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第2章
【2-78】追いつめる冷笑
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「ぁ……、ワタシ……、ワタクシは……」
畏怖のあまり、マデリンの声は上擦って震え、歯がカチカチと鳴っている。そんな彼女を見るリアムの視線は冷えきっており、彼はゆっくりとそちらへ近づきつつ腰に下げている鞘から剣を引き抜いた。
「ジョセフ。キリエ様の目を覆って差し上げろ。その御方の瞳に凄惨な光景を映したくない」
「……かしこまりました」
ジョセフは静かに答え、窓枠の端に残っている硝子を蹴り落としてから応接室へ足を踏み入れる。そのままキリエの元へ歩み寄った執事は屈み込み、震えている王子を抱き寄せて目元を手のひらで覆ってきた。
「ジョセフ? 一体、何を、」
「キリエ様、私が御目を塞いでおりますので、御耳を塞いでくださいますか」
「なぜ? リアムは、……リアムは、マデリンに何をしようと?」
キリエの問いには答えず、ジョセフは沈痛な面持ちで唇を引き結んだ。
「……っ、マデリン様!」
恐怖で氷漬けになっていたかのように硬直していたランドルフが、ふと我に返り己の主の元へ駆けつけようとする。──しかし、彼が足を動かそうとした瞬間、その喉元には剣が宛がわれていた。
「おっと、私がいるのを忘れないでくれるかな?」
「マクシミリアンさん……!」
背後からランドルフを捕らえ、皮膚を切らない程度に相手の喉を刃で撫でながら、暁の騎士は耳元に囁きを落とす。
「おとなしくしていたほうがいいよ。今ならまだ、君は主の思惑に気づけなかった無能な騎士という汚名と最低限度の処罰を受けるだけで済む。だけど、彼女を助けようとすれば、君は確実に殺されてしまう」
「そ、そのような脅しになど、僕は……ッ」
「やめておきなさい。最近では虐待から庇おうと身体を張っていたようだけど、それもただの建前だろう? 今、この瞬間、まだここに立っているのが何よりの証さ。君の忠誠心など、その程度のものだ。私やリアムなら、とっくに中へ駆け込んでいる。──君は、自分の身と家族を守ることを考えたまえ。新しい家族が生まれるんだろう? 君が保身の道を選ぶことを、私は見逃してあげよう」
マクシミリアンの声音は甘く、口調は優しく、言葉は親切めいている。だが、彼の橙の瞳には冷酷な嘲笑が浮かんでいた。しかし、振り返れないランドルフがその眼差しに気づくはずもなく、結局は柔らかな呪いに屈して抵抗を止めてしまった。
ランドルフが完全に捕らわれの身となったのを遠目に眺めたマデリンは、焦ったように喚く。
「ランドルフ! 助けなさいよ! アンタ、ワタシの騎士でしょ!?」
「残念でしたね、マデリン様」
「う、うるさいわよ! こっちに来ないで! 止まりなさいよ、リアム! 王家の人間の命令よ!? こっちに来るなと言っているのよ!」
再びゆったりと歩み寄ってくるリアムへ、マデリンはあまりにも無意味な抵抗の声を上げた。王女の言葉を鼻で嗤ったリアムは、立ち上がれず床を這っている彼女をじわじわと追いつめてゆく。
「マデリン様も、御存知でしょう? 王族側近騎士には主の命を狙った者を殺す権限が与えられています。その相手が王家の御方であろうとも、殺してよいのです。──つまり、私は堂々と貴女の首を刎ねられるというわけですね」
殺す。首を刎ねる。──そんな物騒な言葉が聞こえ、キリエの嫌な予感は確信に変わった。ジョセフの手を振り払い、キリエはリアムの背中へと叫ぶ。
「やめてください、リアム! マデリンを殺さないでください!」
「……キリエ様、御耳と御目を塞いでください」
「駄目です、リアム! 君だって、無闇に命を奪うのは好まないはずです!」
「これは、無闇な殺生ではございません。彼女は、貴方を殺そうとし、傷つけた。私にとっては十分すぎるほど、殺せる理由です。私は、誰も殺せないわけではありません。自分でも納得できるだけの理由と権利があるのなら、躊躇いはしません」
