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4巻
4-3
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◆
セシリャと話をした翌日、俺はアニアとアルンを連れて、隣国のシーレッド王国に入り、エゼル王国との国境の街を訪れていた。この街には素材を売りに何度か訪れているのだが、いつも素材を売ったら即帰っていたので、何があるかはよく知らない。
俺の両脇を歩く二人は、それぞれ全く違う話をしている。
「知らない街を歩くと新鮮な気持ちになれますね」
アルンは見慣れぬ街並みに興味をそそられるのか、キョロキョロと周りを見回しながら歩いている。
「う~ん、このお菓子美味しい!」
アニアは両手に持ったお菓子を、歩きながら頬張っている。
今日はダンジョン攻略のご褒美として、この二人の慰安をする為に、朝早くから馬を飛ばしてこの街に来た。好きなだけ買ってやると宣言しているので、アニアは気になった店を見つけると、片っ端から突撃しているのだ。
昼前に街に着いた俺達は、食事の前にぶらぶらと街を歩いている。アニアが食いすぎないか心配なのだが、二人とも楽しそうで何よりだ。
ポッポちゃんもついて来ているが、今日は二人がメインだと伝えると、一羽で西の方に飛んでいってしまった。「暴れるのよー」と息巻いていたから、またどこかの森を岩の槍で爆撃して、遊んでいるのだろう。ポッポちゃんはヤンチャだなあ。
そうこうしているうちに神殿の鐘が鳴り、昼の時間を告げた。
「二人とも何食いたいの? 遠慮はするなよ、高い物を食いに行くぞ!」
「私はお肉がいいのです!」
「僕も肉がいいです」
二人は迷う素振りも見せずに、ほぼ同時に答えた。
「うむ、俺も肉が食いたいです!」
食べたい物は決まったので、街の中心街を目指して歩く。この世界ではたいていの街は中心に行けば行くほど、富裕層が利用する店があるからだ。
ほどなくすると、大きな宝飾品店や奴隷商館等が目に入ってくる。それらを横目に進んでいると、道沿いの一軒の店から、凄まじく香ばしい肉の匂いが漂ってきた。
「ここなのです!」
「ゼン様、ここがいいです!」
「おう、ここだなっ!」
俺達は他の店など目もくれずに、反射的にその店に吸い込まれてしまった。
俺達を見た店員は一瞬怪訝そうな顔を見せたが、とりあえずは愛想よく席に案内してくれる。
まあ、たいして金も持っていないと見える若造三人が高級店に入ってきたのだ。身構えない方が逆におかしい。
席に着いた俺は、おもむろに大金貨を一枚テーブルの上に置き、最高の笑顔で注文をする。
「肉料理を値段が高い順に、五点ほど持ってきてください」
店員さんは金貨を見るなり、慌てた様子で厨房に注文を伝えに行った。
日本の感覚で言うと、百万円の札束をテーブルの上に置いてる感じかな? あまり上品なやり方ではないが、俺達は外見が子供だし、変に疑われない為には良い方法だと思う。
運ばれてきた料理はどれも満足のいく味だ。ただ、調子に乗って高い順なんて言ったせいで、最後にワイルドブルを丸々一頭分使用した料理が運ばれてきた。流石にこれは食べきれない。
料理を見た瞬間、三人ともやっちまったという表情で顔を見合わせてしまった。
結局その料理は七割も残す羽目になったが、自前の皿に移し替えて全てマジックボックスに収納した。気分はタッパーでお持ち帰りだ。
店を出た俺達は、膨れた腹を撫でながら、同じ通り沿いにある店で買い物でもしようと散策をはじめた。
「二人は欲しい物とかないのか? 予算は……一人大金貨二枚までは好きなだけ買っていいぞ」
「ダンジョン攻略のご褒美で、もう大金貨一枚もらったのです……」
「そうですよ、ゼン様は甘すぎます!」
この世界では奴隷に褒美をあげるのは珍しくないが、大金貨ともなるとやりすぎらしい。二人はそれを気にして固辞しようとする。
俺にとって二人は奴隷というよりも、弟や妹みたいな感覚だから関係ないんだけど。
「俺が買ってあげたいと思ってるんだから、良いじゃないか。お前らが自分の事を奴隷だと思ってるなら、ご主人様の望みを叶えてくれよ」
「うぅ、それを言うのはズルいのです!」
「ご命令なら従います。けど……ゼン様、本当にズルいです」
「ズルいってなんだよ……」
そんな事を言っている二人だが、いざ買ってもらえるとなると、辺りの店をソワソワと見回しはじめた。この辺はまだまだ子供丸出しで可愛いな。
欲しい物を先に決めたのはアルンだった。
アルンはこの街で一番大きな書店に入ると、壁際の本棚に吸い寄せられるようにして次々と本を選んでいく。『ブラーシュ写本』『貴族の暮らし』『戦術学入門』、そして最後に『白バラ物語』。
『貴族の暮らし』と『戦術学入門』の二冊は名前の通りの内容で、俺にも分かる。
『ブラーシュ写本』とは、遠い東にあるガイサ帝国の冒険家であるブラーシュという人がかなり昔に書いたとされる冒険譚の複製で、数多くの魔物達の情報や地域の特性等が書かれている本だ。自身の経験を物語にした本なのだが、その情報は事実に基づいているので、冒険者なら一度は読むべきと言われている。
最後の『白バラ物語』はよく知らないが、表紙を見る限り恋愛物みたいだ。
「なあ、アルン。それ恋愛物みたいだけど、お前興味あるの?」
つい気になって聞いてしまった。
