しんべえ -京洛異妖変-

陸 理明

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第一話 犬の頭と語る少年

鞘当

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 京の万理小路の柳の馬場には、西洞院から移された廓がある。
 廓を取り囲むように楊柳が植えられていることから、「柳町の遊里」と呼ばれ、天正十七年に原三郎左衛門と林又一郎が秀吉の許しを得て、御免色里となった。
 天正十五年の当時でも公の許可こそないが遊女とそれを商う男たちが、自分たちのルールにのっとって廓を建てて、かなりの繁盛ぶりをみせていた。
 洛中の聚楽第がほぼ完成していたこともあり、連日連夜懐が温かくなった大工やら職人やらが詰めかけて、時には表通りよりもにぎわっていたという……

 親兵衛は、この柳の馬場にもよく顔を出していた。
 当時は十三の子供でも、女を買いに来ることはよくあることで、それをとがめる風俗はない。
 ただ、あまりに小さい子供を敵娼とするのは変態行為と考えられていたことから、年相応でなければ客として相手にはされないのが常だった。
もっとも親兵衛はそのあまりの美貌と話題性から、いろいろと噂が立つ有名人であったため、ただの市井の子供とはやや異なる扱いを受けていた。

「おや、犬和郎さん。一度ぐらいはうちによっておいきなよ」

道を歩くと道端の揚屋の女たちが頻繁に声をかけてくる。

「すまないな。わんは金がないんだ」

 親兵衛が正直に断ると、女たちは目に探るような色を浮かべて、

「お金なんていいんですよ。あたしは犬和郎さんと一献さしつさされつしたいだけなんですよ」
「それこそ困る。ただより安い買い物はないというからな。わんは借りは作らぬようにしておるんだよ」

 濡れるような美少年と床をともにしたいという欲望を隠そうともしない女たちを、傷つけぬように包み込む声で断りを入れてから立ち去る。
 十三歳にしては堂のいった態度であった。
 遊び慣れた放蕩男ばかりを相手にしている廓の女ほど、この親兵衛のすげない態度に心惹かれるものがあるらしく、色目を使う女は日に日に増えていった。
 ただ、親兵衛にとってほんとうに女はどうでもよかった。
 彼が気に入っていたのは、遊里の中央通りにある桜並木であった。
 親兵衛が京にやってきたときには、ほぼ散ってしまっていたが、中央通りには何十本もの桜が並んでいたのである。
 それが豪奢であり、その下を着飾った男女が歩くのをみるのがなんともいえず楽しかったのだ。
 その桜並木は数日後に取り除かれ、今度は同じ場所に堰を切って水を流し、桜の代わりに燕子花かきつばたが植えられている。
 親兵衛は最初桜並木だと思っていたが、実際には植木屋が桜の開花の季節に合わせて植えなおした人工的な演出だったのである。
 そして、桜が散ると今度は別の花―――燕子花や別の季節の風物を植えなおし、四季折々の風情を遊里にくる客たちに楽しませる。
 こんな無茶なことのできる財力が、柳町の遊里の力であった。
 親兵衛はその無駄といえば無駄、愉快といえば愉快な演出を気に入って、ちょくちょく訪れていたという訳である。
 野生動物のように鼻がいいから女たちの白粉くささには閉口したものの、慣れてしまえばどうということもない。
 ただでさえ、異界めいた賑わいの京の町のなかでもさらに殊更異質な遊里の魅力に憑りつかれかけていたのかもしれない。

「うーん、遠からんものは音にも聞け、近くはよって目にも見よ、か。宗矩のやつも仕官の道ばかり探してあくせく動き回っていないで、こういうところでのんびりと遊んでみればいいのに」

 まじめ一徹な友人をこんな悪所につれてきたらどうなるか想像もせず、親兵衛は無責任に呟いた。
 燕子花の匂いを嗅いだり、指先で触れたりしながら花見を堪能していると、ふと前から深編笠の武士がこちらに向けて歩いてくるのが見えた。
 問題はその恰好だった。
 薄い色合いの白っぽい地色に、ツバメが虫を求めて地面近くを飛ぶ様子と、春の雨のやわらかい雨線を描いた―――濡れ燕と呼ばれる図柄の着物であった。
 ツバメと雨の組み合わせが、「しっとりと濡れる」と感じさせ、派手ではないが、女にもてる男が着ないと恥をかきかねない。
 しかも、歩幅を広くとり大きく肩をいからせる妙な歩き方をしていた。
 のちに丹前六法といわれることになる、色町において、颯爽と肩で風切るための仕草である。
 親兵衛は手のひらをぽんと叩いた。