淡々と語るリアムの声に迷いは無く、キリエの言葉に耳を傾けてくれる様子も無い。たとえキリエに恨まれようとも敵を排除するのだ、という固い意思が伝わってきた。
更には、窓の外からジェイデンの言葉も飛んでくる。
「僕も、マデリンは殺しておくべきだと思うのだよ」
「ジェイデン……!? そんな、君だってマデリンのことを心配していたのに」
「それとこれとは話が違う。今までのワガママ程度なら、不遇な家庭環境の憂さ晴らしだろうと受け止めてあげることも出来た。半分だけとはいえ、一応は兄弟だしな。……だが、その兄弟の命を、ましてや僕にとって一番大切な兄弟の命を奪おうとしたとなったら、もう甘やかしてやることは不可能なのだよ」
硝子が付着していない部分の窓枠に頬杖をつき、金髪の王子は冷笑を浮かべた。
「馬鹿だなぁ、マデリン。だから、くれぐれも僕を本気で怒らせるなと言ったのに」
「いや、やめて、助けて……、助けてよ、ジェイデン!」
「知ったことか。君はもう、兄弟でも何でもない。僕が君にしてやれることなんて、せいぜい、楽に死なせてやってくれとリアムに願うことくらいだな」
「ジェイデン様、御安心を。抹殺対象とはいえ、無駄な苦痛を与えるつもりはありません。一瞬で終わらせます」
「ははっ! 良かったなぁ、マデリン。一瞬で地獄堕ちだそうだ」
リアムの言葉を聞いたジェイデンは愉快そうに笑う。そして、夜霧の騎士は静かに剣を振り上げた。
「駄目、駄目です、やめてください……!」
今にも泣きだしそうなキリエの声に、リアムの手が一瞬だけ躊躇いを見せる。しかし、剣を収めようとはしない。
どうして、こんなときにあの不思議な現象は起きないのだろう。それは、キリエが怒りの感情を湧かせていないからだろうか。周囲の皆はマデリンへ憤怒を向けているが、キリエは怒ってはいない。ただ、悲しい。この状況が、ひたすらに悲しかった。
「もっと、他の方法は無いのですか!? 命を奪わなくても、他にも何か、贖いの道があるのではないでしょうか」
キリエは、縋るような眼差しをジェイデンへと向けた。
畏怖のあまり、マデリンの声は上擦って震え、歯がカチカチと鳴っている。そんな彼女を見るリアムの視線は冷えきっており、彼はゆっくりとそちらへ近づきつつ腰に下げている鞘から剣を引き抜いた。
「ジョセフ。キリエ様の目を覆って差し上げろ。その御方の瞳に凄惨な光景を映したくない」
「……かしこまりました」
ジョセフは静かに答え、窓枠の端に残っている硝子を蹴り落としてから応接室へ足を踏み入れる。そのままキリエの元へ歩み寄った執事は屈み込み、震えている王子を抱き寄せて目元を手のひらで覆ってきた。
「ジョセフ? 一体、何を、」
「キリエ様、私が御目を塞いでおりますので、御耳を塞いでくださいますか」
「なぜ? リアムは、……リアムは、マデリンに何をしようと?」
キリエの問いには答えず、ジョセフは沈痛な面持ちで唇を引き結んだ。
「……っ、マデリン様!」
恐怖で氷漬けになっていたかのように硬直していたランドルフが、ふと我に返り己の主の元へ駆けつけようとする。──しかし、彼が足を動かそうとした瞬間、その喉元には剣が宛がわれていた。
「おっと、私がいるのを忘れないでくれるかな?」
「マクシミリアンさん……!」
背後からランドルフを捕らえ、皮膚を切らない程度に相手の喉を刃で撫でながら、暁の騎士は耳元に囁きを落とす。
「おとなしくしていたほうがいいよ。今ならまだ、君は主の思惑に気づけなかった無能な騎士という汚名と最低限度の処罰を受けるだけで済む。だけど、彼女を助けようとすれば、君は確実に殺されてしまう」
「そ、そのような脅しになど、僕は……ッ」
「やめておきなさい。最近では虐待から庇おうと身体を張っていたようだけど、それもただの建前だろう? 今、この瞬間、まだここに立っているのが何よりの証さ。君の忠誠心など、その程度のものだ。私やリアムなら、とっくに中へ駆け込んでいる。──君は、自分の身と家族を守ることを考えたまえ。新しい家族が生まれるんだろう? 君が保身の道を選ぶことを、私は見逃してあげよう」
