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story1「私たちは、地球に引きこもっている」

水没廃墟の片隅で

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 止まれ、の赤い逆三角形は、自動車ではなくイルカやトビウオを制する。
 線路を失くした貨物列車が、天衣無縫に海水を泳ぐ。
 団地の洗濯物は、風に代わって水流がなびかせる。
 そして深山おろしは街へ吹き降りず、今、海面にさえぎられて荒波を立てた。
 潮水を滑ってきた風はいやに冷たく、

「寒い」

 海から突き出た信号に腰掛ける少女を、ぶるりと軽く震わせた。
 かつて、灰色の道路にささやかな三原色を飾っていた信号機も、今は磯臭い海藻の深緑一色に覆いつくされている。

「奴らの密会、そろそろか。こんな要領かんじで撮れば……」

 信号機のすぐ隣、やはり海面から伸びる廃ビルに向け、少女はスマートホンを掲げた。
 そして割れたガラス窓の、その向こうに広がる暗闇にフォーカスする。

 これならば、窓の向こうも撮影できる……
 入念な試し撮りチュートリアルの末、確信を新たにすると、少女は何の前触れもなく信号機から飛び降りた。

 彼女は水面でシャチに化けると、すぐに大海原へと分け入っていく。
 だが、それは変身の術を繰り出したのではない。単にフードを深く被り、紐を引いて顔面だけを出した状態となったに過ぎない。
 大変なオーバーサイズの黒いパーカー。後面には背ビレが付けられ、フードには白い『アイパッチ』──シャチの眼の隣にあるトレードマーク──が描かれているため、すっぽり被ればシャチそのものとなる。
 ……はずなのだが、フードに覆われた顔面の下からニョロリと生えたはみだした、太い漆黒の三つ編みが、かなりの異物感をもたらしてしまっていた。

 崩れ荒れ果て、万物があべこべに傾いたビル街のを、縦横無尽に飛んでゆくシャチの群れ。
 ……海底から街を見上げれば、そのような錯覚を覚えなくもない。
 そしてその群れに紛れて、街という名の大海原を行くシャチ娘。

 魚介類のごとき見事な泳ぎだが、彼女は元々カナヅチであった。
 では、このような水没世界に適応するため、泳ぎの特訓をしたのかというと、それもまた違う。

 すぐ、スマートなイルカが近づいてきて、

〈わ、シャチになった子とかもいるんだ!〉

 シャチのながれに合流すると、新鮮な驚きの目線を投げかけてきた。
 こちらは、イルカ型の水着によって、主張をしているようだ。
 いわゆる『マーメイド水着』というもので、下半身をすっぽり覆うパレオに足ヒレと背ビレが付けられている。

 シャチ娘は、

〈ああ……イルカ化した子は多い印象だけど、シャチは珍しいかもしれないね〉

 透明な、少し暗い調子で、イルカ娘に応答する。
 だがここは海中。口から言葉を出して感情を伝えるという、人間固有のコミュニケーションをとることはできない。
 彼女らは、気嚢を震わせ鼻から超音波を出すことにより、個体同士の会話を可能としている。
 みなが一律に、鼻道に気嚢を得、そして一級の水泳能力を授かった。これらは共に、世界が直後に起きたことである……。

〈あなた、どこの子?〉

 好奇心旺盛なイルカ──以下“娘”略──が問うと、シャチはポケットからスマホを出し、イルカに見せた。
 二人、こういった泳ぎながらの交流にも慣れてしまっている。

 海底の碧い闇に、青白い点を描くスマホの光。
 通信とかネットとかいう概念すら海水に沈み切った世界においても、こうしてスマホだけは作動する。
 それは、不思議でも奇妙でもなく、として。
 さてシャチが指さすのは、かつて首都として賑わった都市の、かなり中央にある住宅街……の、跡地。

〈そんな遠くから来たんだ? なんかワケありみたい〉

〈……そっちは?〉

 シャチは分かりやすく話題をすり替えたが、イルカもそれを察してか、それ以上は深追いしてこない。

〈あたしはヒマつぶし。こんな世界になるとさ、一日が一年くらいに感じられるよね。だから、北のほうに旅行中なんだ~。じゃ、またね〉

〈あ、イルカさん、北のほうはまだ、なごり雪が降ってて寒いから気をつけて〉

〈はーーーい〉

 イルカは北を目指し、スピードアップして去っていった。
 かなり暗く内向的な性格をしたこのシャチ娘が、こうして初対面のイルカとフランクに会話できるのには、この世界のが影響している。

 シャチ少女は、再び群れとともに西へ移動。

(不思議。人間社会にいた頃は、が大嫌いだった私なのに)

 軽めの感慨に耽りつつ、果てのないような水没廃墟を進むなか、ふと、彼女はある地点で動きを止める。
 それに構わず泳いでゆくリアルシャチの群れが、少女との距離をいよいよ大きくしだした頃、彼女はゆっくりと上昇を始めた。
 スマホでの録画を開始しつつ。
 目指すは、海から真っすぐに突き出たタワーマンション。そう、この近辺の建物群は、朽ちてもいなければ斜めにもなっていない。

さえ撮れれば、アレさえ撮れれば……〉

 呪文のごとく、自らの目的を──超音波で──述べながら海面を目指してゆく。が、それが良くなかった。
 もう少しで水面に出るかというところで、はスマホの画面に入り込んできた。
 高速に「§」の記号を描くような挙動で、シャチ娘めがけて泳いでくる生物。
 それは、

〈ヤツメウナギ!?〉

 獰猛かつ細長い体を有し、鋭い歯を円状に生やした口部を持つ、あの異様な生物の挙動に他ならなかった。

 だが、それがヤツメウナギそのものではなく、その能力を受け継いだ少女であることは、瞬時に理解できた。
 イルカやシャチの場合、その生物元来のサイズゆえ、ヒトの少女がいてもあまり目立たない──だからこそ、このシャチ少女はリアルシャチの群れに紛れることができた──。
 一方、ヤツメウナギは鮭や鯖くらいの大きさであるため、それが人間サイズと化せば多大な違和感を生む。
 それでも今、シャチがを見てヤツメウナギと判断したのは、

〈ハイ、身柄確保。ちょっとツラ貸してもらうよ〉

 などと意味不明なことをほざく少女ヤツメウナギの髪飾りが、両目の左右にそれぞれ七つずつ、それこそヤツメウナギの『エラ穴』のごとく並んでいるためだった。

〈何なの!? 離して!〉
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