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第九章 戦役
十六話 エクター奪還
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森の隙間から、前方のに広がる草原を眺めていると、偵察に出ていたポッポちゃんが戻ってきた。腕の中に抱き寄せると「アニアが来たのよ!」とクルゥッと鳴いて、報告をしてくれる。
「ご苦労様、作戦通りみたいだな。ゴブ太君、準備をはじめろ」
俺は隣で控えていたゴブ太君に指示を出す。彼が小さめの咆哮を上げると、準備を始めた亜人達の動きで森がざわめき始めた。
暫くすると、前方に黒い影が見えてきた。俺にはまだ僅かにしか見えないが、ポッポちゃんとゴブ太君には、その姿が見えているようだ。「アニアなのよ!」とポッポちゃんが鳴き「奥方様が見えました!」とゴブ太君も鳴いた。
「じゃあ、出るタイミングは俺が取るけど、その後の指揮は任せた。敵兵は一人たりとも逃すな」
俺の言葉にゴブ太君は「御意ッ!」とギィ……と鳴く。その野太く低い返事にうなずいて答えて、再び視線を逃げてくる大公達に向ける。
見た限りでは、作戦は成功したみたいだ。千では効かない大軍が、少数の一団を追いかけている。
少しすると、ようやく俺にも顔が見えてきた。大公を先頭にその周りを少数の兵が囲み、隣にはアニアが見えた。シラールドとヴィートは多分殿だろう。
兵士達の表情は兜で見えないが、アニアと大公の顔は見えた。何やら軽く笑顔で会話をしている。
「余裕あり過ぎるだろ……。そうか、あの集団全体に補助魔法を掛けてるから、捕まる心配をしてないのか」
ブレスなどの補助魔法は、人間だけではなく動物にも使える。今のアニアならば、一度の魔法でそれが可能だ。
アニアの力の話といえば、この前見せてもらった『エリアヒール』は、魔法技能レベル4が必要なだけあって、アーティファクトと組み合わせると少し異常な事になっていた。
そこに、アニアが持つ加護の力が加わると、広範囲を対象とした回復に関しては勝てなくなっている。あれを戦場で見せたならば、本物の聖女様御光臨となるだろう。
そんな事を考えていると、アニアもこちらに気付いたようだ。後方の敵に気付かれないようにか胸元で小さく手を振っている。
「アニア達がこの森に入ったら、すぐに出るからな」
俺は最後にそう言った。こちらを見ているアニアに、もう少し横に逸れろとジェスチャーを送る。このまま来られると、亜人達の中を抜ける事になるから、向こうもこっちも危ないのだ。
俺の指示は伝わったようで、アニアが大公に声を掛けると、一団の進路が変わった。
程なくすると、少し速度を落として俺達が潜伏している森の中へと入って行った。
彼らはこの後、兵たちと合流してエクターを攻めることになっている。
「よし……出るぞッ!」
背後にそう声を掛けると、ゴブ太君はそれに答え大音量の咆哮を上げた。人の声帯では絶対に出せないであろうその声は、大きな空気の振動を引き起こす。着ている鎧が震えた。鎧だけではない、体中の至るところが、空気の振動で震えている。
俺の腕の中にいるポッポちゃんは、その声に反応して「うるさいのよ!」と少しお怒りだ。
ゴブ君の咆哮に共鳴するように、森に潜む亜人達も鳴き声を発している。それはまるで密林に潜む猛獣たちの雄たけびのようだ。だが、密度が違う。五千を超える亜人達の声は、間近に迫ってきたソルビー伯爵家次男が率いる一団の足を、止めるに相応しかった。
「大王っ! まずは私が先陣を!」とゴブ太君がギィッ! と鳴いた。俺がそれに頷いて応えると、ゴブ太君はアーティファクト【冥炎の巨剣】を肩に担ぎながら森から出て行く。群れのみんなも続いていく。俺や木を避けながら森から出て行く彼らは、さながら岩を避ける急流のようだ。
戦いは既に始まったようで、前方からは武器後防具が奏でる戦いの音が聞こえてきた。それと共に、怒号と悲鳴が響き渡る。割合は人間の方が多いだろう。
