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第3章「すべての人が平等な、実力主義の国」を作った魔王、ヨルム
3-5 ヨハンナは自分を『才能のない努力家』と思い込んでいます
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「冗談ですよね! こんなやり方の勝利なんて、私は認められませんわ!」
だが、彼女のその主張は耳にも貸さずに、魔王ヨルムは笑い出した。
「……ははは、なるほどな。先ほどの『勝利条件』の確認は、これをする意図があったためだったのか」
そう、俺は『ヨハンナ殿が生殺与奪の権利を奪われること』を勝利条件としており、またその手段は問わないと言質を取ったのはこのためだ。
「けど! 助太刀を使うなんて卑怯です! 私は認めません!」
尚も抗議しようとするヨハンナに対して、俺はこうつぶやいた。
「……分かりましたよ。じゃあ今度は1対1でやりましょう」
「え?」
「ヨハンナさんの方が魔力も体力も上。きっとこの条件なら勝てるでしょう? 俺がそれで、黙って負ければ満足ですか? 腕の一本も折れば気が済みますか?」
「ぐ……」
こう言えば彼女も沈黙するしかない。
その一部始終を見た後に、魔王ヨルムは尋ねた
「しかし……。そなたは、いつこの戦い方を思いついたのだ?」
魔王ヨルムにとってもこの戦い方は想定外だったのか。
この国は内乱や戦争が無くなって久しいと思っていたが、どうやら彼自身も大きな戦を経験していなかったのだろう。
「俺は、傭兵時代が長かったですから。戦場で『1対1で戦わせてもらえる場面』なんて、何度あったと思います?」
「む……」
そんな場面は一度もなかった。
兵士が単独で行動する場面など、歩哨が一人で見回りをしている時や、一人でいる斥候に出会ったときくらいだ。だが、そのような場面でのんきに、敵兵と1対1でボカスカ殴り合うような暇などない。
笛を鳴らされる前に、一瞬の不意打ちで息の根を止めるか、魔法で捕縛するか、やり過ごす。
立場が逆だった場合、何とか第一刀を躱して合図の笛を鳴らし、応援が来るまで粘る。
その他の場面でも、とにかく戦場では常に背後からの攻撃がつきものだったのだ。……無論この『背後』とは味方からの攻撃、という意味も含まれるが。
「向こうだって死にたくないんです。強い相手を見れば、助けを呼びますし大勢で袋叩きにします。1対1では無敵の戦士が、万全な対策をした集団から一斉攻撃を受けて死んだ事例が何度あったと思います?」
「……なるほど、こちらが勝ち続けても、いずれは対策されるということか……」
「ええ。それに、この国では複数人を相手にした訓練をしていなかったのは、シルートの発言で分かっていましたから」
そう、ちらりとヨハンナの方を見てつぶやく。
「ぐ……。けど、兵士の登用試験では……そんなの科目になかったし……」
「ええ。ですのでそこを突いたんです。あと、卑怯と言うのは戦場では賛辞でしかないですから」
俺はいつも『強い敵』よりも『卑怯な敵』と戦う時の方がはるかに恐怖心を持って戦っていた。
だからこそ『卑怯』と言われることは不服どころか誇りにすら思っていた。
「なるほど、よくわかった。……私の想定とは違う勝ち方だったが、良いだろう。そなたの入国を許可する。……今後の試験では対多人数用の戦いも考慮せねばな」
魔王ヨルムはそう言ってくれた。
「やりやしたね、二コラさん! 今日はうちでお祝いしやしょう!」
「ああ、そうだな! ……ありがとう、シルート!」
「く……」
だが、その状況を顔を真っ赤にしながらヨハンナは見ていた。
その様子を見て、俺はフォローするように答える。
「魔王様。……今回の戦いは、彼女の想定外です。どうか彼女を責めないでください」
「な……!」
「ああ、もちろんだ。寧ろ、我が軍の弱みを教えてくれたのだからな。あとで褒美を取らすぞ、ヨハンナ」
