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第4章
家族を傷つけられて怒りにわれを忘れるシーン、良いよね
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そしてしばらく歩くと、次第に人だかりが増えていった。
「人混みが増えてきたね。大丈夫、ツマリ?」
「きゃあ!」
手を握ったアダンの手を、思わずツマリは払ってしまう。
「あ……ごめん、つい……」
「う、ううん、ありがと……」
そこで、ツマリは自分の足が少しくじいたのに気が付いた。そして、
「その、やっぱりさ……腕、借りていい? お兄ちゃん……」
「え? ……うん!」
少し恥ずかしそうにしながらも、ツマリはもじもじとアダンの右腕を掴む。
(……思念が……伝わってこないな……)
夢魔は体が接触していても、やろうと思えば思念を相手に伝えないことは出来る。
そうでもないと敵兵に見つかった時などに、機密情報を垂れ流しになってしまう。
だが、ツマリは今までそんなことをしてこなかったため、アダンは少し不思議に感じながらも、それを口にしなかった。
「あ、あそこでなんか美味しそうな匂いがするから、行ってみない? ボクもお腹すいちゃったからさ……」
「え? そうね、あたしもご飯食べてないし、付き合うわよ?」
ツマリはセドナの腕をつかんで歩きながら、思った。
(胸は……当たらないように、しないと……)
以前とは異なり、今度は意図的に胸をアダンに押し付けないようにしていた。
(最近、アダンのことばっかり考えてて……ずっと頭の中がそのことばっかり……。これ以上アダンと何かあったら、もう自分を止められなそう……。そうしたら、どうなっちゃうのかな、私は……)
そう感じる疑念をアダンに悟られないように、必死で思いが頭に浮かんでは消していくようにしていくツマリ。
(けど、アダンはお兄ちゃんなんだから……せめてもう少しだけで良い、私とアダンを兄妹で居させて……)
そう思いながらも、アダンと一緒に焼き鳥を受け取った。
幸い、くじいた足は歩行に支障をきたすほどではなかったようだった。
「はい、お兄ちゃん?」
「ん? ありがと、ツマリ」
そうやって、ツマリは串にささった焼き鳥を渡す。
アダンはそれを受け取り、右手で持った焼き鳥を美味しそうに食べる。
「うん、美味しい! ツマリも食べてみてよ?」
「え? ……あ、本当! すっごいタレの味が良いわね! こぼさないようにしないと!」
久しぶりにお互いが自然に笑顔を見れたためだろうか、二人は嬉しそうに笑った。
……なお、アダンとツマリはあまり裕福な家庭の出自ではなかったが、治安は極めて良いところで生まれ育っていた。その為、この後にツマリが起こす行動について、不用心だと責められるのは気の毒だろう。
「そうだ、お兄ちゃん。これはどう? あたしは食べられないから、食べて?」
「うん、これもすっごい美味しい! 食べたら元気が出てくるよ! 表面はぱりぱりしているけど、中の触感はふんわりして、意外とくどくないみたいだよ」
「後、これもどう? 焼き飯だって?」
因みに焼き鳥はツマリの、焼き飯はアダンの大好物だ。
「うーん……。これはちょっと味がくどいかな……。独特のソースの味がするな。これ、発酵させたお魚を使っているのかな? これが大豆で出来ていたら、もうちょっと食べやすいと思う。けど、人によってはこの味がたまらないって人もいると思うよ」
成長によって炭水化物を食べられなくなったツマリの代わりに、一生懸命に食レポを繰り返すアダン。
だが、アダン自身もさほど大食いと言うわけではない。その為しばらくしたらお腹いっぱいと言った様子で、大きく息をついた。
「ふう、もういいかな。ご馳走様」
「じゃあさ、お兄ちゃん……」
「ああ、エナジードレインだよね。もちろんいいよ」
「え、いいの?」
「勿論だよ。たっぷり食べたから、いっぱいあげるね?」
笑顔で答えるアダンに、ツマリは少し恥ずかしそうに答える。
「うん。ただ、ここだとちょっと目立つし……あっちに行こ?」
「え? ……うん、そうだね」
アダンは少し不安に思いながらも、裏通りに向かう。
「じゃあ、はい」
そう言ってアダンは腕を差し出すが、ツマリは首を振る。
「……その、今日はお腹すいてるから、ほっぺでいい?」
ここ最近は、アダンから精気を吸うときには必ず腕からであった。それを聞いて少し意外そうな表情を見せるが、すぐにアダンも笑顔に戻った。
「アハハ。最近船旅で大変だったものね。もちろん良いよ」
「ありがと、お兄ちゃん……」
頬をぬぐって差し出してくれたアダンの頬をツマリは唇をつける。
「んく……んく……んく……ぐ……」
精気を吸ううちに、いつものように『貪りつくしたい』『精気だけじゃない、アダンのことが、何もかも全部欲しい』と言う飢餓感がツマリの中からあふれてきた。
(ダメ……。我慢しなきゃ……!)
