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第10話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑧『連れ去られる静香! 謎の男、鳳 成治… ヒッチハイカーと戦う』
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第10話「どうしても南へ行きたいんだ…」⑧『連れ去られる静香! 謎の男、鳳 成治… ヒッチハイカーと戦う』
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「き、貴様! 何者だ? その刃物を捨てろ!」
移動現場指揮車を運転していたDチーム隊員の東尾巡査は、ボデイーアーマーの上からシートベルトを着用していたのと衝突の際にハンドルを握っていた両腕で身体への衝撃を押さえられたため、身体への影響が少なくて済んだ。このため、搭乗ドアを破って突然侵入して来た男に対し乗員の中で最もしっかりとした意識で対応出来た。
東尾は右大腿部に装着していたホルスターからSIT標準装備品の自動拳銃『ベレッタ90-Two』を即座に抜き、乗降口に立っている侵入者に向けて両手撃ちの構えを取った。
「動くんじゃない! 貴様が動けば、この銃で容赦なく撃つ! いいな、その右手に持った刃物をゆっくり床に捨てろ…」
男に向かってそう命令しながら東尾は警告した通り、いつでも撃てる様にベレッタの安全装置を外した。彼は自他ともに認める拳銃を使った射撃の名手だったが、もっとも彼ほどの腕前で無くても現役警官ならこの距離で狙いを外す事など有り得なかった。2mあるか無いかの距離なのだ。それでも東尾は男が変なそぶりを見せた途端、本当に撃つつもりだった。そのために彼は警告を発したのだ。
移動現場指揮車の後部に目を向けていたヒッチハイカーが、自分に対して警告を発した東尾に視線をわずかに向けた…と思った次の瞬間…
バシュッ!
胸が悪くなる嫌な音がしたかと思うと、一瞬で東尾の拳銃を構えた両手が手首から切断されていた。
ゴトッ!
拳銃を握ったまま切断された左右の手首が東尾の足元に落下した
「うっぎゃああーっ! 俺の…う、腕があっ!」
東尾が叫び声を上げたのと同時に、彼の切断された手首の断面から噴水の様に激しく血が噴き出した。
「やかましい…」
ヒッチハイカーが掠れ声でつぶやくとともに、右手に持った山刀を再び一閃させて水平に薙ぎ払った。
サイレンの様にけたたましい叫び声を上げ続けていた東尾の、ちょうど鼻の下を通るラインより上の頭部が一瞬にして消失した様に見えた。だが、実際には切断された勢いで吹っ飛んだ彼の頭部は、運転席側のフロントガラスに一度ぶつかって下に落ちた。
奇妙な事に、東尾の身体は自分の頭部を失った事に気が付いていないかの様に、切断面より下に位置する開いた口から血を吐き出しながら叫び声を上げ続けていた。
「ちっ!」
バシュッ!
まるでお化け屋敷の人形の様に、頭部を失いながらやかましい叫び声を上げ続ける東尾の遺体が癪に障ったのか、ヒッチハイカーが舌打ちしながら山刀をもう一閃させると今度は東尾の首部分が切断され、横に飛んだ首の断面がまたもやフロントガラスにぶつかり、先に運転席に転がっていた最初に切断された頭部の横にドサリと落ちた。
数秒後、首から上を完全に切り離された東尾の心臓の拍動が完全に停止したのか、それまで切断面から噴水の様に噴き出していた血がようやく止まった。
首から上が無くなった東尾の身体は、しばらく立ったまま痙攣した後、運転席に倒れ込んだ。
自分が惨殺した東尾の遺体には見向きもせず搭乗口から通路に上がると、ヒッチハイカーは後部に向けて車内をゆっくりと進んだ。そして、何かを探しているのか、鼻をヒクヒク蠢かせながら顔をキョロキョロ振って左右を見回しながら進んでいく。
「う、うう…」
中央から後部へ寄った座席に座っていた長谷川警部に横田警部補、そして鳳 成治と皆元静香の4人は車体後部が岩に激突した衝撃で完全に意識を失っているか、朦朧としている者ばかりだった。
4人の内、東尾を惨殺したばかりのヒッチハイカーが自分達に接近している事に気付いている者は、一人もいなかった。
ヒッチハイカーは巨体に似合わぬ猫の様に静かな身ごなしで静かに進んだが、長谷川と横田には全く興味を示さず横を通り過ぎ、その後ろの列に座っていた静香の真横に到達するとピタリと歩みを止めた。そして、獲物の匂いを嗅ぎ取った獣の様に鼻をヒクヒクさせながら、長身を柔軟に折り曲げて屈み込むと意識を失ったままの静香の顔を覗き込んだ。
どうやら、この男が車内に侵入してきた狙いは静香にあった様だった。
餌食にしたSITの隊員達の血と脂を浴びて全身ドロドロになった狂暴なヒッチハイカーがすぐそばに立ち、血まみれの鼻を静香の身体に直に押しつけるようにして匂いを嗅ぎ始めたが、彼女はまだ意識を失ったままだった。
「くっ…」
静香の通路を隔てた隣の座席に座っていた鳳 成治が朦朧としていた意識を取り戻し、自分に背を向けて立ち静香の顔を覗き込んでいるヒッチハイカーの後姿に気付いた。彼は自分のジャケットの下に着用しているショルダーホルスターから自動拳銃『ベレッタM92FS/エリートⅡ』を素早く抜き出すと、ヒッチハイカーの背中にピタリと照準を合わせた。
だが、ヒッチハイカーの動きの方が速かった。後ろを振り向いたと思った次の瞬間には、鳳が構えたベレッタの前部分を切断してしまった。
信じられない事に、ヒッチハイカーは山刀で鋼鉄製の拳銃を一瞬で切断してのけたのだ。
「うっ! 殺られる…」
短い叫び声を上げた鳳は、この男には珍しい事だったが次に来る自分の死を覚悟した…
まさにその時だった!
パン!パン!パン!パン!
突然車内に4発の銃声が響き渡った。
前席で伸びていた横田警部補が意識を取り戻し、自分の側に向けられていた僅か数十cmの至近距離にあるヒッチハイカーの剥き出しの左脇腹に対し、右手に構えた『ベレッタ90-Two』を立て続けに4回発砲したのだった。
これだけの至近距離で4発もの9mmパラベラム弾をもろに食らったのだ。いくら怪物並みの強靭な肉体と体力を誇るヒッチハイカーでも無事で済むはずがあるまい。
そう思い、4発で一旦射撃を中断した横田警部補は自分の目を疑った…
ヒッチハイカーの脇腹に開けられた四つの射入口の奥から、モコモコと何かが吐き出されてきたのだ。妙な形をしたそれは、高速で人体にぶつかった瞬間に先端部のへしゃげた銃弾の鉛製の弾頭部分だった。弾頭はヒッチハイカーの内臓部分まで達する事無く、体表の皮膚と薄い脂肪部分を僅かに貫きはしたものの、その下を覆う強靭な筋肉の層に受け止められ、それ以上突き抜ける事無く留まっていたのだろう。
その先端の潰れた弾頭部分が筋肉と腹圧によって押し出され、体表に開いた入射孔から僅かばかりの血と共に体外に排出されようとしているのだ。
そんな事の出来る存在は、もはや人間とは呼べないだろう…
コン、コン、コツン、コン…
ヒッチハイカーの脇腹から排出された4発の潰れた弾丸が音を立てて床に落ちた。その床に転がった血に塗れた弾丸が横田の見たこの世での最後の光景となった。
ガシュッ!
