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5巻

5-3

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 ◆


 林に入ってしばらく進むと、木々にさえぎられていた視界が急に開けた。
 そこには多数の兵と小型の飛竜の姿があった。
 探知スキルで状況を確認すると、小型の飛竜――レッサーワイバーンが二十と、人間が四十程度いるようだ。
 昨日アルン達が立てた作戦に従って、俺はゲージ子爵が運用する飛行部隊を叩きに来た。
 ……いい加減貴族の家名を覚えるのがだるくなってきたな。
 さて、この飛行部隊はエゼル王国でも名の知れた部隊らしく、パティとファースは機会があるならば優先して潰すべきだと主張していた。
 実際に目にすると、その考えは正しいと感じる。
 レッサーワイバーンが強力なのはもちろんだが、それに騎乗する兵士の装備も質が良さそうな物ばかりで、見るからに精鋭せいえいといった様子だ。
 半数以上の人間がマジックバッグ、もしくはマジックボックスとおぼしき物を備えている。
 これらを利用して上空から投石などを行うという話で、かなり嫌な動きをするらしい。
 その戦法は俺も考えていたのだが、やはり有効なようだ。
 隠密を展開してしばらくの間潜伏していると、兵達は火をおこして休憩きゅうけいしはじめた。
 動く様子がないならば、そろそろ襲撃を開始しよう。
 まず俺は、数種の毒草から作り出した粉を卵のからに詰めた物を、マジックボックスから数個取り出した。これは、ジニーを護衛する時に立ち寄った街で新しく見つけた毒草を配合しているので、以前よりも強力になっている。
 即死するほどではないが、神経に影響を及ぼす為、吸い込むと身動きが出来なくなる。ゴブリンが相手なら、数分で呼吸が止まって息絶いきたえる威力だ。
 相手に飛んで逃げられると厄介なので使ってみる事にした。
 俺に広範囲攻撃があれば、別の手段を講じたと思うけど。
 敵の襲撃なんて全く想定せずにのんびり待機している奴らに卵を投げつける。
 奥から手前へと順番に、広範囲に及ぶよう連続で投擲。割れた卵から飛び散った粉末ふんまつが風に運ばれて広がっていく。
 効果はすぐに現れて、次々と苦しむ声が聞こえはじめた。飛竜にも効果は絶大で、激しい叫び声を上げて苦しそうにもだえている。
 襲撃を察知した兵達が騒ぎ出す。

「襲撃だッ! 今すぐ飛べ!」

 一際立派な装飾がほどこされた革鎧を着ている男が叫んでいる。布で口元を押さえているのを見ると、何をされたのか理解しているのだろう。短時間でここまで的確な対応が取れるのは驚きだな。
 半数以上の飛竜が毒を吸って地面に横たわったが、十匹ほどは翼を大きく羽ばたかせ、漂う粉を自分に近付けないようにしている。
 しかし、その分舞い上がった粉が遠くへ広がり、逃げていた兵を巻き込む事になった。
 毒の粉から逃れられた数匹の飛竜の背中に兵の姿が見える。
 どうやら飛んで逃げるつもりのようだ。
 当然、逃がす気などは微塵みじんもない。
 俺は鉄の槍を取り出して飛竜目掛けて続けざまに投擲する。
 胸の真ん中を串刺しにされた一匹は即死し、足を貫かれた別の一匹は苦痛のあまり乗っていた兵を振り落とし、そのまま落下して地面の上でバタバタと暴れ回っている。
 次の投擲で更に一匹の飛竜を仕留めたが、結局二匹の飛竜が飛び上がってしまった。
 まあこれくらいは仕方がないとして、俺は地上にいる残りの飛竜を片付けていく。
 まだ毒の粉が漂っているので不用意に近付く事は出来ない。毒の攻撃は有効だが、こういうところは不便だな。
 それに、戦利品の回収時には念入りに洗い流さないといけないので後始末も面倒だ。
 毒の影響範囲外から兵にはナイフ、飛竜には槍を投擲する。
 俺は一方的に攻撃し続け、視界にいる奴らは全て地面に倒れした。
 空に逃した飛竜と兵士は放っておいても問題ない。
 毒の粉が落ち着くまでその場で待機していると、空から人と飛竜が落ちてきた。上空で待機していたポッポちゃんに追撃されたのだ。
 その後、すぐにもう一組の人と飛竜も墜落ついらくした。
 ある程度毒の粉が収まったところを見計らって口に布を当て、死体や物資を根こそぎ回収する。
 この場所に残ったのは、荒れた地面と染み込んだ血のあとだけだった。


