喫茶月影の幸せひと皿

小坂みかん

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第11話 ごく普通のかき氷

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 大きな神社を取り囲むように、たくさんの出店でみせが並んでいた。大通り、小通りにも神社の周囲と同じかそれ以上に店がひしめき合っていて、色とりどりの明かりと美味しそうな香りが往来する人々の心を魅了していた。――本日はこの都市の中で一番古く、そして一番大きな神社である水瀬神社の例大祭の日であった。
 境内の中にも、いくつか出店が立ち並んでした。それらから少しはずれた場所に、何故か看板がないお店があった。提供しているのはかき氷で、店主は麻の生成りのような色の髪を緩く三つ編みにした若い女性だった。
 他の店と同じように、女性は祭りの法被を羽織っていた。手伝いと思しき初老の男性と壮年の女性も、同じく法被を羽織っていた。男性は店の内側から身を乗り出すと、辺りを見回してそわそわとした。
「毎度のことだが、バレやしないかと心配になるよ。バレて、騒ぎになりやしないかと……」
「いやだ、水瀬さま。考え過ぎですよお。今の時代、神職に就く人の全てが神通力を持っているわけでもなし」
 女性がケラケラと笑うと、水瀬と呼ばれた男性は不安げに肩を落とした。
「いやでも、一人はいるんだよ。巫女の子なんだけれど……。こちらの正体に気づいていないみたいで、多分『このおじさん、よく見かけるなあ』くらいにしか思ってはいないと思うけれど。あと、物心つかないくらいの小さな子どもや動物は、すぐに気がつくから駄目だね」
「ああ、たしかに。あたしもよく、犬猫や子どもにじっと見られますよ。むしろ、しょっちゅう」
「八塚さまのところは子宝・子育てのところなだけあって、お子さん連れが多いですからねえ」
 三つ編みの女性がニッコリと笑って会話に加わると、壮年の女性――八塚は笑い返して相槌を打った。ちょうどそのとき、水瀬のズボンのポケットからピロンピロンと音が鳴った。一度音は鳴り止んだのだが、すぐに立て続けに鳴り続けた。八塚は苦い顔を浮かべると、水瀬に向かってポツリと言った。
「通知オフにしていないんですか?」
「ああ、そうだった。失念していた。うるさくして申し訳ない。少し、待ってくれ……」
 三つ編みの女性が不思議そうに首をひねると、水瀬に代わって八塚が答えた。
「〈願い〉が届いているんだよ。参拝客からの。今日は縁日だからね。正月ほどじゃあないにしても、平常時よりも参拝者が多いから」
「ああ、なるほど! 水瀬さまも八塚さまも、現代いまはそういう形で受け取っていらっしゃるんですか」
 ポケットから携帯電話を取り出して、通知オフの設定に苦慮して焦っている水瀬を眺めながら、三つ編みの女性は納得の表情で頷いた。
「かわづさん――マスターのところは手を合わせる人が数える程度になっちまったし、そもそも〈喫茶店のお客〉として直接願いごとをしにくるようになったものねえ。ああいうのを見るのは、やっぱり珍しいかい?」
 三つ編みの女性――喫茶店の店主・かわづは頬を上気させて勢いよく頷くと、目を輝かせた。
「でも、テレビで似たようなものを見たことがありますよ! 『〈つぶやき〉が爆発的に拡散炎上して大盛り上がりで、通知が鳴りすぎて携帯が落ちる』というやつですよね? あとは『注文が入りすぎて〈さいと〉に〈あくせす〉が集中して、〈さあばあ〉が落ちる』とか!」
 得意げにそう言う店主に、八塚は答えに困って笑顔を引きつらせた。ようやく携帯の設定の変更を終えた水瀬も、携帯をポケットにしまいながら心なしか呆れて言った。
「マスターはもう十分に、ネットに詳しいじゃないか」
「テレビが教えてくれますからね! テレビは、ドラマだけじゃあないんです!」
 フフンと胸を張った店主に水瀬と八塚が苦笑すると、ちょうどお客さんがやって来た。三人は「いらっしゃいませ」と声を揃えると、かき氷を作る準備をした。