「はい……ありがたく……」
だが、彼女にとってそのような情けは、却ってプライドを傷つけてしまったのだろう。
ヨハンナは俺に対して憎らしそうにしながらも、
「この借りと貸しは……必ず返してもらうし、返してあげるから……覚悟しておいてくださいね……!」
そう俺につぶやいていた。
「さあ、今日は新入りが入ったことですし、みんなで楽しく飲みやしょう!」
「おお、いいな!」
「フフフ、お姉さんも嬉しいわね……」
シルートの家は、今でいうところの『シェアハウス』だった。
複数の人たちが台所などの共同な場所を使うが、寝室は基本的に個室だ。
「二コラさん、お金ないんすよね?」
「え? ……ああ、正直もう残り少ないからな。家賃はその……」
「じゃあ、あっしと相部屋にしやしょうよ! 男同士だし、別に気を遣うってこともありやせんよね?」
「え、いいのか?」
もし相部屋にしてもらえたら家賃は半額で済む。
そう言われて俺は、二つ返事で了承した。
「ハハハ、シルートはお人よしだよな、本当に」
「そうよねえ。もうちょっと若かったら、お姉さんの彼氏にしたんだけどねえ……」
そんな風に同じシェアハウスの住民たちは笑っていた。
人数は10人前後で、全体的な年齢層は極めて高く、シルートも含めて中高年の男性が多い。
「二コラ君だっけ? お姉さんが欲しかったら、しっかり稼いでね? 二コラ君なら、金貨1枚にまけておくから」
「あ、はい……」
その中に一人だけ、恐らく娼婦と思われる30代くらいの女性がいる。
だが、恐らくシェアハウスの住民とも仲が良いのだろう、周りのメンバーとは家族のようになっており、性的な匂いは感じさせない。
「にしても、二コラさんの持ってきてくれた酒は旨いっすねえ。あっしらの安酒とは全然違いやすよ」
「けど、シルートの作ってくれた、このマッシュポテトみたいなやつも旨いよ。まるで肉を食ってるみたいだ」
彼らが作ってくれた料理は芋や豆類が主だ。
その中で、たっぷりの牛脂とにんにく、残り物の野菜と森で摘んだキノコを使ったスープが俺は一番気に入った。
「ヒヒ、あっしらはあまり肉が食えないから、せめて代用にってことで、こういうのを作るんすよ」
「へえ……。ところでさ、シルート? このスープ、持ってっていいか?」
「え? 勿論構わないっすけど、どちらに?」
「この先にある、ヨハンナの家に。……昼間のお詫びにってことでな」
昼間に魔王ヨルムが言っていたように、ヨハンナは実はこのあたりのいわゆる『貧民街』の出身だった。
その為、家は割と近い。
「それなら、あっしも折角なんで一緒にいきやす。道中は危険っすからね」
「いいのか? ありがとうな、助かるよ」
そう言って俺は、シェアハウスを後にした。
幸いなことに、今夜は満月で明るい。
また、このあたりは貧民街とは言えども治安はそこまで悪くはない。
「ここがヨハンナさんの家っすね」
シルートは、この貧民街の中では比較的大きいヨハンナの家を指さした。
窓の外からでも、彼女と思しき人影が小さなランプを使って勉強しているのが分かった。
「……すごいな、まだ勉強しているのかな……」
「ええ、いっつも言ってやしたから、ヨハンナさんは。……私は才能がないから、努力するんだ、あんた達と違って、上を目指すんだって……凄いっすね」
そのシルートの発言から考えて、あまりヨハンナはこのあたりの住民とかかわりを持ちたがらないのが分かった。
俺は玄関をノックした。
「すみません、そこのシェアハウスのものなんですけど……」
「え? ……ああ、シルートさんかい?」
俺がそういうと、家から中年の女性がひょっこりと顔を出してきた。
恐らく、ヨハンナの母だろう。
「ええ。今日から移民としてやってきた、二コラさんの挨拶もかねて差し入れに来たんす」
「いつもありがとうねえ。……あら、今度の子は、ずいぶん若い方ねえ? ……ヨハンナと同年代かしら?」
「はい、二コラと言います。よろしくお願いします」
そう言って俺は、精いっぱい愛想よく、彼女の挨拶をした。
すると彼女も、どこか俺を見て安心したような様子を見せた。
「ウフフ、ずいぶん元気な方ですね。ええ、よろしくお願いします」
「あの、これをどうぞ。シルートの作ってくれたスープと……隣国で貰った砂糖菓子です」
そういうと、俺は酒と同様に、隣国で仕入れてきた砂糖菓子を渡した。
いざという時の非常食を兼ねていたが、この国に着いた以上、もう持ち続ける必要もない。
それを見ると、彼女は嬉しそうな顔をした。
「あらあら、こんな素敵なものくれるなんて、ありがとうねえ! ……そうだ、お礼をヨハンナにも言わせないとね。ちょっと呼んでくるわ?」
そういうと、母親はヨハンナを呼び出す。
すると、面倒くさそうな声と共にヨハンナが降りてきた。
「あ、あなたは昼間の!」
彼女は俺を見るなり、ムッとしたような表情を見せた。
「ええ、二コラです。……その、お昼のお詫びと思って差し入れを持ってきたんですが……」
「……なんですの、これ?」
「隣国で貰ったお菓子です。その……」
一見つっけんどんな態度を見せているが、彼女ののどがゴクリとなるのが分かった。
彼女は甘いものが好きなのだろう。
「……フン! ま、まあ貰っておきますね」
「え? あ、はい……」
だが、彼女はお菓子を受け取ると、すぐにまた不機嫌そうな表情を見せた。
「さて、用が済んだら出て行ってくださいます? まだ私は、今日の勉強が済んでいませんから」
口ぶりから考えて、いつも夜遅くまで勉強しているのだろう。
シルートは心配そうに尋ねる。
「勉強、大変っすね、ヨハンナさん。たまにはあっしらと一緒に、飲みやせんかね?」
シルートはそう心配そうに尋ねるが、ヨハンナは怒るような口調で答える。
「結構です。あなた達三下のように努力もしないで、現状に甘んじている怠け者と一緒にしないでくださいます?」
「ハハハ! ま、怠け者ってのは間違ってやせんね」
彼女の態度に対しても、シルートは平然と受け流す。
その様子に、俺もあんな風になれるようにならないとな、と思った。
「私みたいに才能が無くって、環境も恵まれない凡人は、努力を重ねないと勝ち組になれませんの。遊んでいる暇があったら、二コラも私みたいに勉強したらどう?」
俺はその発言に、少し違和感を感じた。
「いや、それは違うんじゃ……」
だが、彼女は俺の発言に興味なさそうにドアに手を書ける。
「とにかく、あなた達と遊んでる暇なんてないですの。出てっていただけます?」
「ちょっと、ヨハンナ……」
「……ええ、また来やすね。お母様方もお体にはお気をつけてくだせえ」
母親がどこか心配そうな顔をしていたのを見て、シルートは俺に、もう帰ろうと言ってきた。
俺達がシェアハウスに戻ると、すでに宴会は終わっていた。
すでに後片付けはすべて終わっており、俺達は寝るだけで良い状態になっていた。
シルートは俺に対して申し訳なさそうに頭を下げる。
「すいやせんね。ヨハンナさんって昔っからああなんすよ。勉強や訓練はすっごい頑張るんですけど……あっしらみたいな貧困層と関わるのは嫌うんすよね……」
「シルートが謝ることじゃないだろ? ……それに、彼女の気持ちも分かるからな」
この国は『実力主義』であり、結果を出せば高い地位を得ることができるという素晴らしい制度がある。
だからこそ、ヨハンナのように、一生懸命努力することで現状を変えようとする人はいるだろうし、俺はそれを魅力的だとは思う。
「けど……。ああいうタイプは、きっと将来まずいことになるよなあ……」
「ええ。実はあっしも、そのことを心配してるんすよ……」
シルートも俺と同意見だったようで、心配そうな表情を見せた。
「ま、今日のところはしょうがありやせんし、もう寝やしょうか?」
「ああ、そうだな。おやすみ、シルート?」
幸いこのシェアハウスは二段ベッドになっており、相部屋では困らなかった。