 林を抜けて平原に出ると、空からポッポちゃんが舞い降りてきた。
 ポッポちゃんを胸に抱き、労をねぎらいながらアルン達が待機している馬車に戻る。
 少し離れた場所には、先程林から逃げ出した兵達が捕虜ほりょとして拘束されていた。
 敵兵を縛り上げながらアルンが言った。

「林の中から逃げてきた人達は、全員捕らえています。数名は抵抗が激しかったので、ファースさん達が倒しました」

 林の外側にはアルン達五人を配置して、逃げた奴らを捕まえるように指示をしていた。
 ファースは激しく抵抗した数人を殺害したようだ。まあ、こればかりは仕方がない。刃物を持って暴れる奴を無力化して押さえつけるなんて、俺だって簡単には出来ないだろう。

「皆、ご苦労様。怪我けがはないよな?」

 俺が皆を見回していると、アニアが駆け寄ってきた。

「ゼン様! ここ怪我したのです! ヒールしてください!」
「お前は自分でヒール出来るじゃねえか……」
「ゼン様にしてほしいのです!」

 アニアはどうやら怪我が云々うんぬんというよりも、俺に構ってほしいらしい。
 彼女は今、敵に正体を知られないようにする為に全身を覆う黒いローブを身につけている。仮面もつけているので、本当に痛がっているのか表情も分からない。
 だが、そんな俺達の様子を見ていたアルンが、呆れた様子で口を開いた。

「ゼン様、アニアは無視してください。それ、お菓子食べながら歩いていた時につまずいただけですから」
「ちょっと、アルン! それは言わなくてもいい事なのです!」

 なんだかアニアのテンション高めだな。人との戦いで気がたかぶっているのか?

「分かった、治してやるから、膝出せよ」

 そう言うと、アニアはすそを少し持ち上げて足を差し出してきた。確かにりむいて出血しているので、ヒールで治療してやる。
 その時、俺は気付いてしまった。アニアの足が少しばかり震えている事に。

「アニア、人と戦ったのが怖かったのか?」

 アニアは小さく頷いた。

「……ちょっとだけ、怖かったのです」

 訓練では何度も人と戦っていたが、自分に殺意を抱いた相手との戦闘は、考えてみたら今回が初めてな気がする。アニアが甘えてきたのはそのせいか。
 アニアもアルンも亜人や魔獣との戦闘で命のやり取りには慣れきっていると思い込んでいた、俺のミスだな。
 極力相手を殺すなと言っているのも、大きなかせになっているのかもしれない。
 だが、この世界ではとても身近なところに暴力が存在するのだ。自分の身を守る為にも、少しずつでも慣れていってもらうしかない。
 沈んだ様子を見せたアニアの頭を撫でると、捕虜になった敵兵が何か言っているのが聞こえてきた。

「こんな少数にやられたのか……」
「クソッ、よくも隊長をっ!」
「俺達はどうなるんだ……?」

 彼らはそれぞれ怒りや不安の言葉を口にしている。

「さて、捕虜は早いところグウィンさんに引き渡すか」

 捕虜達は頭から袋をかぶせて身動きが取れない状態にして、グウィンさんに引き渡す事にする。
 この場で全員殺してもいいのだろうけど、抵抗出来ない相手を手に掛けるのは、ちょっと気が引けるんだよね。
 またグウィンさんに手間をかける事になるが、前線の状況や今回襲撃した奴らの報告も合わせて行うつもりだから、それで許してもらおう。
 そこで俺は、ふとある事を思い出した。

「そういえば、こいつらの親玉のゲージ子爵はどこ行ったんだ?」

 飛行部隊を潰すのが最優先だったので、子爵の事は全く気にしていなかった。
 アルンが俺の言葉に反応した。

「それなら本隊に陣を構えています。ここの部隊は伏兵ふくへいとして置き、背後から攻撃でもさせるつもりだったのでしょう」

 なるほど、飛行部隊を分けて別働隊として動いていたのか。
 あの隊を率いていた男は毒に対する判断も的確で、周りを鼓舞こぶして逃がそうとしていたな。
 余裕がないから殺してしまったけど、少し勿体もったいなかった。まあ、今更言っても遅いから、気にするだけ無駄むだか。


