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* 死神生活三年目&more *
第321話 死神ちゃんと酔っ払い③
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死神ちゃんは、ダンジョンに降り立つのと同時に湯けむりに包まれた。
「ういぃ~ッ! ……え? もう一杯? いやあ、悪いね! おっとっと……」
そんな声が、すぐ真横から聞こえてきた。首を振ってそちらのほうを見てみると、おっさんがひとり、すでに出来上がった状態で猿と酒を酌み交わしていた。死神ちゃんが呆れ返って口をあんぐりとさせていると、死神ちゃんがいることに気がついたおっさんがヘラヘラと笑った。彼は死神ちゃんの手を取ると、挨拶にしては少々乱暴な感じに握手してきた。
「おーう、嬢ちゃん! 久しぶりだなあ! 何でそんなところに突っ立ているんだ? 脱衣所はあちらですよ~っと! あっはははははは!」
「お前、一体どれだけの量の酒を飲んだんだよ……」
「そんなこたぁいいから! ほら! 早く! タオルはおじちゃんが貸したげるから! ほらほら! 裸のお付き合いしーましょ!」
死神ちゃんはため息をつくと、背中を丸めてトボトボと脱衣所に移動した。服を脱いでかけ湯をすると、死神ちゃんは苦い顔を浮かべてザブザブと温泉の中を歩いていった。おっさんは猿と肩を組んでとても気持ちが良さそうに歌を歌っており、死神ちゃんは再び深くため息をついた。
「お前、仕事サボッてこんなところで酒かっくらって。まさこからまた、鉄拳制裁を加えられても知らないからな」
「ふっふっふー! 本日はれすね、ちゃーんと許可を得てから来ているんれすよお! れも、こんな素晴らしいところがあるなら、まさこちゃんも連れてくれば良かったかなー」
「呂律回らなくなってきてるじゃあないか! もう飲むなって!」
「いーやれーす! ふふふふふふふふ!」
死神ちゃんがお猪口を取り上げようとすると、おっさんはそれをひょいと天高く掲げて回避した。楽しげに笑うおっさんと一緒に猿も笑いだしたのだが、心なしか煽る感じの笑いだった。死神ちゃんはレプリカごときに煽られて、少しばかりカチンと来た。
このおっさんは街で酒屋を営んでいる。まさこという名の〈悪魔と人間のハーフ〉の元ヤン嫁と息子の三人暮らしだ。彼の働きぶりはとても真面目とは言い難く、〈扱っている商品の味を知っておかねば〉という名目で昼間から飲んだくれ、お客のもとへ配達に行くことをすっかり忘れるというのは日常茶飯事だった。また、珍しい酒やつまみを求めてダンジョンにフラフラとやって来ることもしばしばなのだが、これまた仕事をサボッてやって来るため、そのたびに嫁が血の雨を降らせるというのも常だった。
しかしながら、本日はきちんと許可を得てからダンジョンに来たという。死神ちゃんが〈本日の目的〉について尋ねたが、彼は質問されたことに気づぬまま猿と酒を煽っていた。何度か声をかけたものの、死神ちゃんの声は酔っ払いの大声と猿のキーキー笑いにかき消された。苛立ちを覚えた死神ちゃんは近くに積もっていた雪に手を伸ばすと、丹精込めて雪玉を作り、酔っ払いに容赦なく投げつけた。
「ちょっ、嬢ちゃん! 何しやが―― ブッ! わっ、やめ―― イデッ! やめろっ―― ブヘッ!」
死神ちゃんは誰かが置き去りにしたであろう桶に雪を目一杯詰め込み、その上に雪玉をいくつか置いたものを用意していた。その桶を小脇に抱えて雪玉を投げつけながらおっさんに近づいていき、すぐ近くまでやってきた死神ちゃんは雪だらけとなりヒイヒイ声を上げているおっさんの口に雪を詰めてやった。
