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第4章(最終章)
【4-29】いつもどおり
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◆◆◆
──どさ、どさっ。
不意に寝台へ何かが乗り上げてくる気配と重さを感じ、キリエはゆるゆると覚醒した。瞼を押し上げれば、目の前には予想通りの顔がふたつ並んでいる。
「……おはようございます、イヴ、アベル」
思わず零れ落ちた微笑と共に挨拶をすると、一日の大半を無表情に過ごしている魔族の姉弟の口元にも微かな笑みがうっすら浮かんだ。
「おはよう、キリエ。そろそろ起きる時間」
「おはよう、キリエ。そろそろごはんが出来るよ」
寝台に乗り上げてキリエの顔を覗き込んできている彼らは、それぞれメイド服と燕尾服に身を包んでいる。衣服の予備が無い姉弟のために新しいものを用意しようとしたのだが、彼らは使用人が身につけている制服を欲したのだ。デザインが気に入ったというのもあるようだが、この屋敷に世話になるのだから働きたいとイヴとアベルは揃って主張した。彼らも年末に向けて各々の役割と仕事があるのだから気にしなくていいとキリエもリアムも言ったのだが、それとこれとは話が別だの何だのとごねたため、とりあえずは二人の気の済むようにさせることにしたのだった。
アベルは日中の大半を魔石製作の時間に充てているため朝晩少しだけ、対するイヴはほぼ一日中誰かしらの手伝いをして働いている。彼らと比べればだいぶ余裕のある時間と使い方と働きをしているキリエは居たたまれなかったが、姉弟は自分たちの気分転換も兼ねてやっているだけだから気にしないでほしいと言っていた。騎士たちの訓練指導のためにジョセフが屋敷を離れる時間も多くなっているため、イヴとアベルの手伝いがありがたいと使用人たちは勿論、キリエとリアムも感謝している。
そうこうしているうちに、彼らがやって来てから十日が過ぎた。朝起こしに来てくれるのが魔族の姉弟だという状況にも、キリエはすっかり慣れた。
「イヴもアベルも早起きですね。前にも言いましたが、僕ももっと早く起きて、みんなのお手伝いをしたほうがいいと思うのですが……」
「それこそ、前にも言った。あたしたちとキリエでは立場も役割も違う。王様の弟が皆に混ざって雑用をしているなんて、下で働く者たちにとっても迷惑な話だよ」
「そうだよ。ぼくたちがいても、キリエは今まで通りにしてなくちゃ駄目」
「そう、今まで通りに。……キリエだけじゃなくて、貴方もだよ。リアム」
そう言って、イヴは視線をちらりと入口のほうへ向ける。すると、いつの間にそこにいたのか、苦笑いを浮かべたリアムが入室してきた。彼は、キリエと魔族たちの接触や交流を止めはしないが、万が一にも危険が無いようにと傍や陰で見守っている。今もきっと、キリエを起こしに行く姉弟を密かに見ていたのだろう。
「おはようございます、キリエ様。……イヴ、アベル。キリエ様の寝台へ乗るのは如何なものかと何度言えば分かるんだ」
ドアの傍できっちりと一礼してから二人を嗜めるリアムを、姉弟はじっとりとした含みのある眼差しで見遣る。
「キリエはいいって言ってくれてる。問題無い」
「姉様の言う通りだよ。こうして乗ったほうがキリエの寝顔と寝起き顔をじっくりと眺められる」
「アベル。もしかして彼は、あたしたちみたいにキリエを観察できないから妬んでいるのかもしれない」
「そうだね、姉様。きっとそうだよ」
「そんなわけないだろう。君たち、真顔で冗談を言うのをやめてくれないか」
魔族の姉弟の揶揄を、騎士は溜息と共に一蹴した。イヴとアベルもそれ以上は冗談を言うつもりはないようだが、代わりに違う話題をリアムへ向ける。
「リアム。これは冗談ではなく真面目な話なんだけど、あたしとアベルの存在は無視して、いつも通りにしてあげたほうがいい」
「そうだね。キリエが可哀想。なんだか寂しそうだし」
「……えっ?」
「……何の話でしょうね」
キリエとリアムは困惑して顔を見合わせたが、イヴとアベルの緑色の瞳は二人を冷静に見つめてきた。
