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第2章
【2-37】王家周辺の力関係
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「マデリンのこと……、コンラッドに相談してみた方がいいでしょうか。ジェイデンたちも最近まで知らなかったということは、コンラッドも知らない可能性もあるのでは……。宰相の立場から、何か助けていただけないものかと思いまして」
リアムはひとまず大丈夫そうだと判断したキリエは、次の懸念事項を口に出す。リアムはキリエの頭から離した手を自身の口元に宛がい、小さな唸り声を上げた。
「……いや、おそらくは宰相閣下もヘンリエッタ様の件は把握されているのではないかと思われる。先程の様子を見る限り、ジェイデン様もジャスミン様もマデリン様への虐待を気にされているようだった。それに、側近たちも把握していたようだから、誰も何の報告もしていないとは考えづらい」
「では、コンラッドは見て見ぬふりをしていると……?」
「うーん……、見て見ぬふりというか、宰相閣下の御立場では口出しが出来ないんだ」
リアムは苦々しい表情を浮かべながら、詳しい説明を始める。
「ウィスタリア王家周辺の力関係というものはとても曖昧で、決まりがあるというわけではない。国王陛下が絶対的で、その正妻の発言力が次点、そこから宰相、側妻、正妻が産んだ子、側妻が産んだ子、存命であれば国王の親、そして国王の兄弟、王国騎士団長……という順になる場合が多いそうだが、現在はそうはなっていないんだ。先代国王陛下は何事にも口出しはせず、正妻をお決めになられなかった。つまり、四人の妻には正妻と側妻という区分が無いため、どの奥方も『国王の妻』という曖昧な強さを持った地位に乗じた発言力を持ち、先代国王陛下もそれを黙認されていたも同然だったため、宰相閣下も口出ししづらいのが現状だ」
先代国王が正妻を決めなかった弊害がそういったところにまで及ぶとは思っておらず、キリエは驚いてしまった。目を丸くしている青年に対し、リアムは更に説明を重ねる。
「本来、次期国王候補となるのは、国王の正妻が産んだ子どもだけだ。正妻の子が一人であればその子が次期国王であることは決定事項だし、複数人存在するならば正妻の子どもたちだけで次期国王選抜を行って決める。だから、基本的に側妻の子が次期国王候補になることはない。言い方は悪いが、補欠枠のようなものだ」
「補欠……」
「正妻が子どもを産むことが出来なかった場合、そして、産まれたとしても残念ながら若くして亡くなられてしまった場合。そういった場合には、側妻の子どもが次期国王候補になるそうだ。そんなことは殆ど無いらしいがな」
国王の妻とはなかなかに複雑な立場なのだなと考え込むキリエだったが、ふと思い浮かんだ疑問があり、それを素直にリアムへ問いかけた。
「女王様だった場合、どうなるのですか? 女王陛下が子供を産めない場合だってあるのでは……? 複数人の夫がいたとしても、どうにもならなかったりするのではないでしょうか」
「女王陛下が次期国王候補を残せなかった場合、王権は女王陛下の兄弟もしくはその子息へ移ることになる。ウィスタリア王家は国王の血統を何より大事にしているからな。そういった事情から、女王時代が二代以上続くことはない。──ちなみに、女王陛下は複数の夫を持つことも可能だが、その……子どもを授かった場合、どの夫との間の子なのか明確にならないのも困るからか、基本的には王配は一人だけという場合が多いそうだ。あと、今のところは無いようだが、国王陛下の体質の問題で子孫を残せない場合にも、女王陛下が子孫を残せない場合と同じように王権を移すことになるらしい」
「なるほど……、即位した人も、その伴侶も、大変な世界なんですね」
王族とは華やかで輝かしい一族としか考えていない国民が大半で、キリエもその一人であったが、その実情を知るうちに、意外と複雑で苦労も多い世界なのだと思い知ってゆく。リアムも、同意を示すように頷いた。
「現在、ウィスタリア王家は非常に特殊な状態となっている。それぞれの持つ権力・発言力の力関係が非常に微妙なんだ。宰相閣下は、各次期国王候補たちに助言や苦言を呈することは出来るが、その母たちに対して口出しすることは出来ず、しかし公務を取り仕切っているという……なんとも曖昧な立ち位置だ。これは、次期国王が決定するまで続く。次期国王が決まり、コンラッド殿がこのまま宰相を続けられるのであれば、あの方からヘンリエッタ様へ意見することも可能になるだろうな」
「……では、今はマデリンを助けてあげられない、と?」
「ああ。心苦しいが、現状、ヘンリエッタ様に真正面から意見をぶつけられるのは、その他の奥様たちだけだ。しかし、ジャスミン様の母君はもう十五年ほど前にアルス市国へ帰還されていらっしゃるし、ジェイデン様の母君は十年ほど前に病死されている。ライアン様の母君がマデリン様のために動くことは無いだろう。つまり、現状では打つ手がない。……もし、先代国王陛下オズワルド様が育児に何かしら言及されていらっしゃれば、それにかこつけて宰相閣下から意見を申し上げることも出来ただろうが」
リアムからの説明を聞き、理屈上は納得できたキリエだが、悶々とした気持ちが収まらない。権力や立場がどうのこうのという問題があったとしても、何か出来ることは無いのだろうか。実際、マデリンはヘンリエッタから酷い仕打ちを受けているというのに。
無意識のうちに、キリエは膝の上に乗せていた手を強く握りこんでいた。怒りや悲しみの感情が震わせているその拳を、リアムの手がそっと包み込んでくる。ハッとしたキリエは、握り拳を解いた。