「あー……ナディーネ姉さんが読みたいって言ってたから……駄目ですか?」
アルンは少し視線を逸らして、ちょっと恥ずかしそうに答えた。
「駄目じゃねえぞ! 絶対買うんだ!」
その恋に目があるのか俺には分からないが、応援だけは全力でしてやりたい。
本は四冊で大金貨一枚と金貨八枚になった。それなりの値段だが、この世界で本は全て写本だから物凄く高いのだ。その中でも特に『白バラ物語』は、装丁などの作りが他の物と比べると数ランク上で、最も高価な本だった。
本を受け取ると、アルンは笑顔で自分のマジックボックスに収納した。本を渡した時のナディーネの顔でも思い浮かべているのだろう。
続くアニアは、俺の手を引いて一軒の宝石店へと誘った。
最近色気付いてきたと思ったら、宝石店とは恐れ入る。いや、女の子が興味を持つものといったら、スイーツとおしゃれが相場か。流石にお菓子で大金貨二枚分買うのは不可能だしな。
商品選びは目を輝かせているアニアに任せて、俺とアルンは店内の椅子に腰を下ろす。
「アルン、先に言っておくが、アニアの買い物は、予算を超えても出してやるつもりだから、怒るなよ?」
アルンは気にしないだろうけど、一応先に断っておく。
「アニアに対して嫉妬なんてしませんよ。むしろ贔屓してやってください」
二人で他愛もない会話をして、待ち続ける事三十分。
アニアは品物を前にうーん、と唸り続けている。そろそろ一押しが必要かと思い、俺は席を立つ。アニアの背後から顔を出して購入候補のアクセサリを覗き込む。
余程集中しているのか、相当顔を近付けてもアニアは俺に全く気が付いていない。驚かすといけないので、そっと両手で肩に触れる。
「あっ……もしかして、凄くお待たせしちゃったですか……?」
高価な買い物をするのだから悩んで当然だ。それに、女性の買い物は時間が掛かるというのはどこの世界も同じで、俺も慣れている。延々と色々な店に連れ回されるパターンじゃないだけマシだ。
「真剣に選んでるんだから、時間は気にしなくていいよ。どうだ決まりそうか?」
「ここにある物にするつもりなのですが、決められなくて……。魔法強化と魔法防御、どちらを選んだ方が良いですか?」
「ん? デザインで悩んでるんじゃないの?」
「デザインはどれも綺麗なので気にならないのです。この前の攻略でまだまだ力不足だと感じたので、今は性能の方が大事なのです」
「なる……ほど」
ディスプレイに飾られている品物を見てみると、普通のアクセサリと同じように、魔石がはめ込まれたマジックアイテムが並んでいる。どれも綺麗な宝石や金属で彩られていて、宝飾品として見劣りする物ではない。
「なんなら両方買っても良いぞ。今後のアニアには期待しているからな」
「予算を超えちゃうのです……」
装備の強化は役に立つから、本人が欲しいなら買ってあげたい。そんな俺の発言を受けて、今までアニアの相手をしていた店員のお姉さんの目が光った。
「お客様、それでしたらこちらのネックレスはいかがでしょうか? 魔法の威力強化、魔法耐性強化の魔石をあしらっています。見た目はそこまで派手ではありませんが、お客様がお求めの機能は備わっていますよ。こちらなら、お嬢様の可愛らしさを際立たせ、更に装備としての性能も十分ご満足頂けるかと」
うむ、実際に金を払う奴を落としに来ているな。店員の行動としては正しいぞ! まあ、彼女の言う通り性能も申し分ないし、見た目も十分綺麗だ。
――よし、鑑定結果も問題ない。
「アニア、これはどうだ?」
「うぅ、それは高いのです……。私も最初はそれが良かったですけど……」
「お姉さん、コレの値段は?」
「大金貨三枚と金貨二枚になります」
うん、この程度なら許容範囲だ。
「じゃあ、これください。アニアも良いよな?」
「……良いのですか?」
「良いに決まってるだろ。アニアにはいつも助けてもらっているからな」
「ゼン様ッ!」
「うぉっ!」
アニアが突然抱きついてきた。
普段から結構スキンシップは取ってくるけど、ここまで激しくされたのは初めてだ。俺はアニアに抱きつかれたまま、腕だけをカウンターへと伸ばし、店員のお姉さんに代金を渡した。
「ふふ、ありがとうございます。お支払い確認致しました。すぐにお着けになりますか?」
アニアは俺の胸に顔を埋めたまま、頭だけを動かして返事をした。
「それではお客様、是非お嬢様に着けてさしあげてください」
店員のお姉さんは、俺にネックレスが載っている銀のトレイを差し出す。
俺は言われるがままにネックレスを受け取り、アニアの首に手を回してネックレスを着けてあげた。
アニアの白く細い首に収まったネックレスは、メインとなる黒い魔石の周りに多数の小さな宝石が添えられている少し大人しいデザインだ。しかしそれもアニアの首元にあると、なんだか華やかに見えた。
アニアはネックレスを見つめながら、優しく指で触れている。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「ゼン様……ありがとうございますっ!」
顔を真っ赤にしたアニアは、瞳を潤ませながら俺に礼をした。
「どういたしまして。アニア、似合っているよ。とても可愛い」
俺がそう言うと、アニアは恥ずかしそうに、だがまっすぐに俺を見つめた。その熱の篭った視線に、俺は思わず固まってしまった。アニアってこんなに可愛かったっけ……?