 水瀬は実は、この神社が祀る御祭神の水神である。そして彼が護る都市の中に、賀珠沼町かづぬまちょうという名前のついた小さな区画がある。かわづは、そこにかつて存在した〈かわづぬま〉の主であり神様なのだ。
 かわづは今、〈喫茶月影〉という喫茶店を経営している。喫茶店に来店する人間はみな、強い願いを胸のうちに秘めたワケありのお客だ。店には人間の他にも、日々の癒やしや憩いを求めて神様のお客様がやってくる。水瀬と、かわづや水瀬とはご近所の神様である八塚は喫茶月影の常連客だった。
 店を切り盛りしているかわづはともかくとして、普段はお客の立場である水瀬や八塚が出店に立っているのにはわけがあった。喫茶月影の常連の中には、人足が遠のいて人間との触れ合いがめっきり減ってしまったという神様もいる。ある日突然、そんな神様のひとりが「普段は遠くから眺めることしかできない〈人間の笑顔〉を、間近で見よう」と言い出したのだ。――それはいいが、じゃあどうやって。話し合いの末、最も人の集まる水瀬さまの例大祭で出店を出そうということになった。以来毎年、飲食店経営に慣れたかわづを中心に据えて、常連客たちで出店をだしているのである。

 お客様にシラップの味を決めてもらい、丁寧に氷を削ってかき氷を作る。そしてお代と交換で品物を渡すというのは、水瀬や八塚にとって楽しいことだった。お祭りだからこそできることとして、神様たちも人間に負けず劣らず祭りを楽しんでいた。
 店主たちが山盛りのかき氷を抱えて笑顔で去っていくお客を見送った直後、すぐ近くから「は!?」という女性の素っ頓狂な声が響いてきた。驚いてそちらのほうに目を向けると、浴衣姿の女性――真由美が豆鉄砲を食らったような顔で突っ立っていた。彼女は一緒にいた男性に構うことなく出店に駆け寄ると、目を白黒とさせながら声をひっくり返した。
「なんで、かわづさまがこんなところに!?」
「かわづさま? もしかして、お前んところの取引先の方?」
 あとからゆっくりと追いついてきた男性は真由美を見下ろすと、首を傾げてそう尋ねた。真由美は苦笑いを浮かべると、もごもごと口こもった。
「えっと、そうじゃなくてね……。うちの実家の近所の、ものすごく偉い人……? あのね、喫茶店を経営なさっているんだけど――」
「そうなんだ。――いつも真由美がお世話になっております。真由美の夫です」
 丁寧に挨拶をする彼女の夫に、店主は笑顔で挨拶を返した。真由美はそんなことよりも〈実家の近所の、ものすごく偉い人〉が出店をしていることのほうが気になるようで、店主に詰め寄るように身を乗り出してきた。
「――で。何でかき氷屋をしているんですか?」
「あら、真由美ちゃん。元気そうで何よりだねえ。ココ……赤ちゃんはどうしたんだい? 実家に預けて、旦那さまと久々のデートってやつかい?」
 真由美は話に入ってきた壮年女性をじっと見つめた。そして、その奥にいた初老の男性も観察するように眺め見た。あの日、喫茶店で見かけたような気がするふたりから再び店主に視線を戻すと、真由美は何かを察したように顔を青くして慌てふためいた。
「何で、かき氷屋をしているんですか!?」
 一大事とばかりにガクガクと震えだした真由美を、夫は不安そうに見つめた。店主は苦笑いを浮かべると、シラップの味の一覧を見せながら言った。
「いつもよりも少しだけ、みなさんの近くでみなさんの笑顔が見たかったんです。――提供しているのはごく普通のかき氷です。驚くようなことは何も起きませんので、安心してください。おひとつ、いかがですか? 氷室で寝かせた天然氷なので、口当たりがよくて美味しいですよ」
「それ、ただのかき氷じゃない! すごく贅沢なやつ! しかも五百円って、安すぎですから! 普通は最低でも七百円はするし!」
「お祭りですもの、サービスです。サービス」
 ニコニコと微笑む店主に面食らうと、真由美はいちご味を注文した。出来上がったかき氷にスプーンストローを二本刺して差し出すと、真由美は恐縮しながら五百円を出してきた。
「あの……。今度また、赤ちゃん連れて顔出しますね……」
 真由美は店主だけでなく八塚と水瀬にも視線を巡らせてそう言うと、どことなくいたたまれないというかのようにペコリとお辞儀して去っていった。
 水瀬は苦笑いを浮かべると、店主に向かって言った。
「彼女、気づいていたね。君が〈我が町の、大切な神様〉だということに」
「実家が近所で、〈かわづぬま〉の言い伝えも喫茶店の噂も知っていて、さらにはその喫茶店が私の〈覆屋おうち〉と同じところにあるのを知ったら、さすがに気づいてしまいますよねえ……」
「しかし、私や八塚さんのことは気づいていなかったみたいだったのに、八塚さんがうっかり『赤ちゃん』と口を滑らすから。気づかれてしまったじゃあないか」
「知らないはずの人に名前と子どもの存在を言い当てられたら、そりゃあびっくりしますもんね。申し訳ないです……。真由美ちゃん、恐縮しきりで、ちょっと可哀想なことしましたね。あたしたちなんか気にせずに、このあと、ちゃんとお祭りを楽しんでくれるといいんですけれど」
 八塚がしょんぼりと肩を落とすと、ふたりの女性に挟まれて歩く女の子の姿が見えた。どちらの女性とも手を繋いで嬉しそうに笑う女の子は出店の中の八塚に気がつくと、女性たちと繋いでいた手を離して一目散に駆け寄ってきた。
「わあ、おばちゃんだ! 何で? どうして!?」
「あら、あいちゃん。お久しぶりだねえ。元気にしてたかい?」
 キラキラと目を輝かせる女の子――あいに八塚が笑い返すと、その横にいた店主もニコリと笑ってあいに手を振った。あいは店主にも気づくと嬉しそうにバタバタと手を振り返した。
「わあ、お姉ちゃんも! こんばんはあ!!」
 あとから追いついてきた母ふたりは、店主と八塚に「その節は」と感謝の言葉を述べると深々と頭を下げた。
 毎年、あいは育ての母とふたりでお祭りに来ているのだそうだ。生みの母の存在を知った今年は、三人で楽しむことにしたのだそうだ。ただ、生みの母の体調があまり優れないため、そろそろ帰るつもりだったらしい。
「あのね、とーまはおばあちゃんちでお留守番でね、お父さんはお仕事なの。だからね、これからお土産買うんだー!」
「ごめんね、あいちゃん。ママがもう少し元気だったら、もうちょっと一緒にお祭りを楽しめたのに……。ママ、先に帰るから、お母さんとゆっくりしていったら?」
「何で? 今日が今までで一番お祭り楽しいよ? だって、ママもお母さんもいるんだもん! 来年はとーまも一緒に、四人がいいね!」
 満面の笑みを浮かべるあいに、母ふたりは嬉しそうに目じりを下げた。店主たちも温かさで胸がいっぱいになり、笑顔がこぼれでた。
「よかったら、かき氷、食べていきませんか? 本当はおひとりさまひと味なんですけれど、シラップをおひとつサービスさせていただきますよ」
「じゃあね、あいね、メロンと青いのがいい!」
「フルーハワイですね。了解です!」