「リアムのキリエへの接し方は、きっといつも通りじゃないだろう。だからキリエは、リアムと言葉を交わすときに少し戸惑っている」
「みんなで集まってたときは普通だったと思うから、この家の中で、なおかつ他の客がいないときは、もうちょっと違う距離感だったんじゃないの?」
「──たとえそうだったとしても、君たちが『客』であるのには変わりないのだから、改めることはない。キリエ様の御立場上、致し方ないことだ。……それよりも、朝食を運んできてくれるんだろう? キリエ様の身支度は俺がお手伝いするから、イヴとアベルはそちらをお願いできるか?」
騎士に軽くあしらわれた姉弟は、やや納得がいかない様子ながらも、「わかった」と言われた通り素直に退室して行く。扉が閉められてから、リアムはどこかバツが悪そうな顔でキリエを見た。
「……すまないな、キリエ」
キリエが素のリアムと接するのを好んでいると分かっているからこその謝罪なのだろう。キリエは、穏やかに首を振った。
「やめてください。朝食とお茶を部屋で君と二人でいただけるように配慮してくださっただけでも、十分にありがたいと思っているのですから」
イヴとアベルは使用人の格好をしている以上はキリエと同じ食卓に着けないと言っており、リアムも本来の側近騎士の立場を考慮すれば同席できず、キリエは一人で食事をしなければならなくなってしまう。無論、給仕役は近くに控えているし、リアムも傍にいる。だが、それはいつものキリエの日常ではない。毎食それでは気が滅入ってしまうのではないかと心配したリアムが、朝食と茶菓子は自室で、という流れを作ってくれたのだ。
「年末の決戦を上手く乗り越えられれば、イヴとアベルも魔国へ帰っていくだろうし、そうなればキリエも屋敷内では自由に伸び伸びと過ごせるはずだ」
「心配してくれてありがとうございます、リアム。でも、僕は大丈夫ですよ。王都で王族の端くれとして過ごし始めてから一年が経ちましたし、この立場にもだいぶ慣れてきましたので」
そう振る舞いたいわけではないが、そうせざるをえない立場なのだと十分に理解している。キリエが笑ってみせると、リアムは安堵したように微笑んだ。
──どさ、どさっ。
不意に寝台へ何かが乗り上げてくる気配と重さを感じ、キリエはゆるゆると覚醒した。瞼を押し上げれば、目の前には予想通りの顔がふたつ並んでいる。
「……おはようございます、イヴ、アベル」
思わず零れ落ちた微笑と共に挨拶をすると、一日の大半を無表情に過ごしている魔族の姉弟の口元にも微かな笑みがうっすら浮かんだ。
「おはよう、キリエ。そろそろ起きる時間」
「おはよう、キリエ。そろそろごはんが出来るよ」
寝台に乗り上げてキリエの顔を覗き込んできている彼らは、それぞれメイド服と燕尾服に身を包んでいる。衣服の予備が無い姉弟のために新しいものを用意しようとしたのだが、彼らは使用人が身につけている制服を欲したのだ。デザインが気に入ったというのもあるようだが、この屋敷に世話になるのだから働きたいとイヴとアベルは揃って主張した。彼らも年末に向けて各々の役割と仕事があるのだから気にしなくていいとキリエもリアムも言ったのだが、それとこれとは話が別だの何だのとごねたため、とりあえずは二人の気の済むようにさせることにしたのだった。
アベルは日中の大半を魔石製作の時間に充てているため朝晩少しだけ、対するイヴはほぼ一日中誰かしらの手伝いをして働いている。彼らと比べればだいぶ余裕のある時間と使い方と働きをしているキリエは居たたまれなかったが、姉弟は自分たちの気分転換も兼ねてやっているだけだから気にしないでほしいと言っていた。騎士たちの訓練指導のためにジョセフが屋敷を離れる時間も多くなっているため、イヴとアベルの手伝いがありがたいと使用人たちは勿論、キリエとリアムも感謝している。
そうこうしているうちに、彼らがやって来てから十日が過ぎた。朝起こしに来てくれるのが魔族の姉弟だという状況にも、キリエはすっかり慣れた。
「イヴもアベルも早起きですね。前にも言いましたが、僕ももっと早く起きて、みんなのお手伝いをしたほうがいいと思うのですが……」
