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銀鼠の霊薬師 番外編
4 静かな怒り
しおりを挟む「その子が奉公に来た子かい?」
背中から女の冷たい声が聞こえた。
菖蒲が振り返ると、きつい顔の中年の女がこちらに向かって歩いてきていた。二人の前で立ち止まると玄と菖蒲を交互に足元から頭まで値踏みをするように見る。
「ああ、この子は親が居なくてね、奉公先を探していたんだ」
ほら、と玄に促され菖蒲は女を真っ直ぐに見上げ名乗る。
「あ……菖蒲です。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ女を見上げると、女はあいも変わらず冷淡な目で菖蒲を見下ろしている。
「うちは年末にかけて忙しいんだ。明日から直ぐに働いてもらうよ」
おいで、と女は言いながら菖蒲の腕を掴んだ。そのままグイと引っ張られる形で門を潜り中庭に足を踏み入れる。
「あ……」
菖蒲は振り返り玄を見た。
彼は腕を組みながらじっと二人を見送っている。
その時、菖蒲の懐から何かが落ちた。見るとそれは玄に買ってもらった簪だった。
地面に落ちたそれは、危うく女の足で踏まれそうになる。
「──あっ!!」
菖蒲は慌てて女の手を振りほどくと、簪を拾い上げた。少し土で汚れていたので、着物の裾で拭き取る。元の綺麗な簪に戻ったのでホッと胸をなで下ろした時だった。
視線に、鮮やかな紫の鼻緒の下駄を履いた足が見えた。
ハッとして見上げると、女が眉間に深い皺を作り菖蒲を見下ろしている。手を振りほどかれたのが、気に入らなかったのだろう。
「お前……それが奉公先の主人に対する態度かい? 少し躾が必要みたいだね」
「──っ⁉」
ぐいっと腕を掴まれた時、女のもう片方の手が振り上げられたのが見えた。
──打たれる。
瞬間、菖蒲は簪を胸に抱きながらギュッと目を瞑った。
「…………?」
だが、何処にも痛みは走らない。
菖蒲は恐る恐る目を開けた。
「悪いけど、この話は無かった事にしてくれ」
静かな……でも怒気を孕んだ声。
「玄……?」
臙脂色の着物が目に飛び込み、自分を庇うように抱き寄せる腕が誰の物かすぐに分かった。
「何なんだいあんたっ……‼」
菖蒲を叩こうとしていた右手首を玄に掴まれた女は怒りを顕にしたが、自分を見据える真っ赤な目に気がつくとその表情は一瞬で恐怖の色に染まり「離しとくれっ‼」と玄の手を振り払う。
菖蒲が玄を見上げると、黒髪の隙間から真紅の瞳が自分を見下ろしていた。「ごめん」と玄の口から小さく聞こえ、菖蒲はなぜか泣きたくなり、女から庇うように引き寄せる玄の手を簪を持っていない方の手でぎゅっと握った。
大きなその手はとても温かかった。
「行こうか」
菖蒲の手を引き、玄は出口の門へと歩き出した。
「玄……っ⁉」
「ここはお前には合わない」
「で、でもっ……‼」
玄がなぜ怒っているのか理解が出来なかった。
大人が子供を服従させる時、暴力で従わせるのは普通の事ではないのか? 少なくとも、今まで出会った大人はそうだった。
菖蒲は何か汚い言葉で喚いている女の叫び声を背中に聞きながら、自分の手を引き早足で歩く玄を見上げる。彼は、難しい顔で宿屋の主人から渡された紙を見ていた。
ああ、次の奉公先へ行くのかと思った時。
玄はくしゃっと紙を丸めると、ぽいとそれを道端に放ってしまった。
「玄?」
彼はチラリと菖蒲を視線だけで見下ろすと「帰ろう」と小さく言った。