ほとんどの亜人達が森から出て行き戦いに参加しだした。だが、まだ少数の亜人は俺の背後に控えていた。
「君たちは俺の護衛か。不要だけど、ゴブ太君に言われているんだよな」
そう言いながら後ろを振り向くと、ゴルゴーンちゃんとエレメンタルホーン。それに、複数のホブゴブリンが控えていた。
「まあいいか。さて、俺も出るから付いて来い。お前らの仕事は負傷者の搬送だ。俺の下へ怪我をした者達を連れて来るんだ。いいな?」
先ほどまでは俺も戦いに参加するつもりだったが、ゴブ太君はどうやら俺にその役割をさせる気がないみたいだ。ならば、形勢が傾かない限りは彼の好きにさせよう。大王は大王らしく後方に控えている方がいいのだろう。
だが、何もしない訳にはいかない。ここは一つ医療部隊のような事をしよう。
俺を先頭にゴルゴーンちゃん達を率いて森から出ると、そこは濃い鉄の匂いが立ち込める戦の場だった。双方、統制が取れており真正面から戦っている。数は五千対二千だが、思った以上に敵は奮闘しているようだ。まあ、こちらの主な構成は、か弱いゴブリンなのだから、それも当たり前か。
俺はそれほど距離のない場所に椅子を取り出し、そこに腰かけた。戦場を前にして少し横柄な態度だが、実際に戦っている群れのみんなを見てしまうと、どうしても助けたくなり落ち着かないんだ。だから椅子を用意して腰を掛けた。ついさっきまでは大王らしく何て思っていたけど、それはなかなか難しい事らしい。
戦いは終始互角の展開を見せていた。何かおかしいと思いながら戦いを見ていたのだが、どうやらゴブ太君はこの戦いを練習代わりにしているようだ。ゴブ太君本人や幹部連中は主に指揮に回り、基本的に戦うのは、経験の浅い亜人にさせていた。
「あぁ、あの事を気にしているのか。ゴブ太君は真面目な性格をしてるなあ」
俺と再会した時に、ゴブ太君は群れの数が増えたは良いが、そのほとんどが未進化だった事を気にしていた。だからだろう、ここでは自分たちはあまり前に出ず、群れ全体の強化を考えているのだろう。
だが、それも敵の中に一人目立つ動きを見せる者が現れると、段々と痺れを切らして来たようだ。
「この亜人共が! どこから湧いて出やがったっ! この俺様が、叩き潰してやる!」
大声を上げながら大きなハンマーを振り回す男がいる。その膂力はなかなかの物だろう。まあ武器の大きさで言えば、セシリャには敵わないんだけど。
その男は声を張り上げながら、ゴブリンを数匹纏めて吹き飛ばした。どうやら、普通のゴブリンでは倒すのは無理みたいだ。
その様子を見ていたゴブ太君が歯ぎしりをした。
「ゴブ太君が出るんじゃないか? あっ、ゴルゴーンちゃん、先にそっちの連れてきて、ヤバいかも」
俺は治療を続けながら戦いの行方を見守る。次に治療が必要な奴は、太ももをバッサリと切断されているので、早めに回復をしないと死にそうだ。
それから間もなくすると、ゴブ太君が動き出した。それに伴い、幹部連中も指揮から直接の戦闘に切り替えだした。すると、瞬く間に戦場が一変した。今まで保っていた敵の前線が、一気に崩れだしたからだ。
そして、ゴブ太君とあのハンマー男との一騎打ちが始まった。
◆
結果としてはゴブ太君の勝利で幕を閉じた。相手はそれなりの実力者だったが、ハンマーを振り回すだけの奴に、ゴブ太君が負ける訳がない。ゴブ太君の【冥炎の巨剣】に、ハンマーの柄を断ち切られ、あっけなく死んでいた。
ソウビー伯爵家次男であろう男を見下ろしながら俺は言った。
「こいつがあの馬鹿と有名な次男坊か。噂通りの奴だったな。けど、逃げる事もせず、立ち向かって来てくれたのは助かった。お蔭で一網打尽って奴だな」
今回の戦いでは敵を一人も逃していない。彼らは全て群れの経験値となってもらった。やり過ぎな事は分かっている。だが、ゴブ太君達は俺の秘密部隊だから仕方がない。表に出すのは本当はいいんだけど、相手が受け入れればの話だからなぁ……
「後処理は任せたよ。また夜に戻って来るから、この森で待機だ」
