くじら斗りゅう

陸 理明

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りゅう

剣士突撃

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「どういうことだ、木曽野」

 木曾野蔵之介が口にした内容には、明らかに含むものがあった。
 権藤が気にするのも当然である。
 その背後に並ぶ引き連れられてきた十四人の水夫たちを見て、木曽野はさらに無表情になった。
 全員が銛や大剣を手にしている姿は武装している兵の一群としか思えないからだろう。

「……おまえは何をしに来た?」
「女たちを取り戻しにだ。わいつがここにいるということは、水軍くずれの海賊どもはそこにいるのか」
「いる。だが、まだ舟をだしていない。夕方まではじっと潜んでいるはずだ。陽が落ちる直前に沖合に千石船がやってくるから、それと合流するつもりなんだとさ」
「よく知っているな」
「……そいつだ」

 顎をしゃくった先に、一人の男が死んでいた。
 服装からして海賊だろう。
 縄で口枷がされ、四肢は厳重に縛り付けられていた。
 露出している部分に黒痣が浮いており、執拗な拷問の跡がはっきりとわかる。
 どれほどの痛みを加えられたのか、死してまで消えない凄絶な恐怖の形相がこびりついてた。

「拷問したのか」
「奉行所ではよくやることだ。……すべてとまではいかんが、あらかたは吐かせた。こいつは鵜殿でいなくなったと思われているはずだから、いなくなってもわざわざ仲間も捜索には来ん」
「ならばいい。それで、何を聞き出した? 松井のつまらぬ悪だくみか」
「わかっていたのかよ。―――そうだ。差配を振るっているのは若白髪だがな」
「狙いは竜珠でいいのか」
「ああ。そんなものがあるとは思わんが、賊どもがそれらしきものを奪っていったのは事実のようだ。村一つ焼いて、漁師どもを皆殺しにしようとする価値があるのかもわからん。だが、竜珠という得体のしれんものをやつらが手に入れようとしているのは間違いないな。―――おい権藤。本当におぬし、竜などというものを退治したのか?」
「あんなものは単なるでかい海蛇よ。クジラの方が歯ごたえがあった。それに腹の中にそんなものがあるとはついさっきまで知らなんだ。知っておったら、とっとと海の底にでも捨てておったわ」

 権藤の表情に特別に誇る様子もなく、木曽野には話の真偽すら判断しかねた。
 詳しく問い詰めてみたいところだったが、今はそんな状況にはない。

「竜退治の武勇伝はあとで聞かせてもらおう。竜珠はともかく、女たちを攫ったのは、長い船出の慰み者だろうな。どうやら、連中は竜珠とやらをご家老に渡したらそのまま江戸に出るか、遠いシナにでも渡るつもりらしい。千石船はそのための支度なのだそうだ」
「だから、すぐに逃げ出さずにまだここにいるのだな」
「鵜殿の生き残りが奉行所に届けが出ても手勢を引き連れてくるのは早くて明日だろう」
「ここでわいつは何をしている。新宮奉行所がくるまで見張っているつもりだったのか?」
「最初はそのつもりだったが、それでは間に合わんだろう。ただ、せめて若白髪だけでもここで斬れればだいぶ勢いもかわると思って機会をうかがっていた。まあ、そううまくはいかんか」
「……そうか。やつもいるのか」
「そうだ」

 山川久三郎は加判家老の一族だ。
 通常ならば告発すらもできない。
 だが、鵜殿の集落が海賊の襲撃にあった直後で、その海賊とともに死体が発見されればどうなるだろうか。
 単に山川が死んだだけなら病死ということにできるだろうが、鵜殿に関連のあったものの不審死となると調べが入らざるを得ないのだ。
 しかも、海賊との関係も洗いざらい探られる可能性が高い。
 海賊との繋がりの抜き差しならぬ証拠が見つかれば松井とて失脚は免れない。
 木曾野の狙いはそこだった。

 同心である彼には、本物かどうかもわからぬ竜珠や攫われた女のことは基本的に二の次である。
 そこが鵜殿の衆との目的の違いだった。
 お互いの狙いは異なるが、権藤も山川を斬ることに関しては同意だった。
 浪人が加判家老を手にかければ新宮藩そのものが危機に陥るが、藩士と浪人同士の争いならば幕府の手は及ばない。
 そのうえで、木曽野の読みが当たれば松井への報復もできる。
 権藤にはお汐たちの奪還が何よりも大事だが、のちの禍根も断っておかねば安心できなかった。

「しかし、加判家老はなんのために竜珠などというけったいなものを奪おうと決めたのだ?」
「わからん。もともと、あいつは金に眼がないくだらない愚物だ。江戸か上方で高く売れるとでも思っていたのだろう。それに、ご家老は以前から角右衛門どののことを目の敵にしておった。以前のように太地に直接手を出せんが、肝いりの鵜殿ならばちょっかいがかけられる。あの御仁ならばそんなところだろう」
「前もあったのか?」
「―――前にな、最上肉をもって献上に行こうとした角右衛門どのを襲わせた。奉行所でも古株しか知らん話だ」
「そうか、やはり」

 この事実を打ち明けたらどうなるか想像は出来ていたが、木曽野はそのとき権藤の顔を前から見ることができなかった。
 声色に冷たいざらりとしたものが宿っていることに気が付いたからである。
 このざらりとした鑢のような感触の正体に気づいたら終わると、思わず感じてしまっていた。
 まさか、ここまでとは……
 恐ろしい沈黙がしばらく続いた直後、

