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3巻
3-1
しおりを挟む第一章 月日と再会
「あー、見えてきましたよ、ゼン様! おっきい壁なのですっ!」
「うわぁ、凄いなぁ。僕あんなの初めて見ました」
双子のアニアとアルンが興奮気味に前方を指さした。可愛らしい顔立ちで二人とも女の子に見えるが、アルンの方はこれでもれっきとした男の子だ。
肩に手を添えて二人が荷馬車から落ちないように支えながら、俺――ゼンも前方に近付いてきた巨大な城壁を眺める。
「いやー、これは壮大だな。イヴリンより大きいんじゃないか、この街」
日本からこの世界に転生してからというもの、今まで俺が訪れた事のある大きな街といえばイヴリンくらいなのだが、ここから見てもあの街の倍近くはあるように見える。
森で亜人達と一緒に自給自足で暮らしていた俺からすると、まだまだこういう大都市は新鮮だ。
シーレッド国のコーソック村を出てから約一ヵ月。長旅の末、俺達はようやくエゼル王国に属する国境の街ラーグノックの手前までやって来た。
俺は今、冒険者ギルドの依頼で知り合った少女――ナディーネと、その家族と行動を共にしている。
彼女は以前から性質の悪い貴族に目を付けられていて、そのせいで一家は数々の嫌がらせを受けていた。結局彼女が奴隷として身売りする事態にまで発展してしまい、俺がイヴリンの街まで出向いて強引に買い戻したのだ。双子のアニアとアルンも、イヴリンの奴隷商館にナディーネと一緒にいたところを助けたのが切っ掛けで、この旅に同行している。
ナディーネの一家は貴族の手から逃れるべく、それまで暮らしていたコーソック村を出て、新たな生活の場を求めて西に向かったのだが、この貴族も諦めなかった。
ゴロツキを従えて追ってきた彼らと争いになり、最後は俺が全員始末した。とりあえず、これでもう彼女が危険な目に遭う事はないだろう。
ただ、いくら向こうから手を出してきたからといっても、貴族殺しは重罪だ。念の為、俺達は大きな街を避けて、点在する小さな村に寄りながら、旅を続けた。
今のところ追手などは特になく、指名手配もされていないみたいだ。
貴族やその護衛の死体や持ち物は、一度回収してから森に捨ててきた。
死体はすぐに狼が群がって胃袋に収めてしまったので、万が一遺品が見つかっても、森に入って魔獣や亜人にでも殺されたと思うだろう。
まあ、そうあって欲しいという願望ではあるけどね……
ちなみにナディーネの奴隷契約は既に解除してある。
アニアとアルンの契約も解除しようと思ったのだが、二人とも絶対にやめてくれと言ってきかなかった。一ヵ月も一緒にいれば当然、俺が見捨てる事はないと分かっているらしいが、二人にしてみれば、奴隷契約は彼らと俺を結びつける拠り所なのかもしれない。
ナディーネと母親のマーシャさんが、二人乗りしている馬の背で不安の言葉を漏らす。
「お母さん、大丈夫よね……? 途中の村でも移民の受け入れはしてるって言ってたし」
「そうねえ。この前寄った村ではそう言ってたけど……でも、あの壁を見ちゃうと不安になるわね。私も初めての他国だし、ちょっと怖いわ」
そんな二人の心配をよそに、ナディーネの妹のミラベルは、俺の相棒――大鳩のポッポちゃんを両手に抱いて無邪気にはしゃいでいる。
「ねえ、ゼン兄ちゃん見えないっ! 肩車して! ポッポちゃんも見たいよねー?」
ポッポちゃんは残念ながら片方の羽を失っており、普通の鳥のように飛ぶ事は出来ない。
「よし、ミラ乗れ!」
最近は随分甘えん坊になったミラベルを肩車してやり、荷台の上に立つ。
はじめて見る異国の街の壮観な景色に、ミラベルは一段と大きな歓声を上げた。
国境に位置しているラーグノックは、街というより前線基地としての性格が強い。その象徴である街を囲う城壁は、かなり堅牢な造りで、見る者に威圧感を与える。
シーレッド王国とエゼル王国は、数年前まではあまり良い関係ではなかった為、俺たちはすんなり街に入れてもらえるか不安に思っていた。
だが、先日立ち寄った村で聞いた話では、通行税を支払えば通れるとの事だった。移民も特に珍しい事ではなく、住居も借りられるらしい。
街に入る為に列に並び、一時間ほどするとやっと城壁の真下まで来る事が出来た。
「通行税は一人銀貨五枚だ。荷物がないみたいだが、一家で買い物かな?」
門番のおっさんが、俺から通行税を受け取って笑顔を見せる。