 ◆


 翌日、俺はアニアが指示してくれた待機ポイントで、次の目標が来るのを待っていた。
 この場所は道に沿って続く高台で、道との距離は大体百メートルほど。
 視界は良好で道を見渡せるし、後方は深い森になっており、何かあった場合の逃亡も容易だろう。
 アニアはかなり考えて選んだようだ。
 さて、今回の目標はシューカー伯爵家だ。
 この伯爵は殺してはいけないリストに入っている。
 彼は今でも前王時代と変わらぬ善政を敷き、領民からの信頼も厚く、そして何より力を持つ。
 今回はエア達と敵対する事になったが、今後の国政で必ず役に立つ人物とされている。
 では何故目標にしたかと言えば、伯爵には〝ある弱点〟があるからだ。
 失敗する可能性は高いのだが、そこを突けば兵を引いてくれるかもしれない。どの道、もう狙える相手は片手で数えるほどしかいないのだし、挑戦してみる価値はある。
 駄目そうなら逃げればいいだけだ。
 一時間ほど待つと、道の先からこちらに近付いてくる一団が見えてきた。
 掲げている旗の紋章もんしょうは、アルンに描かせた紋章と一致している。間違いなくシューカー伯爵軍だ。
 情報では総勢二千五百の兵を率いており、その質は高いらしい。
 統一された意匠の鎧と武器を身につけ、騎兵が乗る馬は力強く、歩兵も一糸乱いっしみだれぬ足並みを見せている。
 その中に、一際目立つ集団がいた。
 周りとは異なる美しい装飾が施された白い鎧をまとった女性達の一団だ。
 その中心に守られるようにしているのは、これまた特別製の白い鎧を身につけ、白馬にまたがった人物。遠目ではあるが、綺麗な金髪をなびかせている。
 白薔薇しろばら兵団と名乗るこいつらは、伯爵軍の遊軍として配置されている。
 その兵団を率いる隊長が今回俺が狙う目標であり、伯爵の弱点ともいえるシューカー家の長女、マルティナ。
 自らを戦姫せんきと名乗り、部隊を率いる将だが、おそらく今回の戦いが初陣ういじんだ。
 パティいわく、シーレッド王国にいるという本物の戦姫に憧れて、真似をしているらしい。所詮しょせん真似事なので、マルティナの実力は大した事はないと聞いた。
 要するに、お嬢様のお遊びである。
 こんなお遊びが許される理由は、シューカー伯爵が極度の親馬鹿ばかだからだ。領地の運営は優秀な人物でも、自分の子供に対しては弱かったという訳か。
 いや、もしかしたらそこまでの親馬鹿だからこそ、子供の為に領地運営を頑張った結果、優秀と言われる領主になったのかもしれないぞ。う~ん、ないか……
 という事で、今回はこのマルティナじょうさらいたいと思う。
 さて、最初の作戦は〝可愛いポッポちゃんの魅力でおびき寄せる作戦〟だ。
 可愛いポッポちゃんが目の前に現れれば、人は誰しもその後を追ってしまうだろう。
 そして本隊から離れた彼女は、俺に気絶させられて、そのまま連れ去られる。
 ……分かっている、穴しかない事は。
 だがこれは、セシリャが思い付いた唯一の作戦なのだ。難しい事は分からないからと言って、いつもは作戦会議には参加せず、一人寂しく酒を飲んでいる彼女が、自分で考えて手を上げたのである。
 あの人見知りのセシリャが……と、以前の彼女を知っている俺達は、思わずハンカチを濡らした。
 全て言い切った後の晴れ晴れとした笑顔が、「言ってしまった」という後悔こうかいと不安の表情に上塗られていく様は、忘れられない。
 そんなセシリャの思いをんでやるのが人情というものだ。
 俺はポッポちゃんに指示を出す。
 まずはマルティナの近くで羽を休めるように伝えると、「はいはい、なのよ!」とクゥクゥクゥーと鳴いて応えてくれた。
 上空で大きく一度旋回し、マルティナの近くに降り立ったポッポちゃんは、少々わざとらしく、地面をクチバシで突きながら、徐々に彼女のもとへ近付いていく。
 ポッポちゃんに気付いたマルティナが、周りの女性に声を掛けている。
 女性の一人が腰に着けている袋から何かを取り出すと、ポッポちゃんに向かって投げる。
 ポッポちゃんは地面に落ちたそれをじーっと見つめると、足で蹴飛ばして、投げてきた女性に返した。
 どうやらポッポちゃんのお眼鏡めがねかなう物ではなかったようだ。
 白薔薇兵団の面々に笑い声が広がり、次々と食べ物らしき物がポッポちゃんに向かって投げられている。
 ポッポちゃんはその中の一つをクチバシで掴むと、美味おいしそうに食べはじめた。
 一人の女性が馬を下り、ポッポちゃんを捕まえようと背後から飛びついた。
 だが、そんな事は当然気付いているポッポちゃんは、羽ばたき一つで上空まで飛んでいき、俺の背後の林へと逃げ込んだ。
 作戦は見事失敗。まあ、こんなものだろう。貴族のお嬢様本人が飛びつくはずないよな……
 次の作戦は〝俺が攻撃を加えて、追っかけてきた戦姫を捕まえる作戦〟だ。
 出来れば隠密を使って近付いて、一気に連れ去りたい。
 だが、いくら女性とはいえ、鎧を着た人間を抱えたままでは馬から逃げ切れる速度で走れない。
 なので、一度攻撃を加えてマルティナを誘いだそうと思っている。
 これもあまり高い成功率は望めないだろうな……
 まあ、とにかく〝事前情報〟が正しい事に期待して、実行してみよう。
 仮面とマントを身につけて補助魔法を掛けたら、隠密を展開して高台を下りる。
 ゆっくりと行軍する列に近付いていくが、向こうは俺の接近には気付かない。マルティナの駆る白馬の真横に移動して、並走しながらタイミングをうかがった。
 よし……この辺りでやるか。
 俺は、マルティナの近くを進む馬車の車輪を狙って槍を投擲した。
 槍が命中した車輪は激しく音を立てて壊れ、後輪を失ってバランスを崩した馬車が、引きずられながらゆっくりと停止する。
 攻撃をした事で、俺の隠密スキルの効果が解除された。
 今までにこやかな表情を見せていた兵達の空気が一気に変わり、彼らの視線が俺に集中する。
 俺はすかさず反転し、一目散に逃亡を開始した。
 振り向くと、誰よりも立派な馬に乗っているマルティナが先頭を駆けて俺を追ってくるのが見える。
 裏では猪武者いのししむしゃと呼ばれているという事前情報は、本当だったようだ。

