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第31話「狂気の北条 智、原潜クラーケンを掌握する」
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19時…
「時間だな。チャーリー、首相官邸のホームページに日本政府の返答は表示されたかね?」
艦内の発令所から士官事務室に移動した北条 智が、持ち込んだノートパソコンの画面を見つめるチャーリー萩原に尋ねた。
「はい、19時ちょうどに表示されました。内容は…『当方、条件を飲む。荷物はヘリで東京湾に運ぶ。』となっています。」
「よし、発令所に戻ろう。」
二人は士官事務室から発令所に戻った。北条は発令所にいた艦長のアーノルド・ウエストランド大佐に尋ねた。
「艦長、この場所から東京湾上空を飛行するヘリコプターが存在するかの確認は出来ますか?」
艦長はニヤリと笑いながら頷いた。
「もちろん可能ですよ、Mr.北条。飛んでいるカモメの数だって分かります。10分ほど前から一機のヘリが飛んでいるのを、すでに確認しています。」
「なるほど… さすがに優秀な艦のクルーは仕事が早くて正確だ。」
北条 智のお世辞に艦長が笑いながら頷く。
北条はチャーリー萩原に向き直って言った。
「では、日本政府の言っている事は本当なのだろうな。私をよく知っている鳳 成治が、回りくどい偽物などを仕立ててくるはずが無い。
チャーリー、日本政府に対してメッセージを送ってくれ。内容は『了解した。ニケに手錠をはめてヘリから海上に投下せよ。』だ。」
「……… 送信しました、Mr.北条。」
北条に命令された事を即座に実行したチャーリー萩原が答える。
「よし。艦長、今言った海上での状況をこの深度から確認出来ますかな?」
北条は再び艦長に質問した。問われた艦長は、頷きながら答えた。
「もちろん可能です。海上には空海両用の隠密偵察型ドローンを浮かべてあります。ドローンからの映像及び音声で、ここからでも海上の様子は手に取るように分かりますよ、Mr.北条。」
艦長の答えに満足そうに頷きながら、ドローンから送られて来る海上の監視映像を映し出すモニターに目をやった。
「大変結構です、ウエストランド艦長。それではニケが海上に投下され次第、本物かどうかの確認にドローンを向かわせてもらえますか。」
「了解しました、Mr.北条。」
艦長は部下の士官に即座に指示を出した。
********************
「奴等からのメッセージが来た… くみちゃん、君に手錠をして海に落とせと言ってきた…」
成治が唇を噛みながら、悔しそうにくみと賢生に説明した。
「なんじゃとうっ! 成治!まさか、奴らの言う条件を飲むんじゃあるまいなっ?」
狭いヘリの客席で賢生が立ち上がりそうにして聞く。もっともシートベルトをしているので立ち上がれはしないが…
隣りに座るくみが賢生を押しとどめて言った。
「成治叔父さんを責めないで、お祖父ちゃん! 私は行くわ… そのつもりで来たんだから。成治叔父さん、手錠はあるの?」
「ああ、北条は分かってて言ってきてるんだろう。このヘリは海上保安庁から出してもらっていて隊員の人達は特殊警備隊SSTの面々なんだが、通常はシージャックや海上テロに備えて組織された部隊で、相手を確保して拘束するための手錠ももちろん装備されている。」|
成治《せいじ》は残念そうな顔をしながら、くみにそう返事をするしかなかった。
「じゃあ、それを使って。
大丈夫よ、二人とも。そんな顔をしないで… 私を誰だか忘れてるんじゃない? ニケを手錠なんかで拘束出来るわけないじゃない。ニケなら『ニケの青い炎』で一瞬で鎖なんか焼き切っちゃうわよ。ね…大丈夫だから私を信じて。」
くみは美しい歯並びの可愛い口元を綻ばせてニッコリと二人に微笑んだ。祖父の賢生はあきらめた様に首を振っている。
「まったく… 君は頑固な女の子だなあ。そんなところは祖父譲りなんだろうね、きっと… くみちゃん、こんな事になって本当にすまない。」
ため息をついて、そう言いながら成治はくみの両手に手錠をはめた。
「うわあ… タイホされちゃったみたい。なんてね。」
くみは可愛い舌をペロッと出しながら、両手にはまった手錠をガチャガチャとさせた。
「じゃあ、二人とも… 行って来るね!」
成治が開いたヘリの扉に手をかけたくみは、長く美しい栗色の髪をたなびかせて振り返り、二人に大きく頷いてヘリから海上へと飛び降りた。