だが、その気持ちを何とか抑え込みながら、ゆっくりと、唇から精気を吸うツマリ。
「ふう……。……まだ足りないから、もう少しだけ、お願い……」
「……うん、いいよ……」
自分の中から浮かぶ飢餓感は何とか抑え込める。そのことに内心では強く安堵したツマリは、空腹を満たそうと、頬から吸える限界の速度まで精気を吸う速度を速める。
「い、痛いって、ツマリ……」
だが、無意識のうちにツマリはアダンにしがみつく腕を強めていった。
そのことに気づけるほど、その時のツマリは周囲に意識を向けることは出来なかった。
……そして、そんな機会を逃がすようなスリは、その裏通りにはいなかった。
音もなくそのサキュバスの少女はアダンの背後に近づくと、ドン! とぶつかってきた。
「ぐっ!」
「あはは、のろま、バーカ!」
そう言いながら、その少女はアダンの懐から財布を抜き取ると、走り去っていった。
「あ、財布が!」
「うそ!」
思わずツマリは手を離し、その手を一瞬見た。
(私のせいだ……!)
もし自分がアダンの腕を押さえつけなければ……と思ったが、アダンが走り出すのを見て、すぐに自身も追いかけた。
「待て、この!」
サキュバスの脚力は、全種族の中でも最速だ。そのスリの少女も疾風のような速さで人ごみの中を駆け抜けていく。
「これ以上離れたら……!」
「お兄ちゃん、乗って!」
ツマリはそう言いながらアダンの前に出ると、自身の肩を叩く。
「……うん!」
アダンはツマリの肩を駆けのぼる。そしてツマリはアダンの足の裏を「だあああ!」と叫びながら思いっきり跳ね上げる。
「え……? マジかよ、なんだよあんたら!」
そのサキュバスの少女は上空から猛スピードで飛んでくるアダンを見て、仰天の声を上げた。
「……さあ、返して!」
そしてアダンは、その少女の肩を掴む。……が、
「うっ……!」
その右手は麻痺したように動かず、するりと少年を離してしまう。
「アダン? まさか……!」
「ふんだ、弱いくせに粋がんなよ、バーカ!」
そう言ってスリの少女は仕返しとばかりにアダンのみぞおちを全力で蹴り上げる。
「ぐわ!」
「バイバイ、クソエルフ!」
アダンをエルフと勘違いしているのだろう、そう叫んだ少女は追い打ちとばかりにアダンの顔面を踏みつけ走り出していった。
……だが、数歩も走り出さないうちにその少女は全身をビクリ、と震わせた。
振り返ると、そこには憤怒の表情を見せるサキュバスがすさまじい殺気を放ちながら突っ込んできていたからだ。
「この……ガキ……絶対に、許さない……!」
自責の念を打ち消す意図もあるのだろう、ツマリのその怒りは無関係な人たちも振り返るほどであった。
「な……!」
その湧き上がる怒りの激情を抑えることも出来ず、ツマリは瞬時に少女の前に回り込み、胸倉をつかみ上げた。
少女は半泣きの表情で締め上げられてくる手を引きはがそうとする。だが、ツマリの腕はびくとも動かない。
「ま、待って……財布なら、返すから……!」
「この!」
だが少女のその弁解は聞き入れず、ツマリは少女を壁に叩きつけると、肘で少女の顔面を殴りつけた。
「ぎ……」
「よくも、よくも、アダンを! 許さない!」
それでも怒りがおさまらないのだろう、ツマリは少女を殴りつけ、更に倒れこんだところを怒りと共に踏みつける。
先ほどくじいた足が腫れあがるのも顧みずに。
「や……やめて、ツマリ!」
腹を抑えながらも声を上げるアダンの言葉もツマリの耳には入らない。
「はあ……はあ……! 死ね……!」
そしてとどめとばかりに腰の剣を抜いたツマリの手が、振り下ろされる直前に止まった。
「……おい、何をやってるんだ!」
「クレイズ……さん……!」
少女にとって幸いなことに、クレイズはたまたま刺繍を求めてバザールに来ていたのである。
サキュバスの中でも特にツマリは腕力に優れているが、それでも人間であるクレイズの方が単純な力比べなら軍配が上がる。
クレイズはぐい、とツマリの手首をひねりこむ。