俺はゴブ太君にそう指示を出す。今この場では戦いで生まれた死体の処理などが行われている。亜人の中には人間も食べる奴がいるが、今回は食うなと言ってある。その為に、地面を掘って埋めているのだ。当然武器防具は頂いている。
今回の戦いでは、こちらもかなりの数が死んでいる。総数にすれば五百は超えるだろう。その彼らもこの地に埋める事になる。
多くを失った戦いだったが、それと同様に大きな収穫を得た戦いでもあった。ほとんどのゴブリンは進化する事が出来、装備も手に入れる事が出来た。俺が提供していた物と合わせれば、誰もが鎧を身に着ける事が出来ていた。
俺としては、一匹でも群れの誰かが死ぬのは嫌な事だ。だが、この群れの意思は更なる力なのだと、ゴブ太君をはじめ、みんなの顔を見て分かっていた。ここで死んでいった者達に報いるには、それを嘆いていては駄目なのだろう。
群れを離れた俺は、一路エクターに向かう。ポッポちゃんは先ほどの戦いでは見学だった。その所為か、欲求不満のご様子で「次はドンドン撃つのよ!」とやる気を漲らせている。
だが、いろいろあって戦い始めてからすでに数時間経過している。俺の予想ではポッポちゃんの出番はないはずだ。
エクター付近に近付くと、案の定もう戦いは終わっていた。いや、あの様子を見る限り、戦い自体起きていたか疑わしいほどだ。城壁の上には、あの変な元侯爵の館で見た、ラングネル公国の旗が掲げられている。その周りにいる兵士達は落ち着いた様子で会話をしているほどだ。
「ポッポちゃん、ドンドン撃つのなしだわ……。活躍の場は後であげるから、我慢してね」
俺がそう言うと、ポッポちゃんは「後っていつなのよ! 主人はやくなのよ!」とクゥゥッ! と鳴いている。たまに我儘になるポッポちゃん可愛いよ。
流石にこのまま城壁を超えて侵入すると、一騒ぎが起きてしまいそうだ。俺は門の手前で地面に降り立ち、徒歩でエクターに入ろうとした。
すると、数頭の馬がこちらに向かってくる。どうやらお迎えのようだ。良く分かったなと思ったが、俺はそれなりの装備に身を固めているし、何より鳩に掴まって訪問する奴は他にいないよな。
馬鹿丁寧な案内を受け連れて行かれたのは、先日俺が侵入した宮殿だ。そこの占拠もすでに終わっているようで、こちら側の兵士が哨戒に立っている。案内をしてくれている人物は、それなりの地位らしく顔パスで中に通される。良いね、軽く手を上げるだけで何も言わずに通れるのは。
どんどん奥に入っていく。やたらと広い通路を通り進んで行った先には、謁見の間があった。部屋の奥には一つの椅子が備え付けられている。そこには、数時間前に姿を見た大公の姿があった。
「おぉっ! 無事であったかゼンよ。戦いはどうなった?」
声の様子から大公は少し気分が高ぶっているようだ。俺は前へ進み出て口を開く。
「無事、全て片付けました。現在は遺体の処理などを行っています。お約束通り、あれら兵士が持っていた装備の全てはこちらで処分させて頂きます」
「そうか、ゼンの姿を見れば、何が起きたかは何となく分かるな」
大公は目を細めて俺の姿をじっと見た。大方、返り血の一つも浴びてない事から、俺が出るまでもなかった事が分かったのだろう。
「こちらも順調に奪還は進んでいるようですね」
「民が協力的なお蔭だな……。私達がこの地に現れると、多くの民が門の開閉に動いてくれた。そのお蔭でほぼ無血で事は成った。この椅子に座る者としては、感無量といった思いだ」
「その様子ならば、後の心配はシーレッド王国の動きだけのようですね」
「それはエゼル次第になりそうだ。西では近い内に大きな戦いが起きると予想されている。この宮殿に残っていた私の側近の話だ。信頼性は高いだろう。だが、それ故に少々厄介な事実を知ってしまった。双方十万近い兵が動いている。この地にその兵が辿り着けば、一溜りもないであろう」
「だからエゼル次第という事ですか」
大体の数は知っていたが、やはり改めて聞くと相当大きな戦いになりそうだ。
大公の話に納得していると、彼は突然改まったように息を吐き、俺を見据えた。
「それでな一つ願いを聞いてくれるか?」
「改まって言われると、少し構えてしまいます。一体何事ですか?」
