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第1章 「常に他者を第一に考えられる人類」を作った魔王、ヒルディス
1-8 相手に尽くされすぎるのは、却って辛いものです
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それから数か月が経過した。
俺は、彼女から魔力を奪ってしまった夜から決めていた。
彼女から奪ってしまった魔力の分の借りは、命に代えても返さないといけない。
「おはよう、イルミナ! 今日も可愛いな、すっごい素敵だよ!」
「ウフフ、ありがと、二コラ?」
そう言って俺は全力の笑顔を向けながら、イルミナに昼食の弁当を手渡した。
……まず借りを返す前段階として、一瞬たりとも彼女に不機嫌な表情を見せてはいけない。俺はそう戒めるようになったからだ。
「今日もイルミナの好きなもの一杯作ったからな? 栄養も考えたつもりだから」
「いいの? じゃあ明日は私に作らせてね?」
「いいのか? ありがとう、嬉しいよ!」
俺はイルミナのやってくれていたお弁当作りや母屋の掃除などを全て代わりに引き受けるように提案した。
だがイルミナは『だったら、せめて折半』と言ったので、今は日替わりで家事を行っている。そもそも彼女は俺に対して「貸しを作った」という認識はないようだ。
「イルミナ、いつもありがとうな? 嬉しいよ、そばにいてくれて?」
「そう? それなら私も嬉しいわ。喜んでくれて、こっちこそありがとう!」
……もしイルミナが『俺と結婚したい』と言ったら俺は即了承するつもりだった。
だが、数か月一緒に暮らして、それは無いと確信できた。
確かにイルミナは俺のために金も、体も、魔力も、なんだって差し出してくれる。……俺たちの国の感覚では、少々逸脱するほどにだ。
たとえば、俺がデートの時に「あれ美味しそうだな」と言ったら、次の日の夕食には、それが並んでいた。……しかも彼女は、完成までに何時間も費やしていたとのことだった。
「あれかっこいいな」と思って服を見ていたら、それを察したイルミナ次の日にはその服を買ってくれた。……かなり高い服だったが、貯金をおろしてくれたとのことだった。
一方、彼女から俺の方に「何かしてほしい」と要求することはこの数か月で一度もなかった。
俺がイルミナの望むものを買おうとすると、必ず一番安いものを要求してくる。
俺が料理が失敗したとしても笑って許してくれる。
……つまり彼女は俺に『与えること』を望むが『受け取ること』を全く求めないのだ。
(……はあ……また、今日も借りが増えたな……)
そう思わない日はこの数カ月でほぼなかった。
彼女から受け取る借りは膨らむ一方で、俺はそれが重荷に感じるようになってきた。
「ねえ、二コラ? 今度さ、バザールに一緒に行かない?」
「え? そ、そうだな。……別に今欲しいものはないけど、散歩するのもいいしな」
こんな風に俺は、最近では欲しいものや、やって欲しいことを絶対に口にしないよう、態度に出さないようにするようになった。
口にするのはイルミナへの愛情表現と感謝の言葉だけで十分だ。
「なあ、イルミナ? 俺は……イルミナにしてもらった分、恩返しできてるかな?」
「え? 勿論よ。一生傍に居て欲しいなら、いるから安心して?」
俺がそんな風に聞いても、イルミナはそう言って笑ってくれる。
そんな彼女を俺は何度も抱きしめて……いや※抱き締めさせてもらっていた。
(※キス以上のことをしなければ魔力の譲渡が行われないことは、彼女と両親のやり取りで二コラは分かっている)
……はっきり言って、イルミナは見た目も性格も魅力的で、嫌う要素なんかない。
そもそも、彼女ほど尽くしてくれる人を嫌う資格なんて、俺にはない。
(けど、俺は……本当に彼女を幸せにできているんだろうか……)
俺は、そうも感じていた。
そして、そんなある日の夜。
……俺は、その日夢を見ていた。
イルミナと一緒に可愛い子どもを育て、そして二人で笑っている夢だった。
そして子どもはいつしか大きくなり、大人になった娘が、俺にご飯を作ってくれている場面になっていた。
「ねえ、お父さん? おいしい?」
「ああ、おいしいな、このシチュー……」
「ウフフ、よかった! あたし、お父さんのお嫁さんになってあげるために頑張ったんだもん!」
その言葉に、夢の中の俺はびくりと体を震わせた。
「え? ……俺の、お嫁さん?」
