信者奪還

ゆずさくら

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 來山きたやま直人なおとは、自分が作業をしている施設に入ってくるバスを見て、懐かしく思っていた。
 バスの横には目のつり上がった白/黒のパンダ・ウサギのイラストが描かれている。視線を移せば、施設の建物にも同様に目のつり上がった白/黒のパンダ・ウサギが描かれていた。
 バックをしてから定位置にバスが停まると、中から私服、白いTシャツにジーンズの青年が一人おりてきた。
 続けて、濃い色のTシャツにジャケットを引っ掛けた、チノパン男が降りてくる。
「ムラノ・リゾートの近くに、こんな施設があるんだ」
「すげえな、建物がいくつも見える」
 丸襟で白ずくめ、長袖長ズボンの服を着た上級者が、バスから降りてきて、先にバスを降りていた入信したて連中に言う。
「もっと上の、見えないが山反対側の斜面まで教団の敷地だ」
「っていうより、すごくないですか、さっき通ってきたところって、あれ、ムラノ・リゾートですよね」
「……」
 上級者は『ムラノ・リゾート』をよく思っていないらしく、返事をしなかった。
 來山きたやま直人なおとが見ていると、次に降りてきたのは女性だった。
 食べるのが遅いせいか、周りが溶けて垂れ落ちているソフト・クリームをゆっくりと舐め、味わっているようだった。髪は長く、出るところが出ていて女性らしい体つきだった。
 直人なおとはその女が食べているソフト・クリームをどこで買って来たか想像がついた。
 なぜなら、数年前は直人なおともバスの乗客の側だったからだ。
「おい」
 バスから降りてきた上級者が、施設にいた上級者に呼びつけられる。
 慌てた表情で上級者が駆け寄ると、施設にいたほうの上級者が耳打ちする。
「今日は中林なかばやし誠実まさみ様がお話をするぞ」
 耳打ちされた上級者は、体に棒を入れられたように、突然、背筋を真っ直ぐに直した。
中林なかばやし様ですか」
「もちろん、教祖さまもいらっしゃる」
「はいっ」
 施設にいた方の上級者が、顎で合図すると、バスに乗ってきた上級者が慌ててバスに戻り、中でモタモタしている連中に声を掛ける。
「ついたぞ、早く外に出て整列しろっ。点呼だ」
 声に反応した連中は急いでバスの中の通路を移動して、外にでた。
 最後にバスの中に入った上級者が二列に並んだ連中の前にたった。
「番号!」
「いち」「に」「さん」「……」
 総勢二十五名の点呼が終わると、上級者がスマフォを構えた。
「全員、名前を言いながらこの位置で三秒静止。静止後は、右手の建物に入って、着替えを済ませろ」
 番号の順に上級者の前に立ち、顔を見せて名前を言う。上級者が手で合図すると、そのまま奥の建物へ行く。バスに乗っていた連中はこれを『何のために』やっているのかは知らないだろう。しかし直人は知っていた。これはが『相手』を選ぶためのリスト作りだ。
 その流れを見ていた直人は、ふと、バスの連中が入っていく建物の上階から、見下ろしている男に気付いた。
 短く刈った髪、四六時中手袋をしていて、その指を神経質そうに触っている。三聖人スリーセインツのうちの一人、中林なかばやし誠実まさみだった。
「……」
 直人はその姿に、背筋が凍り付くような寒気を覚えた。
「おい、直人なおと
 バスに乗っていた上級者が、声をかけてきた。
「森沢さん、なんでしょうか?」
「おまえ、オリエンテーションの連中の面倒を見てくれ」
 直人はさっきもう一人の上級者が『中林』が話をする、ということを聞いてたので、オリエンテーションに参加するのは、なんとしても避けたかったのだ。あたりを見回し、とっさに散らかっている農機具の方を指差して言った。
「すみません、農機具の片付けが残っているんです」
 頭を下げてその場を去ろうとする直人を、森沢が捕まえる。
 耳元に顔を近づけてくると、言った。
中林なかばやし聖人セイントの命令だ」
「えっ?」
 二人は姿勢を真っすぐにすると、直人は森沢の影から建物の上階にいた中林の方を覗き見る。
 窓から見える中林は、どこを見るわけでもなく、自らの指を手袋の上からこすっている。
「……」
「ほら、農機具の方はそいつにやらせとけ」
 森沢が、近くを歩いていた男を指差した。
「おい、お前」
 呼ばれた男は、痩せ型の体型で、髪がクルクルとカールしていた。ただ、美容室でするような人工的な強いカールではない。髪型がそんな感じで丸い分、頬骨のラインやあごの細さが際立ってしまって、余計に痩せて見えた。
 男は指を少し震わせながら、自身の顔を指さした。
「ワタシ?」
「そうだ。お前だ」
 森沢がそう言うと、今度は足が震え始めた。
 直人はこの男の名前を知らなかった。というより、施設にこんな男が存在していたことも知らなかった。白装束は着ているものの、挙動きょどうは、さっきバスから降りてきた連中のような印象だ。
「なななな…… なんでしょうか? ワタシ、エイジなんか探してませんけど」
 その言葉で、直人は最近、施設内にあるという、『嬰児の死体の噂』について嗅ぎまわっているジャーナリストがいる、という話を思い出した。あからさまに怪しい。こいつつかまるな、と直人は思った。
「はぁ? 何を言ってる? 訊かれてないことに答えるな。お前、直人こいつの代わりに、あそこに出しっぱなしの農機具を片付けとけ」
 直人の予想に反し、全く怪しむことなく、そう命じた。
 森沢が指さすと、痩せた男は後ろを振り返ってから、こちらに向き直り、頭を下げた。
「はい。今すぐ片付けマス」
 そう言うと、すぐに農機具の方へ走って行ってしまった。
「これでいいだろう」
 直人は反論できないまま、森沢に連れられ一緒に建物に入った。



