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第2章
【2-97】兄のような人
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「キリエ、恋をしたことがないの?」
「はい」
「王都に来る前も? 好きだなぁって思う人、いなかった?」
ジャスミンは強く興味を示し、ますます身を寄せるようにしてキリエの顔を覗き込んでくる。彼女の柔らかな感触や体温を間近に感じてたじろぎながらも、キリエは素直に頷いた。
「今も昔も好きな人は沢山いますが……、たぶん恋ってそういう『好き』じゃないと思うのです」
「そう……、特別に仲良しな女の子とかいなかったの?」
「他の子たちよりも仲のいい女の子はいましたよ。でも、同じ教会で育った子ですし、なんというか……妹みたいに感じていました」
エステルとの思い出をいくつか脳裏に描き、キリエは優しく微笑む。それは家族の記憶を懐かしんでいる表情であり、恋慕は欠片も無い。
「すごく勝ち気で、元気いっぱいで、でも花や星を見るのが大好きで女の子らしい部分もあって、とても可愛い子でした」
「ふふっ。確かに、今のキリエ、妹を思い出しているお兄ちゃんみたいな顔をしているわ」
「そうですか?」
「うん。──お兄ちゃん、かぁ」
可愛らしい笑顔で頷いたジャスミンだが、次の瞬間には表情を曇らせる。
「わたしも、よく分からないの。ばあやは、わたしがライアンに向けている気持ちは恋じゃないって言って怒ったわ。兄弟でそんな気持ちをもつなんて罪深いし汚らわしい、あってはならないこと、って」
ウィスタリアの民が信仰している唯一神は、家族・親族間での恋愛を禁じていた。ウィスタリア王国は神への信仰を国民に強いているという背景もあり、王族は特に信心深くあらねばならないとされている。ジャスミンがライアンへ恋心を向けることは本来許されないことであり、咎められるのも無理はない。
「でもね、わたし……、ライアンだけじゃなくて他のみんなに対してもそうなんだけど、兄弟や家族っていう意識があまり強くないの。だって、兄弟といっても、半分だけじゃない。それに、同じお母様のお腹にいたわけでもない。小さい頃から一緒に住んでいたり交流が盛んだったわけでもない。兄弟として頻繁に顔を合わせるようになったのも、お父様が亡くなってからだもの」
確かに、十八年の間ほとんど顔を合わせたことがない異母兄弟であれば、「兄弟」という意識が薄くても仕方がないのかもしれない。ましてや、父親である先代国王も子どもたちに関心を持っていないようだったと思われるので、尚更である。
「だけど、矛盾するようだけど、ライアンに対しては兄を慕うような気持ちもあるわ。……だから、自分でも分からなくなってきてしまったの。ライアンがどうしてあんなことをしてきたのか、わたしはどうしてそれを赦せてしまうのか、恋なのか、兄を慕っている感覚なのか、分からないの」
「ジャスミン……」
彼女が持て余している感情に、キリエが名前をつけることは出来ない。ジャスミンがライアンへ向けている気持ちはただの兄妹愛ではないような気もするが、だからといって恋心だと断定もできない。キリエに恋愛経験があればまた違ったのかもしれないが、生憎そういった体験はまだ無いのだ。
「あの……、ジャスミンはどうして、ライアンを兄のように思っているのですか? 顔を合わせる機会はあまり無かったのですよね?」
「そうね、ここ十年くらいは年に一、二回くらい公式行事で顔を合わせるだけだったわ。でもね、五歳から七歳くらいまでの期間、ライアンはよくわたしの家に来てくれていたの。よくと云っても、ひとつの季節に二、三回くらいだけどね。彼のお母様には内緒で、こっそり」
「そうだったのですね……、何故ライアンはジャスミンのところへ? 他の兄弟のところにも行っていたのですか?」
「ううん、わたしだけ。……わたしが三歳の頃、お母様がアルス市国へ帰ってしまったわ。年に二度、様子を見に来てくれるのだけど、それだけじゃ足りなかった。わたし、いつも寂しくて……、公式行事のときに王城へ行く度に、お父様に甘えたがったの。でも、お父様は……、わたしが抱きつけば抱きしめてくださったし、頭も撫でてくださったけど、いつも心ここにあらずだった。わたしのことなんて、見ていらっしゃらなかった。……ますます、寂しくなってしまったの」
