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第7話「どうしても南へ行きたいんだ…⑤『動き出した歯車達…』」
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第7話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑤『動き出した歯車達…』
「うわああああーっ! シズちゃああああーん!」
両手で頭を抱えた伸田伸也は、吠える様な絶叫を上げた。それは泣いたと言うよりも、まさしく狼が上げる悲しい遠吠えに近かった。
もう、自分がこの世に生きていても仕方がないとまで、彼は思った。絶望という言葉以外に適切な表現は無いと言えるだろう。
それほど伸田にとって皆元静香という女性は、恋人という以上に大切な存在だったのだ。
静香は幼い頃から、自分と幸田剛士と須根尾 骨延を合わせた4人でいつも行動を共にしていた。近所でも評判の、とても仲良しの4人組だったのだ。
伸田を含めた3人の少年達にとって、静香は親友であると共に自分達の憧れのマドンナでありアイドルでもあったのだ。
4人が成長しても、いつも3人の男達は静香の関心を自分が得ようと必死だった。
だが、3人の中でも伸田はダークホース的な存在であって、誰が見ても一番望みが薄いと言えた。本人だってそう感じていたのだ。
悲しい事だが、彼は自分がグズでノロマの上に泣き虫で、男として異性にアピール出来る面など何も持ち合わせていない事を自覚していたのだ。
だが、大学生になった静香は、3人以外にも自分に求愛する同世代の他の男性に惹かれるでもなく、剛士でも須根尾でもない伸田を自分の恋人として選んだのだった。
その事実を自分自身が一番信じられなかった伸田は、一度静香に「どうして自分を選んだのか?」と聞いてみた事があった。
すると、帰って来た彼女の答えは明快かつ単純なものだった。
「伸田さんって… 人の幸せを願い、人の痛みや不幸を自分の様に悲しむ事の出来る人だから…
こんな世の中で、私はそれが人間にとって一番大事な事なんだと思うの。」
伸田は、両親以外の他人から良い評価を受けた覚えがほとんど記憶に無かったのだ。だが、この世で一番好きで憧れていた女性から面と向かってそんな事を言われたのだ。その時、伸田は静香の前で身も世も無くオイオイ泣いた。そんな彼を静香は優しく抱きしめて一緒に泣いてくれたのだ。
そして、その夜初めて二人は結ばれたのだった。
伸田にとってそれほど大切で、この世で愛するただ一人の女性を、あの残忍なヒッチハイカーが無情にも奪い去ったのだ。しかも美しい静香の首を無残に切断し、まるで全裸に剝いた遺体を残された恋人の伸田に見せつけるための様に、天井から吊るして行ったのだ。これほどの惨い仕打ちがあるだろうか?
絶望の中でひとしきり泣いた後、伸田は無残に吊るされた大切な恋人の遺体を降ろしにかかった。警察が来るまで殺人現場は保全すべきだと分かってはいたが、彼には愛する静香の亡骸をそのままにしておく事が出来なかったのだ。
伸田は静香を吊り下げたワイヤーの繋がっている電動ウインチに近づくと、スイッチを操作して、ゆっくりと遺体を降ろして床に横たえた。
遺体を包む適当な覆布を見つけられなかった伸田は、仕方なく倉庫の隅で見つけた毛布を遺体に掛けようとした。
そして、無残に切断された首の切り口に自分のハンカチを掛けてやり、手首で縛られていたロープから解放した手を遺体の胸の前で組ませようとした伸田は気が付いた。
曲がったまま硬く硬直し始めた指が上手く組み合わせられなかったのだ。
「おかしい… 遺体がここまで硬直する程、自分は静香の傍を離れただろうか…? いや、そんな筈はない…」
気になった伸田が注意して遺体を調べ始めると、溶け始めてはいたが真っ白な遺体の表面が凍り付いていたのだ。例えは悪いが、冷凍していた肉を解凍し始めたばかりの状態といった感じだろうか…
すぐ近くで炎上し続けている場所で、殺されたばかりの遺体が凍っているのはおかしな事だった。
遺体に対する冒涜の様で不謹慎な行為だったが、意を決した伸田は試しに遺体の合わさった太ももの隙間に指を突っ込んで股間の性器と肛門の辺りに触れてみると、そこは冷たく凍っていた。
しかも、そのどちらの器官も凍り付いた血に塗れていたのだ。この遺体は何者か、恐らくヒッチハイカーによって乱暴され、長い時間に渡って凌辱され続けたためだと思われた。
ある考えに思い至った伸田は、首の無い遺体をもう一度落ち着いて眺めて見た。
「違う…この遺体はシズちゃんじゃない…」
静香の恋人であり、何度も全裸の彼女と愛し合っていた伸田にしか分からない肉体的特徴として、遺体の下腹部に生え揃っている陰毛の密度や生え方の形が違っているのだ。
それによく見ると、伸田が性行為のたびに手や口で愛撫する乳房や尻の大きさや形も静香とは違っていたし、硬直する遺体の脚をこじ開けて確認して見た性器の形も違う。
そして何よりも決定的だったのは、これこそ静香自身も知らず伸田しか知らない事だが、彼女の肛門の皺を広げないと絶対に見えない小さな可愛い黒子が遺体のその部分には無かったのだ。
しかも、遺体の首は切断されているが、それを差し引いても身体全体としては静香よりも小柄だった。
そこまで特徴を確認した伸田は、この首を切断された無残な遺体が静香のものでは無いと断定し、不謹慎だとは思ったが少しだけ安堵する事が出来た。
だが…そうすると、この遺体は誰なのか?