この手の事は前世で何度も経験しているから、もっと冷静に対応出来ると思っていた。だが、妹のようなアニアがここまで〝女の子〟を見せたのは初めての事で、今すぐこの子を抱き締めたいという、抑えきれない思いが湧き上がってくる。
ふと、店員さんの視線を感じて、俺は頭を振ってなんとかその状態から脱する事が出来た。
「んじゃ……行こうか?」
俺がそう言うと、アニアは何も言わず一度だけ頷いて俺の横に並んだ。そして、俺の腕を抱きかかえて放さない。果たしてこんなにくっついて良いのかという迷いもあるが、今はアニアと離れたくなかった。
俺は気持ちを切り替え、アニアの手を握って店から出ようとした。
「ゼン様、僕の事を忘れてませんか?」
後ろからアルンに呼び止められる。
――ごめん。完全に忘れていた。
「……アルンも手をつなぐか?」
「それはいいです」
俺はお詫びの意味で空いている方の手を差し伸べたのだが、冷静に拒否された。
結局、アニアは終日俺から離れなかった。
悪い気はしないので受け入れたが、俺にとっては少し毒だ。このモンモンとした思いがヤバい。なんか青春時代を思い出す。
帰り道ではアニアを抱きかかえて馬に乗る事になった。アニアは俺の胸元にひっついてネックレスを眺めては、度々俺に微笑みかけてくる。
「あれ……? ゼン様、そういえばポッポちゃんは?」
うむ、忘れてた。俺は相当浮かれているようだ。
その後、ポッポちゃんはすっきりした顔つきで「ボコボコ、ドンドンにしてやったのよー」と、鳴きながら帰ってきたが、俺は彼女を小一時間ほど撫で続けて罪滅ぼしをした。
◆
隣国の街で遊んだ次の日、俺はジニーを食事に連れ出す為に彼女の家を訪問した。
何日か間があったので、一見するとジニーは普段通りに思える。しかし、それでもこの前の事を引きずっているのか、若干距離を感じた。
まあ、護衛のロレインさんもついて来るだろうから、間に入ってもらえばすぐに元に戻るだろう。
今回のお誘いは単に昼飯をご馳走してブラブラするだけの、至って健全なものだ。
とはいえ、今日は少しばかり気取ってみる事にする。
ジニーを迎えに行く道すがら、花屋に寄って花束を買っておいた。
ドアノッカーを叩くとロレインさんが出てきたので、軽く挨拶を交わしてジニーを呼んでもらう。
待っている間、ドアの向こうからエアの気配が近付いてきた。だが、今日は顔を見せようとしない。物陰に隠れてこちらの様子を窺っているみたいだ。俺に気付かれまいとしているらしいが、あいつは俺の探知スキルの力を忘れているのだろうか?
ほどなくすると、ジニーが姿を現した。
いつもの訓練着姿とは違って、スカートを穿いている。普段はポニーテールにしている髪も下ろしているので、大分印象が違う。
「今日はスカートなんだね。それに髪を下ろしてるのも珍しいな。とても可愛いよ」
女の子の変化は、とにかく褒めるべきだ。これは俺自身の経験に裏付けられている。
だがそれを抜きにしても、今日の為にめかし込んでくれたジニーを褒めずにはいられない。だって、本当に可愛らしいのだから。
「あ、ありがとう。ロレインがやってくれたのよ。さあ、早く行きましょ。さっきから兄様がずっとこっちを見ているのよ」
普段は仲の良い兄妹でも、この手の事は見られるのが嫌らしい。兄様がという言葉に少し険があった。デバガメなんかしてると、嫌われちゃうぞ、エア。
持ってきた花束を渡すと、ジニーはふへっと情けなく相好を崩した。
一頻り花の色や香りを楽しむと、後ろに控えていたロレインさんに「生けといて」と一言添えて花束を渡した。
「さあ、さあ、行くわよ、ゼン!」
ジニーは俺の背中を押して家から遠ざけようとする。
少し家から離れてから、二人で並んで歩く。
「なあジニー、今日は一人なのか?」
「そうよ。ゼンといるなら護衛は必要ないだろうって」
なるほど……。この街は治安が良いし、今の俺の力を考えれば大して不安はない。だが、改めて女の子を預かっていると考えると、身が引き締まる思いだ。
「じゃあ、早速お店に行こうか」
俺がそう言うと、ジニーは何も言わずこくりと一つ頷く。素直でいいのだが、いつもの元気っ子が鳴りを潜めている事に、なんだか少し寂しくなってしまった。
雑談を交わしながら道を進んで行く。会話は普段通りで滞る事はないのだが、やはりどこか大人しい。
ほどなくして目的の店に着いた。
「小さいけど、素敵なお店ね」
ジニーの感想通り、俺が選んだのは個人経営の小さな店で、この街では中の上くらいのレベルだ。既に下調べしてあって、女の子を誘うのにも適しているのは確認済みである。
予約をしていたので、料理はすぐに運ばれてきた。
この店にコースはないが、前世の記憶を頼りに出してもらう皿の順番を伝えてある。その甲斐もあって、料理が運ばれてくる度に会話が盛り上がった。
「ははは、子供の頃のエアは、結構荒っぽかったんだな」
「ゼンと訓練をはじめた頃から、真面目に落ち着いた振る舞いをする事が多くなったわね」
ジニーの態度や会話が少しずつ元通りになってきた。そこで俺は、今日抱いていた違和感を、改めて尋ねてみる事にした。
「なあ、ジニー。なんで今日は少し大人しいんだ?」
「……なんでって、ゼンはこの前みたいな私が好きなのかなって」
あぁ、ジニーはあの時の俺の対応を良かったと感じたのか。
「お淑やかなジニーも可愛いけど、普段のジニーの方が俺は好きだな」
「そ、そうかしら。ふーん、そうなんだ。ふーんっ!」