幼いジャスミンが感じていた孤独を思い、キリエは胸を痛める。実の父が傍にいて触れてくれても、心が触れ合う感覚が無い。それは、どれだけ切ない淋しさだっただろうか。
「そんなわたしを見かねて、ライアンが絵本とお菓子を持って遊びに来てくれるようになったわ。たどたどしく読み聞かせをしてくれて、一緒におやつを食べて、同じ年齢だけど本当にお兄ちゃんみたいだった。ライアンのお母様に見つかってからは、もう来てくれなくなったんだけどね、……それでも、あのときのライアンには感謝しているの。わたしの心の支えだったのは確かよ」
「素敵な思い出ですね」
「うん。……今日の討論会で、ライアンの意見はとても冷たいものに感じたと思うけど、ちゃんと優しい部分もある人なのよ」
しんみりと呟いたジャスミンだが、不意に立ち上がり、にっこりと笑って見せる。
「長居しないなんて言っていたのに、色々とおはなししてしまって、ごめんね。そろそろ、行くわ」
「えっ、はい、……あの、結局、僕は何のお役にも立てなくて、すみません」
「そんなことないわ。キリエに話を聞いてもらって、とても心が落ち着いたの。ありがとう、キリエ」
「いえ、そんな……、またおはなししましょうね」
「ええ。今度は、キリエのことを色々と聞かせてね。では、ごきげんよう」
ドレスの裾を少し持ち上げて可憐な挨拶をした姫君は、そのままダリオを伴って退室しようとしたところで、ふとリアムを見上げた。
「前から思っていたのだけど、リアムの髪って珍しい色ね。黒に近い灰色……、ううん、少し青というか紺が混ざった色かしら? 夜霧に例えられるのも納得の色合いだわ」
ジャスミンからの言葉に、リアムは穏やかに答える。
「私の母は黒髪で、私の父は暗めの青髪でした。この髪は、両親の色合いが混ざり合ったものでしょう。ウィスタリア王国民に青系統の髪色の者は殆どおりませんので、確かに珍しいかもしれません。もしかしたら、父の祖先はアルス市国に縁があるのかもしれませんね」
「そうね、あなたの瞳も紫色だし、わたしたちの祖先を辿っていくと親戚かもしれないわ」
「いえいえ、それは畏れ多いことです」
和やかな会話を交わす二人の傍で、ダリオも微笑んでいる。すっかり緊張感が解けた平和な光景を眺め、キリエも柔らかく笑うのだった。
「はい」
「王都に来る前も? 好きだなぁって思う人、いなかった?」
ジャスミンは強く興味を示し、ますます身を寄せるようにしてキリエの顔を覗き込んでくる。彼女の柔らかな感触や体温を間近に感じてたじろぎながらも、キリエは素直に頷いた。
「今も昔も好きな人は沢山いますが……、たぶん恋ってそういう『好き』じゃないと思うのです」
「そう……、特別に仲良しな女の子とかいなかったの?」
「他の子たちよりも仲のいい女の子はいましたよ。でも、同じ教会で育った子ですし、なんというか……妹みたいに感じていました」
エステルとの思い出をいくつか脳裏に描き、キリエは優しく微笑む。それは家族の記憶を懐かしんでいる表情であり、恋慕は欠片も無い。
「すごく勝ち気で、元気いっぱいで、でも花や星を見るのが大好きで女の子らしい部分もあって、とても可愛い子でした」
「ふふっ。確かに、今のキリエ、妹を思い出しているお兄ちゃんみたいな顔をしているわ」
「そうですか?」
「うん。──お兄ちゃん、かぁ」
可愛らしい笑顔で頷いたジャスミンだが、次の瞬間には表情を曇らせる。
「わたしも、よく分からないの。ばあやは、わたしがライアンに向けている気持ちは恋じゃないって言って怒ったわ。兄弟でそんな気持ちをもつなんて罪深いし汚らわしい、あってはならないこと、って」
ウィスタリアの民が信仰している唯一神は、家族・親族間での恋愛を禁じていた。ウィスタリア王国は神への信仰を国民に強いているという背景もあり、王族は特に信心深くあらねばならないとされている。ジャスミンがライアンへ恋心を向けることは本来許されないことであり、咎められるのも無理はない。
「でもね、わたし……、ライアンだけじゃなくて他のみんなに対してもそうなんだけど、兄弟や家族っていう意識があまり強くないの。だって、兄弟といっても、半分だけじゃない。それに、同じお母様のお腹にいたわけでもない。小さい頃から一緒に住んでいたり交流が盛んだったわけでもない。兄弟として頻繁に顔を合わせるようになったのも、お父様が亡くなってからだもの」
