インター・フォン

ゆずさくら

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 駅前の中華食堂で食事を済ませ、その足で『ナツメ・ホテル』を確認した。
 細長い十二三階はありそうなビルで、いくつか部屋の明かりがついていた。
 フロントを覗き見たが、誰も立っていない。
 俺は何気なく、ホテルの中に入っていた。もしかしたら、偶然にも妻に会うのではないか。あるいは妻の浮気相手に会うかもしれない。
 ビジネスホテルという感じの簡素なもので、最低限のものしか置いていなかった。
 俺がエレベータの呼び出しボタンを押すと、フロントに従業員が出てきた。
「……」
 不審な目で見られている。俺はそう感じて、従業員の方に戻った。
「あの、こちらに『林 幸子さちこ』は宿泊していませんか」
「申し訳ございません。個人情報なのでお答えできかねます」
 俺は妻がここに泊まっているかどうかも確認できないのか。俺はもう一度言った。
「あの『林 幸子』というのは妻でして…… ほら、免許証を見せましょう。私が林なのは判っていただけましたでしょうか」
「すみませんが、規定でお答えできないことになっています」
「なんだと! 妻の居場所を聞いて何が悪い」
 いや、怒るつもりはなかった。俺の奥に冷静な自分がもう一人いた。お前が『規定』とか『個人情報』とか言いやがるからなんだぞ。
「もうしわけございませんが。お答えできません」
「部屋番号を教えろと言っているんじゃない。止まっているかと聞いている」
「ですから、規定によりお答えすることはできません」
 俺は引っ込みがつかなくなっていた。何かこの場を離れる格好をつけたい。
「まったく。ホテルの上席にいいつけてやる。ほら、名刺をよこせ」
 従業員は名刺入れを素早く取り出し、一枚抜き出して差し出す。
「井上昭介しょうすけともうします」
 俺はわざと奪うように名刺を取って、乱暴にポケットにしまった。
 そしてフロントを出ていこうとすると、フロントにいる従業員が頭をさげるのがオートドアのガラスに映っていた。
 俺はそのまま振り返らずにホテルをでて、家に向かった。
 家に向かって歩いてく途中、ナツメ・ホテルの名刺を見て電話を掛けた。
『ナツメ・ホテルでございます』
 俺は少し、低めの声を使って、バレないように口調も変え、言った。
「あのな? そっちに泊まっている『林 幸子さちこ』に電話をつないでほしいんだけど」
『何号室にお泊りでしょうか?』
「判んねぇ。そこに泊まるとしか聞いてねぇ」
『もうしわございません。こちらにそのようなお客様はお泊りになられてらっしゃいませんが』
 えっ、と思ったが声には出せなかった。何故だ、妻は何かあったらこのホテルに泊まるのではないのか?
「そっかぁ。じゃああいいや」
 スマフォを切ると、俺は混乱した。
 ナツメ・ホテルに泊まっていると思っていた妻がそこにいない。
 もう一度情報を集めなおさなければならない。家のインターフォンを押してくる奴。まずはそいつを捕まえて、何の目的で動画のQRコードを入れるのかを聞き出そう。もう手掛かりはそれしかない。
 俺が家の玄関の扉を開けると、ガタガタと物音がした。
「沙耶? 沙耶か?」
 返事がない。
 もしかして、インターフォンにQRコードを入れてくる奴が、家の中に侵入して動画を撮っているのではないか。俺はとっさにそう思った。QRコードのいくつかは家の中の様子を撮っている。家の誰かが招きいれているか、そいつが合い鍵でも持っていて、自由に出入りできるか。『沙耶』と呼んで返事がないなら、そいつの可能性がある。
「誰だ。そこにいるのは」
 ゆっくり、先に誰かいないか確かめながら、一歩、また一歩と歩く。
「誰だ?」
 俺が言うと、またガタガタ、と音がして、バタバタと歩く音がする。
「父さん帰ってきたの?」
「沙耶か? そこに誰かいないか?」
「え~ 誰もいないよ」
 俺は素早く歩いて居間に入った。
 沙耶はソファーに座ってテレビを見ていた。
 おじさんのニュースキャスターが淡々と今日の出来事を読み上げている。俺はスマフォで時間を確認する。
 ちょうど今は、沙耶の好きなアイドルがMCをしている番組があるはずだ……
「珍しいな、この時間、沙耶がニュース見てるなんて」
 俺が言うと、沙耶は背中に回していた手を前に出し、テーブルのリモコンを取った。
「そうだ『しやがれ』をみなきゃ」
 テレビのチャンネルを変えたかと思うと、急に立ち上がった。
「と、父さんは見ないんだったよね。ごめん。自分の部屋に戻ってスマフォで見る」
 そう言う顔は、完全に引きつっている。
 まるで『私、父さんに何か隠し事があります』といった雰囲気を出し、沙耶が居間から出て行った。
 ドタドタと階段を駆け上がる音が聞こえ、俺は首を傾げた。何を慌てているのだろうか。
 沙耶が座っていた場所を見ると、ソファーの背もたれと座面の隙間から白い紙が出ているのに気付いた。
 沙耶がいないことを確認して、俺はソファーに近づき、その紙をゆっくり引っ張り出す。
 細長い紙で、どうやらレシートのようだ。
 これがどうしたんだ、と思いながら改めてレシートの内容を見てみる。
「猫砂? ペット用トイレシート?」
 品目も変だったが、数が尋常でなかった。何匹猫を飼っているのかというほどの数が書かれていて、俺は首を傾げた。
 沙耶が買った? 俺の目を盗んで猫でも買っているのだろうか。いや、そんなわけはない。確かに沙耶は猫が好きだが、アレルギーがあって、飼いたくても飼えないのだ。
 だとすると、この大量の猫砂やペット用トイレシートは何に使うのか。
 購入金額から考えても沙耶が小遣いで買えるものではないだろう。レシートの金額や日付を考えると、俺が買ったように思える。確かに、インターフォンの周りを埋めたパテも入っている。つまり、これは沙耶が買ったのではなく、俺が買ったもの……
 ますますわからなくなっていた。
 同じレシートの中に、俺がまったく買った覚えのないものがあるということになる。
 たしかに、ホームセンターに行ったのは事実だし、記憶もある。
 だが会計の時の記憶はないし、行き返りの車の運転の記憶も曖昧だ。日中に居眠りでもしていたのだろうか。確かに、妻に呼吸が止まっていると指摘された記憶がある。無呼吸症候群で、運転中に眠気が襲ったのだろうか。
 本質はそこではない。これを何に使ったのか。
 俺は猫砂を検索した。
 通販やメーカーのページが出るだけで、猫砂の使い道がわかるわけではなかった。
「一体なんのために」
 俺は考えているうちに、疲れてソファーに座り、いつの間にか眠り込んでいた。