「だってお父さん言ってたでしょ? 『ずっとお嫁に出さない!』『お父さんのお嫁さんになってほしい』って!」
「それは、お前が小さい時の話で……」
「いやだなあ! 小さい時の話だからって、あたしが忘れるわけないじゃない! 大丈夫よ、私はどこにもお嫁に行かないし、お父さんのお嫁さんとして死ぬまで働いてあげるね!」
そういって娘は俺に金貨の入った袋を渡してきた。
「はい、今月のお給料! お父さん、欲しいものあったらこれで好きなもの買ってね!」
「……やめろ……俺は、そんな父親にはなりたくないんだ!」
そう思って手を払いのけた。
すると娘は、悲しそうな顔をして俺のほうを見ると、申し訳なさそうに謝ってきた。
「どうしたの、お父さん? ……そっか、お嫁さんなのに『お父さん』って言い方がよくなかったよね? あなた、っていえばいいよね?」
「だから、やめてくれ……! それにお前だって、いい相手はいるんだろ?」
「大丈夫、ボーイフレンドもみんな、この話をしたら納得してくれたから! だから、これからも死ぬまで一緒だよ! 『あなた』?」
「は!」
俺はその瞬間、真っ青になってベッドから跳ね起きた。
汗で寝巻がびしょびしょになっている。
「夢……? いや、正夢だろうな、多分……」
時刻は真夜中。隣には、イルミナが眠っていた。
「ぐ……」
彼女の愛らしい寝顔を見ていると、猛烈に吐き気がしてきた。
……俺は彼女に何もしてあげられてない。なのに彼女は何をしても俺のために尽くしてくれるのだ。
最悪の場合、彼女との子どもも同じように俺に尽くしてくれ、そして俺はそんな子どもから将来を奪うことになるかもしれない。
その猛烈な罪悪感と不安から、俺はトイレに走り、胃に残っていたものを全部出した。
「はあ、はあ……」
俺はトイレで胃にあったものを一通り出して、ようやく落ち着いた。
……だが。
(あれ、明かりが点いている……)
俺はリビングの明かりはつけたつもりはなかった。
勘違いだったのか? と思って灯りを消そうとしたが、
「大丈夫、二コラ?」
……そこにはイルミナが心配そうにしながら、椅子に座って待っていた。
「イルミナ、起きたのか?」
「うん。二コラが急にトイレに立ったから心配したんだよ。……はい」
そう言って、彼女は暖かいミルクを出してくれた。
……俺がトイレに行っている間に淹れてくれたのだろう。
「お腹、冷やさないようにね? ……眠れそう?」
「どうだろうな……」
俺は彼女からホットミルクを受け取った。
……美味い。俺の好きな温度を覚えてくれているんだ。
イルミナは俺の方を見て、フフフ、とニコニコ笑ってくれた。
「そうだ、寝れないなら朝までお話ししよっか? きっと、その方が気もまぎれるわよ?」
「けど、イルミナは明日も早いんじゃ……」
「いいのよ、二コラの体調の方が大事だもの。……そうだ、膝枕してあげる。こっちに来て?」
そう、屈託のない笑顔で俺に尽くしてくれるイルミナ。明日は仕事で朝が早い。そのはずなのに、体調が悪い俺と夜が明けるまで話をしてくれるという。
……ああ、また俺は彼女に迷惑をかけ、彼女に借りを作ってしまった。
俺は彼女の優しさに対して、また猛烈な罪悪感を感じた。
「どうしたの、二コラ? 泣いてるの? まだ、お腹痛い?」
「あ、いや……。たださ、急に眠くなってきたから……一緒に寝ようか?」
「そう? わかったわ」
そう言って俺はイルミナとベッドに戻った。
「イルミナ、愛してるよ、好きだよ、ありがとう……」
「うん……ありがと、嬉しいよ、二コラ……」
俺は半ば義務のような気持ちで、彼女にそう愛の言葉を告げていた。
……正直、俺は彼女に尽くしてもらっていることが重荷になっている。
俺は彼女に借りを作れば作るほど、彼女に対して『嫌ってはいけない』『愛さなくてはいけない』と、耳元で何度も大声で叫ぶように命令をする自分がいるのを感じていた。
もはや俺は、彼女に対して敵意や不満を持った瞬間に気分が悪くなるくらいだった。
そのせいで、体重もずいぶん落ちてしまった。
俺は彼女にしてあげられていることが、してもらっていることに比べてあまりに少ない。
彼女がしてくれたことに感謝することすら重荷になっていることがさらに自己嫌悪を加速させる。
(きっと俺は……。この国では一番市場価値が低い男なんだよな……)
それでも、この国の男たちが俺より屑ばかりだったら、まだある意味ではよかった。だが、この国の住民は、彼女以外の人たちもまた、他者のことを第一に考えるような人ばかりだ。