「きゃあ!」
思わずその痛みに剣を取り落としたツマリは、悲鳴を上げてへたり込む。
「いくらスリが相手とはいえ、やりすぎだぞ、ツマリ!」
「え……? あ……クレイ……ズ……?」
そこでようやくツマリは正気に取り戻したように、目を見開いた。
少女はすでに気を失っており、周囲はそれをツマリへの恐怖と少女への同情の目で見ていた。
「あ……あれ……? うそ……」
「く……! 回復、してあげないと……」
アダンはゆっくりと少女に近づくと、回復魔法をかけ始めた。
……それから数刻後。
「ふう……。大丈夫かい?」
「……ちっ! 財布を盗んだのは悪かったけどよ……あそこまで殴らなくていいだろ?」
「確かに行き過ぎたな。では、これから奉公所に向かい、互いに罪を裁いてもらおうか?」
クレイズがそう言うが、状況を鑑みるに窃盗の上で暴力を振るった少女の罪が問われるのはほぼ間違いない。そのため、少女は、
「け! ンなとこ行くかよ、バーカ!」
と言いながら、また疾風のように去っていった。
「……さて……どこから話を聴こうか……」
その様子に、これ以上の追跡は必要ないと判断したのか、クレイズは二人の方を振り返る。
「ごめんなさい……。私のせいで、お兄ちゃんが財布すられちゃったから……それで……」
そう言いながら、ツマリは説明を始めた。
しばらく話を聴き、クレイズは合点がいったようにうなずいた。
「……なるほどな。……だが、君が怒ったのは……アダンの腕のことに気づいたからだろう?」
「……うん……」
自身の血が沸き上がったのは、アダンが殴られた時ではなく、本当は腕を痛めた時だった。その時に、自身が傷つけたアダンの腕がまともに動作していないことに気づき、その罪悪感から逃れるために怒りを少女にぶつけていたことは、ツマリにも分かっていた。
「その……やっぱり、その腕……」
「ああ、はっきり言おう。左腕は、後遺症が残っている」
「その後遺症……治るの?」
「それを調べるために、昼間にアダンと有名な医師に診察を受けてきた。だが、はっきり言う。もう治ることは、ない……」
サキュバスやエルフは人間のそれに比べ、生命力に劣っている。その為、一度大きなけがをした場合、生涯にわたって後遺症が残る場面は人間よりも多い。
「……日常生活は送れるんだけど、剣を振ったり、激しく動かすとしびれるような痛みが走るんだ……」
アダンもそう言うと、腕を庇うように右手で包んだ。
「……そんな……じゃあ、アダンは……!」
その発言に、ツマリは膝をついた。
「もう剣士としては……戦えない……」
クレイズも分かってはいたことだろうが、やはりその場面に直面したことで落胆は大きかったのだろう、首を垂れて悔しげにつぶやく。
「そんな、嘘でしょ? なんで私のせいで、そんなことになっちゃうのよ!」
「先日のあれは結果論だ。君の責任じゃない」
「そうだよ、それに普通の生活は出来るんだし! だから、ツマリは気にしないでよ! そうじゃないと、僕も……悲しいから……」
そう言ってアダンはツマリの肩をぽん、と叩く。自身が被害者であるにもかかわらず気遣うアダンに、ツマリはぽつり、とつぶやく。
「……ありがと、アダン……」
そして、無理に話題を変えようと、アダンは少し無理やりに明るく笑顔を浮かべた。
「そ、そうだ! それにさっきのスリだって、ツマリのおかげでやっつけてくれたんだしさ! 財布も取り返せたでしょ?」
「え? あれ、そう言えば財布は、どこ……?」
スリを退治することに頭がいっぱいで、肝心の財布が見当たらない。
「さっきの子、あのまま持っていったのかな?」
「いや、あれだけ力の差を思い知らされたんだ、おそらくは手放しているはずだ。……あ……」
だが、財布を見つけたクレイズは絶句した。
「なに、どこに財布があるの?」
「……ツマリ……君の足の下だ……」
その瞬間、さあ……とツマリの顔から血の気が引くのが、クレイズの目にも分かった。アダンはその財布を見て慌てた様子で手を伸ばす。