「ひょっとして…これは、ミチルちゃんの遺体じゃ…?」
もちろん、須根尾の恋人であるミチルの裸など伸田は一度も見た事は無かったが、この遺体が静香よりも大柄なエリの身体ではあり得ない。
ここまで考えて思い至るのは、車の屋根でヒッチハイカーに犯され続けていたミチルの遺体しか無かった。遺体を前にして不謹慎極まりなかったが、伸田は安堵のため息を吐いた。
では、静香はどこに行ったのだ…? 倉庫を探し回った伸田は、床に無造作に転がっていた親友である須根尾の無残に切断された生首を発見した。
「スネオ…」
震える手で親友の首を床から拾い上げた伸田は、先ほど横たえた恋人のミチルの遺体の隣にそっと置いてやった。そして、覆布代わりの毛布を掛け直すと、伸田は亡くなった二人の友人のために心を込めて合掌して小さくつぶやいた。
「二人とも…これで、もう寂しくないよな。君達の二人の無念を、僕は…この手で晴らしてやりたい…」
伸田は親友達を殺された怒りを力に変えて、ふらつく足で立ち上がった。
「早くシズちゃんを捜さないと… 頼むから君は生きていてくれ!」
床に置いてあったタイヤレバーを拾い上げた伸田は倉庫を出た。
「あのクソ野郎…僕のシズちゃんに何かしやがったら、必ずこの手で殺してやる。」
普段大人しい伸田が物騒な言葉を吐いたものだが、彼は本気だった。
あの怪物の様に強靭な肉体を持った残忍なヒッチハイカー相手に、手加減など出来る筈が無かった。文字通り死ぬ気で殺らなければ、こっちが殺られるのだ。
しかし、伸田の勝ち目は全くと言っていいほど無かった。それは彼自身が誰よりもよく分かっていた。それでも、自分が死んだとしても静香だけは助けたいという固い決意を抱く事で、伸田は逃げ出したくなりそうな恐怖を打ち消した。
********
意識を失っていた静香が目を覚ました。寒さで目が覚めたのだ。
そこは、さっきまで隠れてスマホで警察に通報をしていた、近くで燃え続ける火災の炎で熱せられて温かかった倉庫の中では無かった。自分の身体は半分ほどが枯れ葉の山に埋もれている。
どうやら静香は、林の中の冷たく凍った地面にうず高く積もった枯れ葉の中に、何者かによって放置されていたらしい…
静香は身体を起こして座り、自分の周りを見回した。そこは炎上するガソリンスタンド近の林の中らしく、明るい炎が木と木の間に見え隠れしている。眠り込んだ自分が凍死せずに済んだのは、火災によって温められた林の中で樹木と枯れ葉によって吹雪が遮られていたためだろう。
その事に自分の運が良かったというよりも何者かの意思を感じ、却って恐ろしさを感じた静香は身震いが止まらなかった。
それでも次第に落ち着いて来た静香は、気絶する前に自分の身に起こった事を思い返してみた。
「そうだわ… スネオさんの首が転がって来た方に、あの大きなヒッチハイカーが火災の炎を背にして立っていたのよ。そしてアイツは、全裸の女の人…あれはミチルちゃんだった…の遺体を肩に担いでいた。
ミチルちゃんの遺体を私の前に投げ出すと、わざと私に見せつけるように手にした大きな山刀で、ミチルちゃんの首を大根か何かの様にスパッと斬り落とした… アイツが私の顔に、拾い上げたミチルちゃんの生首の顔を押し付けて来たところで…私は意識を失ったんだわ…」
その光景を脳裏にまざまざと呼び起こしてしまった静香は、恐怖のあまり再び眩暈を起こしそうになった。
だが、静香は再び意識を失いそうになる自分自身を叱咤し、愛しい恋人の伸田の顔を頭に思い浮かべる事で、何とか失神しないで済んだ。
そして、昂っていた気持ちが落ち着いてくると、もう一度自分の周りを見回してみた。
やはり自分の今いる場所は、ガソリンスタンドからそんなに離れてはいない林の中らしかった。どちらかというと、スタンドよりもエンストした伸田の車が停車してある地点に近いようだ。
「ノビタさんの車に戻りたいけど、私が戻ればエリちゃんや剛士さんまで危なくなるわ…」
自分が二人のいる車に戻れば、ヒッチハイカーを連れて帰る事になる。
そうすれば、恐らく三人とも命は無いだろう。剛士は須根尾とミチルの様に首を切断され、自分とエリは死ぬまで犯され続け、死んでからもヤツが飽きるまで犯された後で首を切断される… かと言ってアイツと戦うなんて、か弱い自分には絶対に無理だ… 伸田が武器として渡してくれたトルクレンチも自分のショルダーバッグも、アイツに奪われてしまったのか近くには見当たらなかった。たとえ手元に有ったとしても、あの怪物じみたヒッチハイカー相手には気休めにもならないだろう。
いったい、あの男は何が目的なの…? 本当にヒッチハイクをして、どこかへ行きたかったのだろうか…? 女を片っ端から犯すのと、ただ殺戮を楽しみたいから走行中の車を止めさせて乗り込んだだけなのではないか…?
いくら考えてみても静香には分からなかった。今の静香は、ただ愛する伸田に逢いたかった。
そして、重傷を負った幼馴染の剛士と、彼の恋人であるエリを助けたい… もう静香は、自分の親しい者を一人でも須根尾とミチルの様な悲惨な目に遭わせたくは無かったのだ。
そう思うと…心の優しい静香は、ひょっとすると自分一人が犠牲になれば、他の三人を救えるのではないか…などという幻想を抱き始めるようになっていた。
静香がそこまで考えた時、背後で「パキッ!」という枯れ枝を踏み折った様な乾いた音が聞こえた。「アイツが戻って来たんだわ… 私、もう終わりなのね。ノビタさん…もう一度逢いたかった…」
静香は愛する伸田を想い、両手を組み合わせて祈りながら目を閉じた。
「さよなら、ノビタさん…」
静香は死を覚悟した。だが、アイツに犯され汚されるのは嫌だった。
逆らって殺される事になっても、絶対にアイツの性器や身体の一部でも自分の身体の中に受け入れはしない…
「パキッ、ペキッ!」
彼女のすぐそばまで音が近づいて来た…
静香は地面にへたり込んだまま目を瞑り、両腕で自分自身の身体を抱きしめて震えているしかなかった。
そんな震える静香の肩に、背後から誰かの手が載せられた…
********
「シズちゃん、生きていてくれ…」
伸田は必死になって、ヒッチハイカーと静香を捜した。どちらか一方でも見つけられれば、必然的にもう一人にもたどり着くはずだ。
だが、手掛かりは何も無かった。
伸田は、自分が犬なら良かったのに…『のび犬』になれば愛する静香の匂いを追って彼女を見つけ出す事が出来る…などと、とりとめも無い妄想まで抱くようになっていた。
やはり、恐怖の連続から来たした極度のストレスで、彼の正常な思考力は低下しているようだった。
愛する静香を求めてあてどなくうろつき回る伸田の視界の片隅に、自分の車が目に入った。
伸田は何か二人に繋がるヒントでも見つからないかと捜しまわるうちに、いつの間にか彼の足は剛士とエリのいる自分の車へと向いていたのだった。もっとも、彼ら友人二人の安否も知りたかった。
「二人は無事だろうか…? スネオ達の様に、もうヤツに殺されたんじゃ…」
また新たな不安が、伸田の頭をよぎった。
だが、考えてばかりいては不安と苛立ちの堂々巡りに陥ってしまう。考え込んで悩むよりも行動しなければ… とにかく、炎上する炎で照らされた自分の愛車の近くまで来た伸田は、ポケットに入っていた車のスマートキーの『ロック解除』ボタンを押した。
「ピッ!ピッ!」という解除音と共に、前後にある左右のウィンカーが二度点滅して車のドアロックが解除された。
突然起こったドアの解錠に中のエリは驚いたかもしれないが、こんな真似が出来るのはスマートキーを持っている伸田だけだと、すぐに気付いてくれただろう。そうは思ったが、勘違いしたエリに自分が渡してあった十徳ナイフでいきなり刺されるなんてシャレにもならないので、伸田は用心のためにヒッチハイカーに割られていなかった右側の窓から車内を覗き込んだ。
なぜか懐かしい気がする自分の車のセカンドシートには、エリの頭が見えた。ひょこひょこと頭が動いているのを見た伸田は安心した。
良かった… エリちゃんは無事みたいだ。それにヒッチハイカーらしき姿は無い。あの巨漢が隠れている様子は無かった。
安心して車の前方に回った伸田が、ゆっくりと運転席のドアを開けた。