「お、あいつか」

 何度か柳の馬場で見た覚えのある武士だからだ。
 深編笠で顔こそわからないが、同じ濡れ燕の着物をまとって、わがもののように通りの真ん中を闊歩しているやつ。
 普段見慣れているかぶき者と比べてもかなり洒脱で派手な恰好といえた。
 
「へんなやつ」

 自分を棚に上げて勝手なことを言う。

「―――でも、剣は強そうだ」

 着物と歩き方に惑わされなければ、全身から感じ取れる雰囲気はなかなかに激しそうなものがある。
 一介のかぶき者ではなく、かなり大きないくさを生き抜いてきた武人だろう。
 しかも、生半な身分ではない。
 おそらく、あの恰好もおかしな歩きも、深編笠同様自分自身の名を知られないようにするための擬態だ。
 氏素性を隠してまでも色里にきたいという好きものなのだろう。
 だが、あけっぴろげな親兵衛の興味はあまりひかなかった。
 身分を隠してまで遊びにうつつを抜かしたいという試行は親兵衛にはないからだ。
 それ以上気に留めることもなく、燕子花に夢中になったまま脇をすり抜けようとすると、コツンと堅いものがぶつかる音がした。
 親兵衛が腰に吊るした刀の鞘が何かとぶつかったのだ。
 音からすると、ぶつかったのも鞘。
 鞘当さやあて
 普通ならば起きないことである。
 通常、武士は左側を歩くものである。腰に佩いた刀と鞘がぶつかりあうのを避けるためだ。刀の鞘同士がぶつかることを鞘当といい、この鞘当が起きると、無礼な行為として切り合いにまで発展しかねない。
 武士にとって刀は命であったから、それにぶつけられるのは無礼千万な振る舞いと考えるからである。
 中には無理に喧嘩を吹っ掛けるため、わざと鞘当をするものもいた。
 このとき親兵衛は右側を歩き、濡れ燕の着物の武士の左脇をすれちがってしまったことで鞘当が生じてしまったのである。
 場合によってわざと右を歩いたとして喧嘩を売られてもおかしくない振る舞いであったが、燕子花を眺めつつ歩いていた親兵衛はつい忘れてしまっていたのだ。
 
「無礼者!」

 濡れ燕の武士は叫んでから刀の柄に手をかける。
 いきなり抜くような真似はしなかった。
 鞘当をしてしまったことに気づいてから、親兵衛もさすがに慌てた。鞘当がどういうものであるのか、子供とはいえ武士の端くれ、よく知っていたからである。
 さすがの野生児も悪いことをしたと思った。

「ごめんよ、わざとじゃないんだ」

 手を挙げて説明するが、うまくいきそうにない。
 なぜなら、濡れ燕の武士の動きが止まったからだ。
 深編笠越しに親兵衛を見ている。
 どうしたものかと思っていると、

「―――貴様、近頃、京で噂の犬和郎とかいうやつか?」

 親兵衛はうなずいた。
 わりと気に入っている名前だからだ。
 もともと苗字も氏も名乗るのを禁じられている手前、本名は名乗れないのだからどんな風に呼ばれても文句は言わないが、犬和郎というあだ名はむしろ望むところだった。

「最近はそう呼ばれている」
「そうか」

 すると、濡れ燕の武士の全身に殺気が宿った。
 親兵衛はすっと後ろに滑った。
 抜き打ちがきた。斬り殺す気だった。
 色町とはいえ天下の往来で抜くかね、と思わず感心した
 ただ、理由はわからない。
 いまのわずかなやりとりでも、即座に無法な喧嘩にうつるようないかれた男とはおもえなかったから意外だった。
 とはいえ、その意外の抜き打ちを五寸ほど残して躱しきる親兵衛もまともではなかったが。

「なにをするんだ」
「……ほう。わしの剣を躱すか」
「理由を言え」

 もう一度、今度は袈裟切りで斜めに振り下ろされる。
 それすらも親兵衛は避ける。
 こっちは刀に手もかけない。

「いい加減にしろよ。鞘当したのは悪かった。だけど、刀を抜いてしまったら、下手したらあんたも腹を切ることになる。聚楽第とやらの殿さまだって許しちゃくれないし、役人がやってくるぞ」

 聚楽第を建てるのと同時進行で、豊臣秀吉は大阪城の建築にとりかかっていることもあり、京都にいるかはわからない。
 もともと廓には公儀の力は及ばず、所司代ですら手が出せない不介入の土地だった。
 だから、濡れ燕の武士のように喧嘩に刀を抜いたとしても咎められることはない。
 親兵衛はこの点、やはり世間知らずだったといっていい。とはいえ、まだ十三歳の子供に廓の不文律に詳しくあれとはいえないだろう。

