ニケ… 翼ある少女

幻田恋人

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第29話「安倍賢生と鳳 成治、父子の決意」

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「ここまでがわしの長男竜太郎りょうたろうと、ギリシア人で女神アテナの生まれ変わりである嫁のアテナとの結婚から、孫のくみ誕生を経て現在に至るまでの物語です。」

 賢生けんせい竜太郎りょうたろうとアテナのめから結婚、くみの誕生から現在にいたるまでを一同に話して聞かせた。
会議室全体が賢生の話が終わってからざわつき始めた。
 成治せいじを除いた全員が、賢生けんせいの話をにわかには信じられないのも無理のない事だった。
話を聞き終えた太田首相が恐る恐ると言う感じで賢生けんせいたずねた。

「すると、安倍あべさんはその孫のくみさんが今回のテロリストどもの要求にある『ニケ』であるとおっしゃるのですな。」

「その通りです、総理。くみもまた勝利の女神ニケの転生した少女なのです。」

 太田総理に答えた賢生けんせいの言葉を聞いた誰かが「ぷっ」と吹き出したのが一同の耳に聞こえた。もちろん、それは賢生けんせいの耳にも聞こえていた。
 息子である鳳 成治おおとり せいじは、父に代わって怒鳴りつけてやりたい気持ちを必死にえた。くやしくて涙が出そうになる。

「ほう、わしが何かおかしなことを言いましたかな?」

そう言った賢生けんせいふところから青い色紙を取り出して軽く何かの形を折り始めた。
 そして、折り終わった色紙を床に投げ捨てて、両手指で独股どっこ印を結び口で「りん」ととなえた後、順に大金剛輪こんごうりん印「びょう」、外獅子げじし印「とう」、内獅子ないじし印「しゃ」、外縛げばく印「かい」、内縛ないばく印「ぢん」、智拳ちけん印「れつ」、日輪にちりん印「ざい」、宝瓶ほうべい印「ぜん」と次々に手印を結びながらとなえ終えた後で、右手で刀印とういんを結んで四縦五横の格子状に線を空中に書いて九字くじを切った。

 するとどうだろう… 先ほど賢生けんせいが床に投げ捨てた青い折り紙が立ち上がりムクムクと大きくなり、一頭の青い狛犬こまいぬ変化へんげした。
 青い狛犬こまいぬは四つ足で立ち上がり、仔牛こうしほどの身体をなめらかに動かして「ううう…」とうなり声を上げている。そして賢生けんせいとなりに移動して主人をまもる忠実な犬の様に横にひかえた。

 この安倍賢生あべのけんせいが引き起こした術式を見た鳳 成治おおとり せいじを除いた一同全員が立ち上がり、驚きの声を上げた。

「これは、わしが陰陽術おんみょうじゅつによって打った式神しきがみです。わしら陰陽師おんみょうじにはこういう事も出来ます。
 つまり、あなた方一般の方には理解出来ない不可思議な事も起こり得るという事ですな。
 神話に出てくる神々が存在しないとする根拠など何もありませんのじゃ。我が国、日本にもかつては八百万やおよろずの神々が人間と共存共栄しておったでな。
 昔の人間は、それらの神々を理解しうやまっておった。皆が当たり前の存在として神々を認知しておったのじゃ。

 わしの長男の嫁と生まれた孫が神々の転生した姿だとして、何の不思議があろうか。日本人は現代科学にどっぷりとかり過ぎて、自分達の身近な存在であった神々が見えなくなってしまったのじゃ。
 しかし、人間の目には見えなくなっても神々はちゃんと現在でも存在しておる。他国のギリシアの神々もまたしかりじゃ。

 お分かりいただけたかな? テロリストどもに我が日本に住む女神を渡してしまってよろしいものかのう? のう、皆様方。」

 そう言って賢生けんせいは隣にひかえた青い狛犬こまいぬの頭をでてやった。狛犬こまいぬは気持ちよさそうにのどを鳴らしている。

 一同は狛犬こまいぬの出現に驚いて立ち上がり、今にも逃げ出しそうだったのだが賢生けんせいおだやかな口調の話を聞き終え、床に大人しくひざまずく青い狛犬こまいぬを見て安心して席に着いた。

鳳 成治おおとり せいじ賢生けんせいのやり方を驚きながらも感心して見つめていた。

『すごいぞ、親父のヤツ… 皆を信じさせたばかりか、自分に恭順きょうじゅんさせてしまった。一同の心を完全に把握はあくしてしまいやがった。さすがは稀代きだいの大陰陽師おんみょうじ…』

席に着いた太田首相が一つせきをしてから発言した。
「さて、皆さん… 安倍あべさんのおかげで集中して話が出来そうだ。意見のある者は挙手きょしゅをして発言して欲しい。」

 ここで松本防衛大臣から手が上がった。太田首相に指名されて立ち上がり意見を述べる。
「まず、テロリストの言っている核ミサイルが本物かどうかの確認が取れない事には、向こうの要求をむわけにはいかないでしょう。」

