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脱出3

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「シン……」

  フォルが咎めるよう言った。
 なんとなく楽しかった気分がいっきに萎む。そう。なにも彼らは善意だけでスズを攫ったわけではない。
 ちゃんと理由があるのだ。
 きっとそれは、スズにとって最悪の──。

「事実だ。楽器よりもなによりも、卵生には卵を産んで貰わなくてはならん。遊ぶのはそれからだ」
「そのために、オレを攫ったの?」
「そうだ。俺たちの一族の未来がかかっている」
「なんで?」
「それは……村についたら話す」
「なんだよ、それっ」

 握りこぶしで背中を叩いてやったが、シンは振り返りもしなかった。

「ちぇっ! ってか、また卵生て呼んだな。スズって呼べよ」
「……分かった」
「分かってない! スズッ。スズだからな。分かるまで、歌ってやる。スズ~スズ~って呼べ呼べ呼べ~」
「おいフォル。卵生ってのは、こんなにうるさいものなのか?」
「あっ、また卵生って呼んだなっ」
「岩じいはそんなこと言ってなかったけどなぁ。でも、面白くて俺は好きだな。お前のそんな顔を見れるのも気分がいい。スズ、元気が出るからもっと歌ってくれよ」
「よーしっ」
「……やめてくれ」

 スズがいつものデタラメな唄を歌うと、フォルは手を叩いて喜んだ。シンは時々「勘弁してくれ」と呟いたが、それ以上なにも言うことはなくなった。
 ときにフォルも一緒に歌いながら山道を歩く。はじめに想像していたより、ずっと楽しい夜の山道になった。
 いつの間にか動物が襲ってくると脅されていたのも、途中ですっかり忘れていた。シンに背負われての移動なので、正直いってしまえば安心もしていた。

(それにしても普通こんなに体力ってあるものなのかな。ずっと歩いてるけど)

 特にシンはずっとスズを背負いながらだというのに、しっかりした足取りで歩き続けている。途中でスズを背負うのをフォルに交代したりするのだろうかと思ったが、そういったことはないようだ。逆にたまにシンのほうがフォルに「大丈夫か」と声をかけていたので、よっぽどシンの方が体力があるのだろう。

「あのさ」

 唄うのに疲れてきたので、その疑問を投げかけてみた。

「外の人間って、こんなに体力があるものなの?」
「シンはちょっと特殊なんだよ。技芸の民とは思えないほど、体が強いんだ。異常なほどね」
「じゃあ、フォルが普通くらい?」
「俺もそれなりに鍛えてる方だと思うけどね。シンにはもう、絶対敵わないな。なに? 俺におんぶして欲しいならちょっと頑張るけど」
「い、いいよ。大丈夫」
「ふーん」

 フォルから意味ありげな視線を感じて、慌てて下を向く。おのずとシンの首元に顔を埋めることになってしまい、内心慌てた。顔をあげようとしたが、ふとそこから感じた匂いに既視感を感じて、もう一度吸い込んでみる。

(あ、これ太陽の匂いだ)

 世話役がたまに持ってきてくれる、外で干した布団の香り。
 窓から差し込んだ、埃を照らす光の匂い。

(あったかいな)

 夜なのに太陽の香りがするなんて。一目見て、太陽みたいな男だと思ったが、香りまでとは。なんだかおかしくなって、ふふっと笑った。

「なんだ」とシンが問いかけてきた気がしたので「なんでもない」と、答えた。
──気がしたところで意識が途絶えた。



 「スズ」

 どうせまた、目を覚ましてもいつも通りの地下室なのだ。
 昨夜はすごくいい夢をみた気がするから。お願いだから、起こさないで欲しい。

 「起きろ」

 ああ、でも世話役の言葉を無視し続けると、銀に告げ口されて折檻されるし。でも。もう少しだけ。この夢に浸させて。

「スズ、いい加減に起きろ」

 ──世話役はスズなんて呼ばない。

 勢いよく顔を上げる。

「やっと起きたか。人の背でよくそんなに熟睡出来るな」
「おはよう、スズ」
「お、おはよう」

 夢じゃない。しかも、朝の挨拶というものをしてしまった。
 思わず声が上擦ってしまったが、二人は気付いていないようだ。空はすっかり明るくなっており、スズはその光景に目を見張った。