無理矢理に雪を食べさせられたおっさんは、ようやく酔いが覚めたようだった。ひどい目に遭ったと呻く彼にフンと鼻を鳴らすと、死神ちゃんは吐き捨てるように言った。
「で? 本日のご予定は何」
「嬢ちゃん、もしかして、それを聞くためだけに俺を雪責めにしたのかよ……」
「答えずに、そのまま酔いつぶれて溺死してくれてもいいぜ。……あっ、ちょっと待て、裸でお前の灰にまみれるだなんて嫌だからな。――さ、どうぞ」
死神ちゃんは温泉から上がると、うやうやしく溺死を促した。すると、酔っぱらいは顔を青くして声をひっくり返した。
「相変わらず、怖えこと言うなあ! 死ねとか灰になるとか、まるで死神のようだな!」
死神ちゃんは表情もなく、再び彼に雪玉を投げつけた。酔っ払いは手でガードして雪を遮りながら、必死に謝った。
死神ちゃんが雪投げ攻撃を止めてため息をつくと、彼も仕切り直しとでも言うかのように咳払いをした。そして笑顔を取り繕うと、彼は「本日は、捜し物をしに来ました」と述べた。
「捜し物って、どうせまた酒かつまみかだろう?」
「いや、今日はそうじゃあないよ。今年の冬は去年よりも寒いから。だから、手袋を見繕いに来たんだよ」
「は? んなもん、普通に店で買えよ」
死神ちゃんは酔っ払いを睨みつけた。すると、彼は真剣な表情で「いや、それが」と言葉を続けた。
「何でも、それだけで凄まじく防寒対策がばっちりになる手袋が、このダンジョンでは産出されるらしいんだ。どのくらい凄まじいかというと、コート類が要らなくなるほどらしい」
「手袋だけで?」
「ああ、手袋だけで。だから、愛しの妻と息子のためにどうにかゲットしたいと思ってな」
「だったら、一生懸命にそれだけ探してろよ。何うっかり温泉に浸かって、飲んだくれてるんだよ」
面目ない、と言いながら、酔っ払いは苦笑いと浮かべて頭を掻いた。彼は気を取り直して「よし」と声を上げると、突然立ち上がった。どうやら、ようやく手袋探しに行くらしい。死神ちゃんも彼のあとに続くと、身支度を整えた。
手袋を持っていそうなモンスターを探し歩きながら、酔っ払いは気付けだ何だと理由をつけては酒を煽った。そしてそれらしいモンスターと遭遇するたびに、千鳥足で向かっていき、酔拳で倒していった。
すっかりと酔いどれ状態に戻ったころ、彼は前方に男の姿を見つけた。彼は男を指差すと、腹を抱えて大笑いしだした。
「すげえ! 雪の中、素っ裸だってよー! 温泉の脱衣所まで、まだまだありますよ!? 何もう脱いでいらっしゃるんですか!? あっははははははははーッ!」
「いやあ、まあ、インキュバスさんですからね、そりゃあ脱いでますよね」
死神ちゃんが淡々とそういう言うと、彼はきょとんとした顔で「え、あのイケメンもモンスターなの!?」と驚嘆した。よくよく見ると、インキュバスは他の階に出没する者とは違ったペニスケースを身に着けていた。それを見て、酔っ払いは再びゲラゲラと笑いだした。
「やべえ! あいつ、股間に白い手袋はめてるよーッ! すげえ変態! わあお、破廉恥さん~!」
「お前が探している手袋って、もしかして、アレ……?」
身を捩って笑い転げる酔っ払いの隣で、死神ちゃんはうっそりと脱力した。その言葉を耳にして嬉しそうにインキュバスに突っ込んでいった酔っ払いの背中を見つめながら、死神ちゃんは「さすがに、それは入手しても身につけたくないなあ」と呻くように呟いた。
意気揚々と酔拳の一撃を決めてインキュバスを倒した酔っ払いは、その場に残ったミトン状の手袋を拾い上げると、躊躇なく手にはめた。そしてほっこりと頬を緩めると、幸せそうな声を漏らした。