「ただいま、エリちゃん…」
驚かさないように、小さな声で伸田はエリに話しかけた。
だが、エリからの返事が無い…
「エリちゃん、大丈夫? ジャイアンツはどんな具合?」
やはり、何の返事も帰って来ない。
小さな声と言っても、狭い車内で聞こえないはずが無いのだ。
「エリちゃん?」
伸田の再度の呼びかけにエリが応じる事は無く、彼女は顔を下に向けたままだ。エリの頭はカクカクと揺れているが不自然な動きだった。こんな状況でエリが寝ている訳では無いだろうが、気になった伸田は声をかけながらエリの頭に手をかけて揺さぶろうとした。
「どうしたんだよ、ホントに…?」
伸田に手を載せられたエリの頭部がポロっと下に落ちた… エリの身体が下向けに倒れた訳では無い。彼女の頭部だけが、ボトッと下に落ちて床に転がったのだ。
床に転がり落ちたエリの頭部は、ほっそりとした彼女の首が切断された断面に突き刺された十得ナイフに引っ掛けるように載せられていただけだったのだ…
「うっ、うわあああーっ! エリちゃんっ! 君までがっ!」
驚いて、のけ反った伸田の背中の一部と左肘が、車のクラクションを押した。
「ビイイイイイイイーッ!」
激しい吹雪が吹き荒れる深夜の山中に、けたたましいクラクションの音が響き渡った。
自分で鳴らしたクラクションが、狂気に陥りかけた伸田を正気へと引き戻した。
「くそお… あの野郎! エリちゃんまで殺しやがって… はっ、そうだ! ジャイアンツは…? あいつは、どうなったんだ?」
伸田は首の無いエリの遺体が座ったままのセカンドシートの足元を覗き込んだ。
伸田と静香が車から離れるまでは、剛士の意識を失った身体はそこに横たえられてエリに守られていたのだ。
「いた…」
巨体の剛士の身体は、伸田達が出かける前と同じ姿勢で窮屈そうに床に横たわったままだった。
剛士の首はエリの様には切断されていなかった。
だが…
剛士の首に指を当ててみた伸田は、すでに彼の脈が無い事にすぐに気が付いた。それに、毛布にくるまれた剛士の身体は氷の様に冷たい。
恐らく剛士は、エリや須根尾のようにヒッチハイカーの山刀で直接殺された訳ではなく、彼の死因は切断された左手首からの出血多量による失血死だったのだろう。
いや… どちらにせよ、やはり原因は同じだ。剛士の左手首を切断したのはヒッチハイカーの山刀なのだから…
伸田は、さっき落ちたエリの首が死んでいる剛士の顔と向かい合っているのを見た。それはまるで、恋人同士の二人が今からキスをしようとしているようだった。伸田は二人をそのままにしておいてやる事にした。 ただ、生前の剛士の身体を保温するためにかけてあったブランケットを一枚取ると、首の無いまま座っているエリの身体にそっと被せてやった。
「アイツ… 僕の大切な友達を…みんな奪いやがった。
畜生! 殺せないまでも…必ず、僕のこの手でヤツに一矢報いてやる!」
伸田の身体は寒さでも恐怖でも無く、仲間達を奪われた怒りで震えていた。
********
肩に載せられた手にギュっと力が込められ、心臓の止まりそうになった静香に背後から声が掛けられた。。
「大丈夫ですか…?」
次に来る死を覚悟していた静香だったが、背後から聞こえてきた意外にも優しい呼びかけの声に恐る恐る振り返った。
「えっ?」
そこに中腰で立って静香に話しかけていたのは、肩から吊ったSMG(サブマシンガン)のMP5SFKを左手で押さえながらヘルメットと顔を半分覆った黒いマスクの間から覗かせた目で心配そうにこちらを見つめてくる、重装備に身を包んだ黒ずくめの男だった。
男の背後にも同じ格好の、重装備をした男達が数名いる様子だった。その男達は慣れた手つきでSMG(サブマシンガン)を構え、四方を用心深く警戒していた。
「あなた…達は?」
死を覚悟していた自分が予想したのと全く違う展開に驚きながら、静香は自分に話しかけてきた先頭の男に恐る恐る問いかけた。
男は目から下を覆っていた黒い覆面を下げると、歯並びの良い白い歯を見せて優しく微笑みながら低く落ち着いた声で静香に答えた。
「自分達は、あなた方の緊急救助要請を受けた○✕県警から派遣された、県警捜査一課特殊犯捜査係SIT(Special Investigation Team)の部隊です。
自分は、このAチームを指揮している島警部補です。自分達と同様に別チームもすでに展開して、救出及び容疑者確保のための作戦行動中です。
我々は連続殺人事件の容疑者を制圧確保し、あなた方を救出するために来たプロの集団です。ご安心下さい。」
島と名乗った40歳前後の警部補は、警察手帳を取り出して自分の身分を静香に示しながら現場の状況を簡単に説明した。
さっきまで恐怖に震えて死を半ばまで覚悟していた静香は武装した屈強な数名の男達に囲まれ、ようやく安心すると溜息と共に身体から力が抜けていくのを感じた。
これで自分達は助かったのだ。ようやく安心する事の出来た静香の目から喜びの涙が流れて頬を伝った。
「私は皆元 静香という22歳の大学生です。他の5人の友人達と一緒に来るまでスキーと温泉旅行に来ました。宿泊先の旅館に向かう途中で、あの男に襲われたんです。
二人の友人が殺され、別の一人が左手首を切断されるという重傷を負っています。彼はとても危険な状態なんです、早く助けてあげて下さい。お願いします。」
静香は必死な思いで島警部補に縋り付いて訴えた。
島警部補は静香の左肩に優しく右手を載せ、彼女を励ますように力強い口調で答えた。
「我々が来たからには安心して下さい。今のお話では、生存者はあなたと重症の方を入れて4名ですね。救急隊も少し離れた地点に待機しています。まず、あなたを私の部下にそちらへ案内させます。
おい、安田。お前はこちらの皆元さんを指揮所まで安全にご案内するんだ。急げ!」
背後を振り返った島警部補は、立ち上がって警戒していた一人の隊員に向けて命令を下した。
「はっ! 了解しました! 皆元さん、安田巡査です。私がご案内いたします、こちらへ。」
上官でありチームリーダーである島警部補の命令に前に進み出た安田と呼ばれた大柄な巡査が静香の前に立ち、彼女に対して敬礼して挨拶をすると、すぐに案内するべく彼女の先に立って歩き始めた。
「よろしくお願いします…」
静香は安田に対してそう告げると、島警部補を始めとした他の隊員へ向けて深々と頭を下げて挨拶をし、安田巡査に先導されて林の中を歩き始めた。後に残った隊員達の誰もが静香の可憐で儚げな後姿を名残惜しそうに見送った。
「よし。残った他の者は、各個警戒しつつ私に続け。行くぞ!」
静香を部下の安田に託し、自分の娘を見る様な優しい目で彼女を見送った島警部補は、顎の下まで下ろしていた覆面を目の下まで上げ直すと全隊員に命じた。
それまで優しかった島警部補の目は、再び獲物を狩る猟師の様な油断のない厳しい目に戻っていた。
Aチームは安田巡査が外れた事で、島警部補を含めた5人の小隊となっていた。
現在、Aチーム以外にも6名ずつのBチームとCチームがそれぞれガソリンスタンドの周辺の林に展開しており、3チーム合わせて合計18人の警官がヒッチハイカーの制圧確保のために作戦行動中だった。
それ以外に安田の向かった作戦指揮所には、隊長と副長の2名を別としたDチームの重装備の警官6名が警戒に当たっている。
作戦指揮所には、SITの他に救護班と所轄の警察署から派遣された女性警察官を含めた一般警察官の数名が、被害者救護のために待機していた。
たった一人の犯罪者を確保するために動員された警官の人数と装備が大げさすぎる感があるが、今年の秋以降の3カ月の間に○✕県内では、手口から今回の事件の被疑者と同一人と思われる者による連続した複数の猟奇殺人事件が起こっていたのだ。
旅行者やドライブ中のカップル、トラック運転者などを含めた被害者はすでに合計27名にも上っていた。
○✕県警では県警本部長を名目上の最高司令官として県内の各市を跨いだ合同捜査本部を組織し、犯罪史上稀に見る一連の猟奇殺人事件の捜査に当たっていたのだった。
静香によって今回の事件発生の通報を受けた県警は、本部長の直々の命令で○✕県警の特殊犯捜査係のSIT(Special Investigation Team)の部隊を非常招集し、今回の任務に投入する事になったのである。