 無事に祭りを終えると、店主と常連さんたちは喫茶月影に集まった。水瀬と八塚は他の神様たちと交代しながら店に立っていたが、店主はずっと出ずっぱりだった。それだというのに、店主は帰ってきてからもバタバタと動き回っていた。
「マスター、そろそろ落ち着きなさいな。そろそろ疲れてきただろう? それに、せっかくの打ち上げなんだからさ」
「ええ、もう少しお待ちになって。カセットコンロのガス缶、切れてるみたいで……。――あれえ、新しいガス缶、どこにしまったんだっけ。おかしいなあ……」
「ほら、マスター、座って休みなさいな。ガス缶なら、今からコンビニでも行って買ってくるよ」
「……あった! ありました! よかったあ! お待たせしましたー!」
 水瀬が昔店に持ち込んだカセットコンロにガス缶をセットすると、店主と常連たちはお鍋をクツクツと煮始めた。
 あいたちが帰っていったあとも、喫茶月影の出張所たる〈看板のない出店〉は大賑わいだった。かき氷は飛ぶように売れ、用意してきていた氷は全て使い切った。たくさんの人たちが笑顔でかき氷を買っていき、神様たちはみな十分なほど笑顔に触れることができた。お祭りは、今年も大成功だったのだ。
 できあがった鍋を囲み、酒をいただきながら、神様たちは口々に「楽しかった」「また来年もやろう」と言った。店主はそれに頷きながら、ふと窓の外に目を向けた。
 天高く昇った月は、もうすぐ満月になろうとしていた。つまり、もうすぐ、この喫茶月影に人間のお客様がいらっしゃるころあいだ。
「人々の笑顔はかくも美しく、かくも美味である。我々にとって、かけがえのないものだなあ。――マスター、あと何日もしたら、また忙しくなるね」
 同じく月を眺めていた水瀬はそう言って笑うと、グラスの中のお酒をクイッと飲み干した。八塚や他の常連さんたちも、店主に笑顔を向けていた。店主は真ん丸お月さまのような明るい笑みを浮かべると、胸を張って頷いた。



何かを強く願うなら 賀珠沼町かづぬまちょうにお行きなさいな
〈喫茶月影〉がきっと あなたを笑顔にしてくれるはず……
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