身代わり濃姫~若き織田信長と高校生ヒロインが、結婚してから恋に落ちる物語~

梵天丸

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第二章

身代わり濃姫(42)

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 信長が戦へ出かけたその翌日、美夜みやは城の中にある武官たちが使う道場を借りて、甘音あまねに剣の使い方を教わっていた。
 もちろん、本物の剣を使うのではなく、木でできた、いわゆる木刀のようなものを使っての稽古だ。
 武官たちのほとんどが今は戦に出かけてしまっているから、普段は人の姿の多いこの場所も、今は誰も使っていない。
「ああもう! だから、力入りすぎたって!」
「え? こ、こう?」
「ううん……何か違うんだよなぁ。とりあえず、もっと肩の力を抜かないと、動き全部読まれちまうぜ」
「む、難しい……」
 この剣の稽古に、美夜は意外なほどに苦戦していた。
帰蝶きちょうは体術はあんなにすげーのに、なんで剣はそんなにがちがちなんだ?」
「わ、分からない……何かを持って振るとかしたことないからかな……」
「まあ、とりあえず剣は慣れだからな。続けてりゃそのうちある程度は使えるようになるだろうけど」
「うーん……」
 信長が戦に行ってしまった後、美夜は再び信長が戻るまでの間、清洲きよす城の城主として、留守を預かることになったのだが。
 その実務のほとんどは、忍びの里からやって来てくれた蔵ノ介が行っている。
 だから、美夜は城主とはいっても、名ばかりのものだった。
 実際、美夜に実務を任されても、適切な処理ができないから、蔵ノ介の存在はとてもありがたかったのだが……。
 しかしおかげで美夜はすることがなくて、時間を持て余してしまっていた。
 信長が戦に行っていると思うと、時間があっても落ち着かない。
 どうせ待つしかできないのだったら、信長のことばかり考えているよりは何かしているほうがましだということで、美夜は甘音に頼んで剣術を教えてもらうことにしたのだった。
 しかし、これがなかなか思うようにはいかず、美夜は早くも『私には剣は向いていないかも』と考えて諦めそうになっている。
「帰蝶様は薙刀なぎなたのほうが良いのではないでしょうか?」
 ふと気がつくと、道場の隅に蔵ノ介の姿があった。
「薙刀かぁ。ま、そのほうが普通は使いやすいだろうな。でも、あたし薙刀苦手なんだよなぁ」
「薙刀って、すごく長い槍のような武器の事よね?」
 美夜の高校には薙刀部があったから、何となくその形は覚えている。
「うん。まあ、槍にも似てるけど、槍よりは女には扱いやすい武器なのかも」
「そうなんだ……」
「薙刀なら、兄者のほうが得意だと思うぜ」
 そう笑って、甘音は話を蔵ノ介に向ける。
「まあ、教えよと仰られるのなら、お教えすることはできますが」
 蔵ノ介のその言葉に、美夜は思わず飛びついていた。
「蔵ノ介さん、教えてください! 私もいざという時に、身を守るだけじゃなくて、ちゃんと戦える方法を持っていたいと思って……」
「そうですね。あの体術では、武器を持つ相手に相対するには少し難しいかもしれませんし」
「はい……実際に信行殿に刀を向けられたときにも、これで終わったって思いましたし……薙刀は持ち歩ける武器ではないかもしれませんが、何も手段がないよりはましかなと……」
「分かりました。まあ……たぶん問題ないとは思うのですが、一度信長様にご相談してからでも良いですか?」
 蔵ノ介の言葉に、美夜は思わず首をかしげる。
「は、はい……でも、信長様は反対なさらない気はしますけど」
「帰蝶様がご自分の身を守る手段として、薙刀の修練をされることに関しては、反対はなさらないでしょう。ただ、私がお教えすることに対して、良い顔をなさらないかもしれません」
「どうしてですか?」
 美夜がさらに不思議に思って聞くと、蔵ノ介は苦笑した。
「帰蝶様には近づくな、触れるなときつく命じられておりますので……」
「え……」
 そういえば、蔵ノ介はこの清洲城へ来て以来、美夜とは一定の距離を保っていると美夜はようやく気づいた。
 用事があって話しかけるにしても、少しは離れた場所から話しかけてきたりして、何となく妙な感じだなとは思っていたのだが。
「里にいたときは気がつかなかったけど、あいつ意外と嫉妬深いからなー」
 甘音がため息交じりに言うので、美夜はさらに驚いてしまう。
「え? し、嫉妬? 蔵ノ介さんに?」
 美夜が聞くと、甘音は笑いながら頷いた。
「ああ。たぶん、この間の信行の件で、帰蝶が吉法師きっぽうしよりも先に那古野なごや城でのことを話したの、根に持ってんじゃねーの?」
「えええ? そんなことってあるの?」
 驚いて蔵ノ介を見るとまた苦い笑みを浮かべている。
「お答えは控えさせていただきます」
「ってことは、本当にそうなの?」
 美夜が再び甘音に返答を求めると、甘音は呆れたような顔をして肩をすくめる。
「帰蝶はあいつが嫉妬深いっての、もうちょっと理解しといたほうがいいと思うぜ。でないと、兄者や藤兄ふじにぃにとばっちりがいくからさ」
 甘音がそんなことを言うということは、どんなとばっちりなのかは分からないが、これまでにもさまざまなとばっちりが、蔵ノ介だったり藤ノ助だったりに行ったことがある、ということなのだろう。
 美夜の秘密を知った上で傍にいる可能性があるのは、蔵ノ介と藤ノ助の兄弟だから、当然他の男たちより接触が多いのは事実ではあるが。
「蔵ノ介さん、いろいろごめんなさい……」
「いえ。まあ、私が気をつけていれば良いだけですので」
「すみません。信長様って、面倒くさい人ですよね」
「大丈夫ですよ。信長様は昔から少し気むずかしいところがおありの方でしたから、慣れています」
 蔵ノ介が笑ってそんなことが言えるのだから、たぶん深刻な問題ではないのだろうと美夜は少し安心した。
(それにしても、信長様が蔵ノ介さんにまで嫉妬してるとは思わなかった……)
「吉法師ってほんと、帰蝶のことになると子どもっぽくなる時があるからなー。あれだと昔の吉法師のまんまだ。ちょっとは大人になったと思ったけど、帰蝶のことに関してはまだまだだな」
「それに関しては、私も否定しません。とりあえず、もうじき信長様から状況を報せる伝令が来るはずですから、伝令を返すときに言づてを頼んでみましょう。早ければ、明日にでも返事が来ると思います。信長様のお許しが出たなら、薙刀をお教えしますよ」
「はぁ……薙刀を習うのも大変なのね……」
 美夜は呆れ半分、諦め半分という気持ちでため息をついた。