「バッシャーン!」
大きな水しぶきを上げて、ヘリのローターの風で大きな波が起こっている海面にくみが着水した。すぐに彼女は海面に顔を出した。
「ぷふぅー、冷たいし… うぇっ、しょっぱい…」
********************
「ヘリから海面に、人間が一名飛び降りました。」
部下の報告に頷いたウエストランド艦長が、次の命令を下す。
「よし、海面を漂う人物にステルスドローンを寄せて確認させるんだ!」
「アイ、アイ、サー!」
命令された部下がすぐに行動に移す。ステルスドローンから送られる映像用のモニターを北条 智もチャーリー萩原も注視している。
やがて着水した人物に寄ったステルスドローンから送って来た映像に、人物の顔が大きく映し出された。
映像を確認した北条はニヤリと満足そうに笑った。
「よし、榊原くみに間違いない。回収できますか、艦長?」
「可能ですが、そのためには彼女の場所まで航行して移動し、潜望鏡深度まで浮上しなければなりません。そうすれば『クラーケン』の姿を相手側に晒すことになりますが…よろしいのですか?」
北条 智はしばらく考えていたが、艦長に向き直って尋ねた。
「艦長、今すぐにSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を発射出来ますか?」
「な、何を言ってるんですか、Mr.北条… 冗談はお止めいただきたい。」
艦長は引きつった笑いを浮かべながら、北条を上目遣いに見て言った。
「艦長… いや、アーノルド・ウエストランド大佐、私の質問に答えたまえ。私は今すぐにSLBMを発射出来るのかと聞いているのだ!」
北条が壁を拳で叩きながら、有無を言わせぬ強い口調で艦長に命令した。
「はっ! Mr.北条から命令されておりました核弾頭を搭載したトライデント級のSLBMが一基、すぐにでも発射可能な状態にあります。」
艦長は北条に対して答えた後で、助けを求めるような視線をチャーリー萩原に向けた。当のチャーリー萩原は口元に笑みを浮かべながら、艦長から視線を逸らしてしまった。
「よろしい。では艦長、今すぐに『クラーケン』をSLBMの発射可能深度にまで浮上させたまえ。それと、今からこの原子力潜水艦『クラーケン』の艦長にはこの私、北条 智が就任する。アーノルド・ウエストランド大佐、君には副長を務めてもらおうか。」
北条は艦長の顔を真っ直ぐに見つめながら、発令所中に響き渡るハッキリとした口調の高らかな声で宣言した。
北条 智に一方的に『クラーケン』の艦長を解任されたアーノルド・ウエストランド大佐は、実際に救いを求めるべく『クトニウス機関』極東支部総司令官に連絡を取ろうとして、通信担当官を席から押しのけて自分が通信席に付いた。
そして、本部への直通回線が通じてしゃべり出そうとした瞬間… 自分の頭に金属質の固い物体がグリグリと押し付けられ、声を出すことが出来なかった。
『はい、こちら極東支部総司令官オフィスですが…』
直通回線を通して相手側の女性通信士官の声が聞こえてきた。
だが… しゃべることが出来ずに振り返ったウエストランド大佐が見たものは、北条 智の狂気じみた笑顔と、自分の頭に押し付けられた拳銃の銃口だった…
『どうしました… そちらは「原子力潜水艦クラーケン」ですね… もしもし… もしもし、応答して下さい!』
通信してきたこちらからの応答が無いのを不審に感じた女性士官から問いかける声が、スピーカーから響いて来る
北条が銃口を通信用のヘッドセットに向けて、机に置くように顎で示している。
ウエストランド大佐は汗がだらだらと流れる顔を何度も振って頷きながら、震える手で通信スイッチを切ってヘッドセットを机に置いた。
「よろしい…ウエストランド副長、いい子だ。次に勝手な事をやったら、私は躊躇わずに引き金を引く…分かったな?」
ウエストランド大佐は壊れた人形の様にガクガクと首を縦に振り続けている。口の端からは涎が長い糸を引いていた。大佐のグレーの瞳は光を失い濁った色に変わっていった。
「チャーリー!
アーノルド・ウエストランド大佐は乱心して『クトニウス機関』に対する反乱を起こそうとした。只今を持って大佐の副長職も解任する。
艦長であるこの北条 智が正式に任命する。チャーリー萩原! 今から君がこの艦の副長だ。
君は直ちにこのウエストランド大佐を拘束し、何処かに監禁したまえ!