しかも、シルートは上側を譲ってくれたので、俺はそこで寝ることになった。
……まったく、気のいいやつだ。
俺は久しぶりにできた同性の友人と過ごせた夜に感謝しながら、眠りにつくことにした。
だが、彼女のその主張は耳にも貸さずに、魔王ヨルムは笑い出した。
「……ははは、なるほどな。先ほどの『勝利条件』の確認は、これをする意図があったためだったのか」
そう、俺は『ヨハンナ殿が生殺与奪の権利を奪われること』を勝利条件としており、またその手段は問わないと言質を取ったのはこのためだ。
「けど! 助太刀を使うなんて卑怯です! 私は認めません!」
尚も抗議しようとするヨハンナに対して、俺はこうつぶやいた。
「……分かりましたよ。じゃあ今度は1対1でやりましょう」
「え?」
「ヨハンナさんの方が魔力も体力も上。きっとこの条件なら勝てるでしょう? 俺がそれで、黙って負ければ満足ですか? 腕の一本も折れば気が済みますか?」
「ぐ……」
こう言えば彼女も沈黙するしかない。
その一部始終を見た後に、魔王ヨルムは尋ねた
「しかし……。そなたは、いつこの戦い方を思いついたのだ?」
魔王ヨルムにとってもこの戦い方は想定外だったのか。
この国は内乱や戦争が無くなって久しいと思っていたが、どうやら彼自身も大きな戦を経験していなかったのだろう。
「俺は、傭兵時代が長かったですから。戦場で『1対1で戦わせてもらえる場面』なんて、何度あったと思います?」
「む……」
そんな場面は一度もなかった。
兵士が単独で行動する場面など、歩哨が一人で見回りをしている時や、一人でいる斥候に出会ったときくらいだ。だが、そのような場面でのんきに、敵兵と1対1でボカスカ殴り合うような暇などない。
笛を鳴らされる前に、一瞬の不意打ちで息の根を止めるか、魔法で捕縛するか、やり過ごす。
立場が逆だった場合、何とか第一刀を躱して合図の笛を鳴らし、応援が来るまで粘る。
その他の場面でも、とにかく戦場では常に背後からの攻撃がつきものだったのだ。……無論この『背後』とは味方からの攻撃、という意味も含まれるが。
「向こうだって死にたくないんです。強い相手を見れば、助けを呼びますし大勢で袋叩きにします。1対1では無敵の戦士が、万全な対策をした集団から一斉攻撃を受けて死んだ事例が何度あったと思います?」
「……なるほど、こちらが勝ち続けても、いずれは対策されるということか……」
「ええ。それに、この国では複数人を相手にした訓練をしていなかったのは、シルートの発言で分かっていましたから」
そう、ちらりとヨハンナの方を見てつぶやく。
「ぐ……。けど、兵士の登用試験では……そんなの科目になかったし……」
「ええ。ですのでそこを突いたんです。あと、卑怯と言うのは戦場では賛辞でしかないですから」
俺はいつも『強い敵』よりも『卑怯な敵』と戦う時の方がはるかに恐怖心を持って戦っていた。
だからこそ『卑怯』と言われることは不服どころか誇りにすら思っていた。
「なるほど、よくわかった。……私の想定とは違う勝ち方だったが、良いだろう。そなたの入国を許可する。……今後の試験では対多人数用の戦いも考慮せねばな」
魔王ヨルムはそう言ってくれた。
「やりやしたね、二コラさん! 今日はうちでお祝いしやしょう!」
「ああ、そうだな! ……ありがとう、シルート!」
「く……」
だが、その状況を顔を真っ赤にしながらヨハンナは見ていた。
その様子を見て、俺はフォローするように答える。
「魔王様。……今回の戦いは、彼女の想定外です。どうか彼女を責めないでください」
「な……!」
「ああ、もちろんだ。寧ろ、我が軍の弱みを教えてくれたのだからな。あとで褒美を取らすぞ、ヨハンナ」
「はい……ありがたく……」
だが、彼女にとってそのような情けは、却ってプライドを傷つけてしまったのだろう。
ヨハンナは俺に対して憎らしそうにしながらも、
「この借りと貸しは……必ず返してもらうし、返してあげるから……覚悟しておいてくださいね……!」
そう俺につぶやいていた。
「さあ、今日は新入りが入ったことですし、みんなで楽しく飲みやしょう!」
「おお、いいな!」
「フフフ、お姉さんも嬉しいわね……」
シルートの家は、今でいうところの『シェアハウス』だった。
複数の人たちが台所などの共同な場所を使うが、寝室は基本的に個室だ。
「二コラさん、お金ないんすよね?」
「え? ……ああ、正直もう残り少ないからな。家賃はその……」
「じゃあ、あっしと相部屋にしやしょうよ! 男同士だし、別に気を遣うってこともありやせんよね?」
「え、いいのか?」
もし相部屋にしてもらえたら家賃は半額で済む。
そう言われて俺は、二つ返事で了承した。
「ハハハ、シルートはお人よしだよな、本当に」
「そうよねえ。もうちょっと若かったら、お姉さんの彼氏にしたんだけどねえ……」
そんな風に同じシェアハウスの住民たちは笑っていた。
人数は10人前後で、全体的な年齢層は極めて高く、シルートも含めて中高年の男性が多い。
「二コラ君だっけ? お姉さんが欲しかったら、しっかり稼いでね? 二コラ君なら、金貨1枚にまけておくから」
「あ、はい……」
その中に一人だけ、恐らく娼婦と思われる30代くらいの女性がいる。
だが、恐らくシェアハウスの住民とも仲が良いのだろう、周りのメンバーとは家族のようになっており、性的な匂いは感じさせない。
「にしても、二コラさんの持ってきてくれた酒は旨いっすねえ。あっしらの安酒とは全然違いやすよ」
「けど、シルートの作ってくれた、このマッシュポテトみたいなやつも旨いよ。まるで肉を食ってるみたいだ」
彼らが作ってくれた料理は芋や豆類が主だ。
その中で、たっぷりの牛脂とにんにく、残り物の野菜と森で摘んだキノコを使ったスープが俺は一番気に入った。
「ヒヒ、あっしらはあまり肉が食えないから、せめて代用にってことで、こういうのを作るんすよ」
「へえ……。ところでさ、シルート? このスープ、持ってっていいか?」
「え? 勿論構わないっすけど、どちらに?」
「この先にある、ヨハンナの家に。……昼間のお詫びにってことでな」
昼間に魔王ヨルムが言っていたように、ヨハンナは実はこのあたりのいわゆる『貧民街』の出身だった。
その為、家は割と近い。
「それなら、あっしも折角なんで一緒にいきやす。道中は危険っすからね」
「いいのか? ありがとうな、助かるよ」
そう言って俺は、シェアハウスを後にした。
幸いなことに、今夜は満月で明るい。
また、このあたりは貧民街とは言えども治安はそこまで悪くはない。
「ここがヨハンナさんの家っすね」
シルートは、この貧民街の中では比較的大きいヨハンナの家を指さした。
窓の外からでも、彼女と思しき人影が小さなランプを使って勉強しているのが分かった。
「……すごいな、まだ勉強しているのかな……」
「ええ、いっつも言ってやしたから、ヨハンナさんは。……私は才能がないから、努力するんだ、あんた達と違って、上を目指すんだって……凄いっすね」
そのシルートの発言から考えて、あまりヨハンナはこのあたりの住民とかかわりを持ちたがらないのが分かった。
俺は玄関をノックした。
「すみません、そこのシェアハウスのものなんですけど……」
「え? ……ああ、シルートさんかい?」
俺がそういうと、家から中年の女性がひょっこりと顔を出してきた。
恐らく、ヨハンナの母だろう。
「ええ。今日から移民としてやってきた、二コラさんの挨拶もかねて差し入れに来たんす」
「いつもありがとうねえ。……あら、今度の子は、ずいぶん若い方ねえ? ……ヨハンナと同年代かしら?」
「はい、二コラと言います。よろしくお願いします」
そう言って俺は、精いっぱい愛想よく、彼女の挨拶をした。
すると彼女も、どこか俺を見て安心したような様子を見せた。
「ウフフ、ずいぶん元気な方ですね。ええ、よろしくお願いします」