俺の一言でジニーが赤くなりはじめた。流石に「好き」は軽はずみだったか。本当にジニーは耐性がないな……。やりすぎて、この前みたいにいきなり逃走されてはかなわない。
俺はすぐに話題を変えて、美味い食事に舌鼓を打った。
「本当に美味しかったわ! ゼン、ごちそうさま」
すっかり調子の戻ったジニーが、太陽のような笑顔でお礼を言ってくれた。
やはり女の子との食事は楽しい。
「また食べに来たいな。今度はジニーが選んだ料理を出してもらおうぜ」
俺はさりげなく次回のお誘いをしておいた。
「ふふ、そうね。また来たいわ」
はにかむジニーの手を取って、俺は次の目的地に向かう事にする。
「ねえ、ゼン。このあとはどこに行くの?」
「それは着いてからのお楽しみかな」
「えぇ~、教えてよ!」
ジニーは少し戸惑った様子だが、俺が何も言わずに笑っていると、諦めて素直について来た。
次はこの街で唯一の演劇場で観劇だ。
ストーリーはシンプルで、救国を望むお姫様の願いを叶える為に、勇者がドラゴンに立ち向かうという内容だ。前世のゲームやアニメにも似たような話があるかもしれないな。
ジニーはとても満足したようで、劇が終わると興奮気味に話しかけてきた。
「楽しかった! 私もあんなお姫様に憧れるわ。あのあと、勇者様と絶対に一緒になるもの」
ジニーはまだ余韻に浸っているのか、劇中のお姫様に自分を重ねているようだ。勇者役は誰を想定しているのか聞いてみたいが、ここは、空気を読んで大人しくしておこう。
劇場を出た俺達は、露店をぶらぶらと回って甘い物などを味わう。
終始楽しそうに微笑むジニーはとても可愛らしくて、俺の心をこじ開けそうな威力を持っていた。
この世界での生活に慣れきった俺の常識は既に前世とは大きく変わっているが、流石に成人前の女の子に手を出す事に関しては自制が掛かる。
それ以上に、王家の血を引くというジニーの今後を考えたら、おいそれと平民である俺と関係を深めて本当に良いのかと躊躇してしまう。それに、ジニー本人の意思はともかく、俺を信用して二人っきりにしてくれたグウィンさん達を裏切ってしまう気がする。
そんな小さな迷いを秘める俺だが、今日ジニーを連れ出した一番の目的はしっかり達成したい。
俺はちょうど道沿いに見えた小さな広場の休憩スペースにジニーを誘った。
「ジニー、少し疲れただろ? あそこに椅子があるから座ろうか」
二人して長椅子に腰を下ろすと、ジニーが大きく伸びをした。
「はー、遊び尽くしたって感じね!」
どうやらジニーは結構疲れているようだ。しかし、表情は満足げで、楽しそうに足をぶらぶらとさせている。
「まだ知らない店とか結構あったよな」
「そうね、まだ見てみたいお店はあったけど、もう、陽が落ちはじめそうね。そろそろ帰らないと。我儘ばかり言っては爺達に悪いわ」
なるほど、こうして二人きりになれたのは、ジニーがグウィンさんにお願いしたお蔭なのか。
俺は頃合いを見て話を切り出した。
「ジニー、帰る前に渡したい物があるんだ。受け取ってもらえないかな?」
ジニーは状況が呑み込めず、キョトンとした顔でこちらを見ている。
だが、俺がマジックボックスから小さな箱を取り出すと、段々と期待で表情が明るくなってきた。
俺はジニーの前に箱を差し出して、ゆっくり開けた。
「わぁ……」
ジニーは目をキラキラと輝かせながら箱の中身を見つめている。
彼女の視線の先では、華やかな装飾の施された髪飾りが、ジニーの瞳に負けない輝きを放っていた。形的にはバレッタと呼ばれる物だ。これは、先日アニアのプレゼントを買った店で手に入れた。
見た目重視で選んだが、あしらわれた宝石の中には魔石が含まれている。効果は物理攻撃と魔法への耐性だ。地金にはミスリルも使われていて高級感がある。
アニアと値段の差を付けたくなかったので、同価格の物を選んだ。
「受け取ってもらえるかな?」
「もちろんっ! すっごく嬉しい!」
満面の笑みとはこの事を言うのだろう。ジニーの笑顔を見ていると、自然と俺まで笑みがこぼれた。
俺は髪飾りを箱から出して、ジニーに手渡す。
バレッタはジニーの左耳の上辺りに綺麗に収まった。
「ゼンっ、鏡出して! ……わー、うわー、本当に嬉しい! ありがとう!」
ジニーは俺が手渡した鏡で自分の姿を見ながら、喜びの声を上げた。
「えへへ、へへ……。ふっ、ふへへへ」
ジニーは鏡から視線を外さずに、少し間の抜けたにやけ顔で髪飾りを優しく撫でている。
俺が声を掛けてもほとんど反応せずに、ずっと鏡の中の自分に夢中だ。
気が付くと日が暮れはじめていた。そろそろ帰らないとまずい時間だ。
だが、ジニーは心ここにあらずといった様子なので、帰路は彼女の背中を押して歩く羽目になった。
結局ジニーは家に辿り着くまでずっと鏡から目を離さなかったが、こんなに喜んでくれるのならば、俺もプレゼントした甲斐がある。まあ、今日ぐらいいいだろう。
ジニー達の家の前ではロレインさんが待っていた。
「さっきからずっとこの調子なんで、あとはお願いします、ロレインさん」
俺はジニーをロレインさんに引き渡す。
「お嬢様を籠絡するなんて……! ゼン君、ちゃんと責任は取れるんでしょうね?」
彼女はすっかり骨抜きになったジニーの姿を見て頭を抱えたが、顔は笑っているので許してくれているのだろう。
それにしても、人に聞かれたらあらぬ誤解をされそうな発言だ。
ジニーは鏡を持ったまま、ロレインさんに手を引かれてそのまま家の中へと入っていった。
「んじゃな、ジニー」
別れの挨拶をした俺は、自宅に戻るべく踵を返そうとした。