それまで信じられない表情を浮かべて床に落ちる4発の弾丸を見つめていた横田の頭が、スイカ割りで棒が命中したスイカのように顎まで真っ二つに割られた。情け容赦無いヒッチハイカーの山刀が真上から垂直に叩きつけられたのだった。悲鳴を上げる間もなく頭を割られた横田の頭蓋骨の骨片と脳漿が飛び散り、斬撃で飛び出した左右の眼球が紐の様な視神経で繋がったままダラリと垂れ下がった。
横田にとっての唯一の救いは、彼が痛みや苦しみを感じる間もなく一瞬で即死した事だろうか…
車内に侵入して来てから、わずか数分の内に持っていた山刀で2人の警察官を惨殺したヒッチハイカーが、思い出したように再び静香の方に身体の向きを変えた。
そして気を失ったままの静香の脇の下に自分の左手をグイっと差し込んだかと思うと、彼女の身体を軽々と持ち上げて自分の左腋に抱え込んだ。いったい、この男は静香をどうしようというのか…? ヒッチハイカーの穿いているズボンの前部分がパンパンに膨れ上がっている。
二人もの人間を惨殺しながら、こいつは静香を見て欲情し激しく勃起しているようだった。ズボンの中に納まりきらない馬並みに巨大な彼のペニスの半分以上がベルト部分からはみ出し、赤黒い亀頭の先端からは俗にガマン汁と呼ばれるネバネバした透明な液体が滲み出しているのが見る者の背筋をゾッとさせた。
過去の犯行歴から見ても異常なまでの性欲の塊であるのが疑いようの無いヒッチハイカーは、すでに犠牲となった水木エリや山野ミチルと同様に犯すつもりで彼女を攫いに来たのだろうか?
だが、抱き上げた静香を狭い車内で今すぐ犯す気は無いらしく、車から連れ去るつもりか彼女を左わきに抱え込んだまま、入って来た搭乗口の方へと身体の向きを変えた。
しかし、通路の先には鳳 成治が通すまいと立ちはだかっていた。
邪魔者を発見したヒッチハイカーの目が細くすがめられ、顔から表情が消えた。
この時、すでに鳳の右手には山刀で切断された自分の拳銃『ベレッタM92FS/エリートⅡ』は握られていない。彼はヒッチハイカーに向けて突き出した素手の右手人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指は曲げて親指で軽く押さえ刀印と呼ばれる形を作った。
そして刀印を結んだ右手で、横向きに上から五本の線、縦向きに左から四本の線を空中に描き出すかの様に動かしながら口から何やら呪文めいた言葉をつぶやき始めた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!」
すると、いったいこれはどうした事だろう…?
「ううううう…」
低い唸り声を上げながら、血と脂にまみれた赤鬼の様な形相をしたヒッチハイカーのギラギラ輝く両目が前に立ちはだかる鳳の顔に向けてではなく、彼が空中に縦横の線で描き出した格子模様が実際にその空間に存在するかのように吸い寄せられていく。そして、空中に縦横の線で描かれた架空の格子の目を順に数えるかのように、ヒッチハイカーは狂った様に自分の首と目を素早く動かし始めた。まるで、そうしないではいられないかの様に必死な形相で目を動かし続けている。
鳳 成治がヒッチハイカーに対して用いたのは、陰陽道における破邪の法である『早九字護身法』と呼ばれる術式であった。妖や魔界の者達は術者から自分に向けて九字を切られると相手では無く、九字で描き出された格子の目を全て見ないではいられないのだ。この間に術を掛けた者は逃げ出す事や、次の攻撃を仕掛ける事が出来る。
「う、うう…」
長谷川がようやく意識を回復したようだった。彼は座席にぶつけた頭を振りながら顔を上げ、目の前に起こっている信じられない光景を見た。
意識の無い静香を抱えた身長2m余りの巨体のヒッチハイカーが鳳 成治と対峙している。しかも鬼の様な形相のヒッチハイカーは鳳では無く、何かを目で追うように頭をグルグルと動かしていた。
意識を取り戻したばかりの長谷川には、目の前の状況がよく理解出来なかったが、とにかく捕らわれている静香と鳳を助けなければならない。ふらつく頭ながらも、そう認識した彼は、右太ももに装着したホルスターから『ベレッタ90-Two』を素早く抜き、目の前の何かに気を取られているヒッチハイカーに向けて狙いを付けた。
「おい、貴様! 今すぐ、その女性を放せ! そして、右手に持っている刃物を捨てるんだ!」
キャリアでは無くたたき上げで警部になった長谷川は、狂暴凶悪な連続殺人犯であるヒッチハイカーを相手にしても一応警察官として警告を与えた。
だが、ヒッチハイカーは夢中になって何かに集中している様子で、こちらの言う事にまったく耳を貸そうとしない。
長谷川は仕方なく自分の座席に近い窓を開けた。
「バカ!撃つな!」
鳳が静止の声を上げたが間に合わず、長谷川が威嚇のために外へ向けて拳銃を一発撃った。
パーンッ!
今の威嚇発砲で、夢中になって仮想的な格子の目を追っていたヒッチハイカーは我に返った。そして、前方に立ちはだかる鳳 成治を忌々しそうな顔で睨み付けた。すると鳳は臆する事無く、今度はジャケットの内側に隠してあったらしい全長60㎝程の銀色に輝く両刃の剣を取り出した。
その剣の刃が車内灯を反射して眩しく輝いた。ヒッチハイカーは刃の輝きを恐れるかの様に顔の前に翳した右手で目を庇った。そして威嚇のつもりか獰猛な唸り声を上げた。どうやら、彼は鳳が手に持つ剣の輝きを恐れているようだった。
「うがあああっ!」
ヒッチハイカーが野獣の様な声で一声叫んだかと思うと、左腕に抱えていた静香の身体を自分の前に突き出し、鳳との間に盾の様に掲げ持った。そして、そのままジリジリと鳳の方へ一歩ずつ進み出す。
静香の身体を盾にされては、鳳としては剣を構えながらも何も出来ず後退するしか無かった。
「止まれ! その女性を放せと言ってるんだ!」
長谷川が拳銃をヒッチハイカーに向けて叫んだ。だが、人質として取られ、進行方向に鳳が立っていては撃つ訳にはいかなかった…
その時だった!
「ドッカーン!」
外に吹き荒れる吹雪の音を圧する一際大きな爆発音が鳴り響くと共に車体が大きく揺れた。停車したバスを載せたまま、凍り付いたアスファルトの路面が爆発で揺れたのだろう。
原因は、先ほど崖の上から落ちてきた巨大な岩の塊により山道から弾き飛ばされ、反対側の崖下に落下した人員輸送車が燃料タンクに引火し爆発したものだった。
「うっ! あれはDチームの隊員達を乗せた人員輸送車か…?」
その時、ヒッチハイカーの嫌がる剣を構えていた鳳 成治に一瞬の隙が生まれた。
ヒッチハイカーはその隙を見逃さなかった。左腕に静香の身体を軽々と抱えたそいつは、頑丈な登山靴を履いた右脚で鳳に向けて蹴りを放ったのだ。
しかし鳳は、それまでの言動からは予想もつかないほどの反射神経と瞬発力を見せ、繰り出された蹴り以上の素早さで通路から斜め後ろに位置する運転席まで一気に飛び退き、間一髪で身を躱した。たった一撃でも怪物の様なヒッチハイカーの蹴りをまともに食らっていたら、鳳は即死だっただろう。
飛び退いて身を躱した鳳には見向きもせず、静香を抱えたままヒッチハイカーは運転席横の搭乗口から吹雪の吹き荒れる車外の道路へと一気に跳躍した。
「しまった!」
短く叫んだ鳳は、運転席に座ったままの東尾巡査の切り離された右手が握ったままだった『ベレッタ90-Two』をもぎ取って自分の右手に構えると、ヒッチハイカーを追って搭乗口から外へ飛び出した。
パン!パン!パン!パンッ!