その様子を見て状況を察したアダンが、慌てた様子で答える。
「……あ、良かった……。さあ、ツマリ、それを返して……」
だが、アダンが手を伸ばす前に、ツマリは財布の中をひっくり返した。
「……嘘……嘘……ああああああああああ!」
そして、絶対に起きてはならないことが起きたことを確信し、ツマリは大声で泣き叫びながらその場に崩れ落ちた。
ツマリも以前アダンから聞いていたことだったが、完全に失念していたことだった。
「やはり、か……」
クレイズもそうつぶやき、かける言葉もないといった表情でそれを見つめた。
……財布の中に入っていた指輪の宝石が、粉々に砕けていたのだ。
「人混みが増えてきたね。大丈夫、ツマリ?」
「きゃあ!」
手を握ったアダンの手を、思わずツマリは払ってしまう。
「あ……ごめん、つい……」
「う、ううん、ありがと……」
そこで、ツマリは自分の足が少しくじいたのに気が付いた。そして、
「その、やっぱりさ……腕、借りていい? お兄ちゃん……」
「え? ……うん!」
少し恥ずかしそうにしながらも、ツマリはもじもじとアダンの右腕を掴む。
(……思念が……伝わってこないな……)
夢魔は体が接触していても、やろうと思えば思念を相手に伝えないことは出来る。
そうでもないと敵兵に見つかった時などに、機密情報を垂れ流しになってしまう。
だが、ツマリは今までそんなことをしてこなかったため、アダンは少し不思議に感じながらも、それを口にしなかった。
「あ、あそこでなんか美味しそうな匂いがするから、行ってみない? ボクもお腹すいちゃったからさ……」
「え? そうね、あたしもご飯食べてないし、付き合うわよ?」
ツマリはセドナの腕をつかんで歩きながら、思った。
(胸は……当たらないように、しないと……)
以前とは異なり、今度は意図的に胸をアダンに押し付けないようにしていた。
(最近、アダンのことばっかり考えてて……ずっと頭の中がそのことばっかり……。これ以上アダンと何かあったら、もう自分を止められなそう……。そうしたら、どうなっちゃうのかな、私は……)
そう感じる疑念をアダンに悟られないように、必死で思いが頭に浮かんでは消していくようにしていくツマリ。
(けど、アダンはお兄ちゃんなんだから……せめてもう少しだけで良い、私とアダンを兄妹で居させて……)
そう思いながらも、アダンと一緒に焼き鳥を受け取った。
幸い、くじいた足は歩行に支障をきたすほどではなかったようだった。
「はい、お兄ちゃん?」
「ん? ありがと、ツマリ」
そうやって、ツマリは串にささった焼き鳥を渡す。
アダンはそれを受け取り、右手で持った焼き鳥を美味しそうに食べる。
「うん、美味しい! ツマリも食べてみてよ?」
「え? ……あ、本当! すっごいタレの味が良いわね! こぼさないようにしないと!」
久しぶりにお互いが自然に笑顔を見れたためだろうか、二人は嬉しそうに笑った。
……なお、アダンとツマリはあまり裕福な家庭の出自ではなかったが、治安は極めて良いところで生まれ育っていた。その為、この後にツマリが起こす行動について、不用心だと責められるのは気の毒だろう。
「そうだ、お兄ちゃん。これはどう? あたしは食べられないから、食べて?」
「うん、これもすっごい美味しい! 食べたら元気が出てくるよ! 表面はぱりぱりしているけど、中の触感はふんわりして、意外とくどくないみたいだよ」
「後、これもどう? 焼き飯だって?」
因みに焼き鳥はツマリの、焼き飯はアダンの大好物だ。
「うーん……。これはちょっと味がくどいかな……。独特のソースの味がするな。これ、発酵させたお魚を使っているのかな? これが大豆で出来ていたら、もうちょっと食べやすいと思う。けど、人によってはこの味がたまらないって人もいると思うよ」
成長によって炭水化物を食べられなくなったツマリの代わりに、一生懸命に食レポを繰り返すアダン。
