109 / 126
十九
思惑-6
しおりを挟む
そして、ありとあらゆる準備が進む、慌ただしい日々の中、エリンはアーシュラを避けるようになった。
彼女の傍を離れるわけではないけれど、いつもに増して、必要がない限り姿を見せず、言葉を交わさないように。それは、エリンにとって寂しく辛いことだ。けれど、それでも今は、その方が楽だったから。
だからその日も、城壁の影に埋もれるように座り込んで、アーシュラとゲオルグが来客に囲まれて楽しげに話す様を漫然と眺めていた。要領の良いゲオルグは、大勢の客の名前を憶え、調子よく話を合わせて盛り上がっている。全く、彼のああいうところは実際大したものだと思う。
「エリン、こんな所に隠れて」
と、ツヴァイの呆れた声が落ちてきた。エリンが隠れている場所を見つけることができるのは彼くらいなのだ。
「いい加減、姫も心配なさいますよ」
「殿下は別に心配なんてしません」
「おや」
どことなく拗ねたようなエリンに、師は苦笑する。
「どうしてそんなことを?」
「……今は、毎日お忙しいですし、それに、カルサス様とずっと一緒ですから」
「やきもちですね」
「違います」
「素直でない子だ」
厳しい師だけれど、昔から稽古の時以外は優しい。隣に腰をおろしたツヴァイを、エリンは少し子供っぽい表情で見た。
「先生……」
「何ですか?」
「皇女殿下にとって……私は、何なのでしょうか」
思いの他の素直な言葉に、ツヴァイは一瞬面食らって、それから微笑む。
「……難問ですね」
「やっぱり、そうですか」
「そうですよ。人と人の関係が、単純であるためしは無いのです」
自分のことを決して語らないツヴァイは、他人事のように朗らかに呟く。
「そんなの……」
エリンは俯き、決して目を離さない主の後ろ姿から目をそむける。そして、普段彼が足場にしている、角の丸くなった壁の飾りにそっと手を伸ばした。
「そんなのは……知りません」
主を守り、その望みを叶えるための剣であること。エリンにとって、自身の存在意義とはそのことに尽きる。それは自分で選んだ道ではなかった。ある日突然その運命を与えられ――そして、ただそれを受け入れ、強くなることだけが彼の存在を是とした。
いつか、ゲオルグは自分のことを奴隷のようだと言った。憤りは感じない。彼女と一緒に居られるならば、自分はそれで構わないのに。
それなのに、今更何を与えようというのか。
アーシュラを傷つけるようなことは出来ないし、恐ろしい。それは、悩むまでもなく明白なことだ。けれど――
――心に刺さった刺が抜けない。
アーシュラの笑顔を、アドルフの言葉を、あの夜会の夜の星空を。思い出す度ズキズキと膿み傷んで、いつまでもエリンを苦しめるのだった。
彼女の傍を離れるわけではないけれど、いつもに増して、必要がない限り姿を見せず、言葉を交わさないように。それは、エリンにとって寂しく辛いことだ。けれど、それでも今は、その方が楽だったから。
だからその日も、城壁の影に埋もれるように座り込んで、アーシュラとゲオルグが来客に囲まれて楽しげに話す様を漫然と眺めていた。要領の良いゲオルグは、大勢の客の名前を憶え、調子よく話を合わせて盛り上がっている。全く、彼のああいうところは実際大したものだと思う。
「エリン、こんな所に隠れて」
と、ツヴァイの呆れた声が落ちてきた。エリンが隠れている場所を見つけることができるのは彼くらいなのだ。
「いい加減、姫も心配なさいますよ」
「殿下は別に心配なんてしません」
「おや」
どことなく拗ねたようなエリンに、師は苦笑する。
「どうしてそんなことを?」
「……今は、毎日お忙しいですし、それに、カルサス様とずっと一緒ですから」
「やきもちですね」
「違います」
「素直でない子だ」
厳しい師だけれど、昔から稽古の時以外は優しい。隣に腰をおろしたツヴァイを、エリンは少し子供っぽい表情で見た。
「先生……」
「何ですか?」
「皇女殿下にとって……私は、何なのでしょうか」
思いの他の素直な言葉に、ツヴァイは一瞬面食らって、それから微笑む。
「……難問ですね」
「やっぱり、そうですか」
「そうですよ。人と人の関係が、単純であるためしは無いのです」
自分のことを決して語らないツヴァイは、他人事のように朗らかに呟く。
「そんなの……」
エリンは俯き、決して目を離さない主の後ろ姿から目をそむける。そして、普段彼が足場にしている、角の丸くなった壁の飾りにそっと手を伸ばした。
「そんなのは……知りません」
主を守り、その望みを叶えるための剣であること。エリンにとって、自身の存在意義とはそのことに尽きる。それは自分で選んだ道ではなかった。ある日突然その運命を与えられ――そして、ただそれを受け入れ、強くなることだけが彼の存在を是とした。
いつか、ゲオルグは自分のことを奴隷のようだと言った。憤りは感じない。彼女と一緒に居られるならば、自分はそれで構わないのに。
それなのに、今更何を与えようというのか。
アーシュラを傷つけるようなことは出来ないし、恐ろしい。それは、悩むまでもなく明白なことだ。けれど――
――心に刺さった刺が抜けない。
アーシュラの笑顔を、アドルフの言葉を、あの夜会の夜の星空を。思い出す度ズキズキと膿み傷んで、いつまでもエリンを苦しめるのだった。
0
お気に入りに追加
20
あなたにおすすめの小説
貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!
選ばれたのは美人の親友
杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる