消えない思い

樹木緑

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第158話 その日は突然に

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ポールの胸で大泣きした後は、
何だかすっきりとした。

先輩への思いが消えたりとか、
先輩との記憶が無くなったりした訳では無いけど、
胸につかえていたおもりが、すっかりと取れていた。

多分揺り返しは突然にやって来るだろう。

また思い出して泣く日もあるだろう。

これから僕の思いがどう変わっていくのかも分からない。
先輩の気持ちが変わるかもわからない。

人の思いは変わると言う事も知っている。
僕達の約束はあって無いような物……

薄い氷の上を歩いているような状態だ。

死ぬほどの覚悟で日本を出て来たけど、
正直言うと、少しの希望はある。

何時かは…… もしかしたら……

先の事を考えても埒が明かないので、
今を一つ一つ大切に進んで行こうと決めた。

そんなこんなで、クリスマスとお正月は
慌ただしく過ぎて行った。

お正月を過ぎると、
お父さんは期待を裏切らず、
オイオイ泣きながら日本へと帰って行った。

周りに居た人たちの視線が痛かったけど、
心なしか、
お母さんの目も涙ぐんでいるように見えた。

何時も気丈にふるまっているお母さんだけど、
やっぱりお父さんと離れるのは寂しいみたい。

「ハハ、慌ただしかったな。
なんだか、要を出産した時を思い出したよ。
あの時の再現みたい……」

お母さんはそう一言言うと、
クスッと小さく笑った。

お父さんとお母さんにも、
僕の知らない過去がある。

きっとお母さん達故の苦労や困難があったんだろう。
そして僕や家族を守るために
余儀なく離されたお父さんとお母さん。

それでも立派に僕を産んで、育ててくれた。

僕には願っても無いお手本が目の前にいる。
そう思うと、とても心強かった。

お父さんが去って行った後は、
とんとん拍子に時間が過ぎて、
世間では春が来ていた。

時間もサマータイムに変わり、
あちこちで花が咲き乱れていた。

僕のお腹もかなり大きくなり、
出産まで後数週間を残すのみとなっていた。

フランス語も大分話せるようになったし、
最近一人で出かけることも多くなった。

時間を見つけてはふらっと美術館に立ち寄っては
ブラブラとして、公園でぼんやりとした。

「あら、あなた、赤ちゃんが生まれるのね」

隣のベンチに座っていたお祖母ちゃんが話し掛けてきた。

こうやって話し掛けられたのは初めてだったのでびっくりした。
まだ長い会話は不安だったけど、無視するわけにはいかない。

「はい、来月が予定日なんです」

「もう直ぐね~
初めての赤ちゃん?」

「そうなんです!
少し不安です~」

「ホホホ、赤ちゃんが産まれたら、
眠れなくなるから今のうちにしっかり睡眠を取ってね」

「そうみたいですね、
皆そう言う風に言うんです~」

「私もね、3人の男の子を育てたんだけど、
男の子はダメね。
家を出て行ってから帰っても来ないわ。
夫にも先立たれてしまったし、
一人は寂しいわ」

皆色んな人生があって、
それぞれの思いがあるんだなと思った。

「お祖母ちゃんはこの辺に住んでるの?」

「そうなのよ。
私の住んでるところからこの公園も、
エッフェル塔も良く見えるのよ。

一人だと寂しいから
公園に来ては道行く人を眺めてるの。

貴方はどの辺にお住いなの?」

「僕は、16区に住んでるんです。
運動にと思って良くこの辺には散歩に来るんですよ」

「あら、あなた、男の子だったのね。
じゃあ、Ωなのかしら?」

僕は少しビクッとした。

「はい……」

「ウフフ、緊張しなくても大丈夫よ。
私の一人の息子の奥さんも男性のΩなのよ」

「そうなんですか?」

「ええ、でも、残念だけど、
彼等に子供は出来なかったわ。
でも養子を5人も取ったのよ。
皆可愛いわ」

「え~ 5人も?!
凄いですね」

「養子になった子は皆
親に捨てられたΩの子達なの」

「え? 親に捨てられたりするんですか?」

「多いものよ。
多分、知らない人も沢山いるんだろうけど、
そう言う施設が至る所にあるのよ」

「僕、Ωって忌み嫌われてるのは知ってましたが、
まさか、自分の子を捨てる親がいるなんて……」

「その口ぶりからだと、
あなたにはご両親いらっしゃるのね。
立派なご両親ね。
今でこそ大分良くなったけど、貴方のご両親の時代だと、
Ωの子を育てるのは大変だったと思うわよ」