路面に着地した次の瞬間、走り去るヒッチハイカーの背中に向けて鳳は4発の9mmパラベラム弾を叩き込んだ。狙いを外す事無く弾丸は4発とも命中したはずだったが、ヒッチハイカーはものともせず、いささかも勢いを緩める事無く左腕に静香を抱えたまま風の様に走り去り鳳の視界から消えてしまった。
「何やってるんですか、、鳳さん! やめて下さい! 万が一、皆元さんに当たったらどうするんだ!」
後から続いて車から降りて来た長谷川警部が、叱咤しながら鳳の右腕を掴むとベレッタの銃口を空へ向けさせた。
「バカ野郎! そんな事言ってる場合か! 俺達はまた、怪物を野に解き放ったんだぞ!」
それまで冷酷なほどクールだった鳳が自分の右腕を掴んでいた長谷川の手を振りほどき、まるで地団太を踏まんばかりの勢いで激高して怒鳴り散らした。
「すみません… 私がもう少し早く意識を回復していれば、皆元さんは… それにまた、私は二人の有能な部下を失ってしまった…」
長谷川は肩を震わせ、歯を食いしばりながら男泣きに泣いた。彼の両拳は血が流れ落ちるほど強く握りしめられていた。
「もういい… 済んだ事は仕方が無い。この巨大な岩は、ヤツが我々の乗った車両を狙って崖から落としたんだろう。しかし、信じられんな… 『最強』であれほどまで怪物化しながら、人間と変わらぬほどに知能を働かせられるとは… いったいあのヒッチハイカーは…」
始めは自分の不手際に落ち込んでいた長谷川だったが、鳳のつぶやいた話の内容を聞き逃さなかった。
「ツイ…チャン…? 何ですか、それは? この期に及んで、あなたはまだ隠し事を…?」
「何でもない… 言ったろう、国家機密だと。君達の様な地方公務員の関わる事ではない。」
鳳が持ち前の冷たい口調に戻って言った。
その言葉を聞いた途端、長谷川の頭に瞬間的に血が上った。被疑者であるヒッチハイカーについての秘密を自分達現場の人間が聞かされないまま戦闘状態に陥り、その結果大勢の人間が命を失ったのだ。
何の罪も無い一般人の若者達が尊い命を奪われ、自分の可愛い部下達もむざむざ殉職しなければならなかったのだ。いくら、目の前の相手が自分にとって上官の立場だと言っても、元来が熱血漢である長谷川は黙っていられなかった。
「何だと、貴様! 死んでいった私の部下達に、今の言葉をもう一度言ってみろ!」
怒りに火の点いた長谷川はもう止まらなかった。彼は、右手で鳳の胸ぐらをつかんで締め上げながら言った。長谷川は柔道三段、剣道四段の猛者であり、逮捕術でも優れた腕前だった。
「興奮するんじゃない!」
柔道三段の腕前である長谷川の万力の様な襟締めを、鳳は右手一本だけで簡単に外してのけると、逆に長谷川の右手首を捻り上げた。
「痛たたた!」
あまりの痛さに長谷川はギブアップを示す意味で鳳の肩をバンバン叩いた。すると鳳は右手で掴んでいた長谷川の手首を放し、解放してやった。
『この男… さっきの射撃の正確さと言い、格闘技の腕前でも俺より上を行ってやがる… ただのクールなだけが取り柄のいけ好かない国家公務員野郎なんかじゃない…』
まだ痛む右手首を左手で擦りながら長谷川は内心で思った。
格闘技において相手の力量を見切る事にかけては人後に落ちない自信がある長谷川は、鳳の秘められた本当の力を見誤っていた事に気付いた。
そう考えながら鳳を見つめていると、彼は長谷川を全く無視する様に奇妙な事を始めた。
鳳は背広の胸の内ポケットから小さな黒い物を取り出した。両手で広げ始めたそれは黒い紙で折った折り紙のようだった。小さいが、それはよく目を凝らすと折り鶴ではなくカラスに似せた形に折ってあるようだ。
鳳はその黒いカラスの折り紙を風に吹き飛ばされない様に左手で持ち、右手指は先ほどヒッチハイカーに対して早九字を切った時の様に刀印の形に印を結び(気を失っていた長谷川は、この行為を見ていなかったが…)、黒い折り紙のカラスに向けて縦横の九字を切りながら何やらブツブツつぶやき始めた。だが、吹雪の音にかき消されて長谷川には鳳がつぶやく言葉の内容は聞こえなかった。
意味不明な行動を始めた鳳の様子を長谷川は眉をひそめながら見つめていたが、そのうち、彼の見ている前で奇妙な現象が起こり始めたではないか。
鳳の左手に載せられていたカラスの折り紙がムクムクと大きくなり始めたのだ…
長谷川は目の錯覚かと右手で自分の目をこすったが、それは間違いなく現実だった。
見る間に鳳の左掌の上でどんどん大きくなった折り紙のカラスは、途中で凍てついた路面に自ら飛び降り、本物のカラスよりも大きくなり鷲ぐらいのサイズまで育った時点でようやく巨大化を終えた。
そして、何という事だろうか… 折り紙特有のカクカクとした折り目で出来ていたはずのカラスの外観は、いつの間にか本物の生きたカラスそっくりの外観に姿を変えてしまっていた。まるで特撮か3DCGで作られたアニメを観ているようだと長谷川は頭の片隅で思った。
奇妙な事に、その巨大なカラスには足が三本あった。
「三本足のカラス…『八咫烏』か?」
サッカーファンでもある長谷川は、日本サッカー協会のシンボルマークでもある『八咫烏』の姿を見知っていたのだ。
見た目が本物そっくりの生物的な外観に変わった途端、その三本足のカラスはまるで本当に生を受けた生き物と化したかの様に自分の意志で翼を羽ばたかせながら鳳の手から地面へと飛び降りた。
長谷川には、そのカラスはどう見ても本当に生きている様にしか見えなかった。三本足を器用に動かして雪の積もった路面を歩き回りながら頭を鳥特有の動かし方で振り動かし、鋭い嘴をパクパクと開閉させながら「カア、カア!」と鳴き声まで発しているのだ。両目も瞬きを繰り返し、風に羽毛を毛羽立たせられながら翼を小刻みに動かしていた。
「よし、行け!」
鳳が命令すると、奇妙な三本足のカラスは大きく翼を広げて空中へと飛び上がった。そして力強く羽ばたきをすると、猛吹雪をものともせずにヒッチハイカーの逃げた方角へと飛び去って行った。
「カアアアーッ!」
遠ざかるカラスの鳴き声が、吹雪にかき消されそうになりながらも微かに聞こえていた。
「何だ、今のは…? あいつの魔法か?」
そう言うと長谷川警部は口をアングリと開いたまま、カラスの飛び去った方角からゆっくりと鳳に目を戻した。
鳳 成治は長谷川に背を向けたまま、自分が作り出して空に放ったカラスを見送るように立っていた。
********
「ドッカーンッ!」
その爆発音は、ガソリンスタンドで長谷川警部達の乗った車両が到着するのを待っていた伸田伸也と、県警のSIT(Special Investigation Team:特殊犯捜査係)であるAチーム隊員達の耳にも届いた。
「何だ、あの爆発音は…? ここから近いな…」
Aチームのリーダーである島警部補の言葉に、その場にいた全員が顔を見合わせて頷いた。
「まさか、隊長達の乗った車両じゃ…?」
山村巡査部長が心配そうな顔をしてつぶやく。
「どっちにせよ、あれは作戦指揮所からこっちへ向かう途中の山道の方だ… 行ってみよう!」
島の呼びかけにAチームの隊員達が頷く。同じ気持ちである伸田も同意を込めて頷いた。
彼らは不安なまま、仲間の到着を待ってはいられなかったのだ。
島を先頭にした7人全員が周囲を警戒しながら、爆発音のした方へ向かって歩き始める。
Aチームの一行が一本きりの山道を下りはじめ、カーブを曲がって見通しのいい場所に来た時だった。
眼下の崖下にひっくり返って裏側のシャーシを上にして大破炎上する大型車両が見えた。
目の前の現実にショックを受けた全員が呆然としていると、安田巡査が炎上する大型バスを指さしながら叫んだ。
「あれは、ここに来る時に自分達が乗って来た人員輸送車ですよ!」
「最悪な事態になった… ヤマさん、事故でしょうか?」
島が年長の部下である山村巡査部長に意見を求めた。
「分かりませんね。でも…あの有様じゃあ、乗っていた人間は助からない…」
山村が悲しそうに首を振ってつぶやいた。車両に乗っていたはずの人々は自分達の仲間なのだ。