「すごいっ」

 薄紅色の小さく可憐な花を満開に咲かせた木々が、あたり一面に植っている。小さな花はこれ以上ないほど咲き誇り、春の光を浴びながら、視界いっぱい薄紅色に輝いていた。

「村はここを越えたところなんだけど、スズにこれを見せたくてさ」

 柔らかな風にのって、薄紅色の花びらがふわふわと降り注ぐ。その夢のような光景にスズはすっかり魅了された。

「信じられないくらい綺麗だ……ありがとうっ」

 満面の笑みでフォルにお礼を言うと、なぜかフォルの頬も少し薄紅色に染まっているように見えた。

「観光はもういいか。行くぞ」

 シンといえば、この美しい光景の下でも顔色ひとつ変えていないようだった。
 道中、雪のように降り積もるこの薄紅色の花は「桜」というのだとフォルに教えてもらった。
 桜の木々を抜けるとまた目の前に岩場が広がっていた。これも超えるのかと思ったが、すぐ側に大きな横穴があり、二人はそこの中へと入って進んだ。

「ここに村があるの?」
「そうだ。俺たちは一箇所にとどまることが少ないから、家を作らずにこういった洞窟などを利用して村を作る」
「ここ見た目よりも広くて、村のみんなも凄く気に入ってるんだ。難点は水場が少し遠いくらいだけど、まあそれもシンがいればすぐ取ってこれるしね」

 外の明かりが届かないほど奥に進むと、フォルが懐から鈴を取り出して鳴らした。
 リーンと涼やかな音が洞窟に響き、しばらく待つとあたりがぱっと明るくなる。よく見ると洞窟には等間隔に玉のようなものが置かれており、中には炎が揺らめいているように見えた。

「昔、火の一族から買ったものなんだ。いまは仲悪いから絶対ムリだね」
「そもそも、こんな贅沢品を買う金なんて、この村にはないからな」
「お金、ないの?」

 何気なく聞いたつもりだったが、フォルが深刻な顔で頷く。

「……ないね。今の天主様は踊りも唄もお好きじゃないから……それに習って他の一族も俺たちを滅多なことじゃ呼ばなくなった。仕方ないから、お祝いごとがありそうな村に押しかけて、密かに芸を披露して、はした金を貰うしかないって感じさ」
「そう……大変なんだな」

 スズを攫うとき俺達に未来がない、とシンが言っていた。
 なんとなく、なぜスズが攫われたのか分かってきた。そして、決してスズがその助けにはなれないことも。

「まあね。そういえば、スズはなんで逃げたかったの? 卵生って、贅沢し放題なのかと思ってたからはじめ罠なのかと疑っちゃったよ」
「他の卵生は知らないけど。俺は贅沢だなって思ったことはないな。そりゃ、食べるに困るとかはなかったけど。閉じ込められたうえに虐められてたし」
「ええ!? なんでだい」

 無精卵しか産めないから。
 そう言ったが最後、どういったことになるか既に予想がついた。
 
「……儚穹に嫌われてたから」
「儚穹?」
「卵生の卵を管理する人。俺の儚穹は銀って言うんだけど、俺の髪が黒色だったからそれが好きじゃなかったみたい」
「へぇ」

 フォルが気まずそうな返事をした。

 (嘘は言ってない)

 本当のことも言ってないけど。
 いまはまだ、黙ったままでいよう、とスズは決めた。どうせすぐにバレることだけど。
 まだこの生温い優しさに浸っていたい。
 例えそれが仮初だとしても。
 優しくされるどころか、バレたら殺されるかもしれない。
 それでも、スズは誤魔化せるだけ誤魔化すことにした。

「黒だとなんでいけないんだ」

 突然、シンが口を開いた。

「なぜって……卵生はこう、淡い色合いの美しい姿形の者が多いから。黒の卵生なんてほとんどいない」
「珍しいものは貴重だろう。よく分からんな」

 シンは本当に理解できないと言ったふうに首を傾げる。
 一晩でこの男が世辞を言うタイプの人間ではないとわかっている分、自然顔が赤くなった。
 フォルがなにか言いたげにこちらを見る。
 結局、その後三人は無言のまま奥へと進み、大きな赤い布が入り口にかかった横穴へとたどり着いた。








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