きっと俺よりもずっと上手に、彼女が喜ぶもの、彼女が幸せになる人生を与えられるのは確定だからだ。
そう思っていた翌日、決定的な出来事が起こることとなった。
俺は、彼女から魔力を奪ってしまった夜から決めていた。
彼女から奪ってしまった魔力の分の借りは、命に代えても返さないといけない。
「おはよう、イルミナ! 今日も可愛いな、すっごい素敵だよ!」
「ウフフ、ありがと、二コラ?」
そう言って俺は全力の笑顔を向けながら、イルミナに昼食の弁当を手渡した。
……まず借りを返す前段階として、一瞬たりとも彼女に不機嫌な表情を見せてはいけない。俺はそう戒めるようになったからだ。
「今日もイルミナの好きなもの一杯作ったからな? 栄養も考えたつもりだから」
「いいの? じゃあ明日は私に作らせてね?」
「いいのか? ありがとう、嬉しいよ!」
俺はイルミナのやってくれていたお弁当作りや母屋の掃除などを全て代わりに引き受けるように提案した。
だがイルミナは『だったら、せめて折半』と言ったので、今は日替わりで家事を行っている。そもそも彼女は俺に対して「貸しを作った」という認識はないようだ。
「イルミナ、いつもありがとうな? 嬉しいよ、そばにいてくれて?」
「そう? それなら私も嬉しいわ。喜んでくれて、こっちこそありがとう!」
……もしイルミナが『俺と結婚したい』と言ったら俺は即了承するつもりだった。
だが、数か月一緒に暮らして、それは無いと確信できた。
確かにイルミナは俺のために金も、体も、魔力も、なんだって差し出してくれる。……俺たちの国の感覚では、少々逸脱するほどにだ。
たとえば、俺がデートの時に「あれ美味しそうだな」と言ったら、次の日の夕食には、それが並んでいた。……しかも彼女は、完成までに何時間も費やしていたとのことだった。
「あれかっこいいな」と思って服を見ていたら、それを察したイルミナ次の日にはその服を買ってくれた。……かなり高い服だったが、貯金をおろしてくれたとのことだった。
一方、彼女から俺の方に「何かしてほしい」と要求することはこの数か月で一度もなかった。
俺がイルミナの望むものを買おうとすると、必ず一番安いものを要求してくる。
俺が料理が失敗したとしても笑って許してくれる。
……つまり彼女は俺に『与えること』を望むが『受け取ること』を全く求めないのだ。
(……はあ……また、今日も借りが増えたな……)
そう思わない日はこの数カ月でほぼなかった。
彼女から受け取る借りは膨らむ一方で、俺はそれが重荷に感じるようになってきた。
「ねえ、二コラ? 今度さ、バザールに一緒に行かない?」
「え? そ、そうだな。……別に今欲しいものはないけど、散歩するのもいいしな」
こんな風に俺は、最近では欲しいものや、やって欲しいことを絶対に口にしないよう、態度に出さないようにするようになった。
口にするのはイルミナへの愛情表現と感謝の言葉だけで十分だ。
「なあ、イルミナ? 俺は……イルミナにしてもらった分、恩返しできてるかな?」
「え? 勿論よ。一生傍に居て欲しいなら、いるから安心して?」
俺がそんな風に聞いても、イルミナはそう言って笑ってくれる。
そんな彼女を俺は何度も抱きしめて……いや※抱き締めさせてもらっていた。
(※キス以上のことをしなければ魔力の譲渡が行われないことは、彼女と両親のやり取りで二コラは分かっている)
……はっきり言って、イルミナは見た目も性格も魅力的で、嫌う要素なんかない。
そもそも、彼女ほど尽くしてくれる人を嫌う資格なんて、俺にはない。
(けど、俺は……本当に彼女を幸せにできているんだろうか……)
俺は、そうも感じていた。
そして、そんなある日の夜。
……俺は、その日夢を見ていた。
イルミナと一緒に可愛い子どもを育て、そして二人で笑っている夢だった。
そして子どもはいつしか大きくなり、大人になった娘が、俺にご飯を作ってくれている場面になっていた。
「ねえ、お父さん? おいしい?」
「ああ、おいしいな、このシチュー……」
「ウフフ、よかった! あたし、お父さんのお嫁さんになってあげるために頑張ったんだもん!」
その言葉に、夢の中の俺はびくりと体を震わせた。
「え? ……俺の、お嫁さん?」
「だってお父さん言ってたでしょ? 『ずっとお嫁に出さない!』『お父さんのお嫁さんになってほしい』って!」
「それは、お前が小さい時の話で……」
「いやだなあ! 小さい時の話だからって、あたしが忘れるわけないじゃない! 大丈夫よ、私はどこにもお嫁に行かないし、お父さんのお嫁さんとして死ぬまで働いてあげるね!」
