銀鼠の霊薬師

八神生弦

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25 挺身

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「あー。やっぱ風呂って気持ちいいな」
 
 勢いよくふすまを開けた白銀しろがねの目に飛び込んだのは、桔梗ききょうの頭を撫でるくろと、赤面しながらも大人しく撫でられている桔梗の姿だった。
 
「え……」
 
「ん?」
 
 白銀はその光景に暫く固まっていたが、ハッと我に返ると口をぱくぱくさせる。
 
「な……何して……?」
 
 やっと声を出す白銀に、桔梗を撫でながら相変わらずの笑顔で玄は答えた。
 
「何って、桔梗ちゃんをなでなでしてる」
 
「なでなで……?」
 
 白銀は素早く桔梗の前まで来ると、すとんと正座をした。
 
「お、俺も“なでなで”していいか?」
 
 顔を真っ赤にしながら、桔梗の目を見れずに言うと、玄がそっと撫でるのを止め手を引っ込めた 。そして、桔梗の次の言動を興味深げに待つ。
 
「いや、いい」
 
「──えっ?」
 
「私は自室に戻る。薬、ちゃんと飲むんだぞ」
 
「はいはい」
 
 立ち上がりながら言うと、桔梗は部屋を出ていった。 
 
 
 桔梗が出ていった後、白銀はじっとりとした目で玄を見た。
 
「何?」
 
「……ずるい」
 
「ふふ、年上の特権……ってやつだよ」
 
「お前、いくつなんだよ?」
 
「二十三」
 
「…………」
 
 白銀はむくれたまま、押し入れを開けると自分の布団だけを敷き始めた。
 
 
 
 
 ※
 
 
 
 
 翌朝、襖を開けると玄は朝日の眩しさに顔をしかめる。
 
 ────今日もいい天気になりそうだ。
 
 そんな事を思いながら、廊下の窓から見える庭を覗くと丁度桔梗が井戸の水で顔を洗っているところだった。
 
「おや?」
 
 そんな桔梗に、女が近づいていく。桔梗は気がついていないようだ。
 
 ────あれは……確か青葉とかいったか?
 
 その手にキラリと光る物が見え、同時に感じたのは、女のただならぬ殺気。
 
 玄は弾かれるように走り出した。
 
 
 
 
 何かの気配を感じ、桔梗は振り返る。
 その正体が、包丁を構えた青葉だと分るとその場で凍りついた。
 青葉の精神状態が普通ではないという事は、彼女の表情で分かった。
 普段の綺麗な顔立ちからは想像ができない程、醜く歪んでいる。口元は聞き取れない程小さな声で何やらブツブツ呟いていた。
 
「……え、さえ……。お前さえ居なければぁっ!!」
 
 青葉は叫ぶと同時に、地面を蹴った。包丁を構えたままこちらに駆けてくる女に桔梗は為す術もなく立ち尽くす。
 このまま刺されると思った時だった。
 
 何かが視界を遮り、青葉の姿が見えなくなった。
 それは誰かの背中だった。癖のある肩まで伸びた黒髪でそれが玄だという事にすぐに気付く。
 
 “ドッ”
 
 と、青葉の身体が玄にぶつかる音がした。
 
 その後、ゆっくりと玄の身体が崩れ落ちた。
 驚いた顔の青葉が目の前で立ち尽くしている。その手に持つ包丁は血で真っ赤に染まっていた。
 
「玄っ!!」
 
 桔梗の叫ぶ声が庭に響いた。
 
 
 
 
 血迷った……としか言えなかった。
 自分が人をかばって刺されるなんて。以前の玄なら酔狂すいきょうなことだと嘲笑わらうだろう。
 
 脇腹の辺りが熱くなる、その後に襲う激痛に顔が歪む。内蔵を貫通したのか、口の中が血の味がした。
 
 自分の名を叫ぶ桔梗の声が聞こえ、それから白銀の声が遠くで聞こえた。
 
 ────ああ、これは駄目なやつだ……。
 
 生業なりわいが生業なだけに、致命傷かどうかはわかる。
 これはきっと助からない。
 
 ────まあ、どうせ先が短い命だ。
 霊薬師を庇って死ぬというのも中々面白い最期じゃないか。
 
 誰かが身体を抱き上げる感覚がした。
 目を薄く開けると、必死に自分に声をかける桔梗と、その後ろで青葉の両肩を掴み、攻め立てるように何か叫んでいる白銀の姿が確認できた。
 