それから、シルバーウッド副長! こちらへ来給たまえっ! 急げ!」
北条 智は本来の『クラーケン』における副長であるシルバーウッド少佐を呼びつけた。 発令所の隅で蹲り、今までの北条の行為を震えて見ていたシルバーウッド少佐が立ち上がり、よろよろと北条の前まで進んできた。
「シルバーウッド少佐、ご覧の通りだ。ウエストランド大佐は乱心して『クトニウス機関』に反乱を起こそうとしたため私が拘束した。
今から私がこの艦の艦長だ。そして副長には、このチャーリー萩原が只今をもって就任する。君には副長補佐を任命するので副長を助けてやってくれたまえ。
もちろん、新任艦長の私の補佐もよろしく頼むぞ。まず最初の任務として、その男を何処かへ監禁させてくれたまえ。目障りだからな。」
シルバーウッド少佐が部下を指示して、うなだれたまま座り込んでいるウエストランド大佐を運び去らせた。
「よろしい。シルバーウッド副長補佐、次は君にSLBMの発射方法を教えてもらおうか。ウエストランド大佐は私に従わなかったのであのざまだ。君はもちろん彼の様に愚かでは無いだろうね…? ん、どうなんだ!」
北条はシルバーウッド少佐を怒鳴りつけた。すると、シルバーウッド少佐は震えながら頷いてしゃべり始めた。
「まず、クラーケンをSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の発射深度まで浮上させます。そして艦長と私がが合議した上で、パスワードと鍵を使って安全装置を解除します。しかし、ウエストランド大佐が監禁された今では、鍵は取り上げられたとしてもパスワードを聞き出すことは不可能かと…」
ここまで話したシルバーウッド少佐を制する様にして、チャーリー萩原が北条の前に進み出た。
「北条艦長、監禁中のウエストランド大佐からパスワードを聞き出す役目は私が引き受けましょう。しかし、パスワードは聞き出せてもウエストランド大佐の方の保証までは致しかねますが…」
チャーリー萩原がニヤニヤと笑いながら進言した恐ろしい言葉を受けた北条は、何気ないような態度で返答した。
「反乱者のウエストランド大佐はどうなっても構わん、パスワードを聞き出せさえすれば奴にもう用はない。」
「承知しました、私にお任せください。」
そう言ったチャーリー萩原の表情には、残忍な悦びに満ち溢れた様な凄惨な笑みが浮かんでいた。
そして、その表情を浮かべたままチャーリー萩原は発令所を出て行った。
数分後… 鼻歌を口ずさみ、右手人差し指でクルクルと鍵を回しながら戻ったチャーリー萩原の服には飛び散った血の模様が付いていた。
「ウエストランド大佐は簡単に教えてくれましたよ、北条艦長。」
楽しそうに話すチャーリー萩原の報告を聞いた北条は、シルバーウッド少佐の方に向き直って尋ねた。
「これで発射可能かね、シルバーウッド副長補佐?」
北条の顔もまた、楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「は、はい… 手順的には問題ありません… 可能であります。ですが…」
シルバーウッド少佐は目の前の二人を恐ろし気に交互に見つめて、震える声で返事をした。
「まだ何か問題でも?」
北条は気味が悪くなるほど優しい声で尋ねた。
「は、はい… 北条艦長… 核ミサイル発射の大統領命令はどうなるのでありましょうか…?」
シルバーウッド少佐はがたがた震えながら、消え入りそうな声で聞いた。
「なんだ… そんな事を心配していたのか、君は…? それならば心配はいらない。
ここでは私が全権を握っているんだ、だから私が発射命令を下す。何かその事に問題でもあるかね?」
そう言いながらシルバーウッド少佐に向けられた北条の右手には拳銃が握られていた。
「な、何も問題など… あ、ありません!」
シルバーウッド少佐は最敬礼をして北条に答えた。
北条は満足そうに、目を細めて笑いながら言った。
「よろしい、たいへん結構だ。では私と君とでSLBMの発射準備に入ろうじゃないか。よろしく頼むよ。」
北条は楽しそうに口笛を吹きながらシルバーウッド少佐の肩を叩き、親し気に肩に手を回しながらSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)発射装置の前に立った。
後ろに控えたチャーリー萩原は、目の前で今から始まる悪夢さながらの光景に、期待で胸を膨らませて潤んだ目を輝かしていた。