「ああ、暖かい……。すごく、暖かい……」
「何だか、入手前の状態が状態だっただけに、お前のその言動の全てが変態性を帯びているように感じるんだが」
「ひどいなあ。でも、これはたしかに、裸でいても寒くないな。そのくらい、体の芯まで何故か暖かいよ」
彼は嬉しそうに頷くと「これは自分用にしよう」と呟いた。さすがに、アレをお包みあそばしていたものを妻子にプレゼントするわけにはいかないと思ったのだろう。
彼は再びモンスターを探して彷徨った。そして遭遇したモンスターと手袋を身に着けたまま戦闘を行ったのだが、さすがはダンジョン製、とても丈夫で乱暴に扱っても破れる気配はなかった。彼は「これならうちのカミさんでも長く使える」と喜んだ。
しばらくして、彼はサキュバスを発見した。彼は〈インキュバスが手袋を持っていたのだから、同族のサキュバスも持っているに違いない〉と思い、果敢に近づいていった。
サキュバスは彼に気づくと、魅了魔法をかけようとした。しかし、彼の頭はすでに酔いで朦朧としており、魅了魔法は意味をなさない状態にあった。彼が得意げにケラケラと笑っていると、サキュバスは彼を物理的に魅了しようと試みた。彼は顔を耳まで真っ赤に染め上げると、気恥ずかしそうにもじもじとしだした。
「いやあ、そんな。美人さんに言い寄られるのは、たしかに悪い気はしないがさあ。俺には愛しのまさこちゃんがいるから……」
「お前、そういうところだけは真面目だよな。その真面目さを、仕事にも活かせよ」
「ふふふふふー、それ、まさこにも言われるー」
呆れ顔の死神ちゃんに向かって、酔っ払いはデレデレと見をくねらせた。サキュバスは苛立たしげな表情を浮かべると、体魔吸引を酔っ払いに仕掛けた。
「あれっ!? 何もされてないのに、腰の辺りからなんか……。アアアアアアアアッ!」
彼がカラカラに干からびて灰になると、サキュバスは満足げにどこかへと去っていった。死神ちゃんは小さくため息をつくと、その場からスウと姿を消した。
**********
勤務明け。死神ちゃんは、一緒に仕事を上がった同居人たちと買い出しに来ていた。本日は同居人たちとわいわいと楽しく〈おうちごはん〉をする日で、早番の死神ちゃんたちはすでに夕飯の仕込み中である〈お料理倶楽部〉の面々から「帰りがけに買ってきて」と追加の買い出しを頼まれていたのだ。
死神ちゃんがもらったメールを頼りに商品をかごに入れていると、仲睦まじく買い物をしているサキュバスとインキュバスの姉弟と遭遇した。
「あ、小花さん! ちわっす!」
インキュバスさんが手を振る横では、サキュバスさんが例の白い手袋をして笑顔を浮かべていた。死神ちゃんは彼らに近寄っていくと、サキュバスさんに手袋のことを尋ねた。
「ああ、この手袋、お気に入りなのよ。とても丈夫だし、暖かいし。お店のお客さんから頂いたのよ」
「ちなみに、俺も同じものを持ってるっす」
「聞いてよ、薫ちゃん。こいつったら、どう手袋を使ってると思う? 料理用のミトンとして使ってるのよ? ありえないったら!」
「だって、本当に、めっちゃ丈夫なんだもん。文句言うなら、姉ちゃんが全部器具も揃えて、自分で料理しろよな」
「いやだ、あんたが作るほうが美味しいもの。――でもさ、本当にありえないから。この手袋、結構お高いのにさ。しかも、かなり人気の品だし」
仲良し姉弟はそのまま、かしましく言い合いをし始めた。死神ちゃんはにっこりと笑みを浮かべると「彼らには、レプリカがどのように手袋を使っていたかは教えないでおこう」と心に誓ったのだった。
――――温泉も、人と人との仲睦まじい姿も、手袋も。とてもほっこりとさせてくれるもの。しかしながら〈手袋〉でほっこり暖まるのは、心と手先だけでいいのDEATH。
