水没廃墟の海鮮娘が魚介の異能で百合色ディストピアを死守する話

田地町 待乃

文字の大きさ
上 下
5 / 8
story1「私たちは、地球に引きこもっている」

「働かざる者、食うべからず」という“脅迫”

しおりを挟む
 群青に曇った水没ファッションモールのエントランス。
 服の群れが水をさまよう一方、重いマネキンたちはから何ら変わらぬ姿勢でただずんでいる。
 シャチ子は、古風なパフスリーブのワンピースをまとった乙女マネキンに、ヤツメは、今風なオフショルダーのセーターを着た少女マネキンに、それぞれぼんやりと寄りかかって話していた。

〈ねえシャチ子、これってさぁーあ? あのタワマンの中から“エネミーの偉い奴”みたいなのが、役に立たない味方オトコを始末してぇ、んんで、その後で、味方オトコを痛めつけたあぁしも消そうとした……ってことだよねぇ〉

 あるいは、生き残っている『オトコ』の存在を知ったヤツメを消そうとした、という線も考えられる。

〈うん……。あ、でも、役に立たないってだけで、味方をすかな?〉

 ヤツメはウーンと顔を上げて、何かを漠然と考える様子。
 ツンと高い鼻や、つややかな髪の銀色を、海の底のあおがあえかに照らして、異様に綺麗だった。

〈アレ、味方っていうか、兵器なんじゃね? 理性とか全然持ってなかったしぃ。なんか人間の男から、ただ性欲だけを抽出したってカンジ〉

〈やっぱり、男の人、生き残ってたんだ……〉

 シャチ子の、線の太い蒼古な顔が、重い恐怖に歪む。
 この水没世界は、“引きこもり少女しか生き残っていない”という事実があるからこそ、ディストピアたり得ることができた。
 海鮮娘たちは、ある種の硬直マヒした平和の中に居たはずなのである。ちょうど、今二人の寄りかかっているマネキンと同じように。
 しかし今になって、そのが解かれうる要素が現れてきたのである。

〈もう、急すぎてワケわかんねーって感じ。ねえシャチ子、何が起きてんの? あんた何か知ってんでしょ? さっきもさ、証拠撮影しようとしてたんでしょ? ごめぇん、誤解して〉

 急すぎてワケわかんねー……にしては、やたらヤツメは落ち着き払っているな、とシャチ子は思った。
 自分など、血や骨を見ただけでこの場から逃げ出したというのに。
 この冷静さは一体……。

 ともあれ、ある程度の落ち着きを取り戻したシャチ子は、自分のしようとしていたことをゆっくりと語りだした。

〈一部の海鮮娘がね、あのタワーマンションに住んでる旧人類の女の人と、よく密会してるの。怪しい動きしてる海鮮娘たちがいるってウワサで聞いたから、その子たちの動向を探ってみたのよ。そしたら、みんながみんな、あそこのマンションに出入りしてるのね〉

 ヤツメがふんぞり返ると、背後のマネキンがぐらりと揺れる。

〈やっばー! 海鮮娘あぁしらの中から裏切者が出てんのか! てか旧人類の女ってことは、要するにヒキじゃない女ってことっしょ? 生き残りが居んの?〉

〈うん。体のどこにも海鮮要素がなかったし、結構、日に灼けてもいたから、間違いない。、旧人類の女の人だと思う〉

 要するにこの二人は、引きこもりではない女性に対し、ある種の差別めいた思想を持っているのだろう。
 果たして、それは健全な思考回路といえるのか。
 それは、かつての“パリピ”とか“陽キャ”といわれる者たちが、引きこもりを軽蔑するような発言をしていた感情こころと、何が違うのだろう?