「いや、そう硬くならないでほしい。願いとはゼンが呼び出した援軍を少しの間貸してほしいのだ。この地を守るにはまだ不安がある。当然その対価は支払う。どうだろうか?」
この事は少し予感していた。どう考えても、まだエクターを守るには兵数が足りない。当然この事は、大公をはじめ、元侯爵などは把握している。だが、周辺の主だった兵士は、主戦場となる西へ赴いている。だから、当分の支配は可能だと踏んでいたのだ。
「私が連れてきた兵は、その……少し特殊でして……。そう簡単にお貸しする事は難しいのです」
「うむ、それは分かっている。あれは確かに特殊だな」
「……見てしまいましたか」
「大丈夫だ。私しか見ていない。アニアには少し怒られてしまったがな、ははは」
もしかして、森に入ってから集団を抜け出して見学でもしたのか? まあ、遠くから見ても、あれが人の集団ではない事は簡単に分かるだろうからな。
でも、周りにいる人らは何の事か分からず困ってるぞ。
「それを分かった上で借りたいと言うのですか?」
「そうだ。彼らとは交流が取れるのであろう? ならば、使者を出して交渉をしたい」
あぁ、俺が会話できる事までは知らないよな。いまならば、あの群れにはピクシーが同行している。人の言葉も片言だが理解している彼女らがいれば、一応コミュニケーションは取れる。だけどなぁ……
「大公様は彼らに何も感じないのですか?」
「んっ? 感謝をしているぞ。もちろん、民に害をなすのであれば、撃滅するべき相手だがな」
なるほど、大公は亜人というだけで拒否反応を示す人じゃないのか。彼の元の地位や年齢を考えると、もしかしたら過去にも亜人と交流をした経験があるのかもしれない。
「この話を受ける上で、一つだけ言っておきたいのですが。もし彼らの落ち度なく害をなした場合は、貴方の命で償っていただきますが良いですか?」
「……ゼンにとって、彼らはそれほどか。それに関しては厳守しよう。それに彼らの特性的に自由に動かせるとは思っていない。簡単な約束を取り付けて、何かあれば援軍として参戦してもらいたいのだ」
やはり大公はある程度、亜人の扱い方を知っているようだ。そして、俺の脅しにはそれほど反応を見せていない。この人はやはり人の上に立っていた人なんだな。
「大公様が仰る通り、扱いは難しいと思います。ですが、交流は取れますので、簡単な約束事であれば問題はありません。そうですね……報酬は食料品と日用品などでいかがでしょうか? もちろん、この地に留まる間の兵站は負担してください」
「その程度であれほどの強兵が雇えるのであれば、安いものだろう。その他の礼もこちらで考えておく」
「分かりました……。彼らと一度話をしてからになるでしょうが、この線で話を進めましょう。くれぐれも言っておきますが、いま彼らがいるあの森に人を近付けないで下さい。敵対行動を取れば、誰であろうと容赦は出来ません」
「必ずふれを出しておこう」
大公がここまで言うのであれば、断るのも悪いだろう。まあ、この地には今あの群れを打ち倒せるだけの勢力はない。だから、それほど心配をしている訳ではないんだけどね。
ゴブ太君達には俺が一度話をしてからになるだろう。しかし、あまり知られて良いとも言い難い。よって、交渉をするのは大公に近い限られた人間だけにしてもらおう。
「このお話がまとまり次第、私はエゼルに合流します。仲間も回収していきますので、後の事はお任せしても良いですか?」
「ここまでくれば、もう手助けは必要ないだろう。当分はエクター周辺だけを治める。さすれば、守りも固められるだろう。兵も時間が経てば更に増えるであろうから、簡単に落ちる事はないはずだ。心強い援軍も得られそうだからな。だが、ゼンよ。私との約束はまだ終わっていないぞ。この地に安寧がもたらされるまで、そしてプルネラが幸福になるまで、その約束は続くはずだ。そうだな?」
「はい、それはもちろんです。この地に何かあれば、すぐに駆け付けます」
俺の言葉を聞いて大公は、大きく一つうなずいた。その表情には笑みが浮かんでいた。
