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第2章 弓士団としての初仕事

気持ちは残せないけれど

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さて、リオがこの後ナンパに成功したかについては後に語るとして、セドナ達はこの日、朝から宿の一室にこもっていた。

「ロナ隊長、頼まれていた資料の作成が出来たぞ」
「あら、もうできたの? あなた、本当に仕事早いわね」
セドナの書類をざっと確認し、ミスがないと判断したロナはその資料を脇に置いた。
「しかも、早くて正確ね。文法の誤りもないし……あなた、本当はエルフなんじゃないの?」
「んなわけないだろ。耳だってあんたたちほど長くないじゃんか」
「ま、そうよね」
そのやり取りを面白くなさそうに、チャロは口をはさんだ。
「今の言い方、失礼だな……。まるで、エルフが人間より優秀みたいじゃん」
「別に、そういうつもりじゃないわよ。……ただ、人間でエルフと同じ文章を書けるなんて、珍しいと思ったから、そう思っただけよ」
「ふうん。そんなに人間とエルフの文章って違うんだね」
「私も、人間の文章を読むと、驚いたわ。だって、文章に『物語』が出来ていないし『感情』も伝わってこないんだもの。ただ情報の羅列を書くだけだと、読んで面白くないわ。」
「いや、報告書に面白さも情緒もいらないだろ?」
セドナは参考書として使用していた本を閉じながら、首をかしげる。
「その癖、同じ意味の違う言葉ばかり使うから、読みづらいのよね。本当に人間の文章って不思議だわ

「ま、その辺は価値観の違いってものだろうな」
「そうみたいね。けど、文章に『物語』をこめないのは人間だけよ。……だって、リオの書いた報告書を読んでみなさいよ?」
途中で添削につかれたのだろう、訂正だらけの報告書を、ロナは呆れるような口調で手渡した。
「うわ……。これはひどいな……」
セドナは、その書類を見て頭を抱えた。あまりに、報告書が典型的な「夢魔構文」だったからだ。
まず、報告書の出だしはこのようになっている。

『○○月××日
本日未明、空からは太陽から陽光が差し込み、美麗で美しい朝だった。小隊の9人のうち8人の隊長は極めて良好。しかし、なんということだろう!この爽やかな朝のように麗しきロナ隊長は腹痛を訴えており、苦しそうに苦痛を訴えていたのであった』

「はあ……。『感動体』の表現を止めろって言ったのになあ……」
セドナは呆れながらペンを手に取った。
エルフは文章を「人生」と捉えるのであれば、夢魔は、文章を一つの「恋愛」として捉えている。
その為、文章の中に『感動詞』を取り混ぜることが多い。人間が作文に書いたら、一発で先生から赤ペンを入れられるところだ。
また、感情表現を文中に織り交ぜる際に、より強い感情を訴えるためか「泣きながら慟哭した」「笑顔で爆笑した」など、いわゆる「重言」と言われる表現を使うことが多い。
「そうまでして、気持ちを揺さぶりたいのかね、夢魔ってのは……」
そうつぶやきながら、セドナは添削を続けた。

『そして正午。
我々は実直なるセドナ副隊長の指示により、歩幅を速めていた。その途中、一人の商人に遭遇した。
その商人の腰につるされていたのは、古き短剣。刻み込まれた傷は、その商人の人生。あるいは、そう……。圧政に耐えながらも子どもを守るため、傷つけたくないものを傷つけてきたのであろう。だが、彼の罪を誰が咎めようか!その罪は彼ではなく、圧政を敷いていた国にこそ贖うべきなのだ」
「はあ。今度は『情動文体』か……」
「やっぱり、リオは生粋の夢魔なのね。……セドナ、ちゃんと直しておいてね」
「はいはい……」
夢魔は情動のままに生きる種族であり、感情の揺れない文章を極端に嫌う。
その為、一つの文章の中に必ず1センテンスは「相手の喜怒哀楽を揺らす文章」を入れてくる。このような「情動構文」をいかなる文章にも居れる特性が、夢魔にはある。
小説や手紙であればまだ理解できるが、一般的な報告書、果ては道具の説明書に至るまで「情動構文」を入れるのが、夢魔の特徴だ。
「このあたりの文章は丸ごとカットしていいな……」
そう思いながら、リオの赤点報告書をセドナは書き直していた。