 朝、俺は台所でお湯を出し、お湯につけたタオルを絞って体を拭いた。
 髪は少々脂っぽかったが、髪形を整えるにはちょうどいい感じだった。
 ワイシャツを着て、スーツに着替えると会社に出かけることにした。
 今日も体中がだるい。疲れだけではなく、筋肉痛がひどくなっているように思える。
 インターフォンの親機が目に入り、俺は立ち止まった。インターフォンの型番をスマフォに入れて検索してみる。
 どうやら、この機種は家の外でも訪問者の確認ができるようだ。俺はアプリを落として、設定を済ませる。
 スマフォの時計を確認すると、出かけなければならない時間を過ぎていた。
 俺は急いで家を出ようとして、ふと気づいた。
 いつき沙耶さやも学校があるはずだ。
「樹、沙耶、起きないと学校に遅れるぞ」
 二人の返事はなかったが、さすがにもう小学生ではないのだから大丈夫だろう。
「いや」
 俺はいつも夜遅くまでゲームをして遅刻する樹の部屋に行くため、階段を駆け上がった。
「おい、開けるぞ」
 樹の部屋に入ると、誰もいなかった。
 ベッドの上の掛布団は、セミの抜け殻のように立体的に筒が出来ていた。
 何か学校の用事で早く出たのだろう。
 俺も遅刻しそうな時間だ。確かめている時間はなかった。
 そのまま階下に降りて、家を出た。

 会社について、仕事についた。
 俺は仕事の途中、ふと自分のスマフォを見た。
「ん?」
 何か通知が来ている。
 見ると、インターフォンを家の外から確認できるアプリに数字が『2』と表示されていた。
 何かインターフォンの呼び出しを操作されたということだ。
「なんだろう」
 アプリを使って、インターフォンの画像を確認してみることにした。ただ、オフィスでやるには少々気になるので、俺はトイレに入った。
 最初にデータを取得するのは時間がかかったが、始まってしまうとスムーズに映像が再生された。
 またマスクとサングラスの男だった。
 映っているQRコードを別のアプリで解析するとやはりヨウツベのURLだった。
 俺はスマフォの音量を確認して、そのリンクをクリックした。
 俺の家の中の映像。
 もう、この程度では驚かなくなっている自分がいた。
 階段を上って行くと、いきなり扉を開く。開いた先は沙耶の部屋。おびえる沙耶。何か口が動いているが、ここで音声を出すわけにはいかない。映像の端に何か紙切れが見える。
 どうやらカメラを持つ手と反対の手に細長い紙切れを持っている。細い紙の詳細は読めなかったが、見覚えのあるホームセンターのロゴ。
 俺は震えた。
 映像は娘の怯えた表情がアップになって終わっている。
 インターフォンの次の映像を見る。
 やはりサングラスとマスクで人物の顔は判らない。そしてQRコード。ヨウツベのURL。
 クリックすると『コンテンツは削除されました』と表示された。見事に同じパターンの繰り返し。
 ものすごい寒気を感じるとともに、確かめなければならないことがあった。
 トイレを出ると、上席のところに行き、半日休をもらうことにした。すぐに支度をして、俺は家路についた。
 日中のスカスカの電車の座席に座り、俺は考えていた。
 LINEの既読を見ていた。
 妻、長男、長女。
 だれも見ていない。
 家に戻ったら、俺も家族と同じ目に合うのではないか。
 何者かが家の中にいて、それに気が付かないとしたら。俺の目に触れないように逃げ続けることが、可能かもしれない。たとえば俺がトイレに入っているときに二階に隠れる。俺が二階に上がると、樹か沙耶の部屋を経由して一階に降りる。俺が風呂場にいるときはダイニング・キッチンへ。ダイニング・キッチンに行けば居間に移動する、とかそんな感じだ。そして時々外に出てそいつがアップしたヨウツベのURLをQRコードにしてインターフォンに記録する。
 そう考えれば、何か辻妻が合うように思える。
 非常識だが、それくらい不思議なことが起きている。
 家族以外に、誰かが潜んでいるのだ。
 家族の敵が。
 家の中に。


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