だが、アダン自身もさほど大食いと言うわけではない。その為しばらくしたらお腹いっぱいと言った様子で、大きく息をついた。
「ふう、もういいかな。ご馳走様」
「じゃあさ、お兄ちゃん……」
「ああ、エナジードレインだよね。もちろんいいよ」
「え、いいの?」
「勿論だよ。たっぷり食べたから、いっぱいあげるね?」
笑顔で答えるアダンに、ツマリは少し恥ずかしそうに答える。
「うん。ただ、ここだとちょっと目立つし……あっちに行こ?」
「え? ……うん、そうだね」
アダンは少し不安に思いながらも、裏通りに向かう。
「じゃあ、はい」
そう言ってアダンは腕を差し出すが、ツマリは首を振る。
「……その、今日はお腹すいてるから、ほっぺでいい?」
ここ最近は、アダンから精気を吸うときには必ず腕からであった。それを聞いて少し意外そうな表情を見せるが、すぐにアダンも笑顔に戻った。
「アハハ。最近船旅で大変だったものね。もちろん良いよ」
「ありがと、お兄ちゃん……」
頬をぬぐって差し出してくれたアダンの頬をツマリは唇をつける。
「んく……んく……んく……ぐ……」
精気を吸ううちに、いつものように『貪りつくしたい』『精気だけじゃない、アダンのことが、何もかも全部欲しい』と言う飢餓感がツマリの中からあふれてきた。
(ダメ……。我慢しなきゃ……!)
だが、その気持ちを何とか抑え込みながら、ゆっくりと、唇から精気を吸うツマリ。
「ふう……。……まだ足りないから、もう少しだけ、お願い……」
「……うん、いいよ……」
自分の中から浮かぶ飢餓感は何とか抑え込める。そのことに内心では強く安堵したツマリは、空腹を満たそうと、頬から吸える限界の速度まで精気を吸う速度を速める。
「い、痛いって、ツマリ……」
だが、無意識のうちにツマリはアダンにしがみつく腕を強めていった。
そのことに気づけるほど、その時のツマリは周囲に意識を向けることは出来なかった。
……そして、そんな機会を逃がすようなスリは、その裏通りにはいなかった。
音もなくそのサキュバスの少女はアダンの背後に近づくと、ドン! とぶつかってきた。
「ぐっ!」
「あはは、のろま、バーカ!」
そう言いながら、その少女はアダンの懐から財布を抜き取ると、走り去っていった。
「あ、財布が!」
「うそ!」
思わずツマリは手を離し、その手を一瞬見た。
(私のせいだ……!)
もし自分がアダンの腕を押さえつけなければ……と思ったが、アダンが走り出すのを見て、すぐに自身も追いかけた。
「待て、この!」
サキュバスの脚力は、全種族の中でも最速だ。そのスリの少女も疾風のような速さで人ごみの中を駆け抜けていく。
「これ以上離れたら……!」
「お兄ちゃん、乗って!」
ツマリはそう言いながらアダンの前に出ると、自身の肩を叩く。
「……うん!」
アダンはツマリの肩を駆けのぼる。そしてツマリはアダンの足の裏を「だあああ!」と叫びながら思いっきり跳ね上げる。
「え……? マジかよ、なんだよあんたら!」
そのサキュバスの少女は上空から猛スピードで飛んでくるアダンを見て、仰天の声を上げた。
「……さあ、返して!」
そしてアダンは、その少女の肩を掴む。……が、
「うっ……!」
その右手は麻痺したように動かず、するりと少年を離してしまう。
「アダン? まさか……!」
「ふんだ、弱いくせに粋がんなよ、バーカ!」
そう言ってスリの少女は仕返しとばかりにアダンのみぞおちを全力で蹴り上げる。
「ぐわ!」
「バイバイ、クソエルフ!」
アダンをエルフと勘違いしているのだろう、そう叫んだ少女は追い打ちとばかりにアダンの顔面を踏みつけ走り出していった。
……だが、数歩も走り出さないうちにその少女は全身をビクリ、と震わせた。
振り返ると、そこには憤怒の表情を見せるサキュバスがすさまじい殺気を放ちながら突っ込んできていたからだ。
「この……ガキ……絶対に、許さない……!」
自責の念を打ち消す意図もあるのだろう、ツマリのその怒りは無関係な人たちも振り返るほどであった。