「いえ、移住しようと思ってます」
「ほうほう、下見かな? ようこそエゼル王国へ。しっかりしたお兄ちゃんだな! はははっ」
どうやら移民が簡単に受け入れられるのは本当の事らしく、どこから来たとか、仕事はどうするんだとか、世間話程度の簡単な審査だけで通してくれた。
この街を囲う城壁の威圧感とのギャップに、なんだか拍子抜けしてしまう。皆も同じようで、マーシャさんとナディーネは肩の力が抜けたのか、渇いた笑い声を上げていた。
◆
無事入国を果たし、俺たちは最初の一ヵ月程を宿屋に部屋を取って過ごす事にした。
その間に、これからどうやって生計を立てるか、他にも住むのに適した街はないのか等、色々と検討する為だ。
なんだかんだでラーグノックは治安が良く、物流も多く街に活気が満ちている事が分かり、俺達はこの街で家を借りる事に決めた。
現金は先日ナディーネを助けた際に大分使ってしまったのだが、俺はまだ北の森で手に入れた地竜の素材をかなりの量所持している。
俺は単独で一度シーレッド王国まで戻り、冒険者ギルドで換金してきた。
何故わざわざシーレッド王国まで戻ったかといえば、新天地のギルドに希少な素材を持ち込んで目立ちたくなかったからだ。冒険者ギルドは世界共通のシステムを使っているが、各国のギルドが有力な冒険者の情報を他国に流す事はあまりないんだとか。
地竜の鱗は思っていたより価値があり、大きい物で大金貨一枚、小さい物でも金貨五枚になった。加工に技術は必要だが、優秀な防具の素材であるらしい。
換金所の爺さんが他にも何か持っていないかとしつこく詰め寄ってきたので、仕方なくドラゴンの睾丸を片方提供したら、合計で大金貨三十枚になった。
案の定というか――ギルドマスターが出てきて勧誘が始まったので、現金を受け取った俺は逃げるようにラーグノックに戻ってきたというわけだ。
そうして作った金で借りた家は、六人で住んでも大分余裕を持って生活出来る程の大きさで、広い庭には倉まである。年に大金貨二枚の家賃だったが、元日本人の俺の感覚からしたら、大豪邸だ。
これでもラーグノックでは中の下程度のランクなのだそうだけど、今後更に大きい家が必要になるとは思えない。
とりあえずマーシャさんの名義で五年分の家賃を払っておいた。
俺が家賃を出すと言うと、マーシャさんはかなり抵抗をしたが、もし俺に何かあった時には、アニアとアルンを世話してもらうって事で納得してもらった。俺はずっとこの街にいるつもりはないし、結構危険な事に首を突っ込むからね。
家具を買いに出かけた時、ナディーネが頭を抱えながらこんな事を言っていた。
「助けてもらった借りを返そうと思ってるのに、更に積み上げられていくんだけど……。ゼン君は私達をどうするつもりなの!?」
「一緒に住んで家事をしてくれるんでしょ? 別に借りにはならないよ。それとも一緒に住むのが嫌なの? 皆に個室があるし、プライバシーもばっちりでしょ?」
俺が好きでやってる事なんだから、これでいいと思うんだよね。今更借りを返してもらう気はない。どうしてもそれじゃ気が済まないなら別だけど。
アニアとアルンも二人揃ってナディーネを諭す。
「ナディーネお姉さん、ゼン様は寛大なのです」
「そうだよ、ナディーネ姉さん。ところでアニア、寛大って意味分かってるの?」
「なっ!? ゼ、ゼン様はすごいって事なのです!」
こんな微笑ましいやり取りを続けながら、俺達は新天地で日常を取り戻しつつあった。
生活の基盤を整える過程で、街の周囲にどの程度の亜人や魔獣がいるのか調べたりもした。
ラーグノックの周辺では、常にこの領地の兵が訓練を兼ねた討伐を行い、亜人や魔獣が一定以上増えないようにして安全を維持しているみたいだ。
あえて全滅させないのは、それを狩って生活の糧にしている人達への配慮らしい。この街を治めている侯爵様ってのは、なかなか出来た人なのかもしれない。
ただ、俺としては儲けも少ないし、危険な敵がいなくて少し物足りない。まあ、それは俺が街から離れて狩りをすればいいだけの話だろう。
住む家を手に入れて、金銭的にもまだまだ余裕がある。しかし、いつまでもドラゴン貯蓄に頼る訳にはいかないので、俺は今後の糧を稼ぐべく、次の手を打つ事にした。
まず俺は、この街にある奴隷商館へと足を運んだ。
以前から考えていた、食器作りを商売として行うならばどうしても人手が必要になるからだ。
俺がよく行く魚屋では、店員に奴隷を使用していた。そこの親父さんと少し話してみたのだが、長く人を使うなら雇うよりも奴隷を購入した方が安上がりだという話だ。