この時、まさに北条 智とチャーリー萩原の二人こそ、乱心して完全に常軌を逸していたと言えよう。
「時間だな。チャーリー、首相官邸のホームページに日本政府の返答は表示されたかね?」
艦内の発令所から士官事務室に移動した北条 智が、持ち込んだノートパソコンの画面を見つめるチャーリー萩原に尋ねた。
「はい、19時ちょうどに表示されました。内容は…『当方、条件を飲む。荷物はヘリで東京湾に運ぶ。』となっています。」
「よし、発令所に戻ろう。」
二人は士官事務室から発令所に戻った。北条は発令所にいた艦長のアーノルド・ウエストランド大佐に尋ねた。
「艦長、この場所から東京湾上空を飛行するヘリコプターが存在するかの確認は出来ますか?」
艦長はニヤリと笑いながら頷いた。
「もちろん可能ですよ、Mr.北条。飛んでいるカモメの数だって分かります。10分ほど前から一機のヘリが飛んでいるのを、すでに確認しています。」
「なるほど… さすがに優秀な艦のクルーは仕事が早くて正確だ。」
北条 智のお世辞に艦長が笑いながら頷く。
北条はチャーリー萩原に向き直って言った。
「では、日本政府の言っている事は本当なのだろうな。私をよく知っている鳳 成治が、回りくどい偽物などを仕立ててくるはずが無い。
チャーリー、日本政府に対してメッセージを送ってくれ。内容は『了解した。ニケに手錠をはめてヘリから海上に投下せよ。』だ。」
「……… 送信しました、Mr.北条。」
北条に命令された事を即座に実行したチャーリー萩原が答える。
「よし。艦長、今言った海上での状況をこの深度から確認出来ますかな?」
北条は再び艦長に質問した。問われた艦長は、頷きながら答えた。
「もちろん可能です。海上には空海両用の隠密偵察型ドローンを浮かべてあります。ドローンからの映像及び音声で、ここからでも海上の様子は手に取るように分かりますよ、Mr.北条。」
艦長の答えに満足そうに頷きながら、ドローンから送られて来る海上の監視映像を映し出すモニターに目をやった。
「大変結構です、ウエストランド艦長。それではニケが海上に投下され次第、本物かどうかの確認にドローンを向かわせてもらえますか。」
「了解しました、Mr.北条。」
艦長は部下の士官に即座に指示を出した。
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「奴等からのメッセージが来た… くみちゃん、君に手錠をして海に落とせと言ってきた…」
成治が唇を噛みながら、悔しそうにくみと賢生に説明した。
「なんじゃとうっ! 成治!まさか、奴らの言う条件を飲むんじゃあるまいなっ?」
狭いヘリの客席で賢生が立ち上がりそうにして聞く。もっともシートベルトをしているので立ち上がれはしないが…
隣りに座るくみが賢生を押しとどめて言った。
「成治叔父さんを責めないで、お祖父ちゃん! 私は行くわ… そのつもりで来たんだから。成治叔父さん、手錠はあるの?」
「ああ、北条は分かってて言ってきてるんだろう。このヘリは海上保安庁から出してもらっていて隊員の人達は特殊警備隊SSTの面々なんだが、通常はシージャックや海上テロに備えて組織された部隊で、相手を確保して拘束するための手錠ももちろん装備されている。」|
成治《せいじ》は残念そうな顔をしながら、くみにそう返事をするしかなかった。
「じゃあ、それを使って。
大丈夫よ、二人とも。そんな顔をしないで… 私を誰だか忘れてるんじゃない? ニケを手錠なんかで拘束出来るわけないじゃない。ニケなら『ニケの青い炎』で一瞬で鎖なんか焼き切っちゃうわよ。ね…大丈夫だから私を信じて。」
くみは美しい歯並びの可愛い口元を綻ばせてニッコリと二人に微笑んだ。祖父の賢生はあきらめた様に首を振っている。
「まったく… 君は頑固な女の子だなあ。そんなところは祖父譲りなんだろうね、きっと… くみちゃん、こんな事になって本当にすまない。」
ため息をついて、そう言いながら成治はくみの両手に手錠をはめた。
「うわあ… タイホされちゃったみたい。なんてね。」
くみは可愛い舌をペロッと出しながら、両手にはまった手錠をガチャガチャとさせた。
「じゃあ、二人とも… 行って来るね!」
成治が開いたヘリの扉に手をかけたくみは、長く美しい栗色の髪をたなびかせて振り返り、二人に大きく頷いてヘリから海上へと飛び降りた。
「バッシャーン!」
