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第3章

【3-65】隣に

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 ◇


 ジェイデンとの話が終わり、宰相・コンラッドへ簡単に挨拶を済ませたリアムは、マクシミリアンが手配した馬車によってサリバン邸へと送られた。
 約半月ぶりに戻った我が家に異変は無く、庭先も丁寧に整えられており、優しい色合いの春の花々が咲き誇っている。帰ってきた安堵感と隣にキリエが居ない寂寥さを同時に感じながら玄関を目指すリアムの耳に、聞き慣れた大声が飛び込んできた。

「あ……、あ、あああ! リアム様! リアム様だーっ!」
「エド、うるさい」
「お目覚めになられたんすね! よかった! 本当によかったっす! おかえりなさいませ、リアム様ぁ!」
「……ただいま」

 眉を顰める主人のことなどお構いなしに、全速力で駆け寄ってきたエドワードは今にも抱きつかんばかりの勢いで騒ぎ始める。うるさいと感じつつも、半泣き状態のエドワードを叱責する気にもなれず、リアムは口を噤んだ。普段であれば容赦なく叱り飛ばすところだが、今回は彼に相当な心配を掛け、不安にさせたであろう自覚もあるため、バツが悪い。

 エドワードの喚き声を聞いたからか、屋敷の陰からエレノアが顔を覗かせる。リアムの姿を見て目を見開いた彼女は、綺麗な姿勢で一礼するやいなや屋敷内へと駆け込んで行った。おそらく、リアムの帰還を他の皆に伝えるためだろう。

「……エド、心配を掛けてすまなかった。キリエを無事に王都へ連れ帰ってくれたのは、お前なんだろう? ありがとう。不甲斐ない俺の代わりに、頑張ってくれたんだな」
「いえいえ、オレなんて、ほんと何も出来なくて……! そう、そうっすよ! キリエ様は御一緒じゃないんすか?」

 周囲をキョロキョロと見渡しながらキリエの姿を探しているエドワードの碧眼は、心細そうに揺れている。ルースから王都へ戻ったとき、瀕死のリアムに寄り添っていたキリエの虚無状態は酷いものだったと云う。王城内へ立ち入る資格を持たないエドワードが最後に見たキリエの姿がそれだったのだから、心配するのも無理はない。

「キリエは今、昏睡状態だ。連れて帰れる状況ではなかったから、とりあえず俺ひとりだけ顔を見せに来た。……とりあえず、中に入るか」
「あっ、そうっすね! 中でお休みください! みんなも喜ぶと思います!」

 キリエが気掛かりなのか、エドワードは一瞬だけ憂い顔を見せたものの、それ以上は深追いすることなく話を切り上げ、玄関へと先導し始める。エドワードがドアを開けた先には、既に他の使用人が揃って並び立っていた。

「おかえりなさいませ」

 声を揃えたジョセフ・キャサリン・セシル・エレノアの四人は同時に頭を下げる。ただいま、とリアムが返すと、それぞれ姿勢を正した彼らは、各々が複雑な表情を浮かべた。

「予定外に留守が続いてしまい、すまない。……今回は、キリエも連れて帰れなかった。明日からはまた、王城へ泊まり込みになると思う。次に戻るときには、キリエを連れて帰る」

 リアムの言葉を受け、最初に応答したのはジョセフだった。

「エドの言葉では埒が明かず、王国騎士の方々からキリエ様とリアム様が昏睡状態でいらっしゃるという伝達は受けておりましたが、私共も心配しておりました。キリエ様のことが気掛かりではございますが、ひとまずはリアム様の御無事な姿を拝見できて嬉しゅうございます。よく、お戻りくださいました」
「ああ。ジョセフも、俺が不在の間、此処を守ってくれてありがとう。キャシー、セシル、ノアも、ありがとう。……色々あったからか、何も変わらない屋敷とお前たちに迎えられて、なんだか安心した」

 リアムの表情には、気疲れが滲んでいる。何があったのかが気になるものの、サリバン邸の使用人たちはそれを追求するような真似はしない。屋敷の主であるリアムが帰還し、此処を憩いの場と感じてくれている。その事実のほうが、よほど大事だった。

「リアム様、お疲れ様でした。ジョセフさんと色々とおはなしになりたいこともおありでしょうが、まずは一休みされてはいかがでしょう? ボク、お茶を淹れますね」

 余計なことは言わずに労うセシルに同調し、キャサリンも穏やかな微笑を浮かべる。

「ちょうど、木の実とミルククリームのタルトが出来上がったところですの。リアム様が特に好まれているお菓子を作っていただなんて、御帰還を察知していたようで、運命的ですわね」
「……ああ、嬉しいよ。早速いただこうか」

 はい、と元気よく返事をしたセシルとキャサリンが、厨房へ向かって歩き出す。その姿を何とはなしに見送るリアムは、ふと、キリエがはしゃいでいる声を聞いた気がした。思わず周りを見てみるも、当然ながらキリエの姿は無い。──本当であれば、隣にいるはずであるのに、今はいない。一緒に帰宅していたのなら、彼はきっと「キャシーのお菓子とセシルのお茶、久しぶりですね。嬉しいです!」と声を弾ませていたのだろう。

「リアム様? 如何されましたか」

 リアムが纏う空気が若干変化したことを感じ取り、エレノアが静かに尋ねてくる。彼女の漆黒の瞳を見下ろしたリアムは、小さな苦笑を見せた。

「いや……。ノア、すまないが、茶菓子は全員分用意してほしいとキャシーとセシルに伝えてもらえるか?」
「全員分、と仰いますと……」
「お前たちも含めた、我が家全員だ。……キリエはいないが、な。……だからこそ、一人で茶を飲みたくない気分なんだ。皆と一緒に味わいたい」
「御意。すぐに申し伝えてまいります」

 エレノアは驚いた様子も見せず、淡々と応じて立ち去ってゆく。踏み込んでこないのが彼女なりの気遣いと優しさだと知っているリアムは、胸の内で感謝した。

「リアム様、大丈夫っすか? やっぱり、キリエ様がいらっしゃらないの、寂しいっすよね」

 逆に、相手の心情に寄り添って距離を詰めてくるのが、エドワードの思いやりだ。それを分かっているリアムは、素直に頷く。

「そうだな。……つい半年ほど前までは、隣に誰もいないのが当たり前だったというのに。今では横にあの銀色の髪が見えないのが、不自然に思える」
「あー、それめっっっちゃ分かります! なんか、リアム様の御隣にキリエ様がいらっしゃるのが普通って感じになっているので、眺めている側からしても、すっごく寂しいんすよ。オレ、めっちゃ寂しいっす!」

 自身の感情を飾らず隠さず素直に吐き出せるエドワードの姿に癒され、リアムの肩から余計な力が抜けていく。主の表情が自然と落ち着きを取り戻してゆくのを見守りながら、ジョセフは微笑み、そっと一人で頷くのだった。
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