平蜘蛛と姫――歪んだ愛

梵天丸

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平蜘蛛と姫――歪んだ愛(14)

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 翌年二月、さまざまな手続きを経て、義栄はとうとう室町幕府第十四代将軍に任じられる。
 この頃には久秀の教育のかいもあって、義栄は将軍任官の儀を滞りなくこなすことが出来るまでになっていた。
 可那は久秀に感謝したら良いのか、それとも本心を隠してそこまで出来ることを軽蔑したら良いのか、分からなくなっていた。
 ただ、久秀と出会ってからの義栄は、明らかに変わった。まだ他の人間と話をすることに苦痛は感じるようだが、接することは許容できるようになっていた。
 おかげで、可那はここへ来てから義栄とともに京や堺へ見物旅行に出かけることも出来た。
 青白い顔をして四国から信貴山へとやって来たあの義栄のことを思うと、信じられない進歩だった。
 久秀はどんな魔法を使っているのだろう……。
 それが自分の野心を叶えるためだったとしても、義栄の世界を広げてくれたことには素直に感謝するべきかもしれない。
 摂津の富田城内では、将軍任官の祝いにかけつける諸大名たちの接待に慌しかった。すべての大名家の使者たちに義栄が会うのは無理なので、ほとんどは三好三人衆と松永久秀が代理で接待を引き受けている。
 可那は城の奥の部屋で、義栄と物語を読んだり、双六をしたり、二人で茶会をしたりして過ごしていた。
「あ、あっちのお城に……は、早く帰りたいね……」
 義栄は落ち着かない様子だった。それでも我慢がならないというほどではないらしい。これは久秀の説得の賜物だろう。
「ええ、お義兄さま。でも、もう少しの辛抱だわ」
「そ、そうだね……ひ、久秀も……あ、あと何にかだって……い、言ってたし……」
 この義栄が本当に十四代目の将軍になったなんて、可那にはまだ信じられなかった。ただ、すべての政治やややこしいことは、三好三人衆と久秀がやってくれるので、義栄の基本的な生活は変わらない。そこは安心だった。
 久秀は義栄の限界を知っている。
 何が出来て、何は出来ないか。これはここまで我慢できるが、これ以上は無理とか。そういうことを可那以上に把握しているようだった。
(きっと……任せておけば大丈夫よね……)
 可那には政治向きのことは何も分からない。何も出来ることはなかった。ただこうして、義栄の相手をすること以外は。
(それに……お義兄さまと一緒にいるのも、おしゃべりをするのも、まったく苦じゃないし……)
 それはもう幼い頃からの普通の風景だし。
 久秀がいない分、むしろ今のほうが可那にとっては四国へ戻ったような気持ちになれる。
(でも、お義兄さまは少し寂しいみたい……)
 久秀が忙しいものだから、顔を合わせても、ばたばたと立ち去ってしまうこともある。それでも義栄をぞんざいに扱ったりはしないから、義栄自身も気を悪くしたり悲しんだりはしていない。
(それに、私も……)
 可那は着物の中でぎゅっと太ももを強く擦り合わせる。
 信貴山では毎晩のように触れられていたのに、ここではまだ一度も触れられていない。忙しいというのもあるのだろうけれど。

 その夜、可那は異変を感じて目を覚ました。
 何か熱くて大きなものが、布団の中に入っている……?
(な、何?)
 部屋の暗さに目が慣れてくると、それが久秀であることが分かった。
「ちょっ……」
 可那は声をあげかけ、すぐにその声を押しとどめた。
 久秀が気持ち良さそうに寝息を立てて眠っているからだ。
(何をするわけでもないのに……どうして布団に入ってきたのかしら……)
 もしも自分の欲望を満たしに来たのなら、可那が眠っていても強引に起こして事に及んでいただろう。彼はそれぐらい強引なところがあるのはもう何度も証明済みだ。
 ただ単に疲れて眠いのなら、わざわざ可那の布団で寝なくても自分の部屋の布団で寝たほうが寝心地も良いはずなのに。
(やっぱり変な人……)
 可那には久秀の行動がよく理解できなかった。
 この富田城へ来てからというもの、会話すらろくに交わしていない。久し振りに顔を合わせたのが布団の中の寝顔とは……。
(でも……少年みたいにあどけない寝顔……)
 可那は間近の久秀の寝顔を見つめる。
「ん……っ……」
 久秀が軽く寝返りを打つ。可那は慌ててぶつからないように避けた。ひょっとしたら起きるかと思ってじっと観察していたが、すぐにまた久秀は寝息を立て始めた。
(いつもは私のこと……好き放題にしてるくせに……何の罪もないような顔をして……)
 安心しきったように……もしくは疲れ果てたように眠っている久秀の寝顔を見ていると、可那は少し腹が立ってきた。
 いつもの腹いせに、軽く鼻を摘んでやった。
「……ん……んっ……」
 煩わしそうに眉根をよせ、首を動かしたが、やはり久秀は目を覚まさなかった。本当によほど疲れているのだろう。可那はそっと鼻から指を離す。
(やっぱり起こしてしまったら可哀想かな……)
 可那はそれ以上、久秀の睡眠を邪魔するのはやめた。
 彼が今とても忙しいことは可那も分かっている。
 でも、だったらなおさら久秀がわざわざ自分の布団に入ってきたのか理解に苦しんでしまう。
(部屋を間違えたとか? まさかね……)
 とりあえずそのことはいくら考えても可那には分からないことのようだった。久秀が起きてから理由を聞いてみたほうが話が早いだろう。
 可那は久秀の肩に布団を掛けなおした。
(おやすみなさい……)
 心の中で呟いて、可那も目を閉じた。