 私が世界を滅ぼしたことで、大方の予想通り、引きこもり少女たちは世界を築き上げた。
 だが物事というのは、完璧であればあるほど、穢れが少なければ少ないほど、そこに入ってくる亀裂ヒビの存在感が増大する。
 彼女たち海鮮娘が、その繊細さゆえの排他性によって、自滅に至るような事態にならないことを、私は神として切に祈りたい(これってフラグ?)。

 シャチ子の暗鬱な証言は続く。

〈何日か前だけど、スマホカミサマに協力してもらって、マンションの中で何が起こってるのか、ズームして見てみたのよ〉

〈ん、何見た?〉

 ヤツメが横へ身を乗り出して訊くと、シャチ子は重い一拍を置いた後で、吐き捨てるように答えだした。

〈海鮮娘が手渡した札束を、旧人類の人が金庫に仕舞ってた。ほら、旧人類は潜水能力ないから、海鮮娘にお金を集めさせてるんじゃないかな?〉

〈その旧人類の女──ああ、とりあえず『ミスX』って呼ぼっか──海鮮娘をパシりにして、金を集めてんのかぁ。何のために? こんな世界じゃ、金持ちイコール幸せ……とはいかんよ?〉

 ヤツメはいきなり立ち上がると、シャチ子の寄りかかるマネキンからワンピースを奪い、セーラー服の上からそれを着てみせた。

〈ほぅら、こんな高そうな服だって、タダで自分のものにできちゃう世界だしぃ〉

 とはいえ、この海鮮ディストピアにも、通貨とか店といった概念は存在する。
 先のイルカがそうめんを買ったスーパーマーケット『たんぽ』も、当然ながら紙幣・硬貨を対価として物品を提供する店である。

 ただし、旧人類の文明における『働いて稼ぎ、物を買う』という常識は、いわゆるRPG的な『海に沈んだ街で金品を見つけ、物を買う』というシステムに取って代わられた。
 そんな世界で、旧人類の女ミスXとやらが金庫に札束を貯めている目的とは?

 それはそうと、このヤツメ、ギャルの容姿で古風なワンピースを着ると、どこか西洋的な風情になって意外と似合うな……
 などと感心しつつ、シャチ子は自分なりの解釈を説き始めた。

〈あの旧人類の、その、ミスX、お金がすべてだった旧人類の男女社会を復活させたいんだと思う。今の日本には、引きこもり少女が七十万人よ? そこに、生き残った何十人か何百人かの男の人が加われば……あるいは〉

 正しくは、『最も多く見積もって七十万人』である。
 日本人の男女を合わせた『引きこもり人口』が一四六万人だったわけだから、その半分となれば、単純計算で約七十万であるため。
 余談ながら、日本以外の国のことは……正直言って、私にも分からない。
 引きこもりという概念は日本固有のものということにされていた──実際、西洋には『hikikomori』という“新語”が存在した──けれど、さて、国外にも生き残った者が居るのか、どうか。

〈ちょっ、男女の営みぃ~とか、働くことっ! とかが美徳って言われる糞セカイに戻すとか、ざけんじゃねぇぞ。せっかく、魚やプランクトン食って生きられる『いきものフレンドリー』の世界になったってのにぃ〉

 シャチ子の隣に座りなおしたヤツメは、人間だってアニマルなんだよー、と付け加えた。
 確かに、

“めしを食べなければ死ぬから、そのために働いて、めしを食べなければならぬ”
by『人間失格』

 そうした人間界固有の常識は、かの太宰が述べたとおり“難解で晦渋”であるといえる。
 今の海鮮娘たちのように、適当な魚や海藻を食して生きるほうが、単純に考えれば、生物学的には自然といえるだろう。
 世界が壊滅し、生きる・食べるということのことわりが変わった今、人は“難解で晦渋で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる”宿命から解放されたはずなのである。

 実際それによるメリットは数多く、生きるために金銭が必須ではなくなったことで、通貨の価値は下降。
 千円だったものは十円に、一万円払わなければ買えなかったものが百円へと、物価の下落が起こっている。
 電気・ガスを扱うインフラが消滅したことで、地球温暖化もまた終息へと向かった。