 翌日、伝令として清洲城にやって来たのは、木下藤吉郎きのしたとうきちろうだった。
 広間に美夜と蔵ノ介、甘音が集まって、その信長からの言づてを聞くことになったのだが――。
「殿より、言づてを預かって参りました」
 いつものように行儀良く丁寧に、藤吉郎は告げる。
「帰蝶様が薙刀を蔵ノ介様にお習いになるという件につきまして、殿はお許しになられるそうです」
「良かった……」
 やはり信長は心配していたほど蔵ノ介に対して嫉妬しているわけではないのでは、と美夜は思いかけたのだが。
「ただし、『帰蝶に少しでも触れたら、蔵ノ介は腹を切れ』と、殿は申しておりました」
「腹を切れって……」
 さすがに少し美夜は呆れた。
 だいたい武道を教わるのに、触れてはならないなどと言われたら、ちゃんと教わることもできないのではないかと思う。
 兄に合気道を教わるときも、実際に手の位置や角度を触れて教えてもらわないと、理解できないこともあった。
 それに、触れずに教えろというのは、ある意味で蔵ノ介にも失礼になるのではないかという気もする。
 しかし、蔵ノ介は気分を害した様子もなさそうで、淡々と藤吉郎に伝える。
「まあ、そんなところだろうと思いました。心得ましたと信長様にお伝えなさい」
「はい、かしこまりました」
 藤吉郎は微笑んで指をつく。
 美夜はいい加減、少し恥ずかしくなってきた。
「蔵ノ介さん、ごめんなさい。本当に面倒くさい人で……」
「いえ、私としては信長様がお許しになられたことに驚きましたが」
 蔵ノ介が言うと、藤吉郎が思い出したように言葉を続けた。
「殿は帰蝶様が会得えとくされておられる体術だけでは、心許こころもとないであろうとも仰っておられました。本来であれば自分が教えたいところではあるが、戦場ゆえままならぬ。仕方がないから蔵ノ介に任せると仰せでした」
「仕方がないからって……」
 美夜はさらに呆れて、確かに美夜に関することに対して信長はあまりにも子どもっぽいところがあると実感せざるを得なかった。
「あ、あの、藤吉郎殿」
「はい、何でござりましょうか?」
「信長様に、お伝えいただけますか? もっと大人になってくださらないと困ります。妻としてとても恥ずかしいですと」
「え、あ、は、はい……えっと……」
 いつもはよどみなく言葉が出てくる藤吉郎が、ちょっと面食らったような顔をしている。
「それ言ったらさー、たぶん、吉法師が反省するより、兄者に全部返ってくるぜ」
「は、はい……わたくしもそう思いますが……その……」
 甘音と藤吉郎にそう言われて、やっぱり取り消そうかと美夜は思いかけたのだが。
「構いませんよ。信長様がどのような反応をされるのか、少し楽しみでもありますし。藤吉郎、帰蝶様のお言葉をそのままお伝えしなさい」
 蔵ノ介はそう言ってにっこりと微笑む。
「は、はい、かしこまりました」
(す、すごい……蔵ノ介さん、従っているようで、信長様より数倍上手うわてだ……)
 美夜は蔵ノ介という男の底知れぬ恐ろしさの一端を見たような気持ちだった。
「ところで、戦のほうの状況はどうなのです?」
「はい。今のところ、順調に行軍を続けておりますが、殿は天候を心配されておいでです」
「でしょうね。冬の海は荒れやすい」
「はい。しかし、あまり時間をかけてもおれぬので、殿は多少無理をしてでも、予定通りに進めるおつもりのようですが」
「分かりました。では、お前は戻って信長様をお助けしなさい」
「はい、かしこまりました」
 藤吉郎はすぐにまた、信長のもとへと戻っていった。
「天候……大丈夫でしょうか……」
 先ほど藤吉郎が言っていた『多少無理をしてでも』という信長の言葉が、美夜には引っかかっていた。
「冬の海は荒れるものです。それを承知で信長様は船を使う策を用いられたのですから、多少の無理は最初から覚悟の上だったのだと思いますよ」
 蔵ノ介は冷静にそう言うが、美夜の不安は増すばかりだった。
(確かに冬の海って波が高くて荒れてる感じがするけど……)
 今も外は強い風が吹いている。
 これが海ともなれば、かなり激しい風が吹き、強い波が立っているに違いない。
「ま、吉法師なら大丈夫だと思うぜ。あいつ、悪運だけはつええからなー」
「ええ、そうだといいんだけど……」
 美夜は祈るような気持ちで、胸に手を当てる。
(どうかご無事で、信長様たちが戻ってきますように……)