「な……!」
その湧き上がる怒りの激情を抑えることも出来ず、ツマリは瞬時に少女の前に回り込み、胸倉をつかみ上げた。
少女は半泣きの表情で締め上げられてくる手を引きはがそうとする。だが、ツマリの腕はびくとも動かない。
「ま、待って……財布なら、返すから……!」
「この!」
だが少女のその弁解は聞き入れず、ツマリは少女を壁に叩きつけると、肘で少女の顔面を殴りつけた。
「ぎ……」
「よくも、よくも、アダンを! 許さない!」
それでも怒りがおさまらないのだろう、ツマリは少女を殴りつけ、更に倒れこんだところを怒りと共に踏みつける。
先ほどくじいた足が腫れあがるのも顧みずに。
「や……やめて、ツマリ!」
腹を抑えながらも声を上げるアダンの言葉もツマリの耳には入らない。
「はあ……はあ……! 死ね……!」
そしてとどめとばかりに腰の剣を抜いたツマリの手が、振り下ろされる直前に止まった。
「……おい、何をやってるんだ!」
「クレイズ……さん……!」
少女にとって幸いなことに、クレイズはたまたま刺繍を求めてバザールに来ていたのである。
サキュバスの中でも特にツマリは腕力に優れているが、それでも人間であるクレイズの方が単純な力比べなら軍配が上がる。
クレイズはぐい、とツマリの手首をひねりこむ。
「きゃあ!」
思わずその痛みに剣を取り落としたツマリは、悲鳴を上げてへたり込む。
「いくらスリが相手とはいえ、やりすぎだぞ、ツマリ!」
「え……? あ……クレイ……ズ……?」
そこでようやくツマリは正気に取り戻したように、目を見開いた。
少女はすでに気を失っており、周囲はそれをツマリへの恐怖と少女への同情の目で見ていた。
「あ……あれ……? うそ……」
「く……! 回復、してあげないと……」
アダンはゆっくりと少女に近づくと、回復魔法をかけ始めた。
……それから数刻後。
「ふう……。大丈夫かい?」
「……ちっ! 財布を盗んだのは悪かったけどよ……あそこまで殴らなくていいだろ?」
「確かに行き過ぎたな。では、これから奉公所に向かい、互いに罪を裁いてもらおうか?」
クレイズがそう言うが、状況を鑑みるに窃盗の上で暴力を振るった少女の罪が問われるのはほぼ間違いない。そのため、少女は、
「け! ンなとこ行くかよ、バーカ!」
と言いながら、また疾風のように去っていった。
「……さて……どこから話を聴こうか……」
その様子に、これ以上の追跡は必要ないと判断したのか、クレイズは二人の方を振り返る。
「ごめんなさい……。私のせいで、お兄ちゃんが財布すられちゃったから……それで……」
そう言いながら、ツマリは説明を始めた。
しばらく話を聴き、クレイズは合点がいったようにうなずいた。
「……なるほどな。……だが、君が怒ったのは……アダンの腕のことに気づいたからだろう?」
「……うん……」
自身の血が沸き上がったのは、アダンが殴られた時ではなく、本当は腕を痛めた時だった。その時に、自身が傷つけたアダンの腕がまともに動作していないことに気づき、その罪悪感から逃れるために怒りを少女にぶつけていたことは、ツマリにも分かっていた。
「その……やっぱり、その腕……」
「ああ、はっきり言おう。左腕は、後遺症が残っている」
「その後遺症……治るの?」
「それを調べるために、昼間にアダンと有名な医師に診察を受けてきた。だが、はっきり言う。もう治ることは、ない……」
サキュバスやエルフは人間のそれに比べ、生命力に劣っている。その為、一度大きなけがをした場合、生涯にわたって後遺症が残る場面は人間よりも多い。
「……日常生活は送れるんだけど、剣を振ったり、激しく動かすとしびれるような痛みが走るんだ……」
アダンもそう言うと、腕を庇うように右手で包んだ。
「……そんな……じゃあ、アダンは……!」
その発言に、ツマリは膝をついた。
「もう剣士としては……戦えない……」
