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第二章

身代わり濃姫(47)

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 結局、信長は丸二日間寝込んでようやく仕事ができる程度に回復した。
 まだ体調は万全ではなかったものの、信長は執務に復帰し、蔵ノ介も信長の回復とともに、留守の間の執務の引き継ぎを終えて里へと戻っていった。
 寺本城の事後処理を続けている光秀がいないということを除いては、清洲きよす城に久しぶりに日常が戻ってきたといえる。
(することがないっていうのも……困ったものよね……)
 信長の看病から解放された美夜みやは、部屋の中でこの時代の文字を書く練習をしながら、そう思う。
 とりあえず、することがないので、これから必要になるであろうと思われることをしているだけなのだが、正直に言うと、少し時間を持て余し気味だった。
 那古野なごや城にいた頃や、清洲に来た当初は、城の帳簿を確認したり、仕入れたものの価格をチェックしたりするのも信長の妻としての仕事だったが、今は家臣が大幅に増えたこともあり、そうした仕事は、そういうことを得意とする家臣の仕事になってしまった。
 城で働く使用人たちの管理も同様で、そういうのはそういうことを得意とする家臣がおり、その者たちの仕事となってしまっている。
 特に、那古野城にいたときとは違って、美夜は安全確保のために城内でも行き来できる場所が限られているということもあって、あまり気軽に仕事に手を出すことができないという現実もあった。
 もちろん、効率という面でいえば、素人の美夜が一から仕事を覚えてやるよりは、その方面を得意とする者がしたほうが良いに決まっている。
 だから、今の状況は、これからさらに戦を繰り返していく必要のある信長にとっては、良い環境になってきたということもいえるのだが。
甘音あまねは今頃、城下の町歩きを楽しんでいるかな……)
 先ほどまで甘音は美夜と一緒にいたのだが、退屈そうにしていたので、『今日は部屋から出る予定がないから、町を出歩いてきてもいいよ』と言って、外に出したばかりだった。
 最初のうち甘音は遠慮していたが、『絶対に部屋から出ないから大丈夫』と重ねて美夜が約束したことで、安心して出かけていったようだ。
 甘音はずっと里の中に閉じ込められて育ってきた子だから、可能な限り、広い外の世界を見せてあげたい……美夜はそう考えていた。
(できるだけ、楽しんできてくれるといいな。私の代わりに……)
 美夜自身は、自分がそれを選んだこともあるけれど、もう自分に自由はないと考えている。
 そういう覚悟があっても、ついうっかり甘音を心配させるような行動を取ってしまうことがあるのだから、美夜がいた元の世界が、どれだけ自由な世界であったのかということを、ことあるごとに思い知らされてしまう。
(こういう退屈な時間にも、ちゃんと慣れていかないとね)
 だから美夜は、こうして各務野かがみのの書いてくれた手本を真似て、こちらの文字を模写することで時間を潰していたのだった。
(でも、考えてみれば、退屈って、贅沢な時間よね……この世界では……)
 美夜はそんなふうにも考えた。
 信長が戦に出ていたときは、実務のほとんどは蔵ノ介が行っていたが、城主の代理という名目上の立場とはいえ、まだ何かと忙しかった。しかし、さらに何かをせずにはいられなかった。
 武官の多くが留守で道場を使えたというのもあったけど、甘音に剣を習ったり、蔵ノ介に薙刀なぎなたを習ったり……。
 そんなふうにして気持ちを紛らわせることで、信長が死と隣り合わせの戦場にいるということを忘れようとしていた。
 今はとりあえず信長は城にいるし、何かよほどの事件でも起きなければ、彼が危険に晒される心配はない。
 だから、この退屈な時間というのは、とても贅沢なものなのだと、美夜は自分に言い聞かせる。
帰蝶きちょう様、信長様が……」
 各務野がそっと部屋の襖を開けて告げてくる。
 各務野はまだ信長が美夜の秘密を知っているとは知らないから、部屋で文字の練習をしているのを信長に見られてはと気遣ってくれたのだろう。
「ありがとう」
 美夜はそう告げて、各務野に心配をかけないように、文机の上を片付けた。
 信長も各務野の気遣いは心得ているようで、少し間を置いてから部屋に入ってくる。
「邪魔をしたか?」
「いいえ」
 美夜が笑うと、信長も笑って美夜の傍までやって来る。
 体調が回復してからは、蔵ノ介からの執務の引き継ぎなどもあり、信長は忙しい時間を過ごしていた。
 寝室にやって来るのも、美夜が眠ってしまってからのことが多く、明け方に目を覚ますと、もういなくなっていることも少なくなかった。
 だから、こうして二人きりで向き合うのは、信長の看病をしていた時以来かもしれない。
(こうして様子を見に来てくれるってことは、少しは仕事が落ち着いたのかな?)