「おお、良かった。奉公先は見つからなかったようだね」
宿に帰ってきたふたりを待っていたのは、でっぷりと肥え太った中年の男だった。
男の姿と言葉に、玄は露骨に嫌な顔をする。
そんな玄の態度は気にもせず、男は値踏みをするように二重になった顎に手をあてながら値踏みをするように菖蒲を見た。
「おお、こりゃ思った以上だ。まだちぃとばかし幼いが、うちで仕込めば将来的にいい客がたくさんつくだろうよ。行く宛が無いならうちで引き取らせて……」
「駄目だよ」
男が話し終える前に、玄がぴしゃりと言った。
そんな彼に男は少し驚いた顔をしたが、直ぐにニヤけ笑いに戻ると肉付きの良い両手を擦り合わせ媚びるような声音で言う。
「玄の旦那ぁ。うちの用心棒を何度も引き受けてるあんたなら分かってるだろう? 親のいない女は運が良けりゃ奉公先見つけるか、うちみたいなとこで男の客とるしか無いんだよ? それでもまだいいほうだ。そうじゃなきゃ、飢えて死ぬか人買いに拐われるか……どの道ろくな事にはならないんだよ?」
「知ってるよ。……でも、あんたのところには行かせない」
「旦那ぁ……」
男は困ったなあというようにため息をつくと、玄の後ろに隠れながらふたりの様子を見ていた菖蒲に再度視線を向けた。
「うちは他の店より待遇はいいよ? 飯も腹いっぱい食えるし、暖かい寝床もある。どうだい嬢ちゃん、うちに来ないかい?」
男の赤子のようにぷくぷくに膨れた手が菖蒲へと伸びる。
菖蒲は嫌な感じがして、庇うように前に立つ玄の着物をぎゅっと掴んだ。
「くどい」
玄が言葉と共に、素早く鞘ごと刀を抜いたかと思うと、菖蒲へ伸びていた男の手を弾きその先端を喉元へ押し付けた。
一瞬の出来事に、菖蒲は息を飲む。
「──ぐっ‼」
喉へ刀の鞘を押し付けられくぐもった声を出しながら、男の顔は恐怖に歪んだ。
「鞘が無かったら、手首が落ちて剣先が喉から頭のてっぺん突き抜けてたね?」
「ひぃっ……」
柔らかい口調とは裏腹に、玄の真紅の眼は冷たい光を宿して男を見据えた。
喉元を圧迫された男は、蚊の鳴くようなか細い悲鳴をあげる。
「僕の気が変わらないうちに、帰った方がいいと思うよ?」
玄の刀が男の喉元から離れた途端、男は無様に尻もちをつくとあわあわ言いながら逃げるようにその場から立ち去った。
「……はあ。飯の種が一つ無くなったなあ」
くせ毛の頭を掻き、男が走り去って行った方を見ながらぽつりと玄が呟く。
「ごめん、私のせいだね……」
菖蒲が申し訳無さそうに言うと、彼は菖蒲を見下ろし小さく肩をすくめる。
「気にしなくていいよ。働き口ならまた探せばいい」
彼の大きな手が、菖蒲の頭にぽんと乗るとすぐに離れた。
玄は「腹がへったな」と言いながら宿屋へ入って行ったのでその後を追った。
「おや?」
ふたり一緒に戻って来たのを見て、宿屋の主人は首を傾げる。
「なんだ、奉公先決まらんかったのかい? そういや、さっき華屋の旦那にその子の話したらえらい食いついてきたけど……会わなかったかい?」
たぶん先程の太った男の事だろう。
「……いや、会わなかったよ。主人、奉公先はもう探さなくてよくなったから、もういいよ。世話かけたね」
玄は、宿屋の主人に夕飯の時間を早めるように言うと二階への階段を上がった。
ぺこりと頭を下げ、彼の後を追う菖蒲の後ろ姿を見送りながら。
「情でも湧いちまったのかねえ」
そう、小さく呟いた。
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