「あっ… 皆さん、見て下さい!」
伸田が山道の下を指さしながらAチームの隊員達に呼びかけた。
全員が伸田の指さす先を見ると、吹雪の中、山道を自分達の方に向かって歩いて登って来る二人の男の姿があった。
一人は自分達と同じSITの装備を身に着けている指揮官らしき男で、もう一人はこの寒い山中だというのに背広の上下の上に軍用の防寒コートを着ただけの、スラリと背の高い人物だった。
「あれは、長谷川隊長だぞ!」
島がSITの装備姿の男を見て言ったのに、全員が頷いて同意を示した。だが、もう一人の人物は誰にも分からなかった。
「隊長ーっ!」
SITの中で最年少の隊員である安田が、自分達の隊長である長谷川に向かって嬉しそうに手を振りながら叫んだ。
他の隊員達も同様に手を振り始めた。
「良かった、長谷川隊長が御無事で。だが、他の連中は…?」
崖下で炎上する車両を見ながら、島が心配そうにつぶやいた。隣で山村が黙ったまま首を横に振っている。詳しい事情は長谷川に訊けばいいのだ。
一本きりの山道を登って来た二人と、降りて来たAチームの隊員達が途中で合流した。
「ご苦労だった。君達Aチームの全員が無事で何よりだ。そして、あなたが…」
山道を上って来た長谷川警部が、敬礼して出迎えたAチームの面々に自分からも敬礼を返すと、次に伸田の方に向かって話しかけようとした。
すると、長谷川の言葉を途中で遮るようにして、一人だけ明らかに他の隊員達と恰好の違うもう一人の人物が、他の隊員への初対面の挨拶を省いたまま伸田に向かって話し始めた。
「あなたが、皆元静香さんの婚約者の伸田さん…ですね? 私は、この作戦の新指揮官である鳳と言います。
お会いした早々、こんな事をお伝えするのは残念なのですが、皆元さんは…ヒッチハイカーの手に落ちました。」
「な! 何ですって!?」
鳳の話を聞いた伸田は愕然として叫んだ。そして、あまりのショックに眩暈のした伸田が膝から崩れる様にふらつくのを、彼の隣に立っていた島が身体を支えてやった。反対側にいた山村も手を貸した。
Aチームのメンバー全員が長谷川警部に向かって目で問いかけたが、肯定の印に長谷川は黙って頷いただけだった。
「Aチームの諸君への詳細の説明は省く。時間の無駄だ。君達は今から長谷川警部と共に私の指揮下に入ってもらう。命令に従えない者は作戦から外す。以上だ。」
有無を言わせない口調の鳳の命令に、隊員達は顔を見合わせた。リーダーである島が皆を代表して一歩前に進み出た。
「あなたが新しい指揮官で、命令とあれば自分達は従います。このAチームには、作戦を途中で投げ出す者など一人もおりません!」
島が大声で応じながら鳳に向かって最敬礼した。彼は自分が先頭に立って鳳の命令に応じる事で、他の隊員達の不満の噴出を抑え込んだのだった。
その気持ちを真っ先に理解した山村巡査部長が続いて最敬礼すると、他の隊員達も不承不承だが続いた。
「よろしい。君は良い部下を持っているようだ、長谷川警部。」
鳳が長谷川に向かって言うと、長谷川も鳳に向かって無言のまま敬礼でだけ応じた。
「シ、シズちゃんが… ヒッチハイカーに…?」
伸田にはSITの指揮系統の事などどうでもよかった。せっかく安全に保護されたと思っていた静香がヒッチハイカーに連れ去られたなんて、静香の命が絶望的な事が伸田には今までの経験で嫌というほど分かっていた。
「もうダメだ… 彼女無しの人生なんて僕には考えられない…」
伸田がガックリと地面に膝をついた。
これまでの付き合いで伸田と親しくなっていた隊員達が彼の肩を優しく叩いたり、励ましの声をかけたりした。
「まだ、皆元さんの死亡が確認出来たわけではありませんよ、伸田さん。気をしっかり持って下さい。我々が全力を挙げて救出に向かいます。彼女の連れ去られた居場所はすぐに分かります。」
この言葉に、伸田を含めた全員が鳳の顔を見た。
「私が放った追跡用デバイスが、GPSで私に皆元さんの居場所を報せて来ます。」
そう言って鳳は、コートのポケットから自分のスマホを取り出した。
『追跡用デバイスだと…? あの八咫烏の事か? この怪しい魔法使いが…』
この中で唯一、鳳の秘められた事情を知る長谷川が、苦笑を浮かべると共に心の中で一人毒づいた。ここまで二人で登って来る道中でも会話らしい会話も無く、遂に鳳から八咫烏についての説明は何も無かったのだ。
「ふむ… ヤツの居場所が判明した。これは… はっ、何て事だ! これは作戦指揮所のある製材所の敷地内ではないか…
灯台下暗し…我々はヤツに振り回されたという事か。クソッ!」
鳳が自嘲気味に告げた内容に、全ての隊員達から呻くような声が上がった。作戦指揮所のある製材所にはSIT以外の警察官や救急班が待機しているのだ。今では連れ去られた静香だけではなく、その関係者達全員も危険にさらされているのだった。
「ここで考えていても仕方が無い。では、諸君! さっそく人質及び関係者の救出に向かうぞ。伸田さんは危険ですからガソリンスタンドに戻って待っていて下さい。」
すぐに鳳が決断して隊員達に命令を下し、伸田にも指示を与えた。
「あ…あの、鳳さん… 僕も一緒に連れて行っていただけませんか…?」
伸田がおずおずといった調子で鳳に言った。鳳達が現れる前は自分もAチームと一緒に行動するつもりでいたし、隊員達の同意も得ていたのだ。ガソリンスタンドで心配しながら一人で待っているなど、伸田にはとても出来なかった。
「駄目ですね。あなたは民間人でしょう。万が一の事が起こった場合、我々に責任を取る事は出来ない。」
予想はついていたが鳳の返事は、にべも無いものだった。
「自分の身は自分で守ります! お願いですから! 静香は僕の愛するフィアンセなんだ!」
伸田は縋り付く思いで、指揮官である鳳に必死に訴えた。
鳳は、一歩も譲ろうとしない伸田の真剣な目を見つめた。
「ふむ… いい目をしている。よろしい。だが責任は自分自身で負ってもらう。我々の庇護を当てにはしない事だ。それでいいなら、好きにしたまえ。
装備は…ふん、もう持っているようだな。ふふふ、最初からAチームの諸君も承知の上だったと見える。
では各員、出発するぞ!」
鳳 成治の号令で、一同全員が林の中を製材所に向かう道へと入って行った。
徒歩で林を抜けた方が早道なのは、先に静香と共に安田巡査が歩いた事で証明済みだった。ヒッチハイカーに拉致された静香と製作所で待機している関係者を救うためには、一刻たりとも時間を無駄には出来なかった。
全員が緊張の面持ちで、一行は作戦指揮所のある方角を目指して歩き始めた。
【次回に続く…】
********
「き、貴様! 何者だ? その刃物を捨てろ!」
移動現場指揮車を運転していたDチーム隊員の東尾巡査は、ボデイーアーマーの上からシートベルトを着用していたのと衝突の際にハンドルを握っていた両腕で身体への衝撃を押さえられたため、身体への影響が少なくて済んだ。このため、搭乗ドアを破って突然侵入して来た男に対し乗員の中で最もしっかりとした意識で対応出来た。
東尾は右大腿部に装着していたホルスターからSIT標準装備品の自動拳銃『ベレッタ90-Two』を即座に抜き、乗降口に立っている侵入者に向けて両手撃ちの構えを取った。
「動くんじゃない! 貴様が動けば、この銃で容赦なく撃つ! いいな、その右手に持った刃物をゆっくり床に捨てろ…」
男に向かってそう命令しながら東尾は警告した通り、いつでも撃てる様にベレッタの安全装置を外した。彼は自他ともに認める拳銃を使った射撃の名手だったが、もっとも彼ほどの腕前で無くても現役警官ならこの距離で狙いを外す事など有り得なかった。2mあるか無いかの距離なのだ。それでも東尾は男が変なそぶりを見せた途端、本当に撃つつもりだった。そのために彼は警告を発したのだ。
移動現場指揮車の後部に目を向けていたヒッチハイカーが、自分に対して警告を発した東尾に視線をわずかに向けた…と思った次の瞬間…
バシュッ!