「ういぃ~ッ! ……え? もう一杯? いやあ、悪いね! おっとっと……」
そんな声が、すぐ真横から聞こえてきた。首を振ってそちらのほうを見てみると、おっさんがひとり、すでに出来上がった状態で猿と酒を酌み交わしていた。死神ちゃんが呆れ返って口をあんぐりとさせていると、死神ちゃんがいることに気がついたおっさんがヘラヘラと笑った。彼は死神ちゃんの手を取ると、挨拶にしては少々乱暴な感じに握手してきた。
「おーう、嬢ちゃん! 久しぶりだなあ! 何でそんなところに突っ立ているんだ? 脱衣所はあちらですよ~っと! あっはははははは!」
「お前、一体どれだけの量の酒を飲んだんだよ……」
「そんなこたぁいいから! ほら! 早く! タオルはおじちゃんが貸したげるから! ほらほら! 裸のお付き合いしーましょ!」
死神ちゃんはため息をつくと、背中を丸めてトボトボと脱衣所に移動した。服を脱いでかけ湯をすると、死神ちゃんは苦い顔を浮かべてザブザブと温泉の中を歩いていった。おっさんは猿と肩を組んでとても気持ちが良さそうに歌を歌っており、死神ちゃんは再び深くため息をついた。
「お前、仕事サボッてこんなところで酒かっくらって。まさこからまた、鉄拳制裁を加えられても知らないからな」
「ふっふっふー! 本日はれすね、ちゃーんと許可を得てから来ているんれすよお! れも、こんな素晴らしいところがあるなら、まさこちゃんも連れてくれば良かったかなー」
「呂律回らなくなってきてるじゃあないか! もう飲むなって!」
「いーやれーす! ふふふふふふふふ!」
死神ちゃんがお猪口を取り上げようとすると、おっさんはそれをひょいと天高く掲げて回避した。楽しげに笑うおっさんと一緒に猿も笑いだしたのだが、心なしか煽る感じの笑いだった。死神ちゃんはレプリカごときに煽られて、少しばかりカチンと来た。
このおっさんは街で酒屋を営んでいる。まさこという名の〈悪魔と人間のハーフ〉の元ヤン嫁と息子の三人暮らしだ。彼の働きぶりはとても真面目とは言い難く、〈扱っている商品の味を知っておかねば〉という名目で昼間から飲んだくれ、お客のもとへ配達に行くことをすっかり忘れるというのは日常茶飯事だった。また、珍しい酒やつまみを求めてダンジョンにフラフラとやって来ることもしばしばなのだが、これまた仕事をサボッてやって来るため、そのたびに嫁が血の雨を降らせるというのも常だった。
しかしながら、本日はきちんと許可を得てからダンジョンに来たという。死神ちゃんが〈本日の目的〉について尋ねたが、彼は質問されたことに気づぬまま猿と酒を煽っていた。何度か声をかけたものの、死神ちゃんの声は酔っ払いの大声と猿のキーキー笑いにかき消された。苛立ちを覚えた死神ちゃんは近くに積もっていた雪に手を伸ばすと、丹精込めて雪玉を作り、酔っ払いに容赦なく投げつけた。
「ちょっ、嬢ちゃん! 何しやが―― ブッ! わっ、やめ―― イデッ! やめろっ―― ブヘッ!」
死神ちゃんは誰かが置き去りにしたであろう桶に雪を目一杯詰め込み、その上に雪玉をいくつか置いたものを用意していた。その桶を小脇に抱えて雪玉を投げつけながらおっさんに近づいていき、すぐ近くまでやってきた死神ちゃんは雪だらけとなりヒイヒイ声を上げているおっさんの口に雪を詰めてやった。
無理矢理に雪を食べさせられたおっさんは、ようやく酔いが覚めたようだった。ひどい目に遭ったと呻く彼にフンと鼻を鳴らすと、死神ちゃんは吐き捨てるように言った。
「で? 本日のご予定は何」
「嬢ちゃん、もしかして、それを聞くためだけに俺を雪責めにしたのかよ……」