 翌朝、目を覚ますと久秀の姿はもう布団の中になかった。まだ早朝だというのに、もう仕事を始めているのだろうか。
 昨夜、可那の布団の中に潜り込んできた理由は、ますます分からなくなった。結局彼はひと晩同じ布団の中にいたにも関わらず、欲望を満足させることなく部屋から出て行ってしまったのだ。
 可那は拍子抜けしたような……それでいて、少し寂しいような気がした。
(ん? 寂しい……?)
 自分の脳裏に一瞬よぎったその感情を、可那は首をぶんぶんと振って否定する。別に寂しくなんかない。昨日は平和な夜だった……そう自分に言い聞かせる。
「おはようございます」
「ひゃっ!?」
 背後から突然声をかけられ、可那は妙な声を出してしまった。
「何をそんなに驚いているのですか?」
 声をかけてきたのは久秀だった。
「きゅ、急に声をかけてくるから……っ……」
「それは申し訳ありません……と言っておくべきでしょうか?」
「わ、私に聞かないでよ……」
「それより、昨日はありがとうございました」
「え? な、何が?」
 久秀にわざわざ礼を言われるようなことを、可那はした覚えがなかった。
「おかげさまで、久しぶりにぐっすりと眠ることが出来ました。やはり寝不足では仕事の処理もはかどりませんし」
「でも、私の布団に入って来るより、自分の布団で寝たほうがよく眠れない?」
 可那は率直な疑問をぶつけてみる。
「私の場合は違うようですね。貴方の布団のほうが良く眠れます」
 そんなことをさらりと言って微笑まれ、可那は何と返して良いか分からなかった。確かに、夜の営みの後はぐっすり眠れる。翌日に疲れが残ってしまうこともあるが。でも、昨夜の久秀は可那に指一本触れていないのに。
「では、仕事がありますので」
「あ、は、はい……」
「ああ、そうそう。三日後にはあちらに戻れそうですよ」
「そ、そう……」
「あちらに戻ったら、たっぷりと埋め合わせをしなくてはなりませんね」
 久秀は意味ありげな笑みを可那に向けると、そのまま立ち去っていった。
「三日後……か……」
 あと三日はおそらく、久秀に触れられることはないのだろう。そのことにホッとする自分がいる一方で、三日後が待ち遠しい自分もいる。
 可那はぶるんと首を振り、ため息をつく。
(確かに、彼は女性を悦ばせるのが上手……だから私も求めてしまう……)
 可那は自分に言い訳するようにそう思った。

 信貴山に戻ってからは、いつも通りの日々が戻ってきた。
 義栄が将軍として特別に何かする必要もなかった。
 ただ、信貴山の警備の兵の数は、倍ぐらいに増えたらしい。
 そのほとんどは義栄の目にはつかないから、義栄はもとの平穏を取り戻したことになる。
(こんな日々がいつまでも続けばいいのに……)
 可那はそう願わずにいられなかった。
 しかし、ほとんど実権はないに関わらず、将軍というのはこの国にとっては……特に武士たちにとっては、そしてこの戦国の世にとっては。
 すっかり放置して忘れてしまえるほどに軽い存在ではなかったようだった。

 城中がにわかに騒がしくなって来たのは、その年の夏の始めのことだった。
 突然、降って湧いたように『織田信長』という名を聞くようになった。
 信長はまだ若い武将ではあるが、尾張の弱小大名から名をあげ、美濃を制し、さらには上洛を目指しているのだという。
 その信長の上洛は、義栄や可那たちにとっても無関係ではなかった。
 信長は義輝の実弟であり、幼い頃に寺に預けられた覚慶を還俗させ、将軍位につけようとしているのだという。
(覚慶……お兄様……)
 覚慶は可那にとっても実兄である。ただ、可那が生まれたときにはもう僧籍に入っていたので、顔も見たことがないし、向こうも可那のことは知らないに違いない。義輝ともほとんど交流はなかったと聞いている。
 それだけ疎遠で来たからだろうか……もう一人の兄が生きていて、それが上洛してくるというのに、可那はあまり心が動かなかった。
 覚慶は足利義秋と名乗り、兄義輝の仇を討つため、信長とともに上洛の準備を整えているらしい。
(お兄様の仇討ちだなんて……どこまで本気なのかしら……)
 可那はこの話を聞いたとき、まず少し首を傾げた。
 仇討ちを決断するほど、義輝と義秋の間に交流はなかったことを可那は知っている。
 きっと仇討ちというのは、世間に対する理由に過ぎないのだろう。織田信長がそう決めたのか、それとも義秋がそう進言したのかは分からないけれども。
 何だか義輝の死を利用されたようで、可那にはあまり気持ちの良い話ではない。
 ただ、血筋的には義輝の従兄弟である義栄よりも、義秋のほうが直系である。義秋が将軍位を継ぐべきだという信長の主張は、ある意味で理が通っている。
(だけど……そうなったらお義兄さまはどうなるの?)
 可那はこの騒ぎを義栄の耳には入れたくなかった。
 ようやくこの信貴山での暮らしにも慣れ、近頃では女房や下男たちに声をかけることもできるようになって来た。四国にいた頃からは考えられない成長だ。
 それもこれも、日々を穏やかに過ごし続けてこれたからこその奇跡だと可那は思っている。もちろん、久秀による援助の力も大きい。
 可那は義栄の平穏な生活を壊したくなかった。
 けれども、その織田信長という男は義栄に退位を迫っているらしく、その使者が何度も三好家を訪れているのだという。
 この信貴山にまでその使者が訪れないのが、不幸中の幸いといえるかもしれない……。
 けれども、義栄が何も知らずにいられる時間は、もうそれほど多くは残されていないのかもしれない。
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