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第2章

【2-93】空の高さは計り知れない

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「はじめに、僕が考えている今後の国政を簡単に話しておこうか。まず、貧困層の生活水準の向上を目指し、国の先細りを防ぎたい。特に、子どもが育たず飢え死にしてしまう事態は、非常によろしくないな。ライアンは国民の数を減らすべきだと主張していたが、僕は逆に増やすことを意識したほうがよいと思う。……まぁ、その点に関しての詳細は一度、置いておこう」

 ジェイデンの語り口は普段の彼と全く変わらないが、だからこそ堂々とした態度に見える。ライアンとは違った方向性ではあるが、十分に渡り合えるだけの権威と知性を感じさせた。

「そして、隣国であるアルス市国とモンス山岳国との国交を正常化させたい。五十年かけて築いた国境の高壁で百年もの間、互いに干渉しないようにしていたようだが、正直に言って狂っているのだよ。馬鹿か。そんな壁、取っ払ってしまえばいい」

 その言葉に、有力貴族たちが大きくざわめきだす。コンラッドが「静粛に!」と声を荒げるまで、人々の混乱している声は響き渡っていた。
 流石のライアンでも驚いたのか、眼鏡の奥の瞳が丸くなっている。ジャスミンは、わくわくとした顔で楽しそうに成り行きを見守っていた。

「幸いなことに、我らが兄弟にはジャスミンがいる。アルス市国との橋渡しに一役買ってくれるのではないかと、僕は勝手に期待しているのだよ。……僕は、戦争がしたいわけではない。むしろ、逆だ。仲良く異文化交流がしたい。──諸君は、なぜ百五十年前に戦争が起きたか、きちんと分かっているか?」

 ここでジェイデンは、口調を少々改め、声音を硬くする。その雰囲気の差に惹きつけられ、皆はますますジェイデンの話に集中し始めた。

「アルスの民も、モンスの民も、そもそもの要求は些細なものだった。当時も今もウィスタリア王国は唯一神を信仰しているが、彼らの祖先はそうではなかった。アルスは神の御業ではなく現実的な技術の発展を、モンスは神の存在ではなく大自然の持つ底力を信じたかった。それだけなのだよ。だから彼らは、彼らが小国を築くだけの土地を獲得したらそれ以上の攻撃はせず、百五十年にも渡ってこの国へ不干渉のままなのだ。そして、隣の小国たちに取られた土地を差し引いてもそれなりに広大な国土を誇るウィスタリア王国もまた、彼らへ関わろうとはしなかった」

 ジェイデンは冴え冴えとした金色の瞳で周りを見渡し、更に自論を展開してゆく。

「現在のウィスタリア王国は、非常に視野が狭い。もっと様々な思考が存在していいはずだし、そうでなければ文化は発展せず、文明は発達しない。隣国との国交によって、互いに得られるものは多いはずだ。──もう一度まとめておくと、僕は今後の国政で当面の目標として、貧困層の生活水準の向上と隣国との国交を持つことを挙げたいと思っている。さて、ここでライアンへの反論に移ろうか」

 ジェイデンの声音は、再び明るくなった。聴衆はすっかり、彼の話に聞き入っている。

「まぁ、ライアンは色々と言っていたが……、まず、国が保有する資源について。確かに、限りはあるだろうな。無限に湧き出る資源など、おとぎ話に出てくるだけだ。だが、ライアンは現状の資源を限界だとしていた。これが間違いなのだよ」
「何が間違っている?」

 ライアンは見るからに不機嫌だが、ジェイデンの話をきちんと聞くつもりではあるようだ。ジェイデンは愉快そうにライアンを見つめ返し、あっけらかんと言ってのける。

「だから、現状の資源が限度に達しているというところだ。国交によって交易が始まれば資源の行き来もあるだろうし、何かしらの技術が発展してゆけば新たな資源を生み出していける可能性がある」

 ジェイデンは詳細をぼかしているが、おそらく彼は、アルス市国が持つ技術から新資源を生み出せる可能性を見出していると思われた。少なくとも、キリエはそう感じている。ジャスミンから聞いた話を基にしてジェイデンなりに思い描いた外交の形があるのだろう、というのは、キリエとリアムの共通見解だ。

「全部、ただの予想でしかないではないか。机上の空論だ」
「その言葉、そっくりそのままお返しするのだよ。僕たちには未来を見る能力があるわけではない。何が起こるのかを正確に知っている者など、それこそ神以外にはいないんじゃないか?」

 ライアンからの反撃にも、ジェイデンはいっさい動じない。キリエは改めて、彼が味方でいてくれることを心強く感じた。

「新しい資源を生み出せたとしても、ウィスタリア中大陸の土地の大きさに限りがあるのは事実だろう。民が増えれば、土地が足りなくなる。まさか、海を越えて大陸侵略でも画策するつもりか?」
「あははっ! それはそれで楽しそうなのだよ」
「……っ、ジェイデン!」
「冗談だ。……そうだなぁ、土地の広さに限界を感じたとしても、空の高さにはまだ余裕があるのではないかな? なぁ、キリエ」
「え……、ぼ、僕が、何か?」

 唐突に話を振られ、キリエは驚き肩を跳ねさせる。ジェイデンは狼狽えている兄弟を安心させるような眼差しで見つめ、柔らかな口調で問いかけてきた。

「もしキリエが一般国民だったとして、普通の生活をするためにどれだけの広さの家が欲しいと思う?」
「えっ……、すみません、僕は今までずっと孤児でしたし、逆に現在は手厚く保護していただいているので、普通の生活の実感があまり無いのですが……」
「では、質問を変えよう。街で一般的な家は見たことあるだろう? もしも君が一般国民だったとして、あの大きさの家屋は必須か?」
「うーん……、たぶん、そんなに大きな家でなくてもいいと思います。あ、でも、家族の人数にもよるかもしれません。僕ひとりでしたら、それこそ宿屋さんの一室みたいな場所で一生暮らしていけそうですし。でも、逆に大家族だったら大きな家は必要だと思います。……あくまでも僕の個人的な想像にすぎませんけれども」

 しどろもどろの答えだったが、ジェイデンは満足そうに何度も頷く。そして彼は、片手を高く上げて天を指した。

「そう、全ての国民が必ずしも庭付きの広い家を持つ必要は無いのだよ。例えば、階層を高く積み上げた宿屋のような形で、独り身もしくは少人数家族が暮らしていける小さな家を集めた建物を作ったっていいだろう。土地が無いなら無いなりに、工夫を凝らせば乗り越えられるはずだ。そもそも、我々人間というものは、数多の不自由を上手くやり過ごして進化を遂げてきたのだよ。これから先も、そうして成長を重ねていくべきだ」

 ジャスミンは何か言いたげにしていたが、少し考えた末にやめる。彼女の表情から察するに異を唱えたいわけではなさそうだったので、もしかしたらアルス市国では既にそういった居住文化がある、もしくは似たような発展を遂げているというようなことを言いたかったのかもしれない。だが、アルス市国に関しての情報を表立って把握しても良いのは、現状ジャスミンと彼女の母だけということに一応はなっている。そのため、この場では口を噤んだのだろう。

「さて。そろそろ、一番伝えたい本題に入ろうか。──先程、ライアンの論述に対して深く頷いていた諸君。切り捨てられる国民が貴殿らではないなどと、どこの誰が言ったのだ?」

 金髪の王子は、瞳を爛々と輝かせてニタリと笑った。
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