話しした後は、腹を切るつもりで参りました」
 そう自分の覚悟を伝えると、永益は信親と土田御前どたごぜんの関係について、その始まりからすべてを話した。
 関係を知ってからは必死になって止めたものの、永益はまったく耳を貸さず、土田御前との関係をさらに深めていったこと。
 そして、困り果てて実父の平手政秀ひらてまさひでに相談し、彼が信親と土田御前の間に入って、必死に二人の関係を解消させようとしていたことも――。
「…………」
 話を聞き終えて――。
 普段はたいていのことに驚くことのない信長も、あまりのことに驚きを通り越して呆れてしまった。
 まさか自分の母親と近習きんじゅうにそのような不貞の関係があったなどと、誰が想像できただろうか。
 それは確かに、おおやけにするには、あまりにも重く、大きすぎる真実だったかもしれない……と信長は永益を慮った。
 また、平手政秀に関する疑いも、信長の中で完全に晴れることになった。
 政秀はたびたび土田御前のもとを忍んで訪れていたことを報告されており、そのことによって蔵ノ介らが警戒していたのだったが、事情はこういうことだったのだと、信長はようやく理解することができた。
(じい……疑ってすまなかったな……)
 信長は政秀に心の中でびた。
 まさかこんな事情あったのでは、政秀も信長に正直に打ち明けることはできなかっただろう。
 ただ、永益や政秀がすべてを正直に打ち明けていてくれれば、死なずに済んだ人間がいたことは確かだ。
 永益に関しても、このままとがめなしというわけにはいかないだろう。
 信長個人としては、永益には大いに同情する部分もあるのだが……。
「信親は……誰が言うても芯を曲げることはなかったであろうと俺は思う」
 信長がそう言うと、永益は大きく頷いた。
「はい……育ての親として情けない限りですが、私の力も及びませんでした……そして、政秀殿をも巻き込んでしまい、申し訳ないことをしてしまいました……」
 自分が相談をしたことが原因で、政秀が死んだのだと、永益は自分を責めているようだった。
 しかし、それだけ永益は必死に息子を改心させようとしていたのだろうし、打つ手がすべてなくなったのだとしたら、もう実父に頼るしかないと考えるその気持ちは信長にも理解できる。
「永益……俺は話を聞いた以上、そなたを罰せざるを得ん。しかし、俺個人としては、信親の性格の難しさも知っているゆえに、大いに同情する部分がある……」
 信長がそう告げると、永益は首を横に振って平伏する。
「すでに覚悟を決めて信長様の元へ参りました。命乞いのちごいをするつもりはございません」
「そなたの妻はどうしておる?」
「離縁して実家へ帰しました」
「そうか……」
 妻を離縁して実家に帰したということは、永益は本気で腹を切る覚悟でここへ来たと言うことなのだろう。
 信長はそう考えてから、しばらく沈黙した。
 永益をどう扱うべきか、信長自身も迷っていた。
 そもそも信長の心の中には、信親の縄を一度離してしまった自分を責める気持ちがある。
 それは仕方のなかったこととはいえ、信長の後悔のひとつであることに間違いはなかった。
「永益、俺はそなたの今の話を聞かなかったことにする。今夜のうちに名を変えて美濃へ行け。斎藤道三に紹介状を書いてやる。いずれ俺が信行と決着を付けた後に、俺のところへ戻って来い」
 信長の言葉に、永益は驚いたように顔を上げる。
「信長様……ですが……」
「まさか父上の正室の不貞を世に知らしめるわけにもいかぬ。言えば信行派の一部が呆れて俺につくかもしれぬが、それと同時に父上の名をけがすことにもなるからな」
「はい……それは確かに」
 信長にとっては、自分の母親の不貞の追求よりも、父の名誉を守ることが何よりも大切だった。
「信親は許すわけにはいかぬが、そなたには同情するところが多すぎる。俺はいずれこの尾張おわりを平定するつもりだが、その時には多くの手助けが必要だ。無論、そなたにも手伝ってもらいたい」
「し、しかし……」
「そなたが自分の罪をつぐなうというのなら、俺を助けて償え。死ぬ気になれるのなら、生まれ変わった気持ちになることもできるであろう」
 信長がそう言い放つと、永益はしばらく信長の顔を見つめた後、改めて平伏した。
「では、生まれ変わったつもりで美濃に参ります。そしていずれ、必ず信長様の元へ戻って参ります」

 ――こうして佐々木永益は、信長から小西隆信こにしたかのぶという新たな名を与えられ、美濃へと旅立った。
 信長と小西隆信が再会するのは、しばらく後の話になる……。

 小西隆信が美濃へと旅立ってから五日後、佐々木信親に対する処刑が行われた。
 結局、信親は厳しい取り調べにもかかわらず、土田御前のことは一言も語らず、自分なりに彼女への愛を貫いて死んでいった。
 信長は蔵ノ介らと、信親と土田御前の不貞の情報の扱いについて長い時間をかけて話し合ったが、正妻と家臣との不貞ということもあり、亡き信秀の名誉を傷つける恐れがあるとして、その情報は永遠に秘しておくことになった。
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