ここで初めて鳳 成治おおとり せいじが手を挙げて指名され、立ち上がった。
「しかし、まずは本物であると言う前提のもとで我々が動かない事には、仮にテロリストの要求をって返答をせずに本物の核ミサイルを撃ち込まれて東京が壊滅してしまったのでは、日本全体の滅亡へと繋がってしまう。
 ここにいる我々は、たとえ仮定であっても核ミサイルが本物であると言う前提の下で検討を進めるべきでしょう。」

「私もそう思う。東京都民および日本国民の命を軽々しく扱ってはならない。危険を前提とするのなら安全策を取ろうじゃないか。」

太田首相の一言に全員がうなずいた。

ここでかつら自衛隊統合幕僚ばくりょう長が挙手をして指名された。

「ヤツの言っている原子力潜水艦というのは、どうも私にはうさん臭く思えるのです。
 いかに本物のSLBMの筐体きょうたい投棄とうきされていたとは言え、公的には原子力潜水艦は国連安全保障理事国でしか所有されていないのですから。
 いちテロリスト集団風情ふぜいが所持して一つの国家を脅迫するなどというのは、どうも私には信じられません。」

この発言に対して浜田警察庁長官が手をげた。

「しかし、そう疑ってかかっていたのでは、いつまでたっても議論が前に進まない。ニケの所在が明らかなら、いっその事テロリストどもに引き渡すむねを伝えて見てはどうでしょうか?
 一人の少女と東京都民全ての命では天秤てんびんにかけようとする方がバカげている。今すぐにでも相手に通知してみては…」

「バカ者! 一人のいたいけな少女の命を、君は軽々しく見捨てると言うのか! 君にも孫の一人くらいいるのだろうが!」

 黙って聞いていた太田首相が、この発言をした浜田警察庁長官を怒鳴りつけた。この首相は人情家で定評のある総理大臣として有名である。怒鳴りつけられた浜田警察庁長官はシュンとなって腰を下ろした。

「すまん、私にも孫が三人いるものでね… その内二人が女の子なのだ。他人ごとでは無くてな… 怒鳴ったりしてすまなかった。」

そう言って太田首相は一同に対して頭を下げた。

ここで、田中官房長官が大きく手を挙げて立ち上がった。初めての発言である。
「ええっと… では、ニケを引き渡すふりをするというのはいかがでしょう?
 そうすれば奴らも原子力潜水艦をニケを受け取るために浮上させるか、そうでなくても誰かを受け取りに寄こすしかない。そうすれば、奴らも簡単に核ミサイルを発射するわけにもいかんでしょう。
なあに、本当にニケを引き渡すわけじゃない。」

 皆が一斉に田中官房長官の方を見ている。中には拍手している者までいた。それには田中官房長官の方が照れてしまい、赤い顔をして頭をきながら着席した。

「うん、いい考えだな。田中官房長官の意見を、皆でもう少し検討しようじゃないか。」

 太田首相の一声ひとこえで一同の活気が戻った。
 少しザワつき出したが、場の雰囲気は明るく前向きになったようだ。いい傾向だと鳳 成治おおとり せいじは思った。彼自身、少し希望が見えて来たように思えたのだ。
 そこで、成治せいじは自分も賢生けんせいに続いて、思い切って一同に打ち明けてみる気になって挙手をし指名された。

「皆さん、私も安倍賢生あべのけんせい氏と同じように私事わたくしごとを打ち明けようと思います。聞いていただけますか。
 私、鳳 成治おおとり せいじはそこにいる安倍賢生あべのけんせいの実の息子です。母方の姓を名乗っておりますので、父の旧姓である榊原さかきばらとも異なりますが…
 つまり、私から見てニケこと榊原さかきばらくみは実のめいに当たります。申し遅れたことをおびいたします。」

 成治せいじは一同に対して深々と頭を下げた。賢生けんせいも座ったままだが同様に頭を下げた。この急な告白に一同は驚き、ざわめいた。しかし、誰一人非難めいたことを口にする者はいなかった。成治せいじは頭を上げて話を続けた。

恐縮きょうしゅくです。それと、もう一つ… これは非常に重要な事なのですが、私にはテロリストの首謀者だと思われる男に一人心当たりがあります。」

「何っ!」

「それは本当か?」

「なぜそれを早く言わんのだ!」

「早く言いなさい、君!」

 口々に一同から声が上がった。ひと通り声が出て、また静まってから成治せいじは話し始めた。

「その男とは私の前任者である、前内閣情報調査室の特務零課とくむぜろか長だった男、北条 智ほうじょう さとるであります。」

 また大きなどよめきが起こる。中でも上司である志村しむら内閣情報調査室長の驚きは大きかった。顔が真っ赤になっている。

「これは断定では無いことを前提に申し上げています。そのつもりでお聞き下さい。
 北条 智ほうじょう さとるは在職中にニケの捕獲ほかくに異様なほどの執着を示し、『作戦ニケ』なる企画を自ら立ち上げてニケ捕獲を目指しておりました。
 もちろん、私も部下の一人としてその指示に従っておりました。しかし、途中からニケの正体が徐々に判明し始めてからは、私は北条の命令に従うのに躊躇ちゅうちょしてしまったのです。