さて、ゴブ太君達と話を付けたら、次はようやくアルンと合流だな。その前にエアに会った方がいいか? まあとにかく、戦いは近いようだ。遅れないように動く事にしよう。
「ご苦労様、作戦通りみたいだな。ゴブ太君、準備をはじめろ」
俺は隣で控えていたゴブ太君に指示を出す。彼が小さめの咆哮を上げると、準備を始めた亜人達の動きで森がざわめき始めた。
暫くすると、前方に黒い影が見えてきた。俺にはまだ僅かにしか見えないが、ポッポちゃんとゴブ太君には、その姿が見えているようだ。「アニアなのよ!」とポッポちゃんが鳴き「奥方様が見えました!」とゴブ太君も鳴いた。
「じゃあ、出るタイミングは俺が取るけど、その後の指揮は任せた。敵兵は一人たりとも逃すな」
俺の言葉にゴブ太君は「御意ッ!」とギィ……と鳴く。その野太く低い返事にうなずいて答えて、再び視線を逃げてくる大公達に向ける。
見た限りでは、作戦は成功したみたいだ。千では効かない大軍が、少数の一団を追いかけている。
少しすると、ようやく俺にも顔が見えてきた。大公を先頭にその周りを少数の兵が囲み、隣にはアニアが見えた。シラールドとヴィートは多分殿だろう。
兵士達の表情は兜で見えないが、アニアと大公の顔は見えた。何やら軽く笑顔で会話をしている。
「余裕あり過ぎるだろ……。そうか、あの集団全体に補助魔法を掛けてるから、捕まる心配をしてないのか」
ブレスなどの補助魔法は、人間だけではなく動物にも使える。今のアニアならば、一度の魔法でそれが可能だ。
アニアの力の話といえば、この前見せてもらった『エリアヒール』は、魔法技能レベル4が必要なだけあって、アーティファクトと組み合わせると少し異常な事になっていた。
そこに、アニアが持つ加護の力が加わると、広範囲を対象とした回復に関しては勝てなくなっている。あれを戦場で見せたならば、本物の聖女様御光臨となるだろう。
そんな事を考えていると、アニアもこちらに気付いたようだ。後方の敵に気付かれないようにか胸元で小さく手を振っている。
「アニア達がこの森に入ったら、すぐに出るからな」
俺は最後にそう言った。こちらを見ているアニアに、もう少し横に逸れろとジェスチャーを送る。このまま来られると、亜人達の中を抜ける事になるから、向こうもこっちも危ないのだ。
俺の指示は伝わったようで、アニアが大公に声を掛けると、一団の進路が変わった。
程なくすると、少し速度を落として俺達が潜伏している森の中へと入って行った。
彼らはこの後、兵たちと合流してエクターを攻めることになっている。
「よし……出るぞッ!」
背後にそう声を掛けると、ゴブ太君はそれに答え大音量の咆哮を上げた。人の声帯では絶対に出せないであろうその声は、大きな空気の振動を引き起こす。着ている鎧が震えた。鎧だけではない、体中の至るところが、空気の振動で震えている。
俺の腕の中にいるポッポちゃんは、その声に反応して「うるさいのよ!」と少しお怒りだ。
ゴブ君の咆哮に共鳴するように、森に潜む亜人達も鳴き声を発している。それはまるで密林に潜む猛獣たちの雄たけびのようだ。だが、密度が違う。五千を超える亜人達の声は、間近に迫ってきたソルビー伯爵家次男が率いる一団の足を、止めるに相応しかった。
「大王っ! まずは私が先陣を!」とゴブ太君がギィッ! と鳴いた。俺がそれに頷いて応えると、ゴブ太君はアーティファクト【冥炎の巨剣】を肩に担ぎながら森から出て行く。群れのみんなも続いていく。俺や木を避けながら森から出て行く彼らは、さながら岩を避ける急流のようだ。
戦いは既に始まったようで、前方からは武器後防具が奏でる戦いの音が聞こえてきた。それと共に、怒号と悲鳴が響き渡る。割合は人間の方が多いだろう。
ほとんどの亜人達が森から出て行き戦いに参加しだした。だが、まだ少数の亜人は俺の背後に控えていた。
「君たちは俺の護衛か。不要だけど、ゴブ太君に言われているんだよな」
そう言いながら後ろを振り向くと、ゴルゴーンちゃんとエレメンタルホーン。それに、複数のホブゴブリンが控えていた。