胸が悪くなる嫌な音がしたかと思うと、一瞬で東尾の拳銃を構えた両手が手首から切断されていた。
ゴトッ!
拳銃を握ったまま切断された左右の手首が東尾の足元に落下した
「うっぎゃああーっ! 俺の…う、腕があっ!」
東尾が叫び声を上げたのと同時に、彼の切断された手首の断面から噴水の様に激しく血が噴き出した。
「やかましい…」
ヒッチハイカーが掠れ声でつぶやくとともに、右手に持った山刀を再び一閃させて水平に薙ぎ払った。
サイレンの様にけたたましい叫び声を上げ続けていた東尾の、ちょうど鼻の下を通るラインより上の頭部が一瞬にして消失した様に見えた。だが、実際には切断された勢いで吹っ飛んだ彼の頭部は、運転席側のフロントガラスに一度ぶつかって下に落ちた。
奇妙な事に、東尾の身体は自分の頭部を失った事に気が付いていないかの様に、切断面より下に位置する開いた口から血を吐き出しながら叫び声を上げ続けていた。
「ちっ!」
バシュッ!
まるでお化け屋敷の人形の様に、頭部を失いながらやかましい叫び声を上げ続ける東尾の遺体が癪に障ったのか、ヒッチハイカーが舌打ちしながら山刀をもう一閃させると今度は東尾の首部分が切断され、横に飛んだ首の断面がまたもやフロントガラスにぶつかり、先に運転席に転がっていた最初に切断された頭部の横にドサリと落ちた。
数秒後、首から上を完全に切り離された東尾の心臓の拍動が完全に停止したのか、それまで切断面から噴水の様に噴き出していた血がようやく止まった。
首から上が無くなった東尾の身体は、しばらく立ったまま痙攣した後、運転席に倒れ込んだ。
自分が惨殺した東尾の遺体には見向きもせず搭乗口から通路に上がると、ヒッチハイカーは後部に向けて車内をゆっくりと進んだ。そして、何かを探しているのか、鼻をヒクヒク蠢かせながら顔をキョロキョロ振って左右を見回しながら進んでいく。
「う、うう…」
中央から後部へ寄った座席に座っていた長谷川警部に横田警部補、そして鳳 成治と皆元静香の4人は車体後部が岩に激突した衝撃で完全に意識を失っているか、朦朧としている者ばかりだった。
4人の内、東尾を惨殺したばかりのヒッチハイカーが自分達に接近している事に気付いている者は、一人もいなかった。
ヒッチハイカーは巨体に似合わぬ猫の様に静かな身ごなしで静かに進んだが、長谷川と横田には全く興味を示さず横を通り過ぎ、その後ろの列に座っていた静香の真横に到達するとピタリと歩みを止めた。そして、獲物の匂いを嗅ぎ取った獣の様に鼻をヒクヒクさせながら、長身を柔軟に折り曲げて屈み込むと意識を失ったままの静香の顔を覗き込んだ。
どうやら、この男が車内に侵入してきた狙いは静香にあった様だった。
餌食にしたSITの隊員達の血と脂を浴びて全身ドロドロになった狂暴なヒッチハイカーがすぐそばに立ち、血まみれの鼻を静香の身体に直に押しつけるようにして匂いを嗅ぎ始めたが、彼女はまだ意識を失ったままだった。
「くっ…」
静香の通路を隔てた隣の座席に座っていた鳳 成治が朦朧としていた意識を取り戻し、自分に背を向けて立ち静香の顔を覗き込んでいるヒッチハイカーの後姿に気付いた。彼は自分のジャケットの下に着用しているショルダーホルスターから自動拳銃『ベレッタM92FS/エリートⅡ』を素早く抜き出すと、ヒッチハイカーの背中にピタリと照準を合わせた。
だが、ヒッチハイカーの動きの方が速かった。後ろを振り向いたと思った次の瞬間には、鳳が構えたベレッタの前部分を切断してしまった。
信じられない事に、ヒッチハイカーは山刀で鋼鉄製の拳銃を一瞬で切断してのけたのだ。
「うっ! 殺られる…」
短い叫び声を上げた鳳は、この男には珍しい事だったが次に来る自分の死を覚悟した…
まさにその時だった!
パン!パン!パン!パン!
突然車内に4発の銃声が響き渡った。
前席で伸びていた横田警部補が意識を取り戻し、自分の側に向けられていた僅か数十cmの至近距離にあるヒッチハイカーの剥き出しの左脇腹に対し、右手に構えた『ベレッタ90-Two』を立て続けに4回発砲したのだった。
これだけの至近距離で4発もの9mmパラベラム弾をもろに食らったのだ。いくら怪物並みの強靭な肉体と体力を誇るヒッチハイカーでも無事で済むはずがあるまい。
そう思い、4発で一旦射撃を中断した横田警部補は自分の目を疑った…
ヒッチハイカーの脇腹に開けられた四つの射入口の奥から、モコモコと何かが吐き出されてきたのだ。妙な形をしたそれは、高速で人体にぶつかった瞬間に先端部のへしゃげた銃弾の鉛製の弾頭部分だった。弾頭はヒッチハイカーの内臓部分まで達する事無く、体表の皮膚と薄い脂肪部分を僅かに貫きはしたものの、その下を覆う強靭な筋肉の層に受け止められ、それ以上突き抜ける事無く留まっていたのだろう。
その先端の潰れた弾頭部分が筋肉と腹圧によって押し出され、体表に開いた入射孔から僅かばかりの血と共に体外に排出されようとしているのだ。
そんな事の出来る存在は、もはや人間とは呼べないだろう…
コン、コン、コツン、コン…
ヒッチハイカーの脇腹から排出された4発の潰れた弾丸が音を立てて床に落ちた。その床に転がった血に塗れた弾丸が横田の見たこの世での最後の光景となった。
ガシュッ!