********
安田巡査が静香を連れて指揮所に向かった少し後の事だった。
「ビイイイイイイイーーーーッ!」
荒れ狂う吹雪の中をけたたましいクラクションの音が鳴り響いた。
誰も知る筈が無かったが、このクラクションは伸田がエリの死体に驚いた拍子に誤って鳴らしたものだった。
「何だ、あのクラクションは? 富山、何か分かるか?」
島警部補が近くを歩いていた部下の富山巡査に問いかけた。
「自分にも、はっきりとした事は分かりません。ですが… 国道からガソリンスタンドへ入る進入路の入り口付近にエンジンのかかっていない白いSUV車が一台停車していたのを、遠巻きではありましたが自分は確認しています。このクラクションの音源はあのSUV車の辺りではないかと思われます。」
富山巡査は自分の私見を交えながら、島警部補に返答した。
「よし、俺と富山の2名でクラクションを鳴らした車に向かう。他の3名は林の中を各個に被疑者を捜索しつつ、俺と富山を援護しろ。富山、行くぞ!」
「了解!」
「了解です!」
全員が島警部補の命令に返事をした。
********
ガソリンスタンドから数十m離れた所にある製材所の木材置き場に、数台の警察関係車両が停められ、今回の連続猟奇殺人及びガソリンスタンド放火事件に対処するために派遣されたSITの作戦指揮所が置かれていた。
吹き荒れる吹雪の中、静香は安田巡査の案内で、この作戦指揮所に連れて来られた。
停車中の警察車両の中には現場指揮官車もあったが、安田巡査は製材所の事務所を借り受けて緊急に設置された仮の作戦指揮所に静香を案内した。
事務所の入り口前に立ち、警備に当たっていたSIT所属のDチームの隊員に対し、安田巡査は敬礼をして用件を伝えた。
「Aチームの安田巡査、班長の島警部補の命令により、被害者のお一人である皆元さんをお連れしました。」
安田に対して敬礼を返しながら警備任務のSIT隊員が答える。
「ご苦労様です。島警部補より無線で連絡を受けておりますので、安田巡査は皆元さんをお連れして中へお入り下さい。隊長と副長がお待ちです。」
警備の警官が安田巡査にだけでなく、静香に対しても丁重に敬礼した。
「Aチームの安田巡査、島警部補の命令で被害者の皆元さんをお連れしました!入ります!」
中に安田巡査と迎え入れられた静香は、椅子から起立した隊長と副長と思われる指揮官達と面会した。
SMG(サブマシンガン)こそ携行していなかったが、この指揮官二人も隊員達と同じヘルメットを被り、防弾・防刃効果のある作戦遂行用ボディーアーマーを着用していたし、腰には拳銃も装備されている。
二人は不安そうな顔の静香を、温かい笑顔と親切な態度で丁重に迎え入れてくれた。
安田巡査は入口横で直立不動の姿勢で立ち、上官達に向けて最敬礼した後、緊張に上ずった声で報告した。
「隊長! 安田巡査、島警部補の命により被害者のお一人でいらっしゃる皆元さんをお連れ致しました。」
上官二人を前にして緊張でカチカチになって敬礼する大男の安田巡査を横目で見た静香は、微笑ましくて思わず顔がほころんだ。
報告を受けた二人の上官も、目の前の部下の態度に笑いをこらえているのが静香にも分かった。彼女には判別出来なかったが、二人のうち階級の高いと思われる方の人物が安田に敬礼を返して答えた。こちらの人物が安田が緊張しながら報告をした隊長なのだろうと静香は思った。
「ご苦労だった、安田巡査。君はすぐに現場に戻り、島警部補に皆元さんの指揮所への無事到着を報告してくれ|給え。そしてご苦労だが、そのままAチームの任務に復帰するんだ。」
「はっ!了解しました! 安田巡査、これより現場に戻り、任務に復帰します。」
隊長らしい警察官の指示を受けた安田巡査が、再び上官に対して最敬礼して返答した。このやり取りを聞いた静香は、安田巡査に頭を下げて礼を述べる。「安田さん、ここまで連れて来ていただいてありがとうございました。生き残った者達の救助をよろしくお願いします。」 美しく清楚な静香に、思いのこもった礼を言われた若い安田巡査は顔を真っ赤にして照れた笑いを浮かべ、もう一度二名の上官と静香にそれぞれ敬礼をして部屋を出て行った。
「皆元さんですね。私は、この作戦でSITの部隊を率いている指揮官の長谷川警部です。こちらは副長の横田警部補です。
この度は大変な目に遭われましたね。
亡くなられた御友人の方々には、お悔やみを申し上げます。お気持ちをお察しします。どうぞ、そちらにお掛けになって下さい。早速で恐縮なのですが、お話を伺わせて下さい。」
長谷川警部に優しく丁重に勧められ、静香は警部の向かいの席に腰を下ろした。
すぐにSIT隊員ではなく通常の制服を着た女性警官によって、静香の元へ熱いコーヒーが運ばれて来た。
「どうぞ。身体が温まりますよ。」
女性警官は優しく微笑んでコーヒーを静香の前に置くと、敬礼をして部屋を出て行った。
静香は礼を言って、熱いコーヒーをブラックのまま飲んだ。ほど良く効いている室内の暖房に加え、コーヒーで身体が中から温められ、ようやく静香は人心地付く事が出来た。
「では皆元さん… あまり思い出したくは無いとは思いますが、今回の事件について最初からお話し願えますか。事件の被疑者逮捕の参考にしたいと思いますので…」
さっそく、長谷川と名乗った警部が静香に対し優しく丁寧ではあるが、事情聴取の時の様な相手に鋭い眼光と有無を言わせない口調で切り出した。
静香は前に座る長谷川の目を見つめながら頷くと、山道でヒッチハイカーの男と出会ったところから順を追って話し始めた。
********
伸田は親友の剛士と彼の恋人であるエリの亡骸に合掌してから、手に持ったタイヤレバーを強く握りしめながら自分の車を出た。
「あのクソ野郎… みんなの弔いのために、僕が必ず叩きのめしてやる…」
大切な仲間を次々と殺された伸田の胸中に渦巻いていた恐怖と怒りは増大し、ヒッチハイカーに対する殺意にも似た強い憎悪へと変わっていった。
この時点において、この一帯に連続殺人犯であるヒッチハイカーの制圧確保と自分達を救出するための作戦が遂行中なのを、残念な事に伸田は全く知らなかった。
もしも伸田が近くを探索中の警察に出会い、彼らに保護を求めていたなら、この後の事件の展開は変わっていたかもしれない… だが、不運にも偶然この事件に関わってしまっただけの伸田には、自分の知らない所で事態がどう進行しているかなど知る由も無かった。
神と違って自分一人の未来さえ予測する事の叶わぬ憐れな人間に過ぎない者達は、ただ歯車の一つとして運命の流れに飲み込まれていくしか無いのだろうか…?
伸田が静香を捜すために、再びガソリンスタンドに向かいかけた時だった。
タタタタタタタッ!
「ギャアーッ!」
「く、来るな! 化け物っ!」
吹き荒れる吹雪の中を突然、明らかに人工物が発したと思われる軽快な音が小刻みに鳴ったかと思うと、数人と思われる男の悲鳴と怒号が上がった。
伸田は訳の分からないまま両手で頭を抱えて、その場に伏せた。
タタタタタタタタッ!
タタタタタタタッ!
「怯むな! 撃てえっ!」
「やっ、やめてくれっ! うぐっ!!」
タタタタタタタッ! タタタタタタタッ!
タタタタタタタタタッ!
「ぐわっ! 助けてくれえ!」
タタタタタタタタッ!
タタタタタタタッ!
「バカ! 味方を撃つんじゃない!」
「うわああーっ!」
タタタタタタタッ!
「何だ? あれは銃声…? 軽機関銃か? それに男達の悲鳴が…」
いったい何が起こったのか、吹雪の中に突然響き渡った複数の機関銃らしき発砲音と、銃の発砲者と思われる複数の男達が発する悲鳴や怒号を耳にした伸田は恐る恐る立ち上がると、身を隠す遮蔽物を求めて、ミチルの遺体が安置された倉庫へ向かって懸命に走った。
********
銃声と悲鳴をゴングにして、新たな戦いが開始された。もう、伸田とヒッチハイカーだけの小規模な戦いでは無い。
強い吹雪の吹き荒れる真夜中の山中において、戦いの参加者達それぞれの思いを載せた恐ろしい運命の歯車が動き始めたのだ…
殺戮を繰り返しながら破滅へと向かって時を刻み始めた歯車は、もう誰にも止められないのだろうか…?
