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銀鼠の霊薬師 番外編
12 真の胸中
しおりを挟む「……怪我、したの?」
菖蒲がハッと見上げるといつの間にか側に来ていた玄が菖蒲を見下ろしていた。
いつも手で無造作に整えるだけのくせ毛には、白く雪が張り付いて顔を覆っている。そのせいで表情はわからないが、風で煽られた髪から時折覗く紅い目には心配と安堵の色が伺えた。
「崖から落ちちゃって、菖蒲ちゃん足を挫いたみたいで」
さえが山犬から降りながら説明してくれた。
玄が怪我をした足を確認し、「これじゃあ歩けないね」と眉根を寄せる。
「わっ……」
突然玄に抱き上げられた菖蒲は、驚いて声をあげた。
「く、玄っ⁉」
「動けないんだったら、こうするしかないでしょ?」
その声に、菖蒲の背中に寒さとは違う冷たいものが走った。
──怒ってる?
確かめるために、玄の顔を覗き見るが相変わらずの吹雪と彼の髪が邪魔をして、その表情を窺い知ることはできなかった。
二人を降ろしたおかげで、やれやれというように身体を震わせ雪を振り落とせた山犬に、玄は丁寧に頭を下げた。
「ありがとう、お陰で助かった。今度ゆっくり、改めて白君とお礼をしに来るよ」
そして、さえへと視線を送り「君は歩けるね?」と問う。さえが首を縦にふるのを確認すると、玄は菖蒲を抱えながら、降り積もった雪と吹きすさぶ風で歩きにくい道を里へと向かった。
※
それはもう、こっ酷く叱られた。
長老は自分の腰痛のためとはいえ、二人だけで山に入ったことを酷く怒った。
だが、それよりも桔梗の剣幕が相当なもので、周りの大人が間に入ってなだめる程だった。
「頼むから……もう危ないことはしないでくれ」
二人を抱き寄せそう言って涙を流す桔梗に、本当にとんでもないことをしてしまったんだと実感した。
「心配かけてごめんなさい……」
「……もう、危ないことはしない。約束するよ」
二人は、桔梗に抱きつきひとしきり泣いた。
※
「……玄?」
里へ戻ってから、玄とは一言も言葉を交わさないまま夜を迎えた。
風呂ですっかり温まった菖蒲が居間へ戻ると、玄が背中を向けて布団を敷いていた。
なぜ、話しかけてこないのか。やはり怒っているのだろうか。気まずくてこちらからも声をかけられないまま、時間だけが過ぎてしまった。
こんなに玄との距離を感じたことは無かった。彼はいつも、自分のことよりもまずは、菖蒲を気遣い優先していたのだと、今更ながらに気付かされる。
怖かった。
玄に呆れられ、嫌われたのではないかと。
「玄……あの、怒ってる……よね?」
菖蒲が恐る恐る玄の背中に話しかける。
布団を整えていた玄の動きがピタリと止まった。
「ごめんなさい。おばあちゃんの腰を治してあげたくて……桔梗さんも、薬の原料が無くて落ち込んでたから、持っていったらきっと喜んでくれるかと思って……」
玄は、微動だにしないまま聞いている。何の反応も無い背中に、菖蒲の不安は急速に広がっていった。
菖蒲は震える両手をぎゅっと握った。
泣いては駄目だ。
「驚かせたくて、二人だけで採りに行くことにしたの……」
玄は動かない。
「きのこは見つけたんだけど……それが崖の近くにあったから足を滑らせて落ちちゃって……。気がついたら雪が降ってきて、どんどん、どんどん……降り止まなくて。足も痛くて動けなくて」
自分の声が、震えそうになるのを必死にこらえる。
「このまま……玄に、みんなに会えなくなるんじゃないかって、誰にも言わないで来たこと、凄く後悔して……」
玄の背中がみるみる歪んでいく。溢れる涙を止められなくて、菖蒲はその場にがくりと膝をついた。
桔梗に薬を処方され、腫れが引いていた右足がズキリと痛んだ。
「ごめんなさい……」
懇願するように、必死に声を絞り出す。
「……嫌いに……ならないで」
ハッとした顔で、玄が振り返る。そこには小さくなって震える菖蒲の姿があった。
玄は立ち上がり、ゆっくりと菖蒲に近づく。そして、片膝をつくとその口を開いた。
「嫌いになんて、なるわけないでしょ?」
両手で顔を覆っていた菖蒲が玄をみる。涙でくしゃくしゃの顔は、怯えたように玄の表情を窺う。
「そりゃ怒ってはいるよ。僕に黙って子供だけで山に入ったこと。でも、それより君が行方不明になったという恐怖のほうが大きかった」
玄の紅い瞳が揺れた。どう言葉を紡ごうか、選んでいるようだった。
「ああいう時って、ありもしない想像までしてしまうんだね。川に落ちて流されたのか、人攫いに遭って連れて行かれたのか、あるいは神隠しか……。雪が降ってきても帰って来ないし、もしかしたら山へ行ったんじゃないかって、すがるような思いで山に入った」
片手で顔を覆い玄は大きくため息ををつく。
「違うんだ怒っていたんじゃない……。いや、確かに怒りもあったけど、吹雪の中君の姿を見た時色んな感情が溢れてきて、逆になんて声をかけていいかわからなくなって……感情のまま言葉を発したら」
玄は顔から手を下ろすと、真っ直ぐ菖蒲を見た。
「君を傷つける事まで言ってしまうんじゃないかって怖かったんだ」
玄の本心を聞いた菖蒲は鼻をすすりながら涙を拭った。嫌われていたんじゃなかった事に安堵する。
「……そんなに、心配してくれたの?」
大人の怒りは、いつも自分に都合の悪い時だけ菖蒲に向けられた。それだけならまだいい方で、ただ己がイライラしているというだけで、理不尽な暴力を振るわれることもあった。
長老や桔梗のように、菖蒲の身を案じて菖蒲自身のために叱ってくれる。今までそんな大人はいなかった。
「当たり前じゃないか」
何を言っているんだと言うように、玄が眉をハの字に下げた。
「君に何かあったんじゃないかって、気がきじゃなかった。あんな思いは二度とごめんだね」
「じゃあ……もう怒ってない?」
「うん」
玄は菖蒲の小さな肩を抱き寄せる。
「僕が言いたかったことは、桔梗ちゃん達が全部言ってくれたし、僕の分も怒ってくれたからね」
そして、大きく息を吐き抱き寄せる腕に少し力を入れる。
「……無事で良かった」
玄の絞り出すような声に、菖蒲の目頭が再び熱くなる。
「ほんとに、ごめんなさい」
その日から、玄は菖蒲に対して目に見えて過保護になっていった。
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