「権藤はん、奴ら、でてきましたぜ」

 じっと岩陰から覗いていた水夫が呟いた。
 山見にもなれる目の良さが自慢の若者だった。

「どれ」

 権藤達も寝そべって下を見る。
 海に生きる男たちの端くれであるから海賊どもの眼が悪いはずがなかった。
 あちらからは見えないように注意せねばならない。
 崖に囲われた小さな波止場のようになっている湾に二艘の小早舟がついていた。
 周囲を海賊たちがうろうろ行き来するようになった。

「―――昨日は一艘だけだった。鵜殿に行くときに見た」
「いつ頃のことだ」
「亥の四つときだった」
「夜になってから合流したのだろう。わいつが見たのはおそらく斥候だ。しかし、どうする? やつらが隠れるのを止めて外に出始めたということは、そろそろ出航するのかもしれん。沖に迎えの舟が来る頃合いなのだろう」
「……俺のところの伍作が奉行所のものどもを連れてくるのを待つつもりだったが、やはりかなわんか」

 このとき、岡っ引きの伍作がすでに殺されていたことを木曽野が知る由もなかった。
 海賊を指揮しているらしい白髪頭の武士の姿も見えた。

「若白髪め、慣れているな」
「海賊の目付役だろう。ご家老は猜疑心が強い。いかに繋がりがあっても賊に対して赤心を置くような度量のある方ではない」
「そうだな。では、仕掛けるか」
「ああ」

 二人の武士ともと武士は容易く命のやり取りに移ることを決め、権藤からの指示が猟夫たちに告げられた。
 彼らと違って、鯨猟夫たちは人とのいくさなどしたこともない。
 ただ、刃刺の命令には忠実に従う。
 何人かずつに分かれて、音を立てないように崖の上を移動し、それぞれが銛を打つのに最適な地形を確保する。
 銛の打ち手の指揮は弥多が執ることになった。

「背後に回り込まれたら、すぐに逃げられるように見張りは忘れるな」
「わかりやした」

 その間、権藤と木曽野はやや遠回りして崖を下った。
 昨日、伍作が下へと降りた道順であった。

「おい、何かきやがるぜ!」

 見張りをしていた海賊が叫んで仲間に警告した。
 昨日伍作に小早舟への接近を許してしまった例もあったために、海賊どもはここを降りてくるものを警戒していた。
 権藤たちは見つからないように十分に注意していたつもりだったが、すぐに海賊どもに見つかってしまう。
 警告を耳にした海賊どもが次々と大声をあげて、不審者の接近を知らせる。
 こうなってしまうと、奇襲は不可能だ。
 とはいえ、敵の注意は完全に権藤たちに向いている。
 二人は示しあって、あえて目立つように崖を滑りつつ降りていくことにした。
 海賊は海上で使うための短い短弓を用意して構えた。
 短弓自体は命中性能の高い武具ではない上、櫓をこぐ人数の関係上熟練者はそれほどいない。
 権藤たちに向けて矢が放たれる寸前で、崖上から弥多が合図をした。

「打てぇ!」

 投擲された銛は七本。
 そのうちの二本が短い槍を構えていたものと弓を持っていたものに偶然にも命中し深手を負わせた。
 当たれば分厚い鯨の皮さえ貫く銛である。
 人間では柄が当たっただけで重傷となった。
 海賊たちはぎょっと見上げた。
 権藤たちに気を取られすぎていたので、どこから銛が降ってきたのかわからなかったのだ。 
 かろうじて崖の上に動く影があったことで投擲場所を特定したが、そこまでは弓も届かないし、直接駆け寄ることもできない。
 小早舟を隠すためとしては絶好の場所であったが、大人数による奇襲については袋の鼠であった。
 見張りを用意して置かなったのはまさに愚かな行為であった。
 そして、銛の攻撃の第二波が降ってきたのに気を取られてしまったせいで、権藤たちのさらなる接近を許してしまう。
 あまりにも致命的な接近を。

「ふん!」

 権藤伊左馬の振るった銛が短弓を持っていた海賊の腹を貫いた。
 肉と内臓を抉って鋼の穂先が顔を覗かせる凄まじい一撃、そして命中させる技術。
 並んでいた木曽野さえもあまりの腕前に驚く。
 武士あがりのくせに、一年そこらで鯨獲りたちの尊敬を集めてたという実力は疑いようもなかった。
 この瞬間に木曽野がさらに脚力を駆使し先行する。
 砂を蹴り上げて肉薄する武士たち。
 上下からの奇襲は海賊どもの判断を狂わせた。

「しぇい!」

 木曽野の抜き打ちが、海賊の手首を一つ落とした。
 柳生新陰流の使い手の抜き打ちは走りながらとは思えぬほどに正確無比であった。
 やや遅れて大剣を抜きはらった権藤が突撃し、上段から大きく振りかぶり、防御などは考えもしない芸のない真っ向唐竹割で一人を斬り殺す。
 一瞬のやりとりで三人を戦闘不能に落とす、凄まじいまでの使い手の二人であった。
 弱者相手に虐殺をして悦に入る海賊どもなどとは比べ物にならない。
 弥多たちの打った銛に怯んでいた海賊たちは、その集団の腹の中に危険な異物を呑み込んでしまったのである。

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