【次回に続く…】
「うわああああーっ! シズちゃああああーん!」
両手で頭を抱えた伸田伸也は、吠える様な絶叫を上げた。それは泣いたと言うよりも、まさしく狼が上げる悲しい遠吠えに近かった。
もう、自分がこの世に生きていても仕方がないとまで、彼は思った。絶望という言葉以外に適切な表現は無いと言えるだろう。
それほど伸田にとって皆元静香という女性は、恋人という以上に大切な存在だったのだ。
静香は幼い頃から、自分と幸田剛士と須根尾 骨延を合わせた4人でいつも行動を共にしていた。近所でも評判の、とても仲良しの4人組だったのだ。
伸田を含めた3人の少年達にとって、静香は親友であると共に自分達の憧れのマドンナでありアイドルでもあったのだ。
4人が成長しても、いつも3人の男達は静香の関心を自分が得ようと必死だった。
だが、3人の中でも伸田はダークホース的な存在であって、誰が見ても一番望みが薄いと言えた。本人だってそう感じていたのだ。
悲しい事だが、彼は自分がグズでノロマの上に泣き虫で、男として異性にアピール出来る面など何も持ち合わせていない事を自覚していたのだ。
だが、大学生になった静香は、3人以外にも自分に求愛する同世代の他の男性に惹かれるでもなく、剛士でも須根尾でもない伸田を自分の恋人として選んだのだった。
その事実を自分自身が一番信じられなかった伸田は、一度静香に「どうして自分を選んだのか?」と聞いてみた事があった。
すると、帰って来た彼女の答えは明快かつ単純なものだった。
「伸田さんって… 人の幸せを願い、人の痛みや不幸を自分の様に悲しむ事の出来る人だから…
こんな世の中で、私はそれが人間にとって一番大事な事なんだと思うの。」
伸田は、両親以外の他人から良い評価を受けた覚えがほとんど記憶に無かったのだ。だが、この世で一番好きで憧れていた女性から面と向かってそんな事を言われたのだ。その時、伸田は静香の前で身も世も無くオイオイ泣いた。そんな彼を静香は優しく抱きしめて一緒に泣いてくれたのだ。
そして、その夜初めて二人は結ばれたのだった。
伸田にとってそれほど大切で、この世で愛するただ一人の女性を、あの残忍なヒッチハイカーが無情にも奪い去ったのだ。しかも美しい静香の首を無残に切断し、まるで全裸に剝いた遺体を残された恋人の伸田に見せつけるための様に、天井から吊るして行ったのだ。これほどの惨い仕打ちがあるだろうか?
絶望の中でひとしきり泣いた後、伸田は無残に吊るされた大切な恋人の遺体を降ろしにかかった。警察が来るまで殺人現場は保全すべきだと分かってはいたが、彼には愛する静香の亡骸をそのままにしておく事が出来なかったのだ。
伸田は静香を吊り下げたワイヤーの繋がっている電動ウインチに近づくと、スイッチを操作して、ゆっくりと遺体を降ろして床に横たえた。
遺体を包む適当な覆布を見つけられなかった伸田は、仕方なく倉庫の隅で見つけた毛布を遺体に掛けようとした。
そして、無残に切断された首の切り口に自分のハンカチを掛けてやり、手首で縛られていたロープから解放した手を遺体の胸の前で組ませようとした伸田は気が付いた。
曲がったまま硬く硬直し始めた指が上手く組み合わせられなかったのだ。
「おかしい… 遺体がここまで硬直する程、自分は静香の傍を離れただろうか…? いや、そんな筈はない…」
気になった伸田が注意して遺体を調べ始めると、溶け始めてはいたが真っ白な遺体の表面が凍り付いていたのだ。例えは悪いが、冷凍していた肉を解凍し始めたばかりの状態といった感じだろうか…
すぐ近くで炎上し続けている場所で、殺されたばかりの遺体が凍っているのはおかしな事だった。
遺体に対する冒涜の様で不謹慎な行為だったが、意を決した伸田は試しに遺体の合わさった太ももの隙間に指を突っ込んで股間の性器と肛門の辺りに触れてみると、そこは冷たく凍っていた。
しかも、そのどちらの器官も凍り付いた血に塗れていたのだ。この遺体は何者か、恐らくヒッチハイカーによって乱暴され、長い時間に渡って凌辱され続けたためだと思われた。
ある考えに思い至った伸田は、首の無い遺体をもう一度落ち着いて眺めて見た。
「違う…この遺体はシズちゃんじゃない…」
静香の恋人であり、何度も全裸の彼女と愛し合っていた伸田にしか分からない肉体的特徴として、遺体の下腹部に生え揃っている陰毛の密度や生え方の形が違っているのだ。
それによく見ると、伸田が性行為のたびに手や口で愛撫する乳房や尻の大きさや形も静香とは違っていたし、硬直する遺体の脚をこじ開けて確認して見た性器の形も違う。
そして何よりも決定的だったのは、これこそ静香自身も知らず伸田しか知らない事だが、彼女の肛門の皺を広げないと絶対に見えない小さな可愛い黒子が遺体のその部分には無かったのだ。
しかも、遺体の首は切断されているが、それを差し引いても身体全体としては静香よりも小柄だった。
そこまで特徴を確認した伸田は、この首を切断された無残な遺体が静香のものでは無いと断定し、不謹慎だとは思ったが少しだけ安堵する事が出来た。
だが…そうすると、この遺体は誰なのか?
「ひょっとして…これは、ミチルちゃんの遺体じゃ…?」
もちろん、須根尾の恋人であるミチルの裸など伸田は一度も見た事は無かったが、この遺体が静香よりも大柄なエリの身体ではあり得ない。
ここまで考えて思い至るのは、車の屋根でヒッチハイカーに犯され続けていたミチルの遺体しか無かった。遺体を前にして不謹慎極まりなかったが、伸田は安堵のため息を吐いた。
では、静香はどこに行ったのだ…? 倉庫を探し回った伸田は、床に無造作に転がっていた親友である須根尾の無残に切断された生首を発見した。
「スネオ…」
震える手で親友の首を床から拾い上げた伸田は、先ほど横たえた恋人のミチルの遺体の隣にそっと置いてやった。そして、覆布代わりの毛布を掛け直すと、伸田は亡くなった二人の友人のために心を込めて合掌して小さくつぶやいた。
「二人とも…これで、もう寂しくないよな。君達の二人の無念を、僕は…この手で晴らしてやりたい…」
伸田は親友達を殺された怒りを力に変えて、ふらつく足で立ち上がった。
「早くシズちゃんを捜さないと… 頼むから君は生きていてくれ!」
床に置いてあったタイヤレバーを拾い上げた伸田は倉庫を出た。
「あのクソ野郎…僕のシズちゃんに何かしやがったら、必ずこの手で殺してやる。」
普段大人しい伸田が物騒な言葉を吐いたものだが、彼は本気だった。
あの怪物の様に強靭な肉体を持った残忍なヒッチハイカー相手に、手加減など出来る筈が無かった。文字通り死ぬ気で殺らなければ、こっちが殺られるのだ。
しかし、伸田の勝ち目は全くと言っていいほど無かった。それは彼自身が誰よりもよく分かっていた。それでも、自分が死んだとしても静香だけは助けたいという固い決意を抱く事で、伸田は逃げ出したくなりそうな恐怖を打ち消した。
********
意識を失っていた静香が目を覚ました。寒さで目が覚めたのだ。
そこは、さっきまで隠れてスマホで警察に通報をしていた、近くで燃え続ける火災の炎で熱せられて温かかった倉庫の中では無かった。自分の身体は半分ほどが枯れ葉の山に埋もれている。
どうやら静香は、林の中の冷たく凍った地面にうず高く積もった枯れ葉の中に、何者かによって放置されていたらしい…
静香は身体を起こして座り、自分の周りを見回した。そこは炎上するガソリンスタンド近の林の中らしく、明るい炎が木と木の間に見え隠れしている。眠り込んだ自分が凍死せずに済んだのは、火災によって温められた林の中で樹木と枯れ葉によって吹雪が遮られていたためだろう。
