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第3章

【3-43】鮮少の可能性

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「……ただし、決して命を落とさぬように。魔族が攻め入ってきた場合、無理をするでない。──リアムよ、くれぐれも頼んだぞ。我らは、そなたごとキリエを受け入れよう。もしもの場合には、迷わず我らを頼るのだ」

 ソスピタの言葉が、和んでいた空気を再び引き締める。しかし、それは決して悪いことではない。楽観視できない未来がある以上、必要な話だ。
 リアムはプシュケを真摯に見つめ返し、しっかりと頷く。

「お約束します。キリエに危険が迫り、俺では守りきれないと判断した際には、迷わず貴殿を頼りましょう」
「あの、リアム、僕は他の皆を残して逃げたりなど……、おじいさまたちを頼るのは、あくまでも自分の役目を終えてからにしたいと思っていて、」
「断る」

 遠慮がちにではあるが自身の意見をはっきりと口にしたキリエの言葉を、リアムはあえてばっさりと切り捨てた。

「確かに、俺はお前の意志を尊重したいと思っている。その心に嘘は無い。だが、お前の命が危うい場合は話が別だ。役目を終わらせる前に命を終わらせるようなことがあってはならない」
「でも……、君は夜霧の騎士の名誉称号を持つ王国騎士でしょう? リアムだって、僕よりも国を優先するべきなのでは?」
「俺はお前の側近だ。確かに王国騎士ではあるが、側近として仕えている主君の命が最優先なのは当然だ。それに、現国王陛下からも、くれぐれもキリエをよろしく頼むと言われている。俺の選択は間違っていないはずだ」
「そう、なのでしょうか……?」

 ここばかりは折れる気が無いといった風のリアムと、納得ができないキリエ。二人の会話を聞いていたプシュケが、合間に言葉を挟み込んでくる。

「キリエが人間に肩入れしたがる気持ちを否定はせぬが、無駄に命を落とす真似は見過ごせない。……魔族との戦争が現実のものとなったとき、そなた一人が命を張ったところで全ての人間を守れるわけではない。安全が保障されている場があるのなら、己だけでもそこへ逃げるべきだ。その選択をしたとしても、何ら恥じる必要は無い」
「全ての人は無理だとしても、せめて近しい人々だけでも……」
「その考えは甘い。大体、そなたの『近しい人々』の範囲はいかほどだ? きっと、その細い両腕には抱えきれぬほどだろう。抱えきれない部分を切り捨てる必要があったとしても、キリエはおそらく誰を見捨てるのか選び取ることが出来まい。──ならば、おとなしくリアムに引きずられて我らの元へ来るのだ。そなたたち二人程度なら十分に匿える。それ以上の人間は無理だ。諦めよ。魔族の魔術は、この地の人間たちを滅ぼすことなど容易いのだ」

 プシュケの言葉を咎めることなく、ソスピタも静かに頷いた。──つまり、この祖父母は孫が人間たちを守るべく奮闘しようとするのを止めはしないが、それは叶わぬ無謀な目的だと思っているのだ。いずれは孫が自分たちの元へ逃げてくることを確信している。
 先程、キリエが自ら「いずれは頼って共に暮らしてもいいか」と尋ねたとき、祖父母は歓迎してくれていたが、それもそう遠くはない未来にそうなるであろうと予想しての反応だったのかもしれない。本人にその気が無くとも、いざとなれば何らかの方法でキリエだけでも匿おうという算段があったとも考えられる。

 祖父母と気持ちが通じ合えたと思って喜んでいたキリエの表情が、段々と曇ってゆく。その変化に気付いたプシュケは、首を振りながら長い吐息を漏らした。

「命を散らすことは許さぬが、それまではキリエの好きにしたらいい。その気になったときに、我らの元へ来たらいい。それは本心だ。人間の国を守るために奔走するというのなら、限界まで頑張ってみなさい」
「……でも、おじいさまは、それは無理だと思っているのでしょう? 大切な人たちを守るには、僕は無力なのだと」
「様々な意味でそなたが非力なのは事実だ。だが、絶対に無理だとまでは思っておらぬ。確率は低いだろうが。……千年前のことなど、魔族はもう気にしていない可能性もある。仮に覚えていたとして、その約束を果たさんとしていると知らせを送ってきたら、我らは人間の滅亡など望んではおらぬという返答をするつもりでもある」
「……えっ?」

 プシュケの発言を受け、キリエは思わず驚きの声を上げる。隣のリアムも、驚愕を表情に出していた。
 妖精人エルフの長老は二人から視線を外しつつ、続きを語る。

「千年前の咎を、今を生きる人の子らに押しつけるのは如何なものかと私は思っている。それに賛同してくれる同胞も多い。実際に千年前の悪夢を経験して激しい憎悪を抱いていた者は、もう殆どいない。だからといって我らが人間を好んでいるわけでもないから、守ってやりたい、再び交流したいとは露ほども思っておらぬが。しかし、罪なき人々の死を望んでいるわけではない」
「では、魔族の方にそれを話してくださると……?」
「我らの意向は伝える。だが、交渉や干渉はしない。魔族にも魔族の言い分や積年の思いがあるだろう。それに水を差すなど、我らは出来ぬ」

 妖精人たちが納得しているのならそれでいいと魔族が納得し、攻め入るのを取りやめてくれるのであれば、争いは回避できる。だが、それでは魔族の気が済まないとなれば、大規模な戦争が起きるだろう。魔族は千年前のことなど蒸し返す気が無いという場合も考えられるが、その可能性は限りなく低い。──現状をまとめてみると、なかなかに危うい状況だと云える。
 しかし、妖精人が積極的にウィスタリア中大陸の人間たちを滅ぼしたいと考えているわけではない、という言葉をもらえただけでも、救いがあるのだ。そう考えて、キリエは祖父へ一礼した。

「おじいさま、様々な御配慮をありがとうございます。現国王へ話して、一緒に対策を考えてみます」
「……まぁ、せいぜい足掻いてみるがいい」

 プシュケの愛想のない言葉の後、しばし沈黙が訪れる。それを打ち破ったのは、それまで黙って流れを見守っていたソスピタだった。

「難しいおはなしは終わったかしらぁ? ねーぇ、キリエ。そろそろ、あなたのお母さんについて話さない?」
「……そうですね。おばあさま、ぜひ聞かせてください」

 あえて明るい声音で話題を変えてきた祖母の心遣いを素直に受け取り、キリエも微笑んで頷いた。
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