「答えずに、そのまま酔いつぶれて溺死してくれてもいいぜ。……あっ、ちょっと待て、裸でお前の灰にまみれるだなんて嫌だからな。――さ、どうぞ」
死神ちゃんは温泉から上がると、うやうやしく溺死を促した。すると、酔っぱらいは顔を青くして声をひっくり返した。
「相変わらず、怖えこと言うなあ! 死ねとか灰になるとか、まるで死神のようだな!」
死神ちゃんは表情もなく、再び彼に雪玉を投げつけた。酔っ払いは手でガードして雪を遮りながら、必死に謝った。
死神ちゃんが雪投げ攻撃を止めてため息をつくと、彼も仕切り直しとでも言うかのように咳払いをした。そして笑顔を取り繕うと、彼は「本日は、捜し物をしに来ました」と述べた。
「捜し物って、どうせまた酒かつまみかだろう?」
「いや、今日はそうじゃあないよ。今年の冬は去年よりも寒いから。だから、手袋を見繕いに来たんだよ」
「は? んなもん、普通に店で買えよ」
死神ちゃんは酔っ払いを睨みつけた。すると、彼は真剣な表情で「いや、それが」と言葉を続けた。
「何でも、それだけで凄まじく防寒対策がばっちりになる手袋が、このダンジョンでは産出されるらしいんだ。どのくらい凄まじいかというと、コート類が要らなくなるほどらしい」
「手袋だけで?」
「ああ、手袋だけで。だから、愛しの妻と息子のためにどうにかゲットしたいと思ってな」
「だったら、一生懸命にそれだけ探してろよ。何うっかり温泉に浸かって、飲んだくれてるんだよ」
面目ない、と言いながら、酔っ払いは苦笑いと浮かべて頭を掻いた。彼は気を取り直して「よし」と声を上げると、突然立ち上がった。どうやら、ようやく手袋探しに行くらしい。死神ちゃんも彼のあとに続くと、身支度を整えた。
手袋を持っていそうなモンスターを探し歩きながら、酔っ払いは気付けだ何だと理由をつけては酒を煽った。そしてそれらしいモンスターと遭遇するたびに、千鳥足で向かっていき、酔拳で倒していった。
すっかりと酔いどれ状態に戻ったころ、彼は前方に男の姿を見つけた。彼は男を指差すと、腹を抱えて大笑いしだした。
「すげえ! 雪の中、素っ裸だってよー! 温泉の脱衣所まで、まだまだありますよ!? 何もう脱いでいらっしゃるんですか!? あっははははははははーッ!」
「いやあ、まあ、インキュバスさんですからね、そりゃあ脱いでますよね」
死神ちゃんが淡々とそういう言うと、彼はきょとんとした顔で「え、あのイケメンもモンスターなの!?」と驚嘆した。よくよく見ると、インキュバスは他の階に出没する者とは違ったペニスケースを身に着けていた。それを見て、酔っ払いは再びゲラゲラと笑いだした。
「やべえ! あいつ、股間に白い手袋はめてるよーッ! すげえ変態! わあお、破廉恥さん~!」
「お前が探している手袋って、もしかして、アレ……?」
身を捩って笑い転げる酔っ払いの隣で、死神ちゃんはうっそりと脱力した。その言葉を耳にして嬉しそうにインキュバスに突っ込んでいった酔っ払いの背中を見つめながら、死神ちゃんは「さすがに、それは入手しても身につけたくないなあ」と呻くように呟いた。
意気揚々と酔拳の一撃を決めてインキュバスを倒した酔っ払いは、その場に残ったミトン状の手袋を拾い上げると、躊躇なく手にはめた。そしてほっこりと頬を緩めると、幸せそうな声を漏らした。
「ああ、暖かい……。すごく、暖かい……」
「何だか、入手前の状態が状態だっただけに、お前のその言動の全てが変態性を帯びているように感じるんだが」
「ひどいなあ。でも、これはたしかに、裸でいても寒くないな。そのくらい、体の芯まで何故か暖かいよ」