その事に自分の運が良かったというよりも何者かの意思を感じ、却って恐ろしさを感じた静香は身震いが止まらなかった。
それでも次第に落ち着いて来た静香は、気絶する前に自分の身に起こった事を思い返してみた。
「そうだわ… スネオさんの首が転がって来た方に、あの大きなヒッチハイカーが火災の炎を背にして立っていたのよ。そしてアイツは、全裸の女の人…あれはミチルちゃんだった…の遺体を肩に担いでいた。
ミチルちゃんの遺体を私の前に投げ出すと、わざと私に見せつけるように手にした大きな山刀で、ミチルちゃんの首を大根か何かの様にスパッと斬り落とした… アイツが私の顔に、拾い上げたミチルちゃんの生首の顔を押し付けて来たところで…私は意識を失ったんだわ…」
その光景を脳裏にまざまざと呼び起こしてしまった静香は、恐怖のあまり再び眩暈を起こしそうになった。
だが、静香は再び意識を失いそうになる自分自身を叱咤し、愛しい恋人の伸田の顔を頭に思い浮かべる事で、何とか失神しないで済んだ。
そして、昂っていた気持ちが落ち着いてくると、もう一度自分の周りを見回してみた。
やはり自分の今いる場所は、ガソリンスタンドからそんなに離れてはいない林の中らしかった。どちらかというと、スタンドよりもエンストした伸田の車が停車してある地点に近いようだ。
「ノビタさんの車に戻りたいけど、私が戻ればエリちゃんや剛士さんまで危なくなるわ…」
自分が二人のいる車に戻れば、ヒッチハイカーを連れて帰る事になる。
そうすれば、恐らく三人とも命は無いだろう。剛士は須根尾とミチルの様に首を切断され、自分とエリは死ぬまで犯され続け、死んでからもヤツが飽きるまで犯された後で首を切断される… かと言ってアイツと戦うなんて、か弱い自分には絶対に無理だ… 伸田が武器として渡してくれたトルクレンチも自分のショルダーバッグも、アイツに奪われてしまったのか近くには見当たらなかった。たとえ手元に有ったとしても、あの怪物じみたヒッチハイカー相手には気休めにもならないだろう。
いったい、あの男は何が目的なの…? 本当にヒッチハイクをして、どこかへ行きたかったのだろうか…? 女を片っ端から犯すのと、ただ殺戮を楽しみたいから走行中の車を止めさせて乗り込んだだけなのではないか…?
いくら考えてみても静香には分からなかった。今の静香は、ただ愛する伸田に逢いたかった。
そして、重傷を負った幼馴染の剛士と、彼の恋人であるエリを助けたい… もう静香は、自分の親しい者を一人でも須根尾とミチルの様な悲惨な目に遭わせたくは無かったのだ。
そう思うと…心の優しい静香は、ひょっとすると自分一人が犠牲になれば、他の三人を救えるのではないか…などという幻想を抱き始めるようになっていた。
静香がそこまで考えた時、背後で「パキッ!」という枯れ枝を踏み折った様な乾いた音が聞こえた。「アイツが戻って来たんだわ… 私、もう終わりなのね。ノビタさん…もう一度逢いたかった…」
静香は愛する伸田を想い、両手を組み合わせて祈りながら目を閉じた。
「さよなら、ノビタさん…」
静香は死を覚悟した。だが、アイツに犯され汚されるのは嫌だった。
逆らって殺される事になっても、絶対にアイツの性器や身体の一部でも自分の身体の中に受け入れはしない…
「パキッ、ペキッ!」
彼女のすぐそばまで音が近づいて来た…
静香は地面にへたり込んだまま目を瞑り、両腕で自分自身の身体を抱きしめて震えているしかなかった。
そんな震える静香の肩に、背後から誰かの手が載せられた…
********
「シズちゃん、生きていてくれ…」
伸田は必死になって、ヒッチハイカーと静香を捜した。どちらか一方でも見つけられれば、必然的にもう一人にもたどり着くはずだ。
だが、手掛かりは何も無かった。
伸田は、自分が犬なら良かったのに…『のび犬』になれば愛する静香の匂いを追って彼女を見つけ出す事が出来る…などと、とりとめも無い妄想まで抱くようになっていた。
やはり、恐怖の連続から来たした極度のストレスで、彼の正常な思考力は低下しているようだった。
愛する静香を求めてあてどなくうろつき回る伸田の視界の片隅に、自分の車が目に入った。
伸田は何か二人に繋がるヒントでも見つからないかと捜しまわるうちに、いつの間にか彼の足は剛士とエリのいる自分の車へと向いていたのだった。もっとも、彼ら友人二人の安否も知りたかった。
「二人は無事だろうか…? スネオ達の様に、もうヤツに殺されたんじゃ…」
また新たな不安が、伸田の頭をよぎった。
だが、考えてばかりいては不安と苛立ちの堂々巡りに陥ってしまう。考え込んで悩むよりも行動しなければ… とにかく、炎上する炎で照らされた自分の愛車の近くまで来た伸田は、ポケットに入っていた車のスマートキーの『ロック解除』ボタンを押した。
「ピッ!ピッ!」という解除音と共に、前後にある左右のウィンカーが二度点滅して車のドアロックが解除された。
突然起こったドアの解錠に中のエリは驚いたかもしれないが、こんな真似が出来るのはスマートキーを持っている伸田だけだと、すぐに気付いてくれただろう。そうは思ったが、勘違いしたエリに自分が渡してあった十徳ナイフでいきなり刺されるなんてシャレにもならないので、伸田は用心のためにヒッチハイカーに割られていなかった右側の窓から車内を覗き込んだ。
なぜか懐かしい気がする自分の車のセカンドシートには、エリの頭が見えた。ひょこひょこと頭が動いているのを見た伸田は安心した。
良かった… エリちゃんは無事みたいだ。それにヒッチハイカーらしき姿は無い。あの巨漢が隠れている様子は無かった。
安心して車の前方に回った伸田が、ゆっくりと運転席のドアを開けた。
「ただいま、エリちゃん…」
驚かさないように、小さな声で伸田はエリに話しかけた。
だが、エリからの返事が無い…
「エリちゃん、大丈夫? ジャイアンツはどんな具合?」
やはり、何の返事も帰って来ない。
小さな声と言っても、狭い車内で聞こえないはずが無いのだ。
「エリちゃん?」
伸田の再度の呼びかけにエリが応じる事は無く、彼女は顔を下に向けたままだ。エリの頭はカクカクと揺れているが不自然な動きだった。こんな状況でエリが寝ている訳では無いだろうが、気になった伸田は声をかけながらエリの頭に手をかけて揺さぶろうとした。
「どうしたんだよ、ホントに…?」
伸田に手を載せられたエリの頭部がポロっと下に落ちた… エリの身体が下向けに倒れた訳では無い。彼女の頭部だけが、ボトッと下に落ちて床に転がったのだ。
床に転がり落ちたエリの頭部は、ほっそりとした彼女の首が切断された断面に突き刺された十得ナイフに引っ掛けるように載せられていただけだったのだ…
「うっ、うわあああーっ! エリちゃんっ! 君までがっ!」
驚いて、のけ反った伸田の背中の一部と左肘が、車のクラクションを押した。
「ビイイイイイイイーッ!」
激しい吹雪が吹き荒れる深夜の山中に、けたたましいクラクションの音が響き渡った。
自分で鳴らしたクラクションが、狂気に陥りかけた伸田を正気へと引き戻した。
「くそお… あの野郎! エリちゃんまで殺しやがって… はっ、そうだ! ジャイアンツは…? あいつは、どうなったんだ?」
伸田は首の無いエリの遺体が座ったままのセカンドシートの足元を覗き込んだ。
伸田と静香が車から離れるまでは、剛士の意識を失った身体はそこに横たえられてエリに守られていたのだ。
「いた…」
巨体の剛士の身体は、伸田達が出かける前と同じ姿勢で窮屈そうに床に横たわったままだった。
剛士の首はエリの様には切断されていなかった。
だが…
