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第3章

【3-1】本物の我儘

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 ──春の第一月第三週、七日目。深夜。
 キリエは自室の寝台に腰かけ、なかなか眠気が訪れないことに悶々としていた。

 眠れない理由は明日の予定──つまり登城しなければならないのが大きいのだろうが、それだけではなく、付随して様々なことを考え込んでしまった結果、目が冴えてしまったのだ。
 キリエの状態をリアムが見逃すはずもなく、彼は寝つきが良くなるようにと温かい飲み物を作りに行ってくれている。

 ──気になる問題は、多々あった。
 ジェイデンが新国王として即位するにあたり、結局は国民による投票が行われなかったことも不安要素のひとつではある。
 マデリンとライアンが次期国王候補から外れてしまった時点で、ジェイデンの即位が確定してしまったため、無駄に経費と時間を掛ける必要はないからと選抜投票は省いたのだ。
 というのも、ジャスミンは自分への投票は全てキリエへ譲渡すると明言していたし、そのキリエもまた王位が廻ってきたとしてもジェイデンへ譲ると宣言済だったため、国民からの投票が全くの無意味になってしまったからである。

 ジェイデンは即位時の挨拶でも国民に寄り添う姿勢を示し、不正徴収などの問題点に関して誠意をもって謝罪もしている。キリエは公務で赴いた先などにジェイデンの即位で一般国民に不利益が無い旨を説明した文書を出しているし、ジャスミンも同じようにしているだろう。
 しかし、主にマデリンやライアンの後ろ盾となっていた上級貴族に関しては、まだあまり統制が取れていないのだ。不正徴収への厳罰等で、複雑な思いや不満を抱いている貴族もいるだろう。
 ジェイデンは策を練っているから大丈夫だと言っていたが、それでもキリエが不安を感じてしまうのは致し方ない。

 ──不安要素は、それだけではない。
 いまだに王城地下牢に捕らわれているライアンは、ジェイデンからのどんな尋問にも口を割ろうとはせず、看守兼世話役として付いているブルーノが強制しなければ食事をとろうともしない状態らしい。
 そんな彼が本日になってようやく発した数少ない言葉が、「妖精人エルフは実在する」「国王の書庫に何か手掛かりがあるかもしれない」である。
 このライアンの発言を受け、話し合っておきたいことがあるとジェイデンからの呼び出しを受けたのだ。その知らせを受けてからずっと、キリエはそわそわしている。

 キリエは覚えていないのだが、ライアンに連れ去られ攻防した一件でも、彼は「まさか本当に妖精人がいるとは」という内容を口走っていたらしい。
 つまり、キリエを妖精人と見做していると明言したようなものだ。
 銀髪、そして銀眼。それが妖精人だけがもつ特徴といわれているのはただの迷信だと思っていたのだが、いや、思いたかったのだが、違うのだろうか。

 膝に置いていた両手を握り俯いたところで、静かなノックが響いた。ハッと顔を上げると、ゴブレットを二つ載せたトレーを持ったリアムが入室してくる。穏やかな表情で近寄って来た彼は、「隣に座るぞ」と一言断ってからキリエの横へ腰を下ろした。

「どうだ、まだ眠れそうにないか? ほら、温めたミルクだ。蜂蜜も少し混ぜてみたぞ」
「ありがとうございます。……我儘を言ってしまって、すみません」

 温かいゴブレットを受け取りながらキリエが軽く頭を下げると、リアムは驚いたように目を瞬かせる。

「謝らなくていい。……というか、我儘を言われた覚えは無いんだが?」
「……あったかいミルクが飲みたい、と」
「それは俺が何を飲みたいか尋ねたから、そう答えただけだろう? いや、キリエが自発的に欲しがったとしても、それは我儘にはならない」
「でも……、王都に来てからというもの、僕は段々と贅沢に慣れてしまっているような気がしていて。……罪深い、と」

 眉尻を下げているキリエは、気落ちしきっていた。そんな主君の横顔をじっと見つめたリアムは、銀色の丸々とした頭を優しく撫でる。

「キリエは元々が控えめすぎるんだ。今のキリエが罪深いほどの贅沢者だというのなら、この世の大体の人間は罪深い存在になってしまうな。一般国民の多くは、キリエが好んでいるミルクやショコラを贅沢品とは捉えていない。ましてや、お前は王兄殿下だ。もっと高級なものを所望したって、誰も文句は言わないくらいだ」
「……僕、贅沢はしたくありません」
「ああ、そうだな。だから、ぜんぜん贅沢ではないから安心しろという話だ。それに、キリエが言う我儘はちっとも我儘じゃない。いつか、本物の我儘で俺を困らせてくれ」

 その言葉を聞き、キリエは小さく笑った。

「ふふっ。本物の我儘って、何ですか?」
「まさかそんなことを望むだなんて参ったな、とこちらが悩んでしまうような、そういう我儘だ。キリエはあまりにも欲が無さすぎて、逆に心配になる。たまには我儘で振り回してくれたほうが、こちらとしても安心できるんだが」
「リアム、その言い方はなんだかちょっと変な気がしますよ」
「そうか?」
「そうです。……いただきます」

 せっかく用意してもらったのだから、冷めないうちにいただこう。そう考えたキリエがゴブレットに口をつけると、ふんわりと甘い香りを感じた。優しい甘みと温かさをちまちまと飲み下すと、リアムも自身の分に口をつけながらキリエの頭を再び撫でてくる。

「ん、……美味しいです」
「それはよかった。……キリエ、明日のことなら心配いらない。誰もお前を傷つけようとは思っていないだろうし、仮にそういった動きがあるとするならば、俺はジェイデン様が相手だったとしても許さない」
「リアム……」
「大丈夫だ。知っておくべきことを知ろうとなさっているだけのはずだ。……何があっても、キリエはキリエだから」

 キリエの胸中にある不安を正確に把握しているからこその言葉だろう。キリエは小さく頷き、ありがとうございますと微笑んだ。

 ──その晩、リアムはキリエが寝付くまで傍にいた。
 穏やかとは言いがたい寝顔を見下ろす藍紫の瞳には、何があろうと主君に付き従い守り抜くという覚悟が改めて滲んでいるのだった。
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