 そして、『作戦ニケ』の進行中に安倍賢生あべの けんせいの政財界への口きでニケの捕獲ほかくに対して上層部からの圧力がかかり、『作戦ニケ』そのものが途中で頓挫とんざしてしまいました。
 これに、宮仕みやづかえの限界を感じた北条は辞職を決断し、かつて自身をヘッドハンティングしてきたアメリカの裏組織である諜報機関に身を投じる事を決意をしたようです。
 その際に私も誘われたのですが、私はこれを断り現在にいたっております。

 そして、北条はめる際に『作戦ニケ』で得たニケに関する情報を内閣情報調査室のサーバーから全て消去し、自分だけがニケの情報を持ったまま姿を消しました。
 私は後任の特務零課とくむぜろか長として北条を捕まえるべく、特務零課とくむぜろかの総力をげて彼の足跡そくせきを追いましたが、結局見つけ出すことは出来ませんでした。
 北条 智ほうじょう さとるは完全に日本から消息をってしまったのです。北条の逃げ込んだ先の組織に関しても一切不明であります。

 今回の核テロ犯行予告声明を出して来た組織である『underworld』に北条 智ほうじょう さとるからんでいる事は、ほぼ間違いないと思われます。
少し長くなりましたが、私の話は以上です。」

 鳳 成治おおとり せいじの非常に重要な一連の話を聞き終わった一同は、深いため息をついて緊張を少し解いた様に皆が座り直した。

「分かった、おおとり君。非常に重要な話をよく正直に話してくれた。君に問われる責任が無い事は私が保証しよう。
 君には今まで通りに今のポストで働いてもらう。いいね、志村しむら内閣情報調査室長。」

 名指しされた志村しむら内閣情報調査室長は慌てて立ち上がり、太田首相に対して返事をした。

「も、もちろんです… 総理。おおとり課長には従来通り働いてもらいます。私が確約いたします。」

「よろしい、皆も聞いての通りだ。それで、おおとり君に今回のテロ事件について何か考えがあるのかね?」

太田首相はおだやかな親しみを込めた口調で鳳 成治おおとり せいじじかたずねた。

「はっ、恐れ入ります…総理。では私の考えを申し上げます。私は北条 智ほうじょう さとるとは、互いに大学時代からの無二の親友と言える存在でした。
 北条の考え方も理解していますし、彼の思考パターンも読むことが出来ます。今回の『underworld』からの核テロ犯行予告声明は全て事実であると考えます。」

ここで一同のざわめきが頂点に達した。

「諸君、静かにしたまえ! おおとり君、話を続けてくれ。」太田首相が一喝し、成治せいじに先をうながした。

「はっ、ありがとうございます。
 北条 智ほうじょう さとるの性格及び考え方としては、ニケの捕獲に関しての一切の妥協は許さないでしょう。我々日本政府にも北条自身にもです。
 彼のやり方として断定できるのは核弾頭の保有についても事実だろうし、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)に核弾頭を搭載して東京に発射する事が可能である事も向こうが言ってきた以上、間違いないと見ていいでしょう。

 北条という男はいい意味でも悪い意味でも真っぐな男でして、やるといったら必ず実行します。
 こちらからの駆け引きには一切いっさい乗って来ません。偽物のニケなどの引き渡しで北条 智ほうじょう さとるだますことは不可能です。
 本物のニケを引き渡すことでしか、北条 智ほうじょう さとるを納得させることは出来ないでしょう。」

 ここで鳳 成治おおとり せいじは話をいったん切り、決意を秘めた真っぐな目で一同を見渡して言った。

「太田総理、そして皆さん、北条 智ほうじょう さとると交渉するのは私に一任してもらえないでしょうか?
私が全責任を持って北条 智ほうじょう さとる相手の交渉人ネゴシエイターを引き受けます。」
 言い終わった鳳 成治おおとり せいじは、その場に居る太田内閣総理大臣を始めとした一同の顔を静かに…しかし、真剣に見回した。





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『次回予告』
核テロリストが日本政府に対して回答を指示した午後19時…
 くみは固い決意の元、テロリストの指示した東京湾に成治せいじ賢生けんせいと共にヘリで向かう。
 いっぽう原子力潜水艦『クラーケン』が北条 智ほうじょう さとるの指図で東京湾へと無音航行で潜航した。
次回ニケ 第30話「カウントダウン… 飛び立つヘリと浮上する原子力潜水艦」
にご期待下さい。
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