確かに、十八年の間ほとんど顔を合わせたことがない異母兄弟であれば、「兄弟」という意識が薄くても仕方がないのかもしれない。ましてや、父親である先代国王も子どもたちに関心を持っていないようだったと思われるので、尚更である。
「だけど、矛盾するようだけど、ライアンに対しては兄を慕うような気持ちもあるわ。……だから、自分でも分からなくなってきてしまったの。ライアンがどうしてあんなことをしてきたのか、わたしはどうしてそれを赦せてしまうのか、恋なのか、兄を慕っている感覚なのか、分からないの」
「ジャスミン……」
彼女が持て余している感情に、キリエが名前をつけることは出来ない。ジャスミンがライアンへ向けている気持ちはただの兄妹愛ではないような気もするが、だからといって恋心だと断定もできない。キリエに恋愛経験があればまた違ったのかもしれないが、生憎そういった体験はまだ無いのだ。
「あの……、ジャスミンはどうして、ライアンを兄のように思っているのですか? 顔を合わせる機会はあまり無かったのですよね?」
「そうね、ここ十年くらいは年に一、二回くらい公式行事で顔を合わせるだけだったわ。でもね、五歳から七歳くらいまでの期間、ライアンはよくわたしの家に来てくれていたの。よくと云っても、ひとつの季節に二、三回くらいだけどね。彼のお母様には内緒で、こっそり」
「そうだったのですね……、何故ライアンはジャスミンのところへ? 他の兄弟のところにも行っていたのですか?」
「ううん、わたしだけ。……わたしが三歳の頃、お母様がアルス市国へ帰ってしまったわ。年に二度、様子を見に来てくれるのだけど、それだけじゃ足りなかった。わたし、いつも寂しくて……、公式行事のときに王城へ行く度に、お父様に甘えたがったの。でも、お父様は……、わたしが抱きつけば抱きしめてくださったし、頭も撫でてくださったけど、いつも心ここにあらずだった。わたしのことなんて、見ていらっしゃらなかった。……ますます、寂しくなってしまったの」
幼いジャスミンが感じていた孤独を思い、キリエは胸を痛める。実の父が傍にいて触れてくれても、心が触れ合う感覚が無い。それは、どれだけ切ない淋しさだっただろうか。
「そんなわたしを見かねて、ライアンが絵本とお菓子を持って遊びに来てくれるようになったわ。たどたどしく読み聞かせをしてくれて、一緒におやつを食べて、同じ年齢だけど本当にお兄ちゃんみたいだった。ライアンのお母様に見つかってからは、もう来てくれなくなったんだけどね、……それでも、あのときのライアンには感謝しているの。わたしの心の支えだったのは確かよ」
「素敵な思い出ですね」
「うん。……今日の討論会で、ライアンの意見はとても冷たいものに感じたと思うけど、ちゃんと優しい部分もある人なのよ」
しんみりと呟いたジャスミンだが、不意に立ち上がり、にっこりと笑って見せる。
「長居しないなんて言っていたのに、色々とおはなししてしまって、ごめんね。そろそろ、行くわ」
「えっ、はい、……あの、結局、僕は何のお役にも立てなくて、すみません」
「そんなことないわ。キリエに話を聞いてもらって、とても心が落ち着いたの。ありがとう、キリエ」
「いえ、そんな……、またおはなししましょうね」
「ええ。今度は、キリエのことを色々と聞かせてね。では、ごきげんよう」
ドレスの裾を少し持ち上げて可憐な挨拶をした姫君は、そのままダリオを伴って退室しようとしたところで、ふとリアムを見上げた。
「前から思っていたのだけど、リアムの髪って珍しい色ね。黒に近い灰色……、ううん、少し青というか紺が混ざった色かしら? 夜霧に例えられるのも納得の色合いだわ」
ジャスミンからの言葉に、リアムは穏やかに答える。
「私の母は黒髪で、私の父は暗めの青髪でした。この髪は、両親の色合いが混ざり合ったものでしょう。ウィスタリア王国民に青系統の髪色の者は殆どおりませんので、確かに珍しいかもしれません。もしかしたら、父の祖先はアルス市国に縁があるのかもしれませんね」
「そうね、あなたの瞳も紫色だし、わたしたちの祖先を辿っていくと親戚かもしれないわ」
「いえいえ、それは畏れ多いことです」
和やかな会話を交わす二人の傍で、ダリオも微笑んでいる。すっかり緊張感が解けた平和な光景を眺め、キリエも柔らかく笑うのだった。
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