しかし次の瞬間、閉じかけていたジニーの家の扉が勢いよく開き、中からジニーが駆け出してきた。
ジニーは勢いそのまま俺に抱きついて、顔をぶつけるかのように俺の頬に近付ける。
「うおっ! ど、どうしたんだジニー――って、おいっ!?」
一瞬、ジニーの唇が触れて、頬に柔らかい感触と温もりを感じた。
「今日はありがとうね! またね、ゼンッ!」
ジニーは顔を真っ赤にしてそう言うと、そそくさと家の中へ戻っていった。
まだジニーの唇の余韻が残っている。
……完全にやられた。家路を歩く俺の頬は見事に緩みきっていたのだった。
セシリャと話をした翌日、俺はアニアとアルンを連れて、隣国のシーレッド王国に入り、エゼル王国との国境の街を訪れていた。この街には素材を売りに何度か訪れているのだが、いつも素材を売ったら即帰っていたので、何があるかはよく知らない。
俺の両脇を歩く二人は、それぞれ全く違う話をしている。
「知らない街を歩くと新鮮な気持ちになれますね」
アルンは見慣れぬ街並みに興味をそそられるのか、キョロキョロと周りを見回しながら歩いている。
「う~ん、このお菓子美味しい!」
アニアは両手に持ったお菓子を、歩きながら頬張っている。
今日はダンジョン攻略のご褒美として、この二人の慰安をする為に、朝早くから馬を飛ばしてこの街に来た。好きなだけ買ってやると宣言しているので、アニアは気になった店を見つけると、片っ端から突撃しているのだ。
昼前に街に着いた俺達は、食事の前にぶらぶらと街を歩いている。アニアが食いすぎないか心配なのだが、二人とも楽しそうで何よりだ。
ポッポちゃんもついて来ているが、今日は二人がメインだと伝えると、一羽で西の方に飛んでいってしまった。「暴れるのよー」と息巻いていたから、またどこかの森を岩の槍で爆撃して、遊んでいるのだろう。ポッポちゃんはヤンチャだなあ。
そうこうしているうちに神殿の鐘が鳴り、昼の時間を告げた。
「二人とも何食いたいの? 遠慮はするなよ、高い物を食いに行くぞ!」
「私はお肉がいいのです!」
「僕も肉がいいです」
二人は迷う素振りも見せずに、ほぼ同時に答えた。
「うむ、俺も肉が食いたいです!」
食べたい物は決まったので、街の中心街を目指して歩く。この世界ではたいていの街は中心に行けば行くほど、富裕層が利用する店があるからだ。
ほどなくすると、大きな宝飾品店や奴隷商館等が目に入ってくる。それらを横目に進んでいると、道沿いの一軒の店から、凄まじく香ばしい肉の匂いが漂ってきた。
「ここなのです!」
「ゼン様、ここがいいです!」
「おう、ここだなっ!」
俺達は他の店など目もくれずに、反射的にその店に吸い込まれてしまった。
俺達を見た店員は一瞬怪訝そうな顔を見せたが、とりあえずは愛想よく席に案内してくれる。
まあ、たいして金も持っていないと見える若造三人が高級店に入ってきたのだ。身構えない方が逆におかしい。
席に着いた俺は、おもむろに大金貨を一枚テーブルの上に置き、最高の笑顔で注文をする。
「肉料理を値段が高い順に、五点ほど持ってきてください」
店員さんは金貨を見るなり、慌てた様子で厨房に注文を伝えに行った。
日本の感覚で言うと、百万円の札束をテーブルの上に置いてる感じかな? あまり上品なやり方ではないが、俺達は外見が子供だし、変に疑われない為には良い方法だと思う。
運ばれてきた料理はどれも満足のいく味だ。ただ、調子に乗って高い順なんて言ったせいで、最後にワイルドブルを丸々一頭分使用した料理が運ばれてきた。流石にこれは食べきれない。
料理を見た瞬間、三人ともやっちまったという表情で顔を見合わせてしまった。
結局その料理は七割も残す羽目になったが、自前の皿に移し替えて全てマジックボックスに収納した。気分はタッパーでお持ち帰りだ。
店を出た俺達は、膨れた腹を撫でながら、同じ通り沿いにある店で買い物でもしようと散策をはじめた。
「二人は欲しい物とかないのか? 予算は……一人大金貨二枚までは好きなだけ買っていいぞ」
「ダンジョン攻略のご褒美で、もう大金貨一枚もらったのです……」
「そうですよ、ゼン様は甘すぎます!」
この世界では奴隷に褒美をあげるのは珍しくないが、大金貨ともなるとやりすぎらしい。二人はそれを気にして固辞しようとする。
俺にとって二人は奴隷というよりも、弟や妹みたいな感覚だから関係ないんだけど。
「俺が買ってあげたいと思ってるんだから、良いじゃないか。お前らが自分の事を奴隷だと思ってるなら、ご主人様の望みを叶えてくれよ」
「うぅ、それを言うのはズルいのです!」
「ご命令なら従います。けど……ゼン様、本当にズルいです」
「ズルいってなんだよ……」
そんな事を言っている二人だが、いざ買ってもらえるとなると、辺りの店をソワソワと見回しはじめた。この辺はまだまだ子供丸出しで可愛いな。
欲しい物を先に決めたのはアルンだった。
アルンはこの街で一番大きな書店に入ると、壁際の本棚に吸い寄せられるようにして次々と本を選んでいく。『ブラーシュ写本』『貴族の暮らし』『戦術学入門』、そして最後に『白バラ物語』。
『貴族の暮らし』と『戦術学入門』の二冊は名前の通りの内容で、俺にも分かる。
『ブラーシュ写本』とは、遠い東にあるガイサ帝国の冒険家であるブラーシュという人がかなり昔に書いたとされる冒険譚の複製で、数多くの魔物達の情報や地域の特性等が書かれている本だ。自身の経験を物語にした本なのだが、その情報は事実に基づいているので、冒険者なら一度は読むべきと言われている。