「まあいいか。さて、俺も出るから付いて来い。お前らの仕事は負傷者の搬送だ。俺の下へ怪我をした者達を連れて来るんだ。いいな?」
先ほどまでは俺も戦いに参加するつもりだったが、ゴブ太君はどうやら俺にその役割をさせる気がないみたいだ。ならば、形勢が傾かない限りは彼の好きにさせよう。大王は大王らしく後方に控えている方がいいのだろう。
だが、何もしない訳にはいかない。ここは一つ医療部隊のような事をしよう。
俺を先頭にゴルゴーンちゃん達を率いて森から出ると、そこは濃い鉄の匂いが立ち込める戦の場だった。双方、統制が取れており真正面から戦っている。数は五千対二千だが、思った以上に敵は奮闘しているようだ。まあ、こちらの主な構成は、か弱いゴブリンなのだから、それも当たり前か。
俺はそれほど距離のない場所に椅子を取り出し、そこに腰かけた。戦場を前にして少し横柄な態度だが、実際に戦っている群れのみんなを見てしまうと、どうしても助けたくなり落ち着かないんだ。だから椅子を用意して腰を掛けた。ついさっきまでは大王らしく何て思っていたけど、それはなかなか難しい事らしい。
戦いは終始互角の展開を見せていた。何かおかしいと思いながら戦いを見ていたのだが、どうやらゴブ太君はこの戦いを練習代わりにしているようだ。ゴブ太君本人や幹部連中は主に指揮に回り、基本的に戦うのは、経験の浅い亜人にさせていた。
「あぁ、あの事を気にしているのか。ゴブ太君は真面目な性格をしてるなあ」
俺と再会した時に、ゴブ太君は群れの数が増えたは良いが、そのほとんどが未進化だった事を気にしていた。だからだろう、ここでは自分たちはあまり前に出ず、群れ全体の強化を考えているのだろう。
だが、それも敵の中に一人目立つ動きを見せる者が現れると、段々と痺れを切らして来たようだ。
「この亜人共が! どこから湧いて出やがったっ! この俺様が、叩き潰してやる!」
大声を上げながら大きなハンマーを振り回す男がいる。その膂力はなかなかの物だろう。まあ武器の大きさで言えば、セシリャには敵わないんだけど。
その男は声を張り上げながら、ゴブリンを数匹纏めて吹き飛ばした。どうやら、普通のゴブリンでは倒すのは無理みたいだ。
その様子を見ていたゴブ太君が歯ぎしりをした。
「ゴブ太君が出るんじゃないか? あっ、ゴルゴーンちゃん、先にそっちの連れてきて、ヤバいかも」
俺は治療を続けながら戦いの行方を見守る。次に治療が必要な奴は、太ももをバッサリと切断されているので、早めに回復をしないと死にそうだ。
それから間もなくすると、ゴブ太君が動き出した。それに伴い、幹部連中も指揮から直接の戦闘に切り替えだした。すると、瞬く間に戦場が一変した。今まで保っていた敵の前線が、一気に崩れだしたからだ。
そして、ゴブ太君とあのハンマー男との一騎打ちが始まった。
◆
結果としてはゴブ太君の勝利で幕を閉じた。相手はそれなりの実力者だったが、ハンマーを振り回すだけの奴に、ゴブ太君が負ける訳がない。ゴブ太君の【冥炎の巨剣】に、ハンマーの柄を断ち切られ、あっけなく死んでいた。
ソウビー伯爵家次男であろう男を見下ろしながら俺は言った。
「こいつがあの馬鹿と有名な次男坊か。噂通りの奴だったな。けど、逃げる事もせず、立ち向かって来てくれたのは助かった。お蔭で一網打尽って奴だな」
今回の戦いでは敵を一人も逃していない。彼らは全て群れの経験値となってもらった。やり過ぎな事は分かっている。だが、ゴブ太君達は俺の秘密部隊だから仕方がない。表に出すのは本当はいいんだけど、相手が受け入れればの話だからなぁ……
「後処理は任せたよ。また夜に戻って来るから、この森で待機だ」
俺はゴブ太君にそう指示を出す。今この場では戦いで生まれた死体の処理などが行われている。亜人の中には人間も食べる奴がいるが、今回は食うなと言ってある。その為に、地面を掘って埋めているのだ。当然武器防具は頂いている。
今回の戦いでは、こちらもかなりの数が死んでいる。総数にすれば五百は超えるだろう。その彼らもこの地に埋める事になる。