剛士の首に指を当ててみた伸田は、すでに彼の脈が無い事にすぐに気が付いた。それに、毛布にくるまれた剛士の身体は氷の様に冷たい。
恐らく剛士は、エリや須根尾のようにヒッチハイカーの山刀で直接殺された訳ではなく、彼の死因は切断された左手首からの出血多量による失血死だったのだろう。
いや… どちらにせよ、やはり原因は同じだ。剛士の左手首を切断したのはヒッチハイカーの山刀なのだから…
伸田は、さっき落ちたエリの首が死んでいる剛士の顔と向かい合っているのを見た。それはまるで、恋人同士の二人が今からキスをしようとしているようだった。伸田は二人をそのままにしておいてやる事にした。 ただ、生前の剛士の身体を保温するためにかけてあったブランケットを一枚取ると、首の無いまま座っているエリの身体にそっと被せてやった。
「アイツ… 僕の大切な友達を…みんな奪いやがった。
畜生! 殺せないまでも…必ず、僕のこの手でヤツに一矢報いてやる!」
伸田の身体は寒さでも恐怖でも無く、仲間達を奪われた怒りで震えていた。
********
肩に載せられた手にギュっと力が込められ、心臓の止まりそうになった静香に背後から声が掛けられた。。
「大丈夫ですか…?」
次に来る死を覚悟していた静香だったが、背後から聞こえてきた意外にも優しい呼びかけの声に恐る恐る振り返った。
「えっ?」
そこに中腰で立って静香に話しかけていたのは、肩から吊ったSMG(サブマシンガン)のMP5SFKを左手で押さえながらヘルメットと顔を半分覆った黒いマスクの間から覗かせた目で心配そうにこちらを見つめてくる、重装備に身を包んだ黒ずくめの男だった。
男の背後にも同じ格好の、重装備をした男達が数名いる様子だった。その男達は慣れた手つきでSMG(サブマシンガン)を構え、四方を用心深く警戒していた。
「あなた…達は?」
死を覚悟していた自分が予想したのと全く違う展開に驚きながら、静香は自分に話しかけてきた先頭の男に恐る恐る問いかけた。
男は目から下を覆っていた黒い覆面を下げると、歯並びの良い白い歯を見せて優しく微笑みながら低く落ち着いた声で静香に答えた。
「自分達は、あなた方の緊急救助要請を受けた○✕県警から派遣された、県警捜査一課特殊犯捜査係SIT(Special Investigation Team)の部隊です。
自分は、このAチームを指揮している島警部補です。自分達と同様に別チームもすでに展開して、救出及び容疑者確保のための作戦行動中です。
我々は連続殺人事件の容疑者を制圧確保し、あなた方を救出するために来たプロの集団です。ご安心下さい。」
島と名乗った40歳前後の警部補は、警察手帳を取り出して自分の身分を静香に示しながら現場の状況を簡単に説明した。
さっきまで恐怖に震えて死を半ばまで覚悟していた静香は武装した屈強な数名の男達に囲まれ、ようやく安心すると溜息と共に身体から力が抜けていくのを感じた。
これで自分達は助かったのだ。ようやく安心する事の出来た静香の目から喜びの涙が流れて頬を伝った。
「私は皆元 静香という22歳の大学生です。他の5人の友人達と一緒に来るまでスキーと温泉旅行に来ました。宿泊先の旅館に向かう途中で、あの男に襲われたんです。
二人の友人が殺され、別の一人が左手首を切断されるという重傷を負っています。彼はとても危険な状態なんです、早く助けてあげて下さい。お願いします。」
静香は必死な思いで島警部補に縋り付いて訴えた。
島警部補は静香の左肩に優しく右手を載せ、彼女を励ますように力強い口調で答えた。
「我々が来たからには安心して下さい。今のお話では、生存者はあなたと重症の方を入れて4名ですね。救急隊も少し離れた地点に待機しています。まず、あなたを私の部下にそちらへ案内させます。
おい、安田。お前はこちらの皆元さんを指揮所まで安全にご案内するんだ。急げ!」
背後を振り返った島警部補は、立ち上がって警戒していた一人の隊員に向けて命令を下した。
「はっ! 了解しました! 皆元さん、安田巡査です。私がご案内いたします、こちらへ。」
上官でありチームリーダーである島警部補の命令に前に進み出た安田と呼ばれた大柄な巡査が静香の前に立ち、彼女に対して敬礼して挨拶をすると、すぐに案内するべく彼女の先に立って歩き始めた。
「よろしくお願いします…」
静香は安田に対してそう告げると、島警部補を始めとした他の隊員へ向けて深々と頭を下げて挨拶をし、安田巡査に先導されて林の中を歩き始めた。後に残った隊員達の誰もが静香の可憐で儚げな後姿を名残惜しそうに見送った。
「よし。残った他の者は、各個警戒しつつ私に続け。行くぞ!」
静香を部下の安田に託し、自分の娘を見る様な優しい目で彼女を見送った島警部補は、顎の下まで下ろしていた覆面を目の下まで上げ直すと全隊員に命じた。
それまで優しかった島警部補の目は、再び獲物を狩る猟師の様な油断のない厳しい目に戻っていた。
Aチームは安田巡査が外れた事で、島警部補を含めた5人の小隊となっていた。
現在、Aチーム以外にも6名ずつのBチームとCチームがそれぞれガソリンスタンドの周辺の林に展開しており、3チーム合わせて合計18人の警官がヒッチハイカーの制圧確保のために作戦行動中だった。
それ以外に安田の向かった作戦指揮所には、隊長と副長の2名を別としたDチームの重装備の警官6名が警戒に当たっている。
作戦指揮所には、SITの他に救護班と所轄の警察署から派遣された女性警察官を含めた一般警察官の数名が、被害者救護のために待機していた。
たった一人の犯罪者を確保するために動員された警官の人数と装備が大げさすぎる感があるが、今年の秋以降の3カ月の間に○✕県内では、手口から今回の事件の被疑者と同一人と思われる者による連続した複数の猟奇殺人事件が起こっていたのだ。
旅行者やドライブ中のカップル、トラック運転者などを含めた被害者はすでに合計27名にも上っていた。
○✕県警では県警本部長を名目上の最高司令官として県内の各市を跨いだ合同捜査本部を組織し、犯罪史上稀に見る一連の猟奇殺人事件の捜査に当たっていたのだった。
静香によって今回の事件発生の通報を受けた県警は、本部長の直々の命令で○✕県警の特殊犯捜査係のSIT(Special Investigation Team)の部隊を非常招集し、今回の任務に投入する事になったのである。
********
安田巡査が静香を連れて指揮所に向かった少し後の事だった。
「ビイイイイイイイーーーーッ!」
荒れ狂う吹雪の中をけたたましいクラクションの音が鳴り響いた。
誰も知る筈が無かったが、このクラクションは伸田がエリの死体に驚いた拍子に誤って鳴らしたものだった。
「何だ、あのクラクションは? 富山、何か分かるか?」
島警部補が近くを歩いていた部下の富山巡査に問いかけた。
「自分にも、はっきりとした事は分かりません。ですが… 国道からガソリンスタンドへ入る進入路の入り口付近にエンジンのかかっていない白いSUV車が一台停車していたのを、遠巻きではありましたが自分は確認しています。このクラクションの音源はあのSUV車の辺りではないかと思われます。」
富山巡査は自分の私見を交えながら、島警部補に返答した。
「よし、俺と富山の2名でクラクションを鳴らした車に向かう。他の3名は林の中を各個に被疑者を捜索しつつ、俺と富山を援護しろ。富山、行くぞ!」
「了解!」
「了解です!」
全員が島警部補の命令に返事をした。
********
ガソリンスタンドから数十m離れた所にある製材所の木材置き場に、数台の警察関係車両が停められ、今回の連続猟奇殺人及びガソリンスタンド放火事件に対処するために派遣されたSITの作戦指揮所が置かれていた。