最後の『白バラ物語』はよく知らないが、表紙を見る限り恋愛物みたいだ。
「なあ、アルン。それ恋愛物みたいだけど、お前興味あるの?」
つい気になって聞いてしまった。
「あー……ナディーネ姉さんが読みたいって言ってたから……駄目ですか?」
アルンは少し視線を逸らして、ちょっと恥ずかしそうに答えた。
「駄目じゃねえぞ! 絶対買うんだ!」
その恋に目があるのか俺には分からないが、応援だけは全力でしてやりたい。
本は四冊で大金貨一枚と金貨八枚になった。それなりの値段だが、この世界で本は全て写本だから物凄く高いのだ。その中でも特に『白バラ物語』は、装丁などの作りが他の物と比べると数ランク上で、最も高価な本だった。
本を受け取ると、アルンは笑顔で自分のマジックボックスに収納した。本を渡した時のナディーネの顔でも思い浮かべているのだろう。
続くアニアは、俺の手を引いて一軒の宝石店へと誘った。
最近色気付いてきたと思ったら、宝石店とは恐れ入る。いや、女の子が興味を持つものといったら、スイーツとおしゃれが相場か。流石にお菓子で大金貨二枚分買うのは不可能だしな。
商品選びは目を輝かせているアニアに任せて、俺とアルンは店内の椅子に腰を下ろす。
「アルン、先に言っておくが、アニアの買い物は、予算を超えても出してやるつもりだから、怒るなよ?」
アルンは気にしないだろうけど、一応先に断っておく。
「アニアに対して嫉妬なんてしませんよ。むしろ贔屓してやってください」
二人で他愛もない会話をして、待ち続ける事三十分。
アニアは品物を前にうーん、と唸り続けている。そろそろ一押しが必要かと思い、俺は席を立つ。アニアの背後から顔を出して購入候補のアクセサリを覗き込む。
余程集中しているのか、相当顔を近付けてもアニアは俺に全く気が付いていない。驚かすといけないので、そっと両手で肩に触れる。
「あっ……もしかして、凄くお待たせしちゃったですか……?」
高価な買い物をするのだから悩んで当然だ。それに、女性の買い物は時間が掛かるというのはどこの世界も同じで、俺も慣れている。延々と色々な店に連れ回されるパターンじゃないだけマシだ。
「真剣に選んでるんだから、時間は気にしなくていいよ。どうだ決まりそうか?」
「ここにある物にするつもりなのですが、決められなくて……。魔法強化と魔法防御、どちらを選んだ方が良いですか?」
「ん? デザインで悩んでるんじゃないの?」
「デザインはどれも綺麗なので気にならないのです。この前の攻略でまだまだ力不足だと感じたので、今は性能の方が大事なのです」
「なる……ほど」
ディスプレイに飾られている品物を見てみると、普通のアクセサリと同じように、魔石がはめ込まれたマジックアイテムが並んでいる。どれも綺麗な宝石や金属で彩られていて、宝飾品として見劣りする物ではない。
「なんなら両方買っても良いぞ。今後のアニアには期待しているからな」
「予算を超えちゃうのです……」
装備の強化は役に立つから、本人が欲しいなら買ってあげたい。そんな俺の発言を受けて、今までアニアの相手をしていた店員のお姉さんの目が光った。
「お客様、それでしたらこちらのネックレスはいかがでしょうか? 魔法の威力強化、魔法耐性強化の魔石をあしらっています。見た目はそこまで派手ではありませんが、お客様がお求めの機能は備わっていますよ。こちらなら、お嬢様の可愛らしさを際立たせ、更に装備としての性能も十分ご満足頂けるかと」
うむ、実際に金を払う奴を落としに来ているな。店員の行動としては正しいぞ! まあ、彼女の言う通り性能も申し分ないし、見た目も十分綺麗だ。
――よし、鑑定結果も問題ない。
「アニア、これはどうだ?」
「うぅ、それは高いのです……。私も最初はそれが良かったですけど……」
「お姉さん、コレの値段は?」
「大金貨三枚と金貨二枚になります」
うん、この程度なら許容範囲だ。
「じゃあ、これください。アニアも良いよな?」
「……良いのですか?」
「良いに決まってるだろ。アニアにはいつも助けてもらっているからな」
「ゼン様ッ!」
「うぉっ!」
アニアが突然抱きついてきた。
普段から結構スキンシップは取ってくるけど、ここまで激しくされたのは初めてだ。俺はアニアに抱きつかれたまま、腕だけをカウンターへと伸ばし、店員のお姉さんに代金を渡した。
「ふふ、ありがとうございます。お支払い確認致しました。すぐにお着けになりますか?」
アニアは俺の胸に顔を埋めたまま、頭だけを動かして返事をした。
「それではお客様、是非お嬢様に着けてさしあげてください」
店員のお姉さんは、俺にネックレスが載っている銀のトレイを差し出す。
俺は言われるがままにネックレスを受け取り、アニアの首に手を回してネックレスを着けてあげた。
アニアの白く細い首に収まったネックレスは、メインとなる黒い魔石の周りに多数の小さな宝石が添えられている少し大人しいデザインだ。しかしそれもアニアの首元にあると、なんだか華やかに見えた。
アニアはネックレスを見つめながら、優しく指で触れている。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「ゼン様……ありがとうございますっ!」
顔を真っ赤にしたアニアは、瞳を潤ませながら俺に礼をした。
「どういたしまして。アニア、似合っているよ。とても可愛い」
俺がそう言うと、アニアは恥ずかしそうに、だがまっすぐに俺を見つめた。その熱の篭った視線に、俺は思わず固まってしまった。アニアってこんなに可愛かったっけ……?