多くを失った戦いだったが、それと同様に大きな収穫を得た戦いでもあった。ほとんどのゴブリンは進化する事が出来、装備も手に入れる事が出来た。俺が提供していた物と合わせれば、誰もが鎧を身に着ける事が出来ていた。
俺としては、一匹でも群れの誰かが死ぬのは嫌な事だ。だが、この群れの意思は更なる力なのだと、ゴブ太君をはじめ、みんなの顔を見て分かっていた。ここで死んでいった者達に報いるには、それを嘆いていては駄目なのだろう。
群れを離れた俺は、一路エクターに向かう。ポッポちゃんは先ほどの戦いでは見学だった。その所為か、欲求不満のご様子で「次はドンドン撃つのよ!」とやる気を漲らせている。
だが、いろいろあって戦い始めてからすでに数時間経過している。俺の予想ではポッポちゃんの出番はないはずだ。
エクター付近に近付くと、案の定もう戦いは終わっていた。いや、あの様子を見る限り、戦い自体起きていたか疑わしいほどだ。城壁の上には、あの変な元侯爵の館で見た、ラングネル公国の旗が掲げられている。その周りにいる兵士達は落ち着いた様子で会話をしているほどだ。
「ポッポちゃん、ドンドン撃つのなしだわ……。活躍の場は後であげるから、我慢してね」
俺がそう言うと、ポッポちゃんは「後っていつなのよ! 主人はやくなのよ!」とクゥゥッ! と鳴いている。たまに我儘になるポッポちゃん可愛いよ。
流石にこのまま城壁を超えて侵入すると、一騒ぎが起きてしまいそうだ。俺は門の手前で地面に降り立ち、徒歩でエクターに入ろうとした。
すると、数頭の馬がこちらに向かってくる。どうやらお迎えのようだ。良く分かったなと思ったが、俺はそれなりの装備に身を固めているし、何より鳩に掴まって訪問する奴は他にいないよな。
馬鹿丁寧な案内を受け連れて行かれたのは、先日俺が侵入した宮殿だ。そこの占拠もすでに終わっているようで、こちら側の兵士が哨戒に立っている。案内をしてくれている人物は、それなりの地位らしく顔パスで中に通される。良いね、軽く手を上げるだけで何も言わずに通れるのは。
どんどん奥に入っていく。やたらと広い通路を通り進んで行った先には、謁見の間があった。部屋の奥には一つの椅子が備え付けられている。そこには、数時間前に姿を見た大公の姿があった。
「おぉっ! 無事であったかゼンよ。戦いはどうなった?」
声の様子から大公は少し気分が高ぶっているようだ。俺は前へ進み出て口を開く。
「無事、全て片付けました。現在は遺体の処理などを行っています。お約束通り、あれら兵士が持っていた装備の全てはこちらで処分させて頂きます」
「そうか、ゼンの姿を見れば、何が起きたかは何となく分かるな」
大公は目を細めて俺の姿をじっと見た。大方、返り血の一つも浴びてない事から、俺が出るまでもなかった事が分かったのだろう。
「こちらも順調に奪還は進んでいるようですね」
「民が協力的なお蔭だな……。私達がこの地に現れると、多くの民が門の開閉に動いてくれた。そのお蔭でほぼ無血で事は成った。この椅子に座る者としては、感無量といった思いだ」
「その様子ならば、後の心配はシーレッド王国の動きだけのようですね」
「それはエゼル次第になりそうだ。西では近い内に大きな戦いが起きると予想されている。この宮殿に残っていた私の側近の話だ。信頼性は高いだろう。だが、それ故に少々厄介な事実を知ってしまった。双方十万近い兵が動いている。この地にその兵が辿り着けば、一溜りもないであろう」
「だからエゼル次第という事ですか」
大体の数は知っていたが、やはり改めて聞くと相当大きな戦いになりそうだ。
大公の話に納得していると、彼は突然改まったように息を吐き、俺を見据えた。
「それでな一つ願いを聞いてくれるか?」
「改まって言われると、少し構えてしまいます。一体何事ですか?」
「いや、そう硬くならないでほしい。願いとはゼンが呼び出した援軍を少しの間貸してほしいのだ。この地を守るにはまだ不安がある。当然その対価は支払う。どうだろうか?」