 藤吉郎が信長たちのもとへ戻る頃には、もう日はすっかり暮れていた。
 藤吉郎は信長のもとへ行き、さっそく清洲城でのことを話す。
 帰蝶からの言づてに関しては、話すべきかどうかさすがに藤吉郎も迷ったが、蔵ノ介が話せと言ったので、正直に話すことにした。
「大人になれだと。自分だってまだ子どものくせに」
 信長は帰蝶からの言づてに、ちょっとむっとしているようだった。
 藤吉郎は、信長のことをとても尊敬しており、他の武将などとは器が違うと思っているが、こと帰蝶に関することだけは、信長は子どものようにむきになるのだ、ということに、最近ようやく気づき始めたところだった。
「ところで藤吉郎、帰蝶は元気そうであったか?」
「はい。殿のことを大変ご心配あそばされておりましたが、お元気そうなご様子でした」
「なら良い」
 信長は照れを隠すように立ちあがり、海のほうを見る。
「明朝は苦戦しそうだ。そなたも今夜はもう下がって休め」
「はい。ありがとうございます。殿もお早くお休みになられますように」
「ああ、そうだな」
 信長はそう答えたが、じっと睨み付けるようにして、高い波が打ち寄せる海岸を見つめていた。
 数千の兵たちの命を預かる責任を、信長は一人で背負っているのだと思うと、藤吉郎は一日も早くその負担を自分も分かち合えるようになりたと思うのだった。
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