クレイズも分かってはいたことだろうが、やはりその場面に直面したことで落胆は大きかったのだろう、首を垂れて悔しげにつぶやく。
「そんな、嘘でしょ? なんで私のせいで、そんなことになっちゃうのよ!」
「先日のあれは結果論だ。君の責任じゃない」
「そうだよ、それに普通の生活は出来るんだし! だから、ツマリは気にしないでよ! そうじゃないと、僕も……悲しいから……」
そう言ってアダンはツマリの肩をぽん、と叩く。自身が被害者であるにもかかわらず気遣うアダンに、ツマリはぽつり、とつぶやく。
「……ありがと、アダン……」
そして、無理に話題を変えようと、アダンは少し無理やりに明るく笑顔を浮かべた。
「そ、そうだ! それにさっきのスリだって、ツマリのおかげでやっつけてくれたんだしさ! 財布も取り返せたでしょ?」
「え? あれ、そう言えば財布は、どこ……?」
スリを退治することに頭がいっぱいで、肝心の財布が見当たらない。
「さっきの子、あのまま持っていったのかな?」
「いや、あれだけ力の差を思い知らされたんだ、おそらくは手放しているはずだ。……あ……」
だが、財布を見つけたクレイズは絶句した。
「なに、どこに財布があるの?」
「……ツマリ……君の足の下だ……」
その瞬間、さあ……とツマリの顔から血の気が引くのが、クレイズの目にも分かった。アダンはその財布を見て慌てた様子で手を伸ばす。
その様子を見て状況を察したアダンが、慌てた様子で答える。
「……あ、良かった……。さあ、ツマリ、それを返して……」
だが、アダンが手を伸ばす前に、ツマリは財布の中をひっくり返した。
「……嘘……嘘……ああああああああああ!」
そして、絶対に起きてはならないことが起きたことを確信し、ツマリは大声で泣き叫びながらその場に崩れ落ちた。
ツマリも以前アダンから聞いていたことだったが、完全に失念していたことだった。
「やはり、か……」
クレイズもそうつぶやき、かける言葉もないといった表情でそれを見つめた。
……財布の中に入っていた指輪の宝石が、粉々に砕けていたのだ。
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少年期の友情が破綻してしまった小学生も最後の年。瑞月と恵風はそれぞれに原因を察しながら、自分たちの元を離れた結日を呼び戻すことをしなかった。それまでの男、男、女の三人から男女一対一となり、思春期の繊細な障害を乗り越えて、ふたりは腹心の友という間柄になる。それは一方的に離れて行った結日を、再び振り向かせるほどだった。
自分が置き去りにした後悔を掘り起こし、結日は瑞月とよりを戻そうと企むが、想いが強いあまりそれは少し怪しげな方向へ。
高校生になり、瑞月は恵風に友情とは別の想いを打ち明けるが、それに対して慎重な恵風。学校生活での様々な出会いや出来事が、煮え切らない恵風の気付きとなり瑞月の想いが実る。
学校では瑞月と恵風の微笑ましい関係に嫉妬を膨らます、瑞月のクラスメイトの虹生と旺汰。虹生と旺汰は結日の想いを知り、”自分たちのやり方”で協力を図る。
どんな荒波が自分にぶち当たろうとも、瑞月はへこたれやしない。恵風のそばを離れない。離れてはいけないのだ。なぜなら恵風は人間以外をも恋に落とす強力なフェロモンの持ち主であると、自身が身を持って気付いてしまったからである。恵風の幸せ、そして自分のためにもその引力には誰も巻き込んではいけない。
一方、恵風の片割れである結日にも、得体の知れないものが備わっているようだ。瑞月との友情を二度と手放そうとしないその執念は、周りが翻弄するほどだ。一度は手放したがそれは幼い頃から育てもの。自分たちの友情を将来の義兄弟関係と位置付け遠慮を知らない。
こどもの頃の風景を練り込んだ、幼なじみの男女、同性の友情と恋愛の風景。
表紙:むにさん
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