「にしてもさ、セドナの話を聴いていて思ったんだけど……なんで夢魔って、こんなに感情を大事にするの?」
チャロは宿の店主から譲ってもらったお茶を淹れながら、隣で勉強をしていた夢魔の少年に訊ねた。
「なんでって……。気持ちが揺れないことに、何の意味があるんですか?」
「別に、意味なんて考えたこともないけど?」
少年は手を止めずに笑顔を見せた。
「だって、人生は短いんですから! 1回でも多く笑ったり泣いたりしないと、すっごい損だって思いませんか?」
「そうかな……。笑ったり泣いたりってそんなに大事?」
「……まあ、こう考えるのもこれは僕たちが短命だからなのかもしれませんね……。顔に皺を浮かべたサキュバスや、白髪の出始めたインキュバスを、チャロさんは見たことがありますか?」
「いや……ないね」

サキュバスやインキュバスには、いわゆる『中高年』と呼ばれる世代は存在しない。これは、彼ら・彼女らが不老の存在だからだ。

だが、これは『他種族よりも老いが来るのが遅い』ためではない。
……わずかでも身体に老いが来ると、たちまち老衰死を迎える種族というだけに過ぎない。
「僕ら夢魔の人生は短いんですから。だから、少しでも『今』を大事にしたいんですよ!」
そう言いながら、少年は羊皮紙を裏返し、書き取りを続けた。夢魔や人間は基本的にお金がないので、1枚の紙を真っ黒になるまで使い続ける傾向がある。
「文字の読み書きを覚えるのが、今のキミのやりたいことなの?」
「そうですよ! だって、今の気持ちはすぐに消えちゃうけど、文章はずっと残るじゃないですか!子どもの時に感じたことをずっと残せるって、すごいことじゃないですか?」
「……そ、そうね……」
その話を横で聞きながら、ロナは少年の理論に苦笑した。
おそらく、学生の時に書いたポエムか何かを机の中に残しているためだろう。
『その時の気持ちを残す』と言うことは、「若気の至り」も同時に残し続けてしまうということなのだが、若者のまま死んでしまう夢魔には、文字通り一生理解できないことは言うまでもない。
……悪いことは言わない。今そのようなポエムを机の中にしまっている読者諸君は、早めに処分しよう。
「気持ち、ねえ……」
だが、チャロはその少年の理論を聞き、少し考えるこむようなしぐさを見せた。
「……そうだ、チャロさんも一緒に読み書きを覚えませんか? 文字を書けるようになったら、気持ちを残せることがどれだけ素敵か、分かりますよ!」
「お、そりゃいいな! よかったら、俺も教えるぞ?」
以前からチャロに勉強を教えたがっていたセドナも、それに賛同した。だが、チャロは面倒くさそうに首を振った。
「それは嫌。だって、勉強って面倒じゃん」
「……やれやれ……ま、無理にとは言わないけどさ……。ちょっとランプの明かりが切れそうだから油もらってくるな」
少し呆れながらも、セドナは席を立った。
その様子を見て、チャロは小声で少年に耳打ちをする。
「……あ、でも……ちょっといい?」
「なんですか、急に小声になって……」
「その、なんだ……。『気持ち』を相手に残せるってのは、少し興味が出たよ」
「ですよね! やっぱり、分かりますか?」
「そ、それでさ……。相手に好意を伝えるような、言葉だけは教えてくれないか?」
「好意? ああ、そう言うことですか……。良いですよ?」
そう言いながら、少年はいたずらっぽく笑みを浮かべると、辞書を取り出した。