 息が徐々に浅くなっていくのがわかる。
 かはっと血を吐き、玄はゆっくりと目を閉じた。
 
 ────最後に君達に会えたのは、僕の人生にしては悪くない終わり方だったと思うよ。
 
 そう思う玄の口元は微かに笑っていた。
 
 
 
 
 
 
 頭がズキズキする。
 桔梗は痛む頭を押さえながら上体を起こす。
 
「…………」
 
 暫く頭を押さえていたが、急に何かに気付いたように立ち上がり、隣の部屋の襖を開けた。
 
「桔梗っ」
 
 敷かれた布団のそばに座っていた白銀が驚いて桔梗を見た。
 
「白銀っ!!間に合ったのか!?」
 
 急いで布団に駆け寄ると白銀の横に座る。
 そこには玄がすーすーと寝息を立てていた。
 
「ああ、俺が飲ませた時はまだ息があったから」
 
 ほう……とため息をつくと、桔梗は力が抜けたように両手をつき「良かった……」と呟いた。
 さすがの霊薬でも、死者を甦らせる事は出来ない。
 
「……うぅ……」
 
 玄の眉間に皺がより、かすかな吐息を漏らす。
 反射的にふたりは玄を見つめた。
 
 ゆっくりと目が開き、赤い瞳が揺れる。ここがどこなのか確認しているようだった。
 
「……地獄って、案外現世と変わらないもんなんだねえ……」
 
 寝ぼけた事を言う玄に、桔梗が遠慮がちに声をかける。
 
「申し訳ないが……ここは現世だ」
 
 ハッと玄の目が見開いた。どうやら覚醒したようだ。
 
「あれ? 僕、死んだんじゃなかったの?」 
 
 ゆっくりと上体を起こすと、玄は刺された場所を手で確認する。まだ傷は完全に消えてはいないがすっかり傷口は塞がっていた。
 
「まさか……」
 
 玄が桔梗を見ると、彼女は正座しなおし緊張した顔で玄を見返した。
 
「使ったのかい? 霊薬」
 
「ああ……」
 
「僕なんかを助ける為に? ……馬鹿か、君は」
 
「…………」
 
 玄が怒ったように桔梗を睨む。
 桔梗は更に気まずそうにうつむいた。
 
 ────これを言ったら、玄はもっと怒るだろうな……。
 
 ひざに置いた自分の拳を見つめながら、桔梗が言いづらそうに口を開く。
 
「それとな……お前の病なんだが」
 
「ん?」
 
「治してしまった」
 
「治した?」
 
「うっかり」
 
「うっかりっ!?」
 
 玄は盛大なため息をつくと、両手で顔を覆った。
 
「うっかり治したって、どういう事?」
 
 声が怒っている。
 桔梗は玄の顔を見られないでいる。
 
「霊薬というのは基本、傷も病も全て治してしまうものなんだ……」
 
「うん」
 
「刺された時のお前は、一刻を争う状態だった。少しでも早く薬を飲まさなければ死んでしまう。急ぐあまり……」
 
「その事を“うっかり”忘れてしまった……と」
 
「……すまない」 
 
 流れる沈黙。
 桔梗が恐る恐る玄の顔を見ると、彼は無表情で桔梗を見ている。表情からはその感情は伺えず、思わず姿勢を正した。
 やはり怒っているのだろうか。
 
「俺は良かったと思ってる」
 
 横でふたりの様子を見ていた白銀が口を開いた。
 彼はいつになく真剣な顔で玄を見る。
 
「お前が死ぬのはやっぱり嫌だ」
 
 玄の表情は相変わらずだ。彼は無言のまま腕を組んだ。
 
「理由はどうあれ、お前の意思を無視する形になってしまった事は謝る。申し訳ない」
 
 桔梗は深々と頭を下げた。
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