彼は嬉しそうに頷くと「これは自分用にしよう」と呟いた。さすがに、アレをお包みあそばしていたものを妻子にプレゼントするわけにはいかないと思ったのだろう。
彼は再びモンスターを探して彷徨った。そして遭遇したモンスターと手袋を身に着けたまま戦闘を行ったのだが、さすがはダンジョン製、とても丈夫で乱暴に扱っても破れる気配はなかった。彼は「これならうちのカミさんでも長く使える」と喜んだ。
しばらくして、彼はサキュバスを発見した。彼は〈インキュバスが手袋を持っていたのだから、同族のサキュバスも持っているに違いない〉と思い、果敢に近づいていった。
サキュバスは彼に気づくと、魅了魔法をかけようとした。しかし、彼の頭はすでに酔いで朦朧としており、魅了魔法は意味をなさない状態にあった。彼が得意げにケラケラと笑っていると、サキュバスは彼を物理的に魅了しようと試みた。彼は顔を耳まで真っ赤に染め上げると、気恥ずかしそうにもじもじとしだした。
「いやあ、そんな。美人さんに言い寄られるのは、たしかに悪い気はしないがさあ。俺には愛しのまさこちゃんがいるから……」
「お前、そういうところだけは真面目だよな。その真面目さを、仕事にも活かせよ」
「ふふふふふー、それ、まさこにも言われるー」
呆れ顔の死神ちゃんに向かって、酔っ払いはデレデレと見をくねらせた。サキュバスは苛立たしげな表情を浮かべると、体魔吸引を酔っ払いに仕掛けた。
「あれっ!? 何もされてないのに、腰の辺りからなんか……。アアアアアアアアッ!」
彼がカラカラに干からびて灰になると、サキュバスは満足げにどこかへと去っていった。死神ちゃんは小さくため息をつくと、その場からスウと姿を消した。
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勤務明け。死神ちゃんは、一緒に仕事を上がった同居人たちと買い出しに来ていた。本日は同居人たちとわいわいと楽しく〈おうちごはん〉をする日で、早番の死神ちゃんたちはすでに夕飯の仕込み中である〈お料理倶楽部〉の面々から「帰りがけに買ってきて」と追加の買い出しを頼まれていたのだ。
死神ちゃんがもらったメールを頼りに商品をかごに入れていると、仲睦まじく買い物をしているサキュバスとインキュバスの姉弟と遭遇した。
「あ、小花さん! ちわっす!」
インキュバスさんが手を振る横では、サキュバスさんが例の白い手袋をして笑顔を浮かべていた。死神ちゃんは彼らに近寄っていくと、サキュバスさんに手袋のことを尋ねた。
「ああ、この手袋、お気に入りなのよ。とても丈夫だし、暖かいし。お店のお客さんから頂いたのよ」
「ちなみに、俺も同じものを持ってるっす」
「聞いてよ、薫ちゃん。こいつったら、どう手袋を使ってると思う? 料理用のミトンとして使ってるのよ? ありえないったら!」
「だって、本当に、めっちゃ丈夫なんだもん。文句言うなら、姉ちゃんが全部器具も揃えて、自分で料理しろよな」
「いやだ、あんたが作るほうが美味しいもの。――でもさ、本当にありえないから。この手袋、結構お高いのにさ。しかも、かなり人気の品だし」
仲良し姉弟はそのまま、かしましく言い合いをし始めた。死神ちゃんはにっこりと笑みを浮かべると「彼らには、レプリカがどのように手袋を使っていたかは教えないでおこう」と心に誓ったのだった。
――――温泉も、人と人との仲睦まじい姿も、手袋も。とてもほっこりとさせてくれるもの。しかしながら〈手袋〉でほっこり暖まるのは、心と手先だけでいいのDEATH。
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