「仮面の男! 止まりなさいっ!」

 後ろから凛々りりしい声が聞こえてくる。いかにも貴族のお嬢様といった、高飛車たかびしゃな口調だ。
 マルティナの白馬はそれなりの速度が出ているが、それでも短時間で俺に追いつく事は出来ない。
 彼女との距離を維持しながら、シューカー伯爵本隊との距離を引き離す。
 俺を追っているのはマルティナだけではない。彼女の後ろから白薔薇兵団が必死の形相ぎょうそうで俺――というよりは、マルティナを追いかけている。
 白薔薇兵団の皆さんは、俺にとって不要な存在だ。ここで退場してもらおう。
 俺は走る勢いのまま前方へと跳び上がる。空中で体を反転させ、両手に殺傷能力の低い小さな青銅の玉を取り出した。
 今回は伯爵を殺さずに追い返すのが目的だ。兵士もなるべく殺したくない。それに、追手の大半がマルティナの部下の女性なのだ。
 スキル次第では体格的に劣る女性も優秀な戦士になれる。女性だからというだけで区別する気はないのだが、やはりムサい男どもとは扱いを変えたいのが、男の本音だ。
 それに目の前で部下を殺されたとあっては、いくらこちらが丁寧に対応しても、マルティナは反抗的になるだろう。
 俺は両腕を振るい、マルティナ以外を狙って青銅の玉を投擲する。
 数人がそれをまともに食らい、落馬した。スピードが出ているから多少怪我はするだろうが、それは許してほしい。
 後続にまれないように配慮したので、多分死なないはずだ。
 続けて二度ほど投擲をして更に数を減らす。
 追手がマルティナを含めて数人になったところで、少し速度を落として追撃の手を緩めさせないよう加減する。