「何故ですか?」

「まず、Ωは費用が掛かるのよ。
定期的な検診に、
抑制剤。
これらはとても高額なの。
両親の経済力が無いと難しいわね。

それにね、Ωには発情期があるでしょう?
発情期をコントロールするのは難しいのよ。

もし、不意に襲ってきた発情期でとんでもないαと番ってしまったら、
そりゃあ、親なんて世間様に顔向け出来ないわよ~

まるで犯罪者扱いよ。

それに周りの人は発情期があるからかΩを
獣扱いしてね。

やっぱり親族ってそう言う好機の目で見られるのがイヤで、
Ωが産まれると、普通は隠すか、
里子に出してしまうみたい」

「そうだったんですか~」

なんだか彼女の話を聞いて、
心が凄く沈んだ。

でもどれと同時に、僕は本当に両親に愛されて、
大事に育てられたんだと言う事が目に見えて理解出来た。

「あなたもね、Ωの赤ちゃんが生まれても、
大切に育ててね。

貴方を見てると、
そんな心配はしなくてもよさそうだけど」

そう言って彼女は微笑んだ。

そうか~
そうだったのか……
だから先輩たちはあんなにα社会を嫌ってたんだ。

Ωの生きやすい社会を作ろうとしてたんだ。

僕にも何かできるだろうか?
この子がΩとして生まれても、
生きやすい社会を作る手助けが出来るだろうか?

「あら、もうこんな時間……
あなたここにはよく来るの?」

「あ、はい。
赤ちゃん産まれるまで、
毎日この辺は散歩しようと思っています」

「じゃあ、また見かけたら声を掛けてね。
赤ちゃん産まれたら、是非赤ちゃんにも会いたいわ。

そうそう、私の名前はクレアっていうの。
宜しくね」

「はい、僕は要と言います。
赤城要です。
こちらこそよろしくお願いします」

「カナメね。
覚えたわ。
じゃあ、また会えたら」

「はい~
また!」

そう言って僕達は別れたけど、
一週間たっても彼女は現われなかった。

1週間程クレアお祖母ちゃんを探しに、
公園に通っていたある日の午後、
ベンチを立った瞬間に
おしっこを漏らしたように
ポタポタと下腹部から何かが漏れ出した。

「え?」

僕はびっくりした。

もしかして……破水?

出産の知識は詰め込んでいた。
心の準備もしていた。
でもまさか出先で破水するなんて……
それもこんな早い時期で……

そんな心の準備は無かった。

咄嗟に頭の中が真っ白になった。

どうしよう……


入院予定までまだ2週間ある。
入院の予定も、赤ちゃんを産んでも大丈夫な
ギリギリの37週目になっている。

少しずつパニックになって来た。

産まれるの早すぎ?

赤ちゃん死んじゃう?

どうしよう……

初めてのことだらけで
分からない。

お母さんは今日はリハーサルの為に
スタジオに行っている。
そう言う時は携帯の電源は切ってある。

どうしよう……
どうしよう……

誰かに助けを……

そう思って周りを見渡した。

目に入ったエッフェル塔の麓に人だかりが出来ている。
そのせいか、周りに誰も居ない。

幸い陣痛はまだだった。
用水も、ガバーって出て来る訳でもない。

僕はその人だかりに行って、助けを乞う事にした。

人だかりまではそう遠くない。
そこへ行って声を掛けたけど、
皆反応が薄い。

誰かに声を掛けようとしても、
誰も僕に気付かないと言うか、
興味が無い。

その中心で行われている事に
皆夢中になっている。

ガヤガヤとしているので、
僕の声がかき消されて、
隣の人にも届かない……

僕はその中心に進むことにした。

人ごみをかき分けて進むと、
そこではモデルらしき人達の撮影が行われていた。

皆、そこに集まっていたモデルたちへの
興味で一杯だ。

キャーキャーと黄色い声を出して
叫んでいる。

ここで助けを求めるのはだめかもしれないと思った。
きっと誰もここから離れて僕を助けてくれる人はいないだろう……

その時一人のモデルが叫びながら
僕の方へ向かって走って来た。

その時は、その人が僕に向かって走ってきているとは
思いもしなかった。

僕の周りにいる人たちは、

「ヤダ~
嘘~!」

と叫んでいる。

そんな中、

「要君!
真っ青でどうしたの?!」

そのモデルはポールだった。

あ、そうか、ポールって
モデルの時はこういう顔してたな……

煩い騒ぎ声に耳を塞いでそんな風に
ぼんやりと思った。

「あ…… ポール……
ごめん、破水しちゃって……
人集りがあったから助けを求めてここまで……」

そう言った時、いきなりポールが僕をお姫様抱っこし、
撮影場まで行くと、責任者らしき人に詳細を説明した。

「病院へ急ぞ!」

ポールはそう言って僕をその場から連れ出してくれたけど、
周りに居た人たちに携帯で取られた写真で、
SNS上では凄い騒ぎになっていた。



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