それまで信じられない表情を浮かべて床に落ちる4発の弾丸を見つめていた横田の頭が、スイカ割りで棒が命中したスイカのように顎まで真っ二つに割られた。情け容赦無いヒッチハイカーの山刀が真上から垂直に叩きつけられたのだった。悲鳴を上げる間もなく頭を割られた横田の頭蓋骨の骨片と脳漿が飛び散り、斬撃で飛び出した左右の眼球が紐の様な視神経で繋がったままダラリと垂れ下がった。
横田にとっての唯一の救いは、彼が痛みや苦しみを感じる間もなく一瞬で即死した事だろうか…
車内に侵入して来てから、わずか数分の内に持っていた山刀で2人の警察官を惨殺したヒッチハイカーが、思い出したように再び静香の方に身体の向きを変えた。
そして気を失ったままの静香の脇の下に自分の左手をグイっと差し込んだかと思うと、彼女の身体を軽々と持ち上げて自分の左腋に抱え込んだ。いったい、この男は静香をどうしようというのか…? ヒッチハイカーの穿いているズボンの前部分がパンパンに膨れ上がっている。
二人もの人間を惨殺しながら、こいつは静香を見て欲情し激しく勃起しているようだった。ズボンの中に納まりきらない馬並みに巨大な彼のペニスの半分以上がベルト部分からはみ出し、赤黒い亀頭の先端からは俗にガマン汁と呼ばれるネバネバした透明な液体が滲み出しているのが見る者の背筋をゾッとさせた。
過去の犯行歴から見ても異常なまでの性欲の塊であるのが疑いようの無いヒッチハイカーは、すでに犠牲となった水木エリや山野ミチルと同様に犯すつもりで彼女を攫いに来たのだろうか?
だが、抱き上げた静香を狭い車内で今すぐ犯す気は無いらしく、車から連れ去るつもりか彼女を左わきに抱え込んだまま、入って来た搭乗口の方へと身体の向きを変えた。
しかし、通路の先には鳳 成治が通すまいと立ちはだかっていた。
邪魔者を発見したヒッチハイカーの目が細くすがめられ、顔から表情が消えた。
この時、すでに鳳の右手には山刀で切断された自分の拳銃『ベレッタM92FS/エリートⅡ』は握られていない。彼はヒッチハイカーに向けて突き出した素手の右手人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指は曲げて親指で軽く押さえ刀印と呼ばれる形を作った。
そして刀印を結んだ右手で、横向きに上から五本の線、縦向きに左から四本の線を空中に描き出すかの様に動かしながら口から何やら呪文めいた言葉をつぶやき始めた。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女!」
すると、いったいこれはどうした事だろう…?
「ううううう…」
低い唸り声を上げながら、血と脂にまみれた赤鬼の様な形相をしたヒッチハイカーのギラギラ輝く両目が前に立ちはだかる鳳の顔に向けてではなく、彼が空中に縦横の線で描き出した格子模様が実際にその空間に存在するかのように吸い寄せられていく。そして、空中に縦横の線で描かれた架空の格子の目を順に数えるかのように、ヒッチハイカーは狂った様に自分の首と目を素早く動かし始めた。まるで、そうしないではいられないかの様に必死な形相で目を動かし続けている。
鳳 成治がヒッチハイカーに対して用いたのは、陰陽道における破邪の法である『早九字護身法』と呼ばれる術式であった。妖や魔界の者達は術者から自分に向けて九字を切られると相手では無く、九字で描き出された格子の目を全て見ないではいられないのだ。この間に術を掛けた者は逃げ出す事や、次の攻撃を仕掛ける事が出来る。
「う、うう…」
長谷川がようやく意識を回復したようだった。彼は座席にぶつけた頭を振りながら顔を上げ、目の前に起こっている信じられない光景を見た。
意識の無い静香を抱えた身長2m余りの巨体のヒッチハイカーが鳳 成治と対峙している。しかも鬼の様な形相のヒッチハイカーは鳳では無く、何かを目で追うように頭をグルグルと動かしていた。
意識を取り戻したばかりの長谷川には、目の前の状況がよく理解出来なかったが、とにかく捕らわれている静香と鳳を助けなければならない。ふらつく頭ながらも、そう認識した彼は、右太ももに装着したホルスターから『ベレッタ90-Two』を素早く抜き、目の前の何かに気を取られているヒッチハイカーに向けて狙いを付けた。
「おい、貴様! 今すぐ、その女性を放せ! そして、右手に持っている刃物を捨てるんだ!」
キャリアでは無くたたき上げで警部になった長谷川は、狂暴凶悪な連続殺人犯であるヒッチハイカーを相手にしても一応警察官として警告を与えた。
だが、ヒッチハイカーは夢中になって何かに集中している様子で、こちらの言う事にまったく耳を貸そうとしない。
長谷川は仕方なく自分の座席に近い窓を開けた。
「バカ!撃つな!」
鳳が静止の声を上げたが間に合わず、長谷川が威嚇のために外へ向けて拳銃を一発撃った。
パーンッ!
今の威嚇発砲で、夢中になって仮想的な格子の目を追っていたヒッチハイカーは我に返った。そして、前方に立ちはだかる鳳 成治を忌々しそうな顔で睨み付けた。すると鳳は臆する事無く、今度はジャケットの内側に隠してあったらしい全長60㎝程の銀色に輝く両刃の剣を取り出した。
その剣の刃が車内灯を反射して眩しく輝いた。ヒッチハイカーは刃の輝きを恐れるかの様に顔の前に翳した右手で目を庇った。そして威嚇のつもりか獰猛な唸り声を上げた。どうやら、彼は鳳が手に持つ剣の輝きを恐れているようだった。
「うがあああっ!」
ヒッチハイカーが野獣の様な声で一声叫んだかと思うと、左腕に抱えていた静香の身体を自分の前に突き出し、鳳との間に盾の様に掲げ持った。そして、そのままジリジリと鳳の方へ一歩ずつ進み出す。
静香の身体を盾にされては、鳳としては剣を構えながらも何も出来ず後退するしか無かった。
「止まれ! その女性を放せと言ってるんだ!」
長谷川が拳銃をヒッチハイカーに向けて叫んだ。だが、人質として取られ、進行方向に鳳が立っていては撃つ訳にはいかなかった…
その時だった!
「ドッカーン!」
外に吹き荒れる吹雪の音を圧する一際大きな爆発音が鳴り響くと共に車体が大きく揺れた。停車したバスを載せたまま、凍り付いたアスファルトの路面が爆発で揺れたのだろう。
原因は、先ほど崖の上から落ちてきた巨大な岩の塊により山道から弾き飛ばされ、反対側の崖下に落下した人員輸送車が燃料タンクに引火し爆発したものだった。
「うっ! あれはDチームの隊員達を乗せた人員輸送車か…?」
その時、ヒッチハイカーの嫌がる剣を構えていた鳳 成治に一瞬の隙が生まれた。
ヒッチハイカーはその隙を見逃さなかった。左腕に静香の身体を軽々と抱えたそいつは、頑丈な登山靴を履いた右脚で鳳に向けて蹴りを放ったのだ。
しかし鳳は、それまでの言動からは予想もつかないほどの反射神経と瞬発力を見せ、繰り出された蹴り以上の素早さで通路から斜め後ろに位置する運転席まで一気に飛び退き、間一髪で身を躱した。たった一撃でも怪物の様なヒッチハイカーの蹴りをまともに食らっていたら、鳳は即死だっただろう。
飛び退いて身を躱した鳳には見向きもせず、静香を抱えたままヒッチハイカーは運転席横の搭乗口から吹雪の吹き荒れる車外の道路へと一気に跳躍した。
「しまった!」
短く叫んだ鳳は、運転席に座ったままの東尾巡査の切り離された右手が握ったままだった『ベレッタ90-Two』をもぎ取って自分の右手に構えると、ヒッチハイカーを追って搭乗口から外へ飛び出した。
パン!パン!パン!パンッ!
