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銀鼠の霊薬師 番外編
9 怒る理由
しおりを挟む白銀を見送った後、三人は桔梗の家へと向かった。前を歩く玄の後頭部で元々くせ毛な髪の毛が、寝癖のせいであちこちにぴょんぴょんとはねている。それが玄の歩みに合わせるように揺れていた。
それを見つめながら菖蒲は思い返す。
別れを惜しむように抱き合うふたりを、眩しそうに見つめていた玄の姿を。
玄はきっと、先程のようなふたりをずっと見続けて来たのだろう。
自分の想い人が自分とは別の男と通じ合っている。しかも、その男は玄にとっても家族のような存在だ。
玄はどんな気持ちで、今までこのふたりを見続けて来たのだろうか。
仲の良い三人を見る度、菖蒲の胸をよぎるのはそんな思いだった。
菖蒲は足を速め玄に追いつくと、彼の手を握った。彼は驚いたように菖蒲を見たが、直ぐに口元を緩める。
「寒くないかい?」
「平気」
早朝の里はまだ人気もなく、少し前に山から顔を出した朝日が、霜が降りる地面に三人分の長い影を落としている。
菖蒲は自身の口から立ち上る白い息を目の端で見送りながら、玄の手の温もりを確かめるように握った手にギュッと力を込めた。
桔梗の家に着くと、庭先に客がひとり佇んでいた。
「道雄?」
「ああ、桔梗さん。良かった、留守なようなので出直そうとしていたところです」
道雄と呼ばれた青年は、この里の長老の孫だ。桔梗達と歳はたいして離れていないように見える。
桔梗が旅の途中でこの里に立ち寄った際、奇病に侵され手の施しようもなかった彼を薬師である桔梗が救ったという。
なんでも桔梗は、“霊薬師”という特別な薬師なのだそうだ。そのせいかこの里の者は彼女に対して恭しい態度で接する。
「何か用だったか?」
「婆ちゃんの腰の調子が芳しくなくて……今日は朝から起きられないみたいなんだ。だから薬を調合してもらおうかと思って」
「それは難儀だな。少し待っててくれ、すぐに……」
桔梗が足早に家の中に入ろうとしたが、「あ……」と足を止めた。
「どうしたの?」
玄が桔梗の背中に声をかけると、彼女は困った表情で振り返ると「原料を切らしていた……」と頭を抱えた。
「白狼山に生える茸でな。特定の木に寄生して、年中採れるものではあるんだが……。その場所は白銀が知っているんだ」
生憎、白銀は先程発ったばかりだ。
「私、呼び戻して来ようか?」
菖蒲は白銀が歩いていった方向を指さしながら言った。
他人の財布を掏ることで生きてきたから逃げる際の足にも自身があった。自分の足ならまだ間に合うかもしれない。
「ああ、いいんだ。わざわざ戻ってもらうのは白銀さんに悪いし……」
状況を察した道雄は慌てて菖蒲を制した。そして、「白銀さんが戻って来てからでも大丈夫だから」と続けた。
「しかし、それでは長老が……」
言いかけた桔梗は、ぽんと手を打つ。
「待っていろ。今から霊薬を……」
「き、桔梗さんっ‼」
「ちょっと待ってよ」
家の中に入ろうとする桔梗を、道雄と玄が素早く阻んだ。
「それは駄目ですっ‼そこまでしなくても大丈夫ですからっ」
青い顔で桔梗を止める道雄の隣では、やや顔を険しくした玄が彼女を見下ろしている。
道雄が「また来ます」と言って帰った後、変わらず眉間に皺を寄せている玄が口を開いた。
「君の悪い癖だ」
いつもと違う厳しいその声色に、菖蒲ははっとして玄を見上げた。
静かだが、いつもより低い声。理由は分からないが、玄は怒っているようだ。
「何の事だ?」
そんな玄に桔梗も怪訝な顔をする。
「すぐに霊薬を作ろうとする。そんな簡単にほいほい人に施していいものじゃないよね?」
「言われなくても分かって……」
「分かってない」
桔梗の言葉を待つことなく、ぴしゃりと言われ桔梗は口を噤んだ。
「蒼龍様が言っていたよ。霊薬師が短命なのは霊薬を作るのに命を削っているからかもしれないって」
「…………」
「君は白君が寿命を分けてくれたから、こうして今も生きられているんだよ。それを少しは自覚しなよ」
「…………」
玄がこんなに桔梗に対して怒りを顕にするのは珍しい。
言われた桔梗は玄から顔を背ける。その表情は、怒っているようにも気まずそうにも見えた。
桔梗を厳しい目で見下ろす玄と、その視線から逃げるように顔を背けたままの桔梗。お互い無言のまま動かない。
ふたりのぴりぴりとした空気に、菖蒲はどうしていいのか分からず、その場に立ち尽くすしかなかった。
その時だ。
空腹に耐えきれず、菖蒲の腹の虫が鳴った。
その音に、それまで無言だった玄と桔梗は目を丸くして菖蒲を見た。
「あ……」
空気を読まない自分の腹を押さえた菖蒲の顔は、みるみる赤くなる。
「ご……ごめんなさい」
恥ずかしさで消え入るような声でそう言うと、それまで険しい表情だった玄が小さく吹き出した。
「ごめんごめん、お腹空いたね」
玄は菖蒲に歩み寄ると、その頭に優しく手を置く。そして、視線は菖蒲に落としたまま彼は桔梗に話しかける。その声はいつもの玄の声色に戻っていた。
「厳しい事言ってごめん。でもね、君が僕が怪我をするのを嫌がるように、僕も君が他人の為に命を削るのは嫌なんだ」
そう言って桔梗を見る。
「それは分かってくれるよね?」
「ああ、……私こそすまなかった。肝に銘じておく」
素直に謝る桔梗に、玄は気まずそうに頭を掻いた。
「いや、うん……僕もちょっときつい言い方しちゃったね」
「いいんだ。私の事を思って言ってくれたんだから。さあ、菖蒲の腹がまた鳴る前に朝ご飯にしよう」
桔梗はそう言うと家の引き戸を開けた。
菖蒲もその後を追いかけようとした時、「助かったよ」という玄の声が降ってきた。思わず見上げると、紅い瞳が菖蒲を見下ろしている。
「ありがとう」
彼は、菖蒲の肩をぽんと叩き桔梗に続いて家の中へと入っていく。
「……?」
なぜ玄が礼を言ったのか。
菖蒲は、寝癖を揺らす彼の背中を見つめながら首を傾げた。
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