そういって娘は俺に金貨の入った袋を渡してきた。
「はい、今月のお給料! お父さん、欲しいものあったらこれで好きなもの買ってね!」
「……やめろ……俺は、そんな父親にはなりたくないんだ!」
そう思って手を払いのけた。
すると娘は、悲しそうな顔をして俺のほうを見ると、申し訳なさそうに謝ってきた。
「どうしたの、お父さん? ……そっか、お嫁さんなのに『お父さん』って言い方がよくなかったよね? あなた、っていえばいいよね?」
「だから、やめてくれ……! それにお前だって、いい相手はいるんだろ?」
「大丈夫、ボーイフレンドもみんな、この話をしたら納得してくれたから! だから、これからも死ぬまで一緒だよ! 『あなた』?」
「は!」
俺はその瞬間、真っ青になってベッドから跳ね起きた。
汗で寝巻がびしょびしょになっている。
「夢……? いや、正夢だろうな、多分……」
時刻は真夜中。隣には、イルミナが眠っていた。
「ぐ……」
彼女の愛らしい寝顔を見ていると、猛烈に吐き気がしてきた。
……俺は彼女に何もしてあげられてない。なのに彼女は何をしても俺のために尽くしてくれるのだ。
最悪の場合、彼女との子どもも同じように俺に尽くしてくれ、そして俺はそんな子どもから将来を奪うことになるかもしれない。
その猛烈な罪悪感と不安から、俺はトイレに走り、胃に残っていたものを全部出した。
「はあ、はあ……」
俺はトイレで胃にあったものを一通り出して、ようやく落ち着いた。
……だが。
(あれ、明かりが点いている……)
俺はリビングの明かりはつけたつもりはなかった。
勘違いだったのか? と思って灯りを消そうとしたが、
「大丈夫、二コラ?」
……そこにはイルミナが心配そうにしながら、椅子に座って待っていた。
「イルミナ、起きたのか?」
「うん。二コラが急にトイレに立ったから心配したんだよ。……はい」
そう言って、彼女は暖かいミルクを出してくれた。
……俺がトイレに行っている間に淹れてくれたのだろう。
「お腹、冷やさないようにね? ……眠れそう?」
「どうだろうな……」
俺は彼女からホットミルクを受け取った。
……美味い。俺の好きな温度を覚えてくれているんだ。
イルミナは俺の方を見て、フフフ、とニコニコ笑ってくれた。
「そうだ、寝れないなら朝までお話ししよっか? きっと、その方が気もまぎれるわよ?」
「けど、イルミナは明日も早いんじゃ……」
「いいのよ、二コラの体調の方が大事だもの。……そうだ、膝枕してあげる。こっちに来て?」
そう、屈託のない笑顔で俺に尽くしてくれるイルミナ。明日は仕事で朝が早い。そのはずなのに、体調が悪い俺と夜が明けるまで話をしてくれるという。
……ああ、また俺は彼女に迷惑をかけ、彼女に借りを作ってしまった。
俺は彼女の優しさに対して、また猛烈な罪悪感を感じた。
「どうしたの、二コラ? 泣いてるの? まだ、お腹痛い?」
「あ、いや……。たださ、急に眠くなってきたから……一緒に寝ようか?」
「そう? わかったわ」
そう言って俺はイルミナとベッドに戻った。
「イルミナ、愛してるよ、好きだよ、ありがとう……」
「うん……ありがと、嬉しいよ、二コラ……」
俺は半ば義務のような気持ちで、彼女にそう愛の言葉を告げていた。
……正直、俺は彼女に尽くしてもらっていることが重荷になっている。
俺は彼女に借りを作れば作るほど、彼女に対して『嫌ってはいけない』『愛さなくてはいけない』と、耳元で何度も大声で叫ぶように命令をする自分がいるのを感じていた。
もはや俺は、彼女に対して敵意や不満を持った瞬間に気分が悪くなるくらいだった。
そのせいで、体重もずいぶん落ちてしまった。
俺は彼女にしてあげられていることが、してもらっていることに比べてあまりに少ない。
彼女がしてくれたことに感謝することすら重荷になっていることがさらに自己嫌悪を加速させる。
(きっと俺は……。この国では一番市場価値が低い男なんだよな……)
それでも、この国の男たちが俺より屑ばかりだったら、まだある意味ではよかった。だが、この国の住民は、彼女以外の人たちもまた、他者のことを第一に考えるような人ばかりだ。
きっと俺よりもずっと上手に、彼女が喜ぶもの、彼女が幸せになる人生を与えられるのは確定だからだ。
そう思っていた翌日、決定的な出来事が起こることとなった。
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