この手の事は前世で何度も経験しているから、もっと冷静に対応出来ると思っていた。だが、妹のようなアニアがここまで〝女の子〟を見せたのは初めての事で、今すぐこの子を抱き締めたいという、抑えきれない思いが湧き上がってくる。
ふと、店員さんの視線を感じて、俺は頭を振ってなんとかその状態から脱する事が出来た。
「んじゃ……行こうか?」
俺がそう言うと、アニアは何も言わず一度だけ頷いて俺の横に並んだ。そして、俺の腕を抱きかかえて放さない。果たしてこんなにくっついて良いのかという迷いもあるが、今はアニアと離れたくなかった。
俺は気持ちを切り替え、アニアの手を握って店から出ようとした。
「ゼン様、僕の事を忘れてませんか?」
後ろからアルンに呼び止められる。
――ごめん。完全に忘れていた。
「……アルンも手をつなぐか?」
「それはいいです」
俺はお詫びの意味で空いている方の手を差し伸べたのだが、冷静に拒否された。
結局、アニアは終日俺から離れなかった。
悪い気はしないので受け入れたが、俺にとっては少し毒だ。このモンモンとした思いがヤバい。なんか青春時代を思い出す。
帰り道ではアニアを抱きかかえて馬に乗る事になった。アニアは俺の胸元にひっついてネックレスを眺めては、度々俺に微笑みかけてくる。
「あれ……? ゼン様、そういえばポッポちゃんは?」
うむ、忘れてた。俺は相当浮かれているようだ。
その後、ポッポちゃんはすっきりした顔つきで「ボコボコ、ドンドンにしてやったのよー」と、鳴きながら帰ってきたが、俺は彼女を小一時間ほど撫で続けて罪滅ぼしをした。
◆
隣国の街で遊んだ次の日、俺はジニーを食事に連れ出す為に彼女の家を訪問した。
何日か間があったので、一見するとジニーは普段通りに思える。しかし、それでもこの前の事を引きずっているのか、若干距離を感じた。
まあ、護衛のロレインさんもついて来るだろうから、間に入ってもらえばすぐに元に戻るだろう。
今回のお誘いは単に昼飯をご馳走してブラブラするだけの、至って健全なものだ。
とはいえ、今日は少しばかり気取ってみる事にする。
ジニーを迎えに行く道すがら、花屋に寄って花束を買っておいた。
ドアノッカーを叩くとロレインさんが出てきたので、軽く挨拶を交わしてジニーを呼んでもらう。
待っている間、ドアの向こうからエアの気配が近付いてきた。だが、今日は顔を見せようとしない。物陰に隠れてこちらの様子を窺っているみたいだ。俺に気付かれまいとしているらしいが、あいつは俺の探知スキルの力を忘れているのだろうか?
ほどなくすると、ジニーが姿を現した。
いつもの訓練着姿とは違って、スカートを穿いている。普段はポニーテールにしている髪も下ろしているので、大分印象が違う。
「今日はスカートなんだね。それに髪を下ろしてるのも珍しいな。とても可愛いよ」
女の子の変化は、とにかく褒めるべきだ。これは俺自身の経験に裏付けられている。
だがそれを抜きにしても、今日の為にめかし込んでくれたジニーを褒めずにはいられない。だって、本当に可愛らしいのだから。
「あ、ありがとう。ロレインがやってくれたのよ。さあ、早く行きましょ。さっきから兄様がずっとこっちを見ているのよ」
普段は仲の良い兄妹でも、この手の事は見られるのが嫌らしい。兄様がという言葉に少し険があった。デバガメなんかしてると、嫌われちゃうぞ、エア。
持ってきた花束を渡すと、ジニーはふへっと情けなく相好を崩した。
一頻り花の色や香りを楽しむと、後ろに控えていたロレインさんに「生けといて」と一言添えて花束を渡した。
「さあ、さあ、行くわよ、ゼン!」
ジニーは俺の背中を押して家から遠ざけようとする。
少し家から離れてから、二人で並んで歩く。
「なあジニー、今日は一人なのか?」
「そうよ。ゼンといるなら護衛は必要ないだろうって」
なるほど……。この街は治安が良いし、今の俺の力を考えれば大して不安はない。だが、改めて女の子を預かっていると考えると、身が引き締まる思いだ。
「じゃあ、早速お店に行こうか」
俺がそう言うと、ジニーは何も言わずこくりと一つ頷く。素直でいいのだが、いつもの元気っ子が鳴りを潜めている事に、なんだか少し寂しくなってしまった。
雑談を交わしながら道を進んで行く。会話は普段通りで滞る事はないのだが、やはりどこか大人しい。
ほどなくして目的の店に着いた。
「小さいけど、素敵なお店ね」
ジニーの感想通り、俺が選んだのは個人経営の小さな店で、この街では中の上くらいのレベルだ。既に下調べしてあって、女の子を誘うのにも適しているのは確認済みである。
予約をしていたので、料理はすぐに運ばれてきた。
この店にコースはないが、前世の記憶を頼りに出してもらう皿の順番を伝えてある。その甲斐もあって、料理が運ばれてくる度に会話が盛り上がった。
「ははは、子供の頃のエアは、結構荒っぽかったんだな」
「ゼンと訓練をはじめた頃から、真面目に落ち着いた振る舞いをする事が多くなったわね」
ジニーの態度や会話が少しずつ元通りになってきた。そこで俺は、今日抱いていた違和感を、改めて尋ねてみる事にした。
「なあ、ジニー。なんで今日は少し大人しいんだ?」
「……なんでって、ゼンはこの前みたいな私が好きなのかなって」
あぁ、ジニーはあの時の俺の対応を良かったと感じたのか。
「お淑やかなジニーも可愛いけど、普段のジニーの方が俺は好きだな」
「そ、そうかしら。ふーん、そうなんだ。ふーんっ!」
俺の一言でジニーが赤くなりはじめた。流石に「好き」は軽はずみだったか。本当にジニーは耐性がないな……。やりすぎて、この前みたいにいきなり逃走されてはかなわない。
俺はすぐに話題を変えて、美味い食事に舌鼓を打った。
「本当に美味しかったわ! ゼン、ごちそうさま」
すっかり調子の戻ったジニーが、太陽のような笑顔でお礼を言ってくれた。
やはり女の子との食事は楽しい。