路面に着地した次の瞬間、走り去るヒッチハイカーの背中に向けて鳳は4発の9mmパラベラム弾を叩き込んだ。狙いを外す事無く弾丸は4発とも命中したはずだったが、ヒッチハイカーはものともせず、いささかも勢いを緩める事無く左腕に静香を抱えたまま風の様に走り去り鳳の視界から消えてしまった。
「何やってるんですか、、鳳さん! やめて下さい! 万が一、皆元さんに当たったらどうするんだ!」
後から続いて車から降りて来た長谷川警部が、叱咤しながら鳳の右腕を掴むとベレッタの銃口を空へ向けさせた。
「バカ野郎! そんな事言ってる場合か! 俺達はまた、怪物を野に解き放ったんだぞ!」
それまで冷酷なほどクールだった鳳が自分の右腕を掴んでいた長谷川の手を振りほどき、まるで地団太を踏まんばかりの勢いで激高して怒鳴り散らした。
「すみません… 私がもう少し早く意識を回復していれば、皆元さんは… それにまた、私は二人の有能な部下を失ってしまった…」
長谷川は肩を震わせ、歯を食いしばりながら男泣きに泣いた。彼の両拳は血が流れ落ちるほど強く握りしめられていた。
「もういい… 済んだ事は仕方が無い。この巨大な岩は、ヤツが我々の乗った車両を狙って崖から落としたんだろう。しかし、信じられんな… 『最強』であれほどまで怪物化しながら、人間と変わらぬほどに知能を働かせられるとは… いったいあのヒッチハイカーは…」
始めは自分の不手際に落ち込んでいた長谷川だったが、鳳のつぶやいた話の内容を聞き逃さなかった。
「ツイ…チャン…? 何ですか、それは? この期に及んで、あなたはまだ隠し事を…?」
「何でもない… 言ったろう、国家機密だと。君達の様な地方公務員の関わる事ではない。」
鳳が持ち前の冷たい口調に戻って言った。
その言葉を聞いた途端、長谷川の頭に瞬間的に血が上った。被疑者であるヒッチハイカーについての秘密を自分達現場の人間が聞かされないまま戦闘状態に陥り、その結果大勢の人間が命を失ったのだ。
何の罪も無い一般人の若者達が尊い命を奪われ、自分の可愛い部下達もむざむざ殉職しなければならなかったのだ。いくら、目の前の相手が自分にとって上官の立場だと言っても、元来が熱血漢である長谷川は黙っていられなかった。
「何だと、貴様! 死んでいった私の部下達に、今の言葉をもう一度言ってみろ!」
怒りに火の点いた長谷川はもう止まらなかった。彼は、右手で鳳の胸ぐらをつかんで締め上げながら言った。長谷川は柔道三段、剣道四段の猛者であり、逮捕術でも優れた腕前だった。
「興奮するんじゃない!」
柔道三段の腕前である長谷川の万力の様な襟締めを、鳳は右手一本だけで簡単に外してのけると、逆に長谷川の右手首を捻り上げた。
「痛たたた!」
あまりの痛さに長谷川はギブアップを示す意味で鳳の肩をバンバン叩いた。すると鳳は右手で掴んでいた長谷川の手首を放し、解放してやった。
『この男… さっきの射撃の正確さと言い、格闘技の腕前でも俺より上を行ってやがる… ただのクールなだけが取り柄のいけ好かない国家公務員野郎なんかじゃない…』
まだ痛む右手首を左手で擦りながら長谷川は内心で思った。
格闘技において相手の力量を見切る事にかけては人後に落ちない自信がある長谷川は、鳳の秘められた本当の力を見誤っていた事に気付いた。
そう考えながら鳳を見つめていると、彼は長谷川を全く無視する様に奇妙な事を始めた。
鳳は背広の胸の内ポケットから小さな黒い物を取り出した。両手で広げ始めたそれは黒い紙で折った折り紙のようだった。小さいが、それはよく目を凝らすと折り鶴ではなくカラスに似せた形に折ってあるようだ。
鳳はその黒いカラスの折り紙を風に吹き飛ばされない様に左手で持ち、右手指は先ほどヒッチハイカーに対して早九字を切った時の様に刀印の形に印を結び(気を失っていた長谷川は、この行為を見ていなかったが…)、黒い折り紙のカラスに向けて縦横の九字を切りながら何やらブツブツつぶやき始めた。だが、吹雪の音にかき消されて長谷川には鳳がつぶやく言葉の内容は聞こえなかった。
意味不明な行動を始めた鳳の様子を長谷川は眉をひそめながら見つめていたが、そのうち、彼の見ている前で奇妙な現象が起こり始めたではないか。
鳳の左手に載せられていたカラスの折り紙がムクムクと大きくなり始めたのだ…
長谷川は目の錯覚かと右手で自分の目をこすったが、それは間違いなく現実だった。
見る間に鳳の左掌の上でどんどん大きくなった折り紙のカラスは、途中で凍てついた路面に自ら飛び降り、本物のカラスよりも大きくなり鷲ぐらいのサイズまで育った時点でようやく巨大化を終えた。
そして、何という事だろうか… 折り紙特有のカクカクとした折り目で出来ていたはずのカラスの外観は、いつの間にか本物の生きたカラスそっくりの外観に姿を変えてしまっていた。まるで特撮か3DCGで作られたアニメを観ているようだと長谷川は頭の片隅で思った。
奇妙な事に、その巨大なカラスには足が三本あった。
「三本足のカラス…『八咫烏』か?」
サッカーファンでもある長谷川は、日本サッカー協会のシンボルマークでもある『八咫烏』の姿を見知っていたのだ。
見た目が本物そっくりの生物的な外観に変わった途端、その三本足のカラスはまるで本当に生を受けた生き物と化したかの様に自分の意志で翼を羽ばたかせながら鳳の手から地面へと飛び降りた。
長谷川には、そのカラスはどう見ても本当に生きている様にしか見えなかった。三本足を器用に動かして雪の積もった路面を歩き回りながら頭を鳥特有の動かし方で振り動かし、鋭い嘴をパクパクと開閉させながら「カア、カア!」と鳴き声まで発しているのだ。両目も瞬きを繰り返し、風に羽毛を毛羽立たせられながら翼を小刻みに動かしていた。
「よし、行け!」
鳳が命令すると、奇妙な三本足のカラスは大きく翼を広げて空中へと飛び上がった。そして力強く羽ばたきをすると、猛吹雪をものともせずにヒッチハイカーの逃げた方角へと飛び去って行った。
「カアアアーッ!」
遠ざかるカラスの鳴き声が、吹雪にかき消されそうになりながらも微かに聞こえていた。
「何だ、今のは…? あいつの魔法か?」
そう言うと長谷川警部は口をアングリと開いたまま、カラスの飛び去った方角からゆっくりと鳳に目を戻した。
鳳 成治は長谷川に背を向けたまま、自分が作り出して空に放ったカラスを見送るように立っていた。
********
「ドッカーンッ!」
その爆発音は、ガソリンスタンドで長谷川警部達の乗った車両が到着するのを待っていた伸田伸也と、県警のSIT(Special Investigation Team:特殊犯捜査係)であるAチーム隊員達の耳にも届いた。
「何だ、あの爆発音は…? ここから近いな…」
Aチームのリーダーである島警部補の言葉に、その場にいた全員が顔を見合わせて頷いた。
「まさか、隊長達の乗った車両じゃ…?」
山村巡査部長が心配そうな顔をしてつぶやく。