それから、夕食をはさみ、夜もすっかり更けこんだころ。
「ん、外からなんかすごい泣き声が聞こえなかった?」
「あの泣き声はリオでしょ? なーんで、泣いてるんだろうね……」
ニヤニヤと笑みを浮かべるチャロ。
セドナはその様子に少し疑問に思いながらも、最後の文章を書き上げ、ペンを置いた。
「ふう、何とか書き直したぞ。ロナ隊長はどうだ?……って、もう終わってんのか……」
「あら、思ったより早いのね」
セドナが書類を終わらせたとき、ロナはとっくに仕事を済ませており、個人的な用途と思われる手紙を書いていた。
「にしてもロナ隊長は凄いな。普通、あれだけの仕事、絶対徹夜になるぞ?」
「セドナが手伝ってくれたおかげよ。そうじゃなかったら、朝まで終わらなかったわ」
二コリ、と微笑みかけるロナ。相変わらずの美貌に危機感を感じたのか、チャロは遮るように手を振った。
「あのさ!私も手伝ったから早く終わったってこと、忘れないでね!」
「はいはい。雑用お疲れ様。見てて退屈しなかったわ」
チャロがむっとした顔をするのをとりなすように、セドナは話題を変えた。
「……にしても、隊長くらい仕事が出来たらもっと出世する気がするんだけど、もっと上は目指さないのか?」
「そうね……。今は、ちょっと出世はしたくないわ」
「今は?」
「そ。出世すると残業も増えるでしょ?それが嫌なのよ」
「ふーん。あんた、実は怠け者ってことなのね?」
横から茶々を入れるチャロを無視して、ロナは続ける。
因みに、この日ずっとセドナ達の世話をしていたチャロだったが、とうとうロナには一度もお茶を淹れることはなかった。
「……だから、あなたたちも問題は起こさないでね? 責任取るのは私なんだから……」
「ああ、分かったよ。ところで、今書いてるのは手紙か?」
「ええ。……恋人に、ね」
「どうせあと数日したら帰れるでしょ?それなのに手紙書くなんて、ホームシック?」
「……うるさいわね。好きな人と、まだまだ一緒に居られるあなたにはわからないわよ」
普段冷静なロナが、僅かに怒気を込めた口調でチャロに言い返した。チャロもそれを感じ取ったのか、罰が悪そうな表情をした。
「ご、ごめん……。とにかく、私はそろそろ寝るね? ……セドナも、ほどほどね?」
「ああ、お休み、チャロ」
ふああ、とチャロはわざとらしくあくびをすると、隣で寝息を上げていた夢魔の少年を担ぎ上げ、部屋を後にした。

「珍しいな、チャロが一人で部屋に戻るなんて」
「きっと疲れたのよ。それより、今日はありがとう、セドナ副隊長」
「力になれたのなら、嬉しいよ。ロナ隊長は寝ないのか?」
二人っきりになった後、セドナはチャロの飲み残したお茶を流し台に運びながら笑いかけた。
「その……最後まで起きてるのが隊長の務めだもの。後片付けは私がやっておくから、もうあなたも寝たら?」
「……ん? わかった、それじゃあ俺も部屋に戻るよ」
少しロナの口調に違和感を覚えたが、セドナはそれを追求することはせず、上に上がった。

そして寝室に戻ると、相部屋になっていたドワーフは豪快な寝息を立てていた。
ドワーフの手には細かい技巧が施された、小さなブレスレットが付けられている。
「うーん……。やっぱり、この国の彫金加工は凄いんだな。……ん、これは……俺宛て?」
セドナは、机の上に『セドナ』と書かれてあった手紙を手に取った。
文字は、チャロのものだ。チャロは自分とセドナの名前だけは書くことが出来る。
「そう言えば、あのインキュバスの子に文字を学んでたもんな。……どんなことを書いたのかな?」
セドナは手紙を開いた。そこには何度も練習をしたであろう文字と、それを消す二重線が書かれていた。だが、その中央には、
「セドナ 大好き」
と大きく書かれていた。そして、その文字を包むように大きな矢羽根のマークが書かれていた。
矢羽根は、エルフが弓を引くときに最も心臓に近い位置にある。そのことから、愛情表現を示す記号として、この世界では用いられている。
「チャロ……。ありがとう。俺もチャロが、好きだよ。……違う意味の『好き』だけどな」
チャロの手紙を憂うような表情で読みながら、セドナはそれを大切に荷物袋にしまった。
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