今でも奴隷制度には思うところはあるのだが、ナディーネの一件で自分なりに整理して、ある程度割り切って考えられるようになっている。要は俺がちゃんとした衣食住を提供すればいいって事だ。
それに、ナディーネ一家は女所帯で皆容姿が良い。もし他に男が同居する事になったら彼女達も不安があるだろう。その点、奴隷契約があれば間違いも起こりっこない。
この街の奴隷商の店もイヴリンと同様に、高級店が立ち並ぶ区画に存在していた。
門番に案内されて部屋で待っていると、店主が現れて丁寧に挨拶された。
口元に蓄えた髭が特徴的で、いかにも紳士という落ち着いた物腰の男性だ。
今回俺が欲している奴隷の条件を伝えると、彼は結構な人数の奴隷を連れて来た。人族以外にもエルフや獣人等、街中ではあまり見かけない種族の姿もある。
「こちらがお客様のご要望に沿った奴隷達です。手に職を持っている者との事でしたので、皆生産系スキルを所持しております」
並べられた奴隷達の胸にはそれぞれ番号が付けられていて、奴隷商から渡されたリストと照らし合わせれば、価格や保持しているスキル等が分かる。
「これ良いシステムですね。分かりやすくて助かります」
「彼らを買う方々は、ほぼ全て商売などに使われますので、このような形式にいたしました。実は、とある商人の方にご提案して頂いたシステムなのですが、好評で私共も助かっております」
口髭を指で整えながら説明する奴隷商の紳士さんは、心なしか得意気に見える。
俺はリストの中から数人をピックアップして、直接話してみる事にした。
まず一人目だ。男性・四十九歳・元木材製品店経営者。
「へえ。小さい店ですが、加工した木材製品を売っとりました。ええ、そうです。自分と弟子達で加工した物でございます。スキルレベルは大工と細工が3でございます」
このオッチャンはどうやら賭け事で意地になって全財産を失ったらしい。店を失うわ、家族には逃げられるわで、自暴自棄になり働かなくなった挙句、税を払えずに奴隷になったという事だ。本人曰く、ここの奴隷商の店主さんと話すうちに立ち直ったらしい。
次も男性・九十七歳・元なんでも屋。
商売に失敗して、借金が返せなくなり奴隷落ちしたこの人。いや、人じゃない――エルフは、九十七歳ながら、人間でいえば三十代にも満たないと思わせるほどに若々しい外見をしている。
「いやー、年甲斐もなく商売をしてみようと思ったのですが、これがなかなか難しくて……失敗してしまいました、ははは。あっ、そうですか? これでも仲間からは老けてるって言われるんですけどね。恥ずかしながら、スキルレベルは全て2と低いのですが、錬金、大工、細工に弓術を扱えます」
俺のエルフに対するイメージは、知的で思慮深い種族だったのに、この人は勢いで商売を始めちゃったのか。結構チャラい感じがして興味深い。
最後の一人は女性・十五歳・元家事手伝い。
正直に言おう、この子は完全に見た目で選んだ。
「は、はい! 小さい頃から家で売る商品を作っていたので、スキルを覚えました。えっ、可愛いですか!? さ、触っ――? 駄目です! お触りは禁止です! 触りたかったら、買ってからにしてください!」
うむ、可愛い。だって、今俺の目の前には、俺より小さい二足歩行をする猫ちゃんがおられるのだぞ!! 獣人の中でもかなり獣要素が強いタイプだ。
この子は、家の商売が立ち行かなくなり、家族を助ける為に自ら奴隷商へと足を運んだらしい。
お蔭で彼女の家族は農民として再出発出来たとの事だ。
スキル的にもお値段的にも、今回はこの三人を選んだ。
「合計すると、三人で大金貨七枚ですか?」
「お客様とは今後とも良いお付き合いをさせて頂きたく思っていますので、そうでございますね……大金貨六枚でいかがでしょう?」
おぉ、まけてくれるなんて、やるじゃない。人についた値段ってところは、微妙な感じもするけど……安くなるに越した事はない。浮いたお金は三人の生活用品の購入に回せばいいか。
「それでは、この三人をお願いします」
こうして俺は、新たに三人の奴隷を購入した。
家に帰る道すがら、改めて皆で自己紹介をする。
まずは木材製品店のオッチャンが口を開いた。
「あっしはマートと申しやす。坊ちゃん、よろしくおねげえしやす」
「オーレリーです。若いのにご立派で、ご主人様とお呼びすれば――あぁ、分かりました。若様、よろしくお願いしますね」