大きな水しぶきを上げて、ヘリのローターの風で大きな波が起こっている海面にくみが着水した。すぐに彼女は海面に顔を出した。
「ぷふぅー、冷たいし… うぇっ、しょっぱい…」
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「ヘリから海面に、人間が一名飛び降りました。」
部下の報告に頷いたウエストランド艦長が、次の命令を下す。
「よし、海面を漂う人物にステルスドローンを寄せて確認させるんだ!」
「アイ、アイ、サー!」
命令された部下がすぐに行動に移す。ステルスドローンから送られる映像用のモニターを北条 智もチャーリー萩原も注視している。
やがて着水した人物に寄ったステルスドローンから送って来た映像に、人物の顔が大きく映し出された。
映像を確認した北条はニヤリと満足そうに笑った。
「よし、榊原くみに間違いない。回収できますか、艦長?」
「可能ですが、そのためには彼女の場所まで航行して移動し、潜望鏡深度まで浮上しなければなりません。そうすれば『クラーケン』の姿を相手側に晒すことになりますが…よろしいのですか?」
北条 智はしばらく考えていたが、艦長に向き直って尋ねた。
「艦長、今すぐにSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を発射出来ますか?」
「な、何を言ってるんですか、Mr.北条… 冗談はお止めいただきたい。」
艦長は引きつった笑いを浮かべながら、北条を上目遣いに見て言った。
「艦長… いや、アーノルド・ウエストランド大佐、私の質問に答えたまえ。私は今すぐにSLBMを発射出来るのかと聞いているのだ!」
北条が壁を拳で叩きながら、有無を言わせぬ強い口調で艦長に命令した。
「はっ! Mr.北条から命令されておりました核弾頭を搭載したトライデント級のSLBMが一基、すぐにでも発射可能な状態にあります。」
艦長は北条に対して答えた後で、助けを求めるような視線をチャーリー萩原に向けた。当のチャーリー萩原は口元に笑みを浮かべながら、艦長から視線を逸らしてしまった。
「よろしい。では艦長、今すぐに『クラーケン』をSLBMの発射可能深度にまで浮上させたまえ。それと、今からこの原子力潜水艦『クラーケン』の艦長にはこの私、北条 智が就任する。アーノルド・ウエストランド大佐、君には副長を務めてもらおうか。」
北条は艦長の顔を真っ直ぐに見つめながら、発令所中に響き渡るハッキリとした口調の高らかな声で宣言した。
北条 智に一方的に『クラーケン』の艦長を解任されたアーノルド・ウエストランド大佐は、実際に救いを求めるべく『クトニウス機関』極東支部総司令官に連絡を取ろうとして、通信担当官を席から押しのけて自分が通信席に付いた。
そして、本部への直通回線が通じてしゃべり出そうとした瞬間… 自分の頭に金属質の固い物体がグリグリと押し付けられ、声を出すことが出来なかった。
『はい、こちら極東支部総司令官オフィスですが…』
直通回線を通して相手側の女性通信士官の声が聞こえてきた。
だが… しゃべることが出来ずに振り返ったウエストランド大佐が見たものは、北条 智の狂気じみた笑顔と、自分の頭に押し付けられた拳銃の銃口だった…
『どうしました… そちらは「原子力潜水艦クラーケン」ですね… もしもし… もしもし、応答して下さい!』
通信してきたこちらからの応答が無いのを不審に感じた女性士官から問いかける声が、スピーカーから響いて来る
北条が銃口を通信用のヘッドセットに向けて、机に置くように顎で示している。
ウエストランド大佐は汗がだらだらと流れる顔を何度も振って頷きながら、震える手で通信スイッチを切ってヘッドセットを机に置いた。
「よろしい…ウエストランド副長、いい子だ。次に勝手な事をやったら、私は躊躇わずに引き金を引く…分かったな?」
ウエストランド大佐は壊れた人形の様にガクガクと首を縦に振り続けている。口の端からは涎が長い糸を引いていた。大佐のグレーの瞳は光を失い濁った色に変わっていった。
「チャーリー!
アーノルド・ウエストランド大佐は乱心して『クトニウス機関』に対する反乱を起こそうとした。只今を持って大佐の副長職も解任する。
艦長であるこの北条 智が正式に任命する。チャーリー萩原! 今から君がこの艦の副長だ。
君は直ちにこのウエストランド大佐を拘束し、何処かに監禁したまえ!