 良いことづくめといえる、この新世界をどうにかして守りたい……
 シャチ子の口調は、よりヤツメに寄り添うようなものへと変わる。

〈ヤツメもそう思うでしょ? だから私、証拠を撮って、海鮮娘たちみんなに見せて協力してもらって、戦おうって思ったの。旧人類がクーデターを企ててるのは確かなんだから〉

 ヤツメは柄にもなく、とても深々とうなずいていた。

〈なるほど。そのミスXが金庫に貯めた金は、そのクーデターのための資本金ってことか? でも、札束が効力を発揮しない世界で、どうやって……〉

〈今の世界に満足してない海鮮娘、結構居るらしいの。一時的に引きこもってるけど、いつかは社会に出て明るく暮らしたいって、そう思ってた女の子たちも多いはずだから〉

 それまで淡々としていたシャチ子の声に、一抹の自信のなさがよぎった。
 そういう生き方に憧れることにも一理はあると感じたからだろう。

〈そういうふうに考えるのは別にイイけどさ、だからって、うちらのユートピアを壊されたんじゃ、たまったもんじゃないって〉

 叫ぶように気嚢を震わせるヤツメ。彼女にとって、このディストピアはユートピアなのである。
 そしてそれはシャチ子も同様。

〈協力してくれる?〉

 彼女が意味深な横目をヤツメへ向けると、ヤツメはとぼけるように宙に目をやった。

〈どぉしよっかなー、ちょっと条件とか出して……も……? ……ってシャチ子、危ない!〉

 なんの前触れもない、突然の閃光。そして爆発音。
 瞬時に、シャチ子はモールの階段へ移動していた。
 自分を抱きかかえたヤツメによって、そちらへ避難させられたのである。

〈ぎょっ! ぎょららららららっ! こりゃ魚雷! ぎょっ、らっ、いぃーっ! こんなコトまでしてくんのかよ!? さすがは戦争大好き旧人類さん!〉

 ヤツメからの超音波が、これまでにない混乱を聞かせていた。
 階段から恐る恐る、つい今しがたまで座っていた場所へ目をやると、もうマネキンたちがバラバラに砕け散っている。

 さらに、二度、三度の追撃によって、そこにあった無数の衣類はおろか、強化ガラスのショーウィンドウまでもが粉々に砕け散る。

〈ぎゃーぁあぁぁ! シャチ子! 上層階までBダッシュすっよ!? 水没してない場所じゃ魚雷は撃てねぇ!〉

〈や、ヤツメ〉

 当然、例のごとく、こうしたことに慣れていないシャチ子は、ただヤツメの腕で硬直するしかない。

 爆発音を伴奏に聞こえてくるのは、

〈ボスを撃ってくるとか、あんたらイイ度胸してる~! 我々の邪魔をする者がどういう目に遭うか思い知れぇ!〉

 女の甲高い超音波。
 ボス、ことミスXに仕える、裏切り者の海鮮娘に違いない。
 撃ってくる……ということは、やはりヤツメは何らかの攻撃手段を所持しているのだろう。
 ヤツメは構わずにただ強く、強く、シャチ子を抱きしめていた。

〈安心しなシャチ子! あんたみたいなイイ子、くされ人類なんかにゃ殺させないから!〉
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

恥ずかしい 変身ヒロインになりました、なぜならゼンタイを着ただけのようにしか見えないから!

ジャン・幸田
ファンタジー
ヒーローは、 憧れ かもしれない しかし実際になったのは恥ずかしい格好であった! もしかすると 悪役にしか見えない? 私、越智美佳はゼットダンのメンバーに適性があるという理由で選ばれてしまった。でも、恰好といえばゼンタイ(全身タイツ)を着ているだけにしかみえないわ! 友人の長谷部恵に言わせると「ボディラインが露わだしいやらしいわ! それにゼンタイってボディスーツだけど下着よね。法律違反ではないの?」 そんなこと言われるから誰にも言えないわ! でも、街にいれば出動要請があれば変身しなくてはならないわ! 恥ずかしい!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

百合系サキュバスにモテてしまっていると言う話

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...