 バスに乗ってきた連中は教団の新しい入信者、つまり新人だった。ここで新人達に教団の教えや、施設での規律、生活についてオリエンテーションを行うのだ。
 直人も何年か前にあのバスに乗って、ここへやってきた。ただ、さっきの新人達のような新鮮な感動はなかった。この上九兎かみくう村は、直人の生まれ育った村だったのだ。高原牧場のソフトクリームも、リゾート施設も、周囲の光景まで、直人とっては何度も口にし、目にしてきたものだった。
 けれど、都心の大学にいるゲームやサークルでの出来事の話しかしないような連中と話すより、この太位無たいむ教《きょう》の連中と話している方が刺激的だったし、気持ちが高揚した。直人にとって、この施設に入った時の感動は大きかった。
 新人たちが膝を抱えて座っている前で、上級者が、修行について話していた。
「……と、このように、この施設では、様々なディシプリンを行ってもらう」
 プロジェクターが次の映像を映し始めると、オリエンテーションを後ろから監視していた直人の横に白装束の聖人セイントが現れた。
「!」
 中林だった。
 両手に医療用の少し透ける手袋をして、指を一本一本確かめるように撫でている。
 直人は床に伏せるために、膝を着くと、中林なかばやしに後ろ襟を引っ張られた。
 体を低くしている直人に、中林が顔を近づけてきて、小声で言った。
「(そんなことはいい。お前と話しがしたい。ちょっとここを出ろ)」
 扉をゆっくりと開けて、オリエンテーションを行っている部屋から出る。
 顔色一つ変えずに指をなで続けている中林が言った。
「そこに座ろうか」
 三、四人が座れるほどの長椅子に直人と中林が並んで座った。
 中林は正面の廊下の壁を見つめながら言った。
がおっしゃっている。『いそげ』と」
「……」
 とは教団内では教祖、麻森あさもりのことを意味している。直人はその『いそげ』という言葉が、何のことを言っているのか分かっていた。しかし、答えなかった。
「意味は分かっているだろう。早く獲得しろ。そうしないと、お前の位が下がるぞ。それこそ、そこにいる連中と同じに戻ってしまう」
 それでも直人は口を開こうとしなかった。
 どこを見ているようでもなかった、中林なかばやしが、突然、装束のポケットから医療用メスを取り出すと、直人の頬に押し付けた。
「あっ……」
 直人は慌てて頬を押さえる。みるみる手が自らの血で真っ赤に染まる。
 中林は白装束に真っ赤な血の跡をつけながら、それを気にするでもなく壁を見たまま立ち上がる。
「お前は、に逆らったとみなす」
 大きな声が廊下に響くと、何人かの信者が早足でやってきて、直人の腕をひねり上げた。
 中林なかばやしが親指を下に向けると、直人は他の建物へ運び出されて行った。


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