それから、シルバーウッド副長! こちらへ来給たまえっ! 急げ!」
北条 智は本来の『クラーケン』における副長であるシルバーウッド少佐を呼びつけた。 発令所の隅で蹲り、今までの北条の行為を震えて見ていたシルバーウッド少佐が立ち上がり、よろよろと北条の前まで進んできた。
「シルバーウッド少佐、ご覧の通りだ。ウエストランド大佐は乱心して『クトニウス機関』に反乱を起こそうとしたため私が拘束した。
今から私がこの艦の艦長だ。そして副長には、このチャーリー萩原が只今をもって就任する。君には副長補佐を任命するので副長を助けてやってくれたまえ。
もちろん、新任艦長の私の補佐もよろしく頼むぞ。まず最初の任務として、その男を何処かへ監禁させてくれたまえ。目障りだからな。」
シルバーウッド少佐が部下を指示して、うなだれたまま座り込んでいるウエストランド大佐を運び去らせた。
「よろしい。シルバーウッド副長補佐、次は君にSLBMの発射方法を教えてもらおうか。ウエストランド大佐は私に従わなかったのであのざまだ。君はもちろん彼の様に愚かでは無いだろうね…? ん、どうなんだ!」
北条はシルバーウッド少佐を怒鳴りつけた。すると、シルバーウッド少佐は震えながら頷いてしゃべり始めた。
「まず、クラーケンをSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の発射深度まで浮上させます。そして艦長と私がが合議した上で、パスワードと鍵を使って安全装置を解除します。しかし、ウエストランド大佐が監禁された今では、鍵は取り上げられたとしてもパスワードを聞き出すことは不可能かと…」
ここまで話したシルバーウッド少佐を制する様にして、チャーリー萩原が北条の前に進み出た。
「北条艦長、監禁中のウエストランド大佐からパスワードを聞き出す役目は私が引き受けましょう。しかし、パスワードは聞き出せてもウエストランド大佐の方の保証までは致しかねますが…」
チャーリー萩原がニヤニヤと笑いながら進言した恐ろしい言葉を受けた北条は、何気ないような態度で返答した。
「反乱者のウエストランド大佐はどうなっても構わん、パスワードを聞き出せさえすれば奴にもう用はない。」
「承知しました、私にお任せください。」
そう言ったチャーリー萩原の表情には、残忍な悦びに満ち溢れた様な凄惨な笑みが浮かんでいた。
そして、その表情を浮かべたままチャーリー萩原は発令所を出て行った。
数分後… 鼻歌を口ずさみ、右手人差し指でクルクルと鍵を回しながら戻ったチャーリー萩原の服には飛び散った血の模様が付いていた。
「ウエストランド大佐は簡単に教えてくれましたよ、北条艦長。」
楽しそうに話すチャーリー萩原の報告を聞いた北条は、シルバーウッド少佐の方に向き直って尋ねた。
「これで発射可能かね、シルバーウッド副長補佐?」
北条の顔もまた、楽しそうに笑顔を浮かべていた。
「は、はい… 手順的には問題ありません… 可能であります。ですが…」
シルバーウッド少佐は目の前の二人を恐ろし気に交互に見つめて、震える声で返事をした。
「まだ何か問題でも?」
北条は気味が悪くなるほど優しい声で尋ねた。
「は、はい… 北条艦長… 核ミサイル発射の大統領命令はどうなるのでありましょうか…?」
シルバーウッド少佐はがたがた震えながら、消え入りそうな声で聞いた。
「なんだ… そんな事を心配していたのか、君は…? それならば心配はいらない。
ここでは私が全権を握っているんだ、だから私が発射命令を下す。何かその事に問題でもあるかね?」
そう言いながらシルバーウッド少佐に向けられた北条の右手には拳銃が握られていた。
「な、何も問題など… あ、ありません!」
シルバーウッド少佐は最敬礼をして北条に答えた。
北条は満足そうに、目を細めて笑いながら言った。
「よろしい、たいへん結構だ。では私と君とでSLBMの発射準備に入ろうじゃないか。よろしく頼むよ。」
北条は楽しそうに口笛を吹きながらシルバーウッド少佐の肩を叩き、親し気に肩に手を回しながらSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)発射装置の前に立った。
後ろに控えたチャーリー萩原は、目の前で今から始まる悪夢さながらの光景に、期待で胸を膨らませて潤んだ目を輝かしていた。
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