吹き荒れる吹雪の中、静香は安田巡査の案内で、この作戦指揮所に連れて来られた。
停車中の警察車両の中には現場指揮官車もあったが、安田巡査は製材所の事務所を借り受けて緊急に設置された仮の作戦指揮所に静香を案内した。
事務所の入り口前に立ち、警備に当たっていたSIT所属のDチームの隊員に対し、安田巡査は敬礼をして用件を伝えた。
「Aチームの安田巡査、班長の島警部補の命令により、被害者のお一人である皆元さんをお連れしました。」
安田に対して敬礼を返しながら警備任務のSIT隊員が答える。
「ご苦労様です。島警部補より無線で連絡を受けておりますので、安田巡査は皆元さんをお連れして中へお入り下さい。隊長と副長がお待ちです。」
警備の警官が安田巡査にだけでなく、静香に対しても丁重に敬礼した。
「Aチームの安田巡査、島警部補の命令で被害者の皆元さんをお連れしました!入ります!」
中に安田巡査と迎え入れられた静香は、椅子から起立した隊長と副長と思われる指揮官達と面会した。
SMG(サブマシンガン)こそ携行していなかったが、この指揮官二人も隊員達と同じヘルメットを被り、防弾・防刃効果のある作戦遂行用ボディーアーマーを着用していたし、腰には拳銃も装備されている。
二人は不安そうな顔の静香を、温かい笑顔と親切な態度で丁重に迎え入れてくれた。
安田巡査は入口横で直立不動の姿勢で立ち、上官達に向けて最敬礼した後、緊張に上ずった声で報告した。
「隊長! 安田巡査、島警部補の命により被害者のお一人でいらっしゃる皆元さんをお連れ致しました。」
上官二人を前にして緊張でカチカチになって敬礼する大男の安田巡査を横目で見た静香は、微笑ましくて思わず顔がほころんだ。
報告を受けた二人の上官も、目の前の部下の態度に笑いをこらえているのが静香にも分かった。彼女には判別出来なかったが、二人のうち階級の高いと思われる方の人物が安田に敬礼を返して答えた。こちらの人物が安田が緊張しながら報告をした隊長なのだろうと静香は思った。
「ご苦労だった、安田巡査。君はすぐに現場に戻り、島警部補に皆元さんの指揮所への無事到着を報告してくれ|給え。そしてご苦労だが、そのままAチームの任務に復帰するんだ。」
「はっ!了解しました! 安田巡査、これより現場に戻り、任務に復帰します。」
隊長らしい警察官の指示を受けた安田巡査が、再び上官に対して最敬礼して返答した。このやり取りを聞いた静香は、安田巡査に頭を下げて礼を述べる。「安田さん、ここまで連れて来ていただいてありがとうございました。生き残った者達の救助をよろしくお願いします。」 美しく清楚な静香に、思いのこもった礼を言われた若い安田巡査は顔を真っ赤にして照れた笑いを浮かべ、もう一度二名の上官と静香にそれぞれ敬礼をして部屋を出て行った。
「皆元さんですね。私は、この作戦でSITの部隊を率いている指揮官の長谷川警部です。こちらは副長の横田警部補です。
この度は大変な目に遭われましたね。
亡くなられた御友人の方々には、お悔やみを申し上げます。お気持ちをお察しします。どうぞ、そちらにお掛けになって下さい。早速で恐縮なのですが、お話を伺わせて下さい。」
長谷川警部に優しく丁重に勧められ、静香は警部の向かいの席に腰を下ろした。
すぐにSIT隊員ではなく通常の制服を着た女性警官によって、静香の元へ熱いコーヒーが運ばれて来た。
「どうぞ。身体が温まりますよ。」
女性警官は優しく微笑んでコーヒーを静香の前に置くと、敬礼をして部屋を出て行った。
静香は礼を言って、熱いコーヒーをブラックのまま飲んだ。ほど良く効いている室内の暖房に加え、コーヒーで身体が中から温められ、ようやく静香は人心地付く事が出来た。
「では皆元さん… あまり思い出したくは無いとは思いますが、今回の事件について最初からお話し願えますか。事件の被疑者逮捕の参考にしたいと思いますので…」
さっそく、長谷川と名乗った警部が静香に対し優しく丁寧ではあるが、事情聴取の時の様な相手に鋭い眼光と有無を言わせない口調で切り出した。
静香は前に座る長谷川の目を見つめながら頷くと、山道でヒッチハイカーの男と出会ったところから順を追って話し始めた。
********
伸田は親友の剛士と彼の恋人であるエリの亡骸に合掌してから、手に持ったタイヤレバーを強く握りしめながら自分の車を出た。
「あのクソ野郎… みんなの弔いのために、僕が必ず叩きのめしてやる…」
大切な仲間を次々と殺された伸田の胸中に渦巻いていた恐怖と怒りは増大し、ヒッチハイカーに対する殺意にも似た強い憎悪へと変わっていった。
この時点において、この一帯に連続殺人犯であるヒッチハイカーの制圧確保と自分達を救出するための作戦が遂行中なのを、残念な事に伸田は全く知らなかった。
もしも伸田が近くを探索中の警察に出会い、彼らに保護を求めていたなら、この後の事件の展開は変わっていたかもしれない… だが、不運にも偶然この事件に関わってしまっただけの伸田には、自分の知らない所で事態がどう進行しているかなど知る由も無かった。
神と違って自分一人の未来さえ予測する事の叶わぬ憐れな人間に過ぎない者達は、ただ歯車の一つとして運命の流れに飲み込まれていくしか無いのだろうか…?
伸田が静香を捜すために、再びガソリンスタンドに向かいかけた時だった。
タタタタタタタッ!
「ギャアーッ!」
「く、来るな! 化け物っ!」
吹き荒れる吹雪の中を突然、明らかに人工物が発したと思われる軽快な音が小刻みに鳴ったかと思うと、数人と思われる男の悲鳴と怒号が上がった。
伸田は訳の分からないまま両手で頭を抱えて、その場に伏せた。
タタタタタタタタッ!
タタタタタタタッ!
「怯むな! 撃てえっ!」
「やっ、やめてくれっ! うぐっ!!」
タタタタタタタッ! タタタタタタタッ!
タタタタタタタタタッ!
「ぐわっ! 助けてくれえ!」
タタタタタタタタッ!
タタタタタタタッ!
「バカ! 味方を撃つんじゃない!」
「うわああーっ!」
タタタタタタタッ!
「何だ? あれは銃声…? 軽機関銃か? それに男達の悲鳴が…」
いったい何が起こったのか、吹雪の中に突然響き渡った複数の機関銃らしき発砲音と、銃の発砲者と思われる複数の男達が発する悲鳴や怒号を耳にした伸田は恐る恐る立ち上がると、身を隠す遮蔽物を求めて、ミチルの遺体が安置された倉庫へ向かって懸命に走った。
********
銃声と悲鳴をゴングにして、新たな戦いが開始された。もう、伸田とヒッチハイカーだけの小規模な戦いでは無い。
強い吹雪の吹き荒れる真夜中の山中において、戦いの参加者達それぞれの思いを載せた恐ろしい運命の歯車が動き始めたのだ…
殺戮を繰り返しながら破滅へと向かって時を刻み始めた歯車は、もう誰にも止められないのだろうか…?
【次回に続く…】
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優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
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翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【本当にあった怖い話】
ねこぽて
ホラー
※実話怪談や本当にあった怖い話など、
取材や実体験を元に構成されております。
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