この事は少し予感していた。どう考えても、まだエクターを守るには兵数が足りない。当然この事は、大公をはじめ、元侯爵などは把握している。だが、周辺の主だった兵士は、主戦場となる西へ赴いている。だから、当分の支配は可能だと踏んでいたのだ。
「私が連れてきた兵は、その……少し特殊でして……。そう簡単にお貸しする事は難しいのです」
「うむ、それは分かっている。あれは確かに特殊だな」
「……見てしまいましたか」
「大丈夫だ。私しか見ていない。アニアには少し怒られてしまったがな、ははは」
もしかして、森に入ってから集団を抜け出して見学でもしたのか? まあ、遠くから見ても、あれが人の集団ではない事は簡単に分かるだろうからな。
でも、周りにいる人らは何の事か分からず困ってるぞ。
「それを分かった上で借りたいと言うのですか?」
「そうだ。彼らとは交流が取れるのであろう? ならば、使者を出して交渉をしたい」
あぁ、俺が会話できる事までは知らないよな。いまならば、あの群れにはピクシーが同行している。人の言葉も片言だが理解している彼女らがいれば、一応コミュニケーションは取れる。だけどなぁ……
「大公様は彼らに何も感じないのですか?」
「んっ? 感謝をしているぞ。もちろん、民に害をなすのであれば、撃滅するべき相手だがな」
なるほど、大公は亜人というだけで拒否反応を示す人じゃないのか。彼の元の地位や年齢を考えると、もしかしたら過去にも亜人と交流をした経験があるのかもしれない。
「この話を受ける上で、一つだけ言っておきたいのですが。もし彼らの落ち度なく害をなした場合は、貴方の命で償っていただきますが良いですか?」
「……ゼンにとって、彼らはそれほどか。それに関しては厳守しよう。それに彼らの特性的に自由に動かせるとは思っていない。簡単な約束を取り付けて、何かあれば援軍として参戦してもらいたいのだ」
やはり大公はある程度、亜人の扱い方を知っているようだ。そして、俺の脅しにはそれほど反応を見せていない。この人はやはり人の上に立っていた人なんだな。
「大公様が仰る通り、扱いは難しいと思います。ですが、交流は取れますので、簡単な約束事であれば問題はありません。そうですね……報酬は食料品と日用品などでいかがでしょうか? もちろん、この地に留まる間の兵站は負担してください」
「その程度であれほどの強兵が雇えるのであれば、安いものだろう。その他の礼もこちらで考えておく」
「分かりました……。彼らと一度話をしてからになるでしょうが、この線で話を進めましょう。くれぐれも言っておきますが、いま彼らがいるあの森に人を近付けないで下さい。敵対行動を取れば、誰であろうと容赦は出来ません」
「必ずふれを出しておこう」
大公がここまで言うのであれば、断るのも悪いだろう。まあ、この地には今あの群れを打ち倒せるだけの勢力はない。だから、それほど心配をしている訳ではないんだけどね。
ゴブ太君達には俺が一度話をしてからになるだろう。しかし、あまり知られて良いとも言い難い。よって、交渉をするのは大公に近い限られた人間だけにしてもらおう。
「このお話がまとまり次第、私はエゼルに合流します。仲間も回収していきますので、後の事はお任せしても良いですか?」
「ここまでくれば、もう手助けは必要ないだろう。当分はエクター周辺だけを治める。さすれば、守りも固められるだろう。兵も時間が経てば更に増えるであろうから、簡単に落ちる事はないはずだ。心強い援軍も得られそうだからな。だが、ゼンよ。私との約束はまだ終わっていないぞ。この地に安寧がもたらされるまで、そしてプルネラが幸福になるまで、その約束は続くはずだ。そうだな?」
「はい、それはもちろんです。この地に何かあれば、すぐに駆け付けます」
俺の言葉を聞いて大公は、大きく一つうなずいた。その表情には笑みが浮かんでいた。
さて、ゴブ太君達と話を付けたら、次はようやくアルンと合流だな。その前にエアに会った方がいいか? まあとにかく、戦いは近いようだ。遅れないように動く事にしよう。
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