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第3章

【3-73】風の援護

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 必死の形相で王の私室から飛び出してきた夜霧の騎士を見て、警備をしていた騎士たちは皆が驚いて本能的に後ずさりしていた。しかし、彼らを一瞥する余裕も無く、リアムは必死に階段を目指して駆け始める。

 ──一瞬だけ、微かにではあるが、あの気配を感じたのだ。王都への帰還途中にずっと視線を貼り付かせ、最終的に襲撃してきた、あの緑色の髪の魔族と思われる男。しかも、感知した方向はキリエが眠る部屋がある辺りだ。護衛に付いているレオンの実力は、リアムもよく知っている。名誉称号騎士の中では五本の指に入るであろう強さを誇る霧雨の騎士だが、そんな彼でも魔族と対峙すればリアムの二の舞になってしまうことは想像に難くない。

 懸命に脚を動かすものの、目当ての階段までが遠い。焦るリアムは舌打ちした。王城内は広すぎるのだ。いや、国を象徴する建物とも云えるものなのだから、広大であるのが必ずしも悪いというわけではないのだが、いかんせん移動に時間が掛かりすぎる。

 もっと早く、もっと速く、一瞬にしてキリエの元へ駆けつけたいというのに。リアムは足が速いほうではあるが、それでも目的地は遠い。
 ああ、もっと速く駆けられる力を授かれれば良いものを。──リアムが無意識にそう願った瞬間、急に脚が軽くなる感覚に襲われた。

「な……ッ」

 リアムが困惑する声を上げている間にも、彼の身体はそれまでの数倍の速さで廊下を駆け抜けて行く。まるで強風が吹き抜けているようで、すれ違う者たちは目を丸くして振り返るが、その時点で既にリアムの姿はほぼ見えなくなっていた。
 それこそ一瞬で階段前まで到着したリアムは戸惑うばかりだったが、呆然と立ち止まって考える余裕があるはずもなく、そのまま階段を駆け下り始める。すると、再び己の意志以上の加速が掛かり始めた。
 背を強い風で押されると同時に、足元にも風の気配を感じる。リアムの足先は階段に掛かってすらおらず、宙に浮いていた。つまり、飛んでいる。まるで、風の加護を受けたかのような──、

「風の……、加護……?」

 必死に階段を下りるリアムの胸が、ざわめいた。風に味方されている感覚といえば、瞳が紅くなっているときのキリエを思い出させる。そしてキリエは風の精霊の加護を受けており、そのキリエとリアムは命を分かち合っている状態だ。
 となると、リアムに吹き込まれたキリエの命に対し、風の精霊が反応しているとでもいうのだろうか。この現状は、そうとしか思えないものだ。

 目的の階に降り立ったリアムは、キリエがいる部屋を目掛けて駆け出す。やはり、通常の全速力を遥かに凌ぐ速度で進んだ。

「あっ……、リアムさん!」

 その部屋の付近では、騎士や医者が慌ただしく動いており、扉の前には動揺しているバーソロミューがいた。人間とは思えない速さで駆け寄ってきたリアムへ多少の驚きは抱いたのだろうが、若き新米騎士の瞳は「それどころではない」と物語っている。

「どうした、バーティ。何があったんだ? キリエ様は御無事か?」
「は、はいっ! キリエ様には何ひとつ御怪我は無く、呼吸も心拍も安定していらっしゃるとお医者様も言っておりました」

 バーソロミューに声を掛けつつも、リアムは他の者を押し退けるようにずかずかと入室し、寝台を目指す。バーソロミューは必死に追いつきながら、口早に報告した。

「まだ詳細は伝わってきておりませんが、相当な腕を持つ賊が侵入してきた模様です。レオンさんが顔半分に大きな火傷を負われました。その他、おそらく陛下直属の兵と思われる女性もその場にいたので、共に別室で診察と手当を受けておられます」
「そうか。報告ありがとう」

 確かに、室内にレオンの姿は無い。ジェイデン直下の兵と思われる女は、おそらくルーナだろう。彼女が姿を見せるということは、キリエの身に危険が迫っていたのは確かだ。
 標的だったと思われるキリエは、相変わらずの寝顔で眠っている。リアムは寝台の横に膝をつき、主君の様子をじっくりと確認した。寝息が微かなのは昏睡状態になってからずっと続いているものであるし、顔色にも異常は無い。手を取ってみても、体温に変化は無く、肌質もそのままで、脈も安定している。
 ──キリエは、無事だ。リアムは安堵の吐息を漏らした。レオンがそれほどの負傷をしたということは、この寝台の周りでそれなりに激しい攻防があったはずだ。実際、バーソロミューが整えたばかりだったはずの花瓶は床へ投げ捨てられており、花も無惨に散り散りになっている。

「……バーティは、その現場にはいなかったんだな?」

 キリエの無事を確かめて気持ちが落ち着いたリアムは、主君の手を布団の中へ戻して立ち上がりつつ、冷静に後輩騎士へと問いかけた。バーソロミューは、真剣な眼差しで頷く。

「はい。僕は一度、騎士団の詰所へ戻っていました。そして改めて、キリエ様の身を清める湯や布巾、お着替えを用意して参上したところ、大火傷を負っているレオンさんと、介抱していた女性がいたのです。侵入者の姿は、既にありませんでした」
「そうか……」
「あと、不思議な証言がいくつか挙がっています。この騒動が起きる直前と思われるとき、此処へ入室していくリアムさんの姿を見たという者が数名いるのです。この近くを歩いているのを見たという者も、何名か。……でも、リアムさんは、今駆けつけられたのですよね?」
「ああ。俺はマクシミリアンに連れられて、陛下の御部屋へ参上していた」
「そう、ですよね……。レオンさんも、居合わせた女性も、リアムさんはいなかったと仰っています。ですが、リアムさんを見たと言っている者も、嘘をついている様子は無くて。リアムさんを陥れようとしている風でもありませんし。……ただ、レオンさんたちの証言のほうが強いでしょうし、何より陛下が御一緒だったという事実が何よりも強い。リアムさんに不利な事態にはならないと思いますが……」

 腑に落ちないといった顔のバーソロミューだが、不意に何かを思い出したように、胸元から何かを取り出した。それは、ところどころに血が滲んでいるハンカチである。

「そういえば、これを賊が落としていったそうです。これに関しては王国騎士団で調査するのではなく、陛下へお見せして直接御指示をいただいたほうがいいかもしれないと、レオンさんが言っておられて、お預かりしていました」
「これは……、うん、これは確かにジェイデン様へお見せしたほうがよさそうだ」

 ハンカチを手にしたリアムの表情が、一気に険しくなる。
 ──そのハンカチには王家の紋章と、マデリンの名が刺繍されていた。
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