「どっちにせよ、あれは作戦指揮所からこっちへ向かう途中の山道の方だ… 行ってみよう!」
島の呼びかけにAチームの隊員達が頷く。同じ気持ちである伸田も同意を込めて頷いた。
彼らは不安なまま、仲間の到着を待ってはいられなかったのだ。
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Aチームの一行が一本きりの山道を下りはじめ、カーブを曲がって見通しのいい場所に来た時だった。
眼下の崖下にひっくり返って裏側のシャーシを上にして大破炎上する大型車両が見えた。
目の前の現実にショックを受けた全員が呆然としていると、安田巡査が炎上する大型バスを指さしながら叫んだ。
「あれは、ここに来る時に自分達が乗って来た人員輸送車ですよ!」
「最悪な事態になった… ヤマさん、事故でしょうか?」
島が年長の部下である山村巡査部長に意見を求めた。
「分かりませんね。でも…あの有様じゃあ、乗っていた人間は助からない…」
山村が悲しそうに首を振ってつぶやいた。車両に乗っていたはずの人々は自分達の仲間なのだ。
「あっ… 皆さん、見て下さい!」
伸田が山道の下を指さしながらAチームの隊員達に呼びかけた。
全員が伸田の指さす先を見ると、吹雪の中、山道を自分達の方に向かって歩いて登って来る二人の男の姿があった。
一人は自分達と同じSITの装備を身に着けている指揮官らしき男で、もう一人はこの寒い山中だというのに背広の上下の上に軍用の防寒コートを着ただけの、スラリと背の高い人物だった。
「あれは、長谷川隊長だぞ!」
島がSITの装備姿の男を見て言ったのに、全員が頷いて同意を示した。だが、もう一人の人物は誰にも分からなかった。
「隊長ーっ!」
SITの中で最年少の隊員である安田が、自分達の隊長である長谷川に向かって嬉しそうに手を振りながら叫んだ。
他の隊員達も同様に手を振り始めた。
「良かった、長谷川隊長が御無事で。だが、他の連中は…?」
崖下で炎上する車両を見ながら、島が心配そうにつぶやいた。隣で山村が黙ったまま首を横に振っている。詳しい事情は長谷川に訊けばいいのだ。
一本きりの山道を登って来た二人と、降りて来たAチームの隊員達が途中で合流した。
「ご苦労だった。君達Aチームの全員が無事で何よりだ。そして、あなたが…」
山道を上って来た長谷川警部が、敬礼して出迎えたAチームの面々に自分からも敬礼を返すと、次に伸田の方に向かって話しかけようとした。
すると、長谷川の言葉を途中で遮るようにして、一人だけ明らかに他の隊員達と恰好の違うもう一人の人物が、他の隊員への初対面の挨拶を省いたまま伸田に向かって話し始めた。
「あなたが、皆元静香さんの婚約者の伸田さん…ですね? 私は、この作戦の新指揮官である鳳と言います。
お会いした早々、こんな事をお伝えするのは残念なのですが、皆元さんは…ヒッチハイカーの手に落ちました。」
「な! 何ですって!?」
鳳の話を聞いた伸田は愕然として叫んだ。そして、あまりのショックに眩暈のした伸田が膝から崩れる様にふらつくのを、彼の隣に立っていた島が身体を支えてやった。反対側にいた山村も手を貸した。
Aチームのメンバー全員が長谷川警部に向かって目で問いかけたが、肯定の印に長谷川は黙って頷いただけだった。
「Aチームの諸君への詳細の説明は省く。時間の無駄だ。君達は今から長谷川警部と共に私の指揮下に入ってもらう。命令に従えない者は作戦から外す。以上だ。」
有無を言わせない口調の鳳の命令に、隊員達は顔を見合わせた。リーダーである島が皆を代表して一歩前に進み出た。
「あなたが新しい指揮官で、命令とあれば自分達は従います。このAチームには、作戦を途中で投げ出す者など一人もおりません!」
島が大声で応じながら鳳に向かって最敬礼した。彼は自分が先頭に立って鳳の命令に応じる事で、他の隊員達の不満の噴出を抑え込んだのだった。
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この言葉に、伸田を含めた全員が鳳の顔を見た。
「私が放った追跡用デバイスが、GPSで私に皆元さんの居場所を報せて来ます。」
そう言って鳳は、コートのポケットから自分のスマホを取り出した。
『追跡用デバイスだと…? あの八咫烏の事か? この怪しい魔法使いが…』
この中で唯一、鳳の秘められた事情を知る長谷川が、苦笑を浮かべると共に心の中で一人毒づいた。ここまで二人で登って来る道中でも会話らしい会話も無く、遂に鳳から八咫烏についての説明は何も無かったのだ。
「ふむ… ヤツの居場所が判明した。これは… はっ、何て事だ! これは作戦指揮所のある製材所の敷地内ではないか…
灯台下暗し…我々はヤツに振り回されたという事か。クソッ!」
鳳が自嘲気味に告げた内容に、全ての隊員達から呻くような声が上がった。作戦指揮所のある製材所にはSIT以外の警察官や救急班が待機しているのだ。今では連れ去られた静香だけではなく、その関係者達全員も危険にさらされているのだった。
「ここで考えていても仕方が無い。では、諸君! さっそく人質及び関係者の救出に向かうぞ。伸田さんは危険ですからガソリンスタンドに戻って待っていて下さい。」
すぐに鳳が決断して隊員達に命令を下し、伸田にも指示を与えた。
「あ…あの、鳳さん… 僕も一緒に連れて行っていただけませんか…?」
伸田がおずおずといった調子で鳳に言った。鳳達が現れる前は自分もAチームと一緒に行動するつもりでいたし、隊員達の同意も得ていたのだ。ガソリンスタンドで心配しながら一人で待っているなど、伸田にはとても出来なかった。
「駄目ですね。あなたは民間人でしょう。万が一の事が起こった場合、我々に責任を取る事は出来ない。」
予想はついていたが鳳の返事は、にべも無いものだった。
「自分の身は自分で守ります! お願いですから! 静香は僕の愛するフィアンセなんだ!」
伸田は縋り付く思いで、指揮官である鳳に必死に訴えた。
鳳は、一歩も譲ろうとしない伸田の真剣な目を見つめた。
「ふむ… いい目をしている。よろしい。だが責任は自分自身で負ってもらう。我々の庇護を当てにはしない事だ。それでいいなら、好きにしたまえ。
装備は…ふん、もう持っているようだな。ふふふ、最初からAチームの諸君も承知の上だったと見える。
では各員、出発するぞ!」
鳳 成治の号令で、一同全員が林の中を製材所に向かう道へと入って行った。
徒歩で林を抜けた方が早道なのは、先に静香と共に安田巡査が歩いた事で証明済みだった。ヒッチハイカーに拉致された静香と製作所で待機している関係者を救うためには、一刻たりとも時間を無駄には出来なかった。
全員が緊張の面持ちで、一行は作戦指揮所のある方角を目指して歩き始めた。
【次回に続く…】
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