「姫様っ! おやめくださいッ!」
「貴様らッ! 飛び掛かってでも姫をお止めしろ!」

 まだ残っている白薔薇兵団の面々が焦りをあらわに制止の声を上げていた。
 あまりにも必死なので後ろを確認すると、そこには嬉々とした表情でこちらに向かってくるマルティナがいた。

「はっ!? マジかよ!」

 思わず驚きの声を上げてしまった。
 なんと彼女は馬から降りて走っていたのだ。
 その速度たるや、俺の走りに追いつくほどで、段々と距離が縮まっている。
 びっくりした俺は速度を上げて再度引き離そうとするが、それでも距離は詰まる一方。
 後ろにいた白薔薇兵団は置き去りにされ、今や俺とマルティナの独走状態だ。
 これにはゾッとした。
 探知で感じる気配は大した事なかったのだが、もしやこの女は、俺が探知出来ない力を隠し持っているのか。
 だとするとまずい。マルティナとやり合いながら、更に二千を超える兵の相手をするなんて出来るはずがないからだ。
 段々と近付いてくる縦巻ロールのお嬢様が、鮮やかな色をした唇を歪ませてニヤリと笑っている。
 ややつり目がちの可愛らしい瞳は、獲物である俺を映してギラギラと輝いていた。
 とうとう俺の横を通り抜けて前方に躍り出たマルティナが、身をひるがえして立ち塞がった。

「諦めなさい、ぞくっ! 我が剣に沈みなさい!」

 可愛らしい顔からは少し意外に思えるりんとした声を上げると、細身の剣を抜き放って俺を突いてきた。
 しかし、その剣筋は大振りで、あまり褒められたものではない。
 俺はまだ走っている途中だったので、いきなり止まる事は出来ず、そのままの勢いでマルティナに突っ込んだ。
 体を少し横に反らして切っ先を躱し、突き出された細い手首を掴む。
 このままでは正面から激突するので、彼女の腕を引き、そのまま抱きかかえる事で衝突を回避する。腕を捻ってしまった為かなりの苦痛を与えたかもしれないが、マルティナはなんの抵抗もなく俺の腕の中に収まった。

「ちょっ! 無礼者!! 苦しいですわ!」

 マルティナが抗議の声を上げるのもお構いなしに、彼女を強く抱きしめた。
 彼女の手にはまだ剣が握られているので、自由にさせる訳にはいかない。
 マルティナはバタバタ暴れて逃れようとしているが、それほど力を感じない。
 剣の扱いもセンスがなさそうだし、これでは先程見せた足の速さだけしか取りがないんじゃないか?
 もしやと思い、俺は改めてマルティナの体を見回して装備を確認する。
 貴族だけあって、白い女性用鎧をはじめとして、全身を高級そうな装備で固めている。
 しかし、その中でも特に目を引いたのは、とても豪華な装飾が施された脚甲きゃっこうだ。
 気になって鑑定をしてみると、俺の予想は当たっていた。

  名称:【健脚の脚甲】
  素材:【オリハルコン プラチナ 金】
  等級:【伝説級レジェンダリー
  性能:【脚力大強化】
  詳細:【防犯の神のアーティファクト。装備した者の脚力を強化する】

 まさか強いのではないかと思ったが、要するにこいつは、アーティファクトの力で俺に追いついただけで、それ以外はめっきり駄目って事だ。
 それが分かると、ちょっとイラッときた。
 ビビらせてくれたお礼をしよう。
 俺の胸の中で拘束されているマルティナを、片手で脇に抱えるように抱き直す。

「なっ!? 危ないから、放しなさい!」

 マルティナが抜け出そうとして暴れたが、俺の膂力りょりょくには全くかなわない。
 しきりに何か叫んでいるが、マジックボックスから睡眠効果のある草を用いたこうを取り出してだまらせる。
 煙が後ろへ流れてしまうが、鼻先まで近付けてどうにかがせる事が出来た。
 マルティナがぐったりしたところを見計みはからい、俺は足を止めて振り返った。
 そして、ナイフを彼女の首筋に当てて、こちらに向かってくる兵達に叫んだ。