マクシミリアンの声音は甘く、口調は優しく、言葉は親切めいている。だが、彼の橙の瞳には冷酷な嘲笑が浮かんでいた。しかし、振り返れないランドルフがその眼差しに気づくはずもなく、結局は柔らかな呪いに屈して抵抗を止めてしまった。
ランドルフが完全に捕らわれの身となったのを遠目に眺めたマデリンは、焦ったように喚く。
「ランドルフ! 助けなさいよ! アンタ、ワタシの騎士でしょ!?」
「残念でしたね、マデリン様」
「う、うるさいわよ! こっちに来ないで! 止まりなさいよ、リアム! 王家の人間の命令よ!? こっちに来るなと言っているのよ!」
再びゆったりと歩み寄ってくるリアムへ、マデリンはあまりにも無意味な抵抗の声を上げた。王女の言葉を鼻で嗤ったリアムは、立ち上がれず床を這っている彼女をじわじわと追いつめてゆく。
「マデリン様も、御存知でしょう? 王族側近騎士には主の命を狙った者を殺す権限が与えられています。その相手が王家の御方であろうとも、殺してよいのです。──つまり、私は堂々と貴女の首を刎ねられるというわけですね」
殺す。首を刎ねる。──そんな物騒な言葉が聞こえ、キリエの嫌な予感は確信に変わった。ジョセフの手を振り払い、キリエはリアムの背中へと叫ぶ。
「やめてください、リアム! マデリンを殺さないでください!」
「……キリエ様、御耳と御目を塞いでください」
「駄目です、リアム! 君だって、無闇に命を奪うのは好まないはずです!」
「これは、無闇な殺生ではございません。彼女は、貴方を殺そうとし、傷つけた。私にとっては十分すぎるほど、殺せる理由です。私は、誰も殺せないわけではありません。自分でも納得できるだけの理由と権利があるのなら、躊躇いはしません」
淡々と語るリアムの声に迷いは無く、キリエの言葉に耳を傾けてくれる様子も無い。たとえキリエに恨まれようとも敵を排除するのだ、という固い意思が伝わってきた。
更には、窓の外からジェイデンの言葉も飛んでくる。
「僕も、マデリンは殺しておくべきだと思うのだよ」
「ジェイデン……!? そんな、君だってマデリンのことを心配していたのに」
「それとこれとは話が違う。今までのワガママ程度なら、不遇な家庭環境の憂さ晴らしだろうと受け止めてあげることも出来た。半分だけとはいえ、一応は兄弟だしな。……だが、その兄弟の命を、ましてや僕にとって一番大切な兄弟の命を奪おうとしたとなったら、もう甘やかしてやることは不可能なのだよ」
硝子が付着していない部分の窓枠に頬杖をつき、金髪の王子は冷笑を浮かべた。
「馬鹿だなぁ、マデリン。だから、くれぐれも僕を本気で怒らせるなと言ったのに」
「いや、やめて、助けて……、助けてよ、ジェイデン!」
「知ったことか。君はもう、兄弟でも何でもない。僕が君にしてやれることなんて、せいぜい、楽に死なせてやってくれとリアムに願うことくらいだな」
「ジェイデン様、御安心を。抹殺対象とはいえ、無駄な苦痛を与えるつもりはありません。一瞬で終わらせます」
「ははっ! 良かったなぁ、マデリン。一瞬で地獄堕ちだそうだ」
リアムの言葉を聞いたジェイデンは愉快そうに笑う。そして、夜霧の騎士は静かに剣を振り上げた。
「駄目、駄目です、やめてください……!」
今にも泣きだしそうなキリエの声に、リアムの手が一瞬だけ躊躇いを見せる。しかし、剣を収めようとはしない。
どうして、こんなときにあの不思議な現象は起きないのだろう。それは、キリエが怒りの感情を湧かせていないからだろうか。周囲の皆はマデリンへ憤怒を向けているが、キリエは怒ってはいない。ただ、悲しい。この状況が、ひたすらに悲しかった。
「もっと、他の方法は無いのですか!? 命を奪わなくても、他にも何か、贖いの道があるのではないでしょうか」
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