「廓の中で鞘当をしておいて、役人の力を借りようというのか」
「そんなことはない。ただ、わんは喧嘩を売られたら買うということさ」
「―――上等だ、小僧。子供といえど、わしは手加減をせぬ。それに貴様、相州訛りがあるな。京の色町に相州の人間とははなはだ不審。腕の一本ぶったぎって、素性を吐いてもらおうか」

 武士は刀を腰に引き付け、刺突の構えをつくった。
 さっきまでの大振りでの斬撃ではなく、小さくまとまった、突撃のための構えだった。
 近頃流行りの剣術流派のものではない。
 戦場で、とくに槍さえも持たせてもらえない足軽がよく使う構えだ。
 質のよくない刀で確実に敵を仕留めるための、いまでいうドスを使って体ごと突っ込んでいくという命知らずのためのものだ。
 着ている着物の生地はひとめでわかるほどに上等で、刀の鍔も拵えも金がかかっている武士には不似合いである。
 ただ、親兵衛は構えから武士の腕前を読み取った。

(……強いとは思ったけど、これはなかなかやるなあ)

 間違いなく戦場往来の剣だ。
 顔はわからないが声からしてかなり若いにもかかわらず、幾度となく戦場の荒野で血を流してきて修羅場をくぐってきたのがわかる。
 荒っぽい粗雑な戦い方だが、それでもこの濡れ燕の武士は生き延びてきたのだ。
 親兵衛がいつも暇つぶしにからかって、ついでに叩きのめしているかぶき者とは質が違う。
 そして、残念なことに犬和郎と呼ばれた少年は売られた喧嘩は即座に安く買いたたくと決めている無法者でもあった。

「いいよ。相手をしてやる」

 親兵衛が腰の刀に、京に到着してから初めて手をかけたとき―――

「あんた、お下がり!」

 腰のあたりが強引に引っ張られた。
 とっとっとたたらを踏んで後ろに下がる。
 すぐに後ろに立っていたものに気づかなかったということ自体、親兵衛にしては珍しいことだった。
 しかも、それが遊女屋の禿かむろらしいことがわかるとなおさらだ。
 親兵衛はすぐにでも濡れ燕の武士が間合いを詰めてくのではないかと警戒していたので、後ろの気配を探るのをおろそかにしていたのである。
 とはいえ、ただの禿にそこまでの接近を許すとは―――

「なにをするんだ」
「あんた、そのお方がどこの誰だと思っているのさ。喧嘩なんてもってのほかだよ」

 帯を引っ張っただけでなく、後ろからかかえられた。
 強引に引きはがすこともできなくはないが、強引に振り払うのは気が咎めた。
 もちろん、たった今喧嘩の真っ最中の相手が仕掛けてきたら、そのときは無理に突き飛ばしてでも自由を回復するつもりではあったが。
 
「あいつは誰なのさ?」
「いいから、この場は逃げるんだ。あんた、京どころか機内にいられなくなるんだよ」

 他の通行人やら見物客からはききれないぐらいの声で囁いた。
 答えにはなっていないが、親兵衛はこの禿の訴えが自分のことを心配しての一片の優しさからでた勇気のいる行動だと察した。
 遊郭にいることで事情通になっているだろう地元のものの必死の訴えを無視するのも忍びない。

「あいわかった。では、逃げるとしよう。―――それっ」

 親兵衛は禿を横抱きにして担ぎ上げると、そのまま宙に飛び上がった。
 周囲から感嘆の声が上がる。
 どう見ても元服前の少年が、十歳前後の禿とはいえ人一人を抱えたまま、屋根の上にまで飛び上がったからである。
 忍びであれば誰でもできる行動であったが、ただの町人にとっては珍しい滅多にない光景であった。
 まさか、ひとっ跳びでそこまでいくとは思っていなかった濡れ燕の武士が慌てて駆け寄るが、屋根と路上で遮られた距離は詰められない。

「貴様、逃げるか!」

 だが、親兵衛は平然と、

「わんは刀を抜いていないんでね。そのまえに退散するのは別に恥じゃない。わんはまだ武士ではないから、恥辱のあまりに腹を切るなんてこともしないけどな。―――なあ、姥雪おばゆき

 肩に背負った巨犬の剥製の頭に話しかけ、禿を小脇に抱えたまま、屋根を伝わって反対側へと消え去った。
 残されたのは、突然の喧嘩をみようと集まった見物客と濡れ燕の着物の武士だけであった。
 武士は慣れた手つきで納刀すると、

「あれが、近頃噂の犬和郎か―――確かに面白いやつよ。相州訛りというのも気にかかるしな。まあ、とりあえず今日のところは見逃してやるさ」

 と、もともと目当ての遊女屋へ向けて歩き出したのであった。

 
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