 そう美夜は思い、心なしか信長の表情が今日は柔らかいなと感じた。
「そなたもずっと城の中では息が詰まるであろう。今回の戦の始末が落ち着いたら、どこかへ出かけるか」
 信長の思わぬ提案に、美夜は思わず身を乗り出していた。
「え? いいんですか?」
「ああ。ただし、山ほど護衛を連れて行くことになるであろうがな……」
 信長が苦笑しながら言うので、美夜は彼に気を遣わせてしまっているのではと思い、何だか少し申し訳ない気持ちになってしまう。
「あの、そこまでしてもらわなくても……お城の中でも、気分転換はできますし。甘音についてきてもらえば、庭で鈴音すずねに乗ったりもできますし……」
 美夜が遠慮がちに言うと、信長は腕を伸ばして、美夜の身体を抱き寄せる。
「別にそんな遠くまで行くというわけではないし、気晴らし程度に出かけるだけだ。寒いし、雪も降るかもしれぬから、それほど長くもいられまいが」
「信長様、私……そんなに窮屈そうに見えます?」
 ふと思いついて聞いてみると、信長は再び苦笑する。
「見えるな」
 そう断言されて、美夜は観念したように認めた。
「そうですか……やっぱり信長様には隠し事はできないんですね」
「俺も窮屈なのは苦手だから、よく分かる。それだけだ」
 信長はそんなことを言いながら、美夜の身体をゆっくりと押し倒してくる。
 彼が何をしようとしているのかを悟って、美夜は少し慌てた。
「の、信長様? まだ真っ昼間ですけど……」
「各務野にはしばらく外すように伝えてある」
「だ、だから……そういうことを言うと、中で何やってるのか分かって……」
 美夜がそう言っても、信長はまったく取り合おうとしないで、勝手に事を進めていく。
「何か不都合なことでもあるのか? 俺たちは夫婦なのだぞ。それに、元気になったらそなたを抱いてやると約束した」
「そ、それはそうですけど……せ、せめて夜にするとか……」
「待てるわけがない。いったい何日、そなたに触れていないと思うておるのだ?」
 信長はもうすっかりその気になっているようで、美夜の着ているものはかなりはだけてしまっている。
「の、信長様……っ……あ、あの……や、やっぱりこういうことは夜に……っ……」
「そなたも往生際おうじょうぎわが悪いな」
 信長は笑って、首筋から肩へと接吻を落としていく。
(もう……終わった後に各務野にどんな顔すればいいのよ……)
 美夜はそう考えて少し腹が立ちかけたが、それよりも久しぶりの信長の温もりに、身体が反応してくるほうが早かった。
 信長はあらわになった胸や腕にも接吻をしてから、美夜の唇を塞いできた。
 接吻程度のことは信長が帰城してから幾度かしていたが、信長の体調がまだ万全でないこともあって、そこから先のことはしていなかった。
 だからだろうか……美夜は自分の身体が異常なほどに熱くなっているのを感じた。
「ん、ぅ……ん、ぁ……んっ、く……っ……」
 後で各務野にどんな顔をして会えば良いのかとか、部屋で何をしているのかばればれだとか、そんな考えも、いつの間にか消え去っていた。
 気がつけば美夜は、信長との接吻に夢中になっている……。
「ん、く……んっ……ふ、ぅ……んっ……」
 もう身体の中心にあるあの場所は熱くとろけそうになっているのが分かり、一刻も早く信長に入ってきて欲しくて疼いている。
 信長も同じだったのか、着物を脱ぐのももどかしげに、美夜の中に入ってきた。
「あぁっ、んんっ……!」
 久しぶりに貫かれるその感触に、美夜は圧迫感と快楽とを同時に感じた。
(信長様だ……)
 身体のもっとも奥深いところまでその存在感を示すように入り込んでくる熱い塊に、美夜は息を弾ませる。
 信長はすぐには動かず、また美夜の唇に接吻をする。
 幾度もそれが繰り返されている間に、信長の熱の塊は、美夜の中でさらに存在を主張し続ける。
 やがて接吻を解いて、信長は美夜を見つめてきた。
「そなたの中に入るのは……久しぶりだな……」
「はい……」
「ずっと……ここに戻ってくることばかり考えていた……」
 そんなことを言われて、美夜は一瞬どう答えて良いか、どんな顔をすれば良いのか分からなかった。