「そこで止まれ! 追って来るならば、この女は死ぬぞっ!」

 俺の言葉に、白薔薇兵団やその他の兵士の馬が速度を落とした。
 我ながら相当酷い事をしていると思う。だけど、追ってこられても困るので仕方がない。

「皆止まれッ! 止まらぬなら俺が叩き斬るぞ!」

 先頭付近を走っていた男が馬を止め、馬上から叫んで味方の動きを制した。

「姫様を返してほしい。条件はなんだ?」

 男は馬から下りると、数歩こちらに近付いてきた。

「シューカー伯爵が率いる兵の撤退てったいだ。それが済んだらこの娘を返す。安心しろ、お前達が言う事を聞く限り、絶対に危害は加えないと約束しよう」
「……貴公はエリアス軍の者か?」
「さあな。だが彼に味方する者ではある。悪いが、早く決断してくれ」

 俺と男が話をしていると、後方から騎乗した男が猛烈もうれつな速度で駆けつけてきた。

「マルティナッ! 貴様、娘を放せっ!」

 身なりや口ぶりからすると、シューカー伯爵ご本人のようだ。

「落ち着いてください、おやかた様。今交渉をしています」
「なんだとっ!? クッ……して、状況は?」

 最初は激昂げきこうしていたが、すぐに冷静さを取り戻して、こちらを油断なく睨みつけてきた。

「彼は撤兵を要求しています。おそらく敵軍の手の者かと」

 男が説明をすると、シューカー伯爵がけわしい表情で口を開いた。

「賊が……。兵はどこまで引けばいいのだ」
「領地までお戻りください。そうすれば、マルティナ様を無傷で解放いたします」
「……貴様のやっている事は、戦いを汚す事だと分かっているのか?」
「さぁ? 私は貴族ではないので、そんなものは知った事ではありません。申し訳ありませんが、早く決めてくださいませんか? このままだと焦ってマルティナ様の綺麗なのどに傷をつけてしまいそうです」

 貴族達は体面を気にしているのか、戦に臨む姿勢が思っていた以上に甘い気がする。
 勝てば官軍という言葉があるくらいだから、この程度の脅迫きょうはくをするのは当然だろ。

「……分かった、とりあえず兵は引く。だが、マルティナを一人残すのは不安だ。誰かつけさせてくれ」
「申し訳ないですがお断りします。このまま反転して領地までお戻りください。安心してください、必ずや傷一つ付けずにお返しいたします。……信じられないでしょうが、これは伯爵にとって間違いなく良いお話になるはずです。この戦はエリアス様が勝ちます。後の事を考えれば、今は兵を引くのが最善なのです」
「それなら、王軍相手に戦えと命じれば良いだろう」
「いえ、この段階で加わられても不安要素になります。今回の戦は静観なさってください」

 シューカー伯爵はこちらまで聞こえる歯ぎしりをした。
 しかし、俺が抱える娘の姿を見ると、目を閉じて、深く息を吐いた。

「退こう……」

 シューカー伯爵は目を閉じたままそう言う。
 だが、次の瞬間にはカッと目を見開き、鬼の形相を見せた。

「だが、娘に一つでも傷をつけてみろ。必ず貴様の正体を明かし、八つ裂きにしてやる。そして貴様の身近な人間を探しだして、あらゆる苦痛を与えて殺す。いいなっ!」

 彼はそう言い残して、馬を返して走り去った。
 うーむ、すげえおっかねえな……
 それにしても親馬鹿すぎるだろ、ちょっと脅しただけで本当に兵を引きやがった。
 シューカー伯爵は戻っていったが、数人の兵士はその場から動かず、こちらを油断なく監視している。
 俺はそれらに注意を払いながら、マルティナを抱きかかえたまま後ろの森に入った。
 マルティナに【浮遊の指輪】を装着し、アニア達が待つ馬車までポッポちゃんに空路で運んでもらう。
 ポッポちゃんが飛び立ってから少しすると、森の中に先程の兵士達が入ってきた。
 後をつけてくるつもりのようだが、既にポッポちゃんの姿は見えなくなっている。俺は隠密を使い、さっさとその場から立ち去る事にした。
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