「また食べに来たいな。今度はジニーが選んだ料理を出してもらおうぜ」
俺はさりげなく次回のお誘いをしておいた。
「ふふ、そうね。また来たいわ」
はにかむジニーの手を取って、俺は次の目的地に向かう事にする。
「ねえ、ゼン。このあとはどこに行くの?」
「それは着いてからのお楽しみかな」
「えぇ~、教えてよ!」
ジニーは少し戸惑った様子だが、俺が何も言わずに笑っていると、諦めて素直について来た。
次はこの街で唯一の演劇場で観劇だ。
ストーリーはシンプルで、救国を望むお姫様の願いを叶える為に、勇者がドラゴンに立ち向かうという内容だ。前世のゲームやアニメにも似たような話があるかもしれないな。
ジニーはとても満足したようで、劇が終わると興奮気味に話しかけてきた。
「楽しかった! 私もあんなお姫様に憧れるわ。あのあと、勇者様と絶対に一緒になるもの」
ジニーはまだ余韻に浸っているのか、劇中のお姫様に自分を重ねているようだ。勇者役は誰を想定しているのか聞いてみたいが、ここは、空気を読んで大人しくしておこう。
劇場を出た俺達は、露店をぶらぶらと回って甘い物などを味わう。
終始楽しそうに微笑むジニーはとても可愛らしくて、俺の心をこじ開けそうな威力を持っていた。
この世界での生活に慣れきった俺の常識は既に前世とは大きく変わっているが、流石に成人前の女の子に手を出す事に関しては自制が掛かる。
それ以上に、王家の血を引くというジニーの今後を考えたら、おいそれと平民である俺と関係を深めて本当に良いのかと躊躇してしまう。それに、ジニー本人の意思はともかく、俺を信用して二人っきりにしてくれたグウィンさん達を裏切ってしまう気がする。
そんな小さな迷いを秘める俺だが、今日ジニーを連れ出した一番の目的はしっかり達成したい。
俺はちょうど道沿いに見えた小さな広場の休憩スペースにジニーを誘った。
「ジニー、少し疲れただろ? あそこに椅子があるから座ろうか」
二人して長椅子に腰を下ろすと、ジニーが大きく伸びをした。
「はー、遊び尽くしたって感じね!」
どうやらジニーは結構疲れているようだ。しかし、表情は満足げで、楽しそうに足をぶらぶらとさせている。
「まだ知らない店とか結構あったよな」
「そうね、まだ見てみたいお店はあったけど、もう、陽が落ちはじめそうね。そろそろ帰らないと。我儘ばかり言っては爺達に悪いわ」
なるほど、こうして二人きりになれたのは、ジニーがグウィンさんにお願いしたお蔭なのか。
俺は頃合いを見て話を切り出した。
「ジニー、帰る前に渡したい物があるんだ。受け取ってもらえないかな?」
ジニーは状況が呑み込めず、キョトンとした顔でこちらを見ている。
だが、俺がマジックボックスから小さな箱を取り出すと、段々と期待で表情が明るくなってきた。
俺はジニーの前に箱を差し出して、ゆっくり開けた。
「わぁ……」
ジニーは目をキラキラと輝かせながら箱の中身を見つめている。
彼女の視線の先では、華やかな装飾の施された髪飾りが、ジニーの瞳に負けない輝きを放っていた。形的にはバレッタと呼ばれる物だ。これは、先日アニアのプレゼントを買った店で手に入れた。
見た目重視で選んだが、あしらわれた宝石の中には魔石が含まれている。効果は物理攻撃と魔法への耐性だ。地金にはミスリルも使われていて高級感がある。
アニアと値段の差を付けたくなかったので、同価格の物を選んだ。
「受け取ってもらえるかな?」
「もちろんっ! すっごく嬉しい!」
満面の笑みとはこの事を言うのだろう。ジニーの笑顔を見ていると、自然と俺まで笑みがこぼれた。
俺は髪飾りを箱から出して、ジニーに手渡す。
バレッタはジニーの左耳の上辺りに綺麗に収まった。
「ゼンっ、鏡出して! ……わー、うわー、本当に嬉しい! ありがとう!」
ジニーは俺が手渡した鏡で自分の姿を見ながら、喜びの声を上げた。
「えへへ、へへ……。ふっ、ふへへへ」
ジニーは鏡から視線を外さずに、少し間の抜けたにやけ顔で髪飾りを優しく撫でている。
俺が声を掛けてもほとんど反応せずに、ずっと鏡の中の自分に夢中だ。
気が付くと日が暮れはじめていた。そろそろ帰らないとまずい時間だ。
だが、ジニーは心ここにあらずといった様子なので、帰路は彼女の背中を押して歩く羽目になった。
結局ジニーは家に辿り着くまでずっと鏡から目を離さなかったが、こんなに喜んでくれるのならば、俺もプレゼントした甲斐がある。まあ、今日ぐらいいいだろう。
ジニー達の家の前ではロレインさんが待っていた。
「さっきからずっとこの調子なんで、あとはお願いします、ロレインさん」
俺はジニーをロレインさんに引き渡す。
「お嬢様を籠絡するなんて……! ゼン君、ちゃんと責任は取れるんでしょうね?」
彼女はすっかり骨抜きになったジニーの姿を見て頭を抱えたが、顔は笑っているので許してくれているのだろう。
それにしても、人に聞かれたらあらぬ誤解をされそうな発言だ。
ジニーは鏡を持ったまま、ロレインさんに手を引かれてそのまま家の中へと入っていった。
「んじゃな、ジニー」
別れの挨拶をした俺は、自宅に戻るべく踵を返そうとした。
しかし次の瞬間、閉じかけていたジニーの家の扉が勢いよく開き、中からジニーが駆け出してきた。
ジニーは勢いそのまま俺に抱きついて、顔をぶつけるかのように俺の頬に近付ける。
「うおっ! ど、どうしたんだジニー――って、おいっ!?」
一瞬、ジニーの唇が触れて、頬に柔らかい感触と温もりを感じた。
「今日はありがとうね! またね、ゼンッ!」
ジニーは顔を真っ赤にしてそう言うと、そそくさと家の中へ戻っていった。
まだジニーの唇の余韻が残っている。
……完全にやられた。家路を歩く俺の頬は見事に緩みきっていたのだった。
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