 ただ、信長がそれを考えていたのは、命を賭けて戦う戦場いくさばでのことで、もしも信長が自分と再び繋がりあうことを願って厳しい戦を乗り越えることができたのだとしたら、それはそれで嬉しいことだと美夜は思った。
「ありがとうございます……ちゃんと帰って来てくださって……」
 美夜がそう言うと、信長はまた唇を重ねてきた。
 そして信長は動き始めた。
 信長が強く深く美夜の敏感な粘膜を擦りあげるたび、身体が熱くなり、息が弾んでしまう。
 その動きが激しく強くなってくると、快楽はさらに明確なものとなり、美夜の呼吸をさらに乱していった。
「あ、んんっ、ぁ……はぁっ、んっく……ぁんっ……」
 投げ出された美夜の手をぎゅっと握りしめながら、信長は休むことなく突き上げてくる。
 美夜は信長の熱の塊を身体に受け入れながら、思考も身体も、何もかもが溶け出していくような感覚を感じていた。
 別々の身体がひとつになって、離れていた心もひとつになって、全部が混ざり合って解けていくような……そんな感覚――。
「んぁっ……あ、ぁっ……あっ、はぁ……っ……」
 こんなに信長が近くにいると、もう戦に行かないで欲しい……ずっと傍にいて欲しい……と本音が出てしまいそうになる。
 でも、それは、こうして織田家を背負って生きていく信長に嫁いだ以上は、絶対に口に出してはならないことだと、僅かに残った理性が押しとどめる。
(信長様だって……戦に行きたくて行ってるわけじゃない……だから……)
 信長の動きがさらに強く激しくなっていき、美夜の身体は追い詰められていく。
 信長の身体も、美夜の身体も、熱の塊になって、溶けていってしまう……。
「あっ、んぁっ、ああぁっ!」
 やがて美夜が果てるとほぼ同時に、信長もその熱くほとばしるものを身体の中に放った。
 一瞬、脱力した信長だったが、すぐに美夜の唇や顔や首に接吻をしてくる。
 まるでそうしなければ、終わらないかのように、信長はいつもそうしてくる。
 そして、最後に唇に長い接吻をして、信長はようやく満足するのだ。
「続きは……夜だな……」
 接吻を解いて、信長は笑った。
「え、よ、夜もするんですか?」
 思わず本音が出てしまった美夜を、拗ねるような目で信長が見つめてくる。
「そなたはこれで満足したとでもいうのか?」
 顔を近づけて問い詰められ、美夜は少し慌ててしまう。
「え、いえ、あの……約束は守っていただいたし……だから……夜はもう大丈夫かな、と……」
「分かった」
「え……」
 あっさりと理解してくれたのかなと思って信長の顔を見てみると、何かを企んでいるような不敵な笑みを浮かべている。
「では夜は、俺が戦場でどれだけそなたにがれておったか、たっぷり教えてやるとしよう」
「えええ……」
「せいぜい楽しみにしておれ」
 信長は捨て台詞のようにそんなことを言うと、着るものを整えた。
「本当はもっとゆっくりしていきたいのだが、まだやらねばならぬことが山のようにある……」
 信長はうんざりとしたように言った。
 今もきっと、そんな忙しい中で無理やり時間を作って来てくれたのだろうと美夜は思った。
「分かっています。お仕事、頑張ってください」
「すまぬな……」
 信長はそう告げると、美夜の唇に軽く接吻をしてから部屋を出て行った。
 美夜も乱れた着物を直しながら、身体のあちこちに残る信長の残滓ざんしを愛おしく感じた。
(続きは夜……か……)
 きっと美夜を気遣って信長は言ってくれたのだろうが。
 ひとしきり愛されて満足した美夜としては、夜は信長の睡眠時間にててほしいとも思う。
 帰城して倒れていたときにはたっぷり眠っていたかもしれないが、その後はまたほとんど眠れないほど忙しい日々が続いているのだから。

 ――しかしその夜、信長は美夜の待つ寝室にやって来ることはなかった。
 信長の父、織田信秀おだのぶひで死去のしらせが届き、一晩中、その確認と対応に追われていたからだった。
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