「それこそ、前にも言った。あたしたちとキリエでは立場も役割も違う。王様の弟が皆に混ざって雑用をしているなんて、下で働く者たちにとっても迷惑な話だよ」
「そうだよ。ぼくたちがいても、キリエは今まで通りにしてなくちゃ駄目」
「そう、今まで通りに。……キリエだけじゃなくて、貴方もだよ。リアム」
そう言って、イヴは視線をちらりと入口のほうへ向ける。すると、いつの間にそこにいたのか、苦笑いを浮かべたリアムが入室してきた。彼は、キリエと魔族たちの接触や交流を止めはしないが、万が一にも危険が無いようにと傍や陰で見守っている。今もきっと、キリエを起こしに行く姉弟を密かに見ていたのだろう。
「おはようございます、キリエ様。……イヴ、アベル。キリエ様の寝台へ乗るのは如何なものかと何度言えば分かるんだ」
ドアの傍できっちりと一礼してから二人を嗜めるリアムを、姉弟はじっとりとした含みのある眼差しで見遣る。
「キリエはいいって言ってくれてる。問題無い」
「姉様の言う通りだよ。こうして乗ったほうがキリエの寝顔と寝起き顔をじっくりと眺められる」
「アベル。もしかして彼は、あたしたちみたいにキリエを観察できないから妬んでいるのかもしれない」
「そうだね、姉様。きっとそうだよ」
「そんなわけないだろう。君たち、真顔で冗談を言うのをやめてくれないか」
魔族の姉弟の揶揄を、騎士は溜息と共に一蹴した。イヴとアベルもそれ以上は冗談を言うつもりはないようだが、代わりに違う話題をリアムへ向ける。
「リアム。これは冗談ではなく真面目な話なんだけど、あたしとアベルの存在は無視して、いつも通りにしてあげたほうがいい」
「そうだね。キリエが可哀想。なんだか寂しそうだし」
「……えっ?」
「……何の話でしょうね」
キリエとリアムは困惑して顔を見合わせたが、イヴとアベルの緑色の瞳は二人を冷静に見つめてきた。
「リアムのキリエへの接し方は、きっといつも通りじゃないだろう。だからキリエは、リアムと言葉を交わすときに少し戸惑っている」
「みんなで集まってたときは普通だったと思うから、この家の中で、なおかつ他の客がいないときは、もうちょっと違う距離感だったんじゃないの?」
「──たとえそうだったとしても、君たちが『客』であるのには変わりないのだから、改めることはない。キリエ様の御立場上、致し方ないことだ。……それよりも、朝食を運んできてくれるんだろう? キリエ様の身支度は俺がお手伝いするから、イヴとアベルはそちらをお願いできるか?」
騎士に軽くあしらわれた姉弟は、やや納得がいかない様子ながらも、「わかった」と言われた通り素直に退室して行く。扉が閉められてから、リアムはどこかバツが悪そうな顔でキリエを見た。
「……すまないな、キリエ」
キリエが素のリアムと接するのを好んでいると分かっているからこその謝罪なのだろう。キリエは、穏やかに首を振った。
「やめてください。朝食とお茶を部屋で君と二人でいただけるように配慮してくださっただけでも、十分にありがたいと思っているのですから」
イヴとアベルは使用人の格好をしている以上はキリエと同じ食卓に着けないと言っており、リアムも本来の側近騎士の立場を考慮すれば同席できず、キリエは一人で食事をしなければならなくなってしまう。無論、給仕役は近くに控えているし、リアムも傍にいる。だが、それはいつものキリエの日常ではない。毎食それでは気が滅入ってしまうのではないかと心配したリアムが、朝食と茶菓子は自室で、という流れを作ってくれたのだ。
「年末の決戦を上手く乗り越えられれば、イヴとアベルも魔国へ帰っていくだろうし、そうなればキリエも屋敷内では自由に伸び伸びと過ごせるはずだ」
「心配してくれてありがとうございます、リアム。でも、僕は大丈夫ですよ。王都で王族の端くれとして過ごし始めてから一年が経ちましたし、この立場にもだいぶ慣れてきましたので」
そう振る舞いたいわけではないが、そうせざるをえない立場なのだと十分に理解している。キリエが笑ってみせると、リアムは安堵したように微笑んだ。
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