「あの、これをどうぞ。シルートの作ってくれたスープと……隣国で貰った砂糖菓子です」
そういうと、俺は酒と同様に、隣国で仕入れてきた砂糖菓子を渡した。
いざという時の非常食を兼ねていたが、この国に着いた以上、もう持ち続ける必要もない。
それを見ると、彼女は嬉しそうな顔をした。
「あらあら、こんな素敵なものくれるなんて、ありがとうねえ! ……そうだ、お礼をヨハンナにも言わせないとね。ちょっと呼んでくるわ?」
そういうと、母親はヨハンナを呼び出す。
すると、面倒くさそうな声と共にヨハンナが降りてきた。
「あ、あなたは昼間の!」
彼女は俺を見るなり、ムッとしたような表情を見せた。
「ええ、二コラです。……その、お昼のお詫びと思って差し入れを持ってきたんですが……」
「……なんですの、これ?」
「隣国で貰ったお菓子です。その……」
一見つっけんどんな態度を見せているが、彼女ののどがゴクリとなるのが分かった。
彼女は甘いものが好きなのだろう。
「……フン! ま、まあ貰っておきますね」
「え? あ、はい……」
だが、彼女はお菓子を受け取ると、すぐにまた不機嫌そうな表情を見せた。
「さて、用が済んだら出て行ってくださいます? まだ私は、今日の勉強が済んでいませんから」
口ぶりから考えて、いつも夜遅くまで勉強しているのだろう。
シルートは心配そうに尋ねる。
「勉強、大変っすね、ヨハンナさん。たまにはあっしらと一緒に、飲みやせんかね?」
シルートはそう心配そうに尋ねるが、ヨハンナは怒るような口調で答える。
「結構です。あなた達三下のように努力もしないで、現状に甘んじている怠け者と一緒にしないでくださいます?」
「ハハハ! ま、怠け者ってのは間違ってやせんね」
彼女の態度に対しても、シルートは平然と受け流す。
その様子に、俺もあんな風になれるようにならないとな、と思った。
「私みたいに才能が無くって、環境も恵まれない凡人は、努力を重ねないと勝ち組になれませんの。遊んでいる暇があったら、二コラも私みたいに勉強したらどう?」
俺はその発言に、少し違和感を感じた。
「いや、それは違うんじゃ……」
だが、彼女は俺の発言に興味なさそうにドアに手を書ける。
「とにかく、あなた達と遊んでる暇なんてないですの。出てっていただけます?」
「ちょっと、ヨハンナ……」
「……ええ、また来やすね。お母様方もお体にはお気をつけてくだせえ」
母親がどこか心配そうな顔をしていたのを見て、シルートは俺に、もう帰ろうと言ってきた。
俺達がシェアハウスに戻ると、すでに宴会は終わっていた。
すでに後片付けはすべて終わっており、俺達は寝るだけで良い状態になっていた。
シルートは俺に対して申し訳なさそうに頭を下げる。
「すいやせんね。ヨハンナさんって昔っからああなんすよ。勉強や訓練はすっごい頑張るんですけど……あっしらみたいな貧困層と関わるのは嫌うんすよね……」
「シルートが謝ることじゃないだろ? ……それに、彼女の気持ちも分かるからな」
この国は『実力主義』であり、結果を出せば高い地位を得ることができるという素晴らしい制度がある。
だからこそ、ヨハンナのように、一生懸命努力することで現状を変えようとする人はいるだろうし、俺はそれを魅力的だとは思う。
「けど……。ああいうタイプは、きっと将来まずいことになるよなあ……」
「ええ。実はあっしも、そのことを心配してるんすよ……」
シルートも俺と同意見だったようで、心配そうな表情を見せた。
「ま、今日のところはしょうがありやせんし、もう寝やしょうか?」
「ああ、そうだな。おやすみ、シルート?」
幸いこのシェアハウスは二段ベッドになっており、相部屋では困らなかった。
しかも、シルートは上側を譲ってくれたので、俺はそこで寝ることになった。
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