エルフのオーレリーが爽やかな笑顔を見せる。
「ごしゅ――あっはい。ゼン様、レイレです。よろしくお願いします。ん? よろしくお願いしますニャ。こ、これで良いですか? 手を繋ぐんですか? もうゼン様に買われたのですから、好きにしてもらっても良いのですが、何か私だけ注文多くないですか?」
レイレの反応がいちいち可愛いので、つい調子に乗って色々リクエストしてしまった。
途中、目に付いた店に寄って、三人の生活用品を買い漁る。
ベッド等の家具も買おうとしたのだが、それはマートさんに止められた。
「家具はあっし達にお任せくだせえ。三人いれば自分達で作った方が安く上がりやす」
「あぁ、そうですね。マートさんが親方になれば簡単かもしれないな。若様、そうしましょう。私達なら最初は床の上で十分ですから」
流石職人だ。自分で作ろうという発想が凄い。しかし、男共は床の上でもいいけれど、俺の大事なレイレにはそんな事させられない。当分はアニアと一緒に寝かせようかな。
夕食の時間になり、ナディーネ達と一緒に、今日新たに加わった三人も食卓に着いた。
「よし、皆揃ったね。んじゃ、いただきます」
早速目の前の料理にかぶりつこうとしたところで、マートさんがおずおずと尋ねてきた。
「あの……坊ちゃん、あっしらも一緒に食べて良いんですかい? しかも同じ物なんて……」
「一緒じゃないと後片付けとか面倒だし、分けて作る方が余計に手間ですよ」
「い、いやそういう意味じゃ……」
オーレリーさんは気にしていないらしく、口ごもるマートさんを横目に、肉料理に舌鼓を打っている。なるほど、菜食主義っぽいイメージがあったけど、エルフも肉を食うのか。
「まあまあ、マートさん。若様もこう仰ってるんですから、受け入れましょうよ。いやー、久しぶりの肉だ。とても美味い!」
「あのぉ、ゼン様。なんで私だけ魚が用意されてるんでしょうか?」
レイレには俺が特別に魚を用意した。猫といったら魚でしょ?
「レイレは魚が嫌いなの?」
「いえ、大好物ですが、私だけ頂く訳には……」
「なら半分俺に頂戴よ」
「っ! 分かりました、任せてください! 骨は全て取り除きます。私これ得意なんですよ」
そう言ってレイレはフォークを使って器用に魚の骨を取り始めた。
凄い! 人間でもなかなか出来ないぞ。
獣人だから猫ではないんだけど、見た目は完全に猫だから、なんか新鮮。
でも、口に出したら失礼だろうし、俺の心だけで留めておかないとな。
俺が感心して眺めていると、妙な対抗意識を燃やしたアニアが、自分の皿の肉から骨を取って渡してきた。
「ゼン様、私もお肉の骨を取ったのです! 食べてください! あっ……」
うっかり者のアニアは、俺に肉を渡した直後に自分で食べる分がなくなった事に気付いたようだ。
「骨って……一本取っただけじゃん!」
アニアが悲しそうな顔をしていたので、俺は突っ込みつつも自分の手つかずの肉を差し出して交換した。
その間も、アルンは我関せずといった様子で黙々と食べ続けている。たまにさりげなく、ミラベルが残した苦みのある野菜の回収を行っていた。
「お二人は倉で寝泊まりしてもらうのよね? ベッドがないけど、本当に良いの?」
ナディーネは男二人の寝床を心配していた。
「マートさんが自分で作るってさ。しばらく床だけど、それでいいって。あっ、レイレはベッドが出来るまでの間はアニアと寝てな」
「分かりました。よろしくねアニア」
「うん、よろしくなのです」
アニアは素直に頷いた。先ほどはレイレに対抗意識を燃やしたみたいだが、別にいがみ合う気はなさそうだ。性格的に普段からあまり人と対立する事もないからね。
マーシャさんはパンを頬張りながらも、皆の皿が空になっていないかしっかり気を配っている。
「それにしてもゼン君、一度に三人も奴隷を買うなんて凄いわね。何をやるか知らないけど、私達も手伝える事は全部やるから、遠慮せずに言ってね?」
彼女はそう言うが、今でも家事全般をしてくれているので、これ以上負担を掛ける気はないんだよね。本人は少しでも恩を返すつもりなのだろうが、何もしないでも掃除も食事も用意されているこの生活は、俺にしたら楽過ぎるぐらいなので、丁寧に断っておいた。
生活も落ち着き、奴隷だが従業員も加わった。
ようやく動き出せる事を期待して、俺は明日からの予定を考えながら眠りに就いたのだった。
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