「なんとか助けて差し上げたいと考えているのは、キリエだけではないはずだ。ジェイデン様だって、ジャスミン様だって、お気持ちは同じはず。……だが、中途半端なことは出来ない。ヘンリエッタ様を確実に言い含められる立場からの意見でなくては、逆にマデリン様への当たりが強くなってしまって危険が増してしまう可能性がある」
確かに、その通りだ。逆上したヘンリエッタの暴力が更に激しいものになってしまう場合も、十分に考えられる。新たに次期国王候補の末席に加わっただけのキリエには、マデリンを救うだけの力は無い。無力な、「信じられないほどの最弱ザコ」なのだから。
「……僕はずっと、お父さんやお母さんがいる子が羨ましかったんです。小さい頃は、自分に両親がいないことが辛くて、寂しくて、夜中に何度も目覚めては泣いていました」
「キリエ……」
「でも、その度に、神父様やシスターたちが抱きしめてくれました。愛しているよ、キリエが大好きだよ、と何度も言ってくれました。だから、僕は決して不幸ではなかったんです。……マデリンにはお母さんがいるのに、すぐ傍にお母さんがいるのに、叩かれたり、いらないと言われてしまうなんて、そんな、……そんな不幸なこと、あってはならないと思います」
「……ああ、そうだな」
それきり、会話は途絶えた。サリバン邸に到着するまでの間、気を抜いたら涙が零れそうで黙り込むキリエの髪を、リアムはただ黙って撫で続けていた。
リアムはひとまず大丈夫そうだと判断したキリエは、次の懸念事項を口に出す。リアムはキリエの頭から離した手を自身の口元に宛がい、小さな唸り声を上げた。
「……いや、おそらくは宰相閣下もヘンリエッタ様の件は把握されているのではないかと思われる。先程の様子を見る限り、ジェイデン様もジャスミン様もマデリン様への虐待を気にされているようだった。それに、側近たちも把握していたようだから、誰も何の報告もしていないとは考えづらい」
「では、コンラッドは見て見ぬふりをしていると……?」
「うーん……、見て見ぬふりというか、宰相閣下の御立場では口出しが出来ないんだ」
リアムは苦々しい表情を浮かべながら、詳しい説明を始める。
「ウィスタリア王家周辺の力関係というものはとても曖昧で、決まりがあるというわけではない。国王陛下が絶対的で、その正妻の発言力が次点、そこから宰相、側妻、正妻が産んだ子、側妻が産んだ子、存命であれば国王の親、そして国王の兄弟、王国騎士団長……という順になる場合が多いそうだが、現在はそうはなっていないんだ。先代国王陛下は何事にも口出しはせず、正妻をお決めになられなかった。つまり、四人の妻には正妻と側妻という区分が無いため、どの奥方も『国王の妻』という曖昧な強さを持った地位に乗じた発言力を持ち、先代国王陛下もそれを黙認されていたも同然だったため、宰相閣下も口出ししづらいのが現状だ」
先代国王が正妻を決めなかった弊害がそういったところにまで及ぶとは思っておらず、キリエは驚いてしまった。目を丸くしている青年に対し、リアムは更に説明を重ねる。
「本来、次期国王候補となるのは、国王の正妻が産んだ子どもだけだ。正妻の子が一人であればその子が次期国王であることは決定事項だし、複数人存在するならば正妻の子どもたちだけで次期国王選抜を行って決める。だから、基本的に側妻の子が次期国王候補になることはない。言い方は悪いが、補欠枠のようなものだ」
「補欠……」
「正妻が子どもを産むことが出来なかった場合、そして、産まれたとしても残念ながら若くして亡くなられてしまった場合。そういった場合には、側妻の子どもが次期国王候補になるそうだ。そんなことは殆ど無いらしいがな」
国王の妻とはなかなかに複雑な立場なのだなと考え込むキリエだったが、ふと思い浮かんだ疑問があり、それを素直にリアムへ問いかけた。
「女王様だった場合、どうなるのですか? 女王陛下が子供を産めない場合だってあるのでは……? 複数人の夫がいたとしても、どうにもならなかったりするのではないでしょうか」
「女王陛下が次期国王候補を残せなかった場合、王権は女王陛下の兄弟もしくはその子息へ移ることになる。ウィスタリア王家は国王の血統を何より大事にしているからな。そういった事情から、女王時代が二代以上続くことはない。──ちなみに、女王陛下は複数の夫を持つことも可能だが、その……子どもを授かった場合、どの夫との間の子なのか明確にならないのも困るからか、基本的には王配は一人だけという場合が多いそうだ。あと、今のところは無いようだが、国王陛下の体質の問題で子孫を残せない場合にも、女王陛下が子孫を残せない場合と同じように王権を移すことになるらしい」
「なるほど……、即位した人も、その伴侶も、大変な世界なんですね」
王族とは華やかで輝かしい一族としか考えていない国民が大半で、キリエもその一人であったが、その実情を知るうちに、意外と複雑で苦労も多い世界なのだと思い知ってゆく。リアムも、同意を示すように頷いた。
「現在、ウィスタリア王家は非常に特殊な状態となっている。それぞれの持つ権力・発言力の力関係が非常に微妙なんだ。宰相閣下は、各次期国王候補たちに助言や苦言を呈することは出来るが、その母たちに対して口出しすることは出来ず、しかし公務を取り仕切っているという……なんとも曖昧な立ち位置だ。これは、次期国王が決定するまで続く。次期国王が決まり、コンラッド殿がこのまま宰相を続けられるのであれば、あの方からヘンリエッタ様へ意見することも可能になるだろうな」
「……では、今はマデリンを助けてあげられない、と?」
「ああ。心苦しいが、現状、ヘンリエッタ様に真正面から意見をぶつけられるのは、その他の奥様たちだけだ。しかし、ジャスミン様の母君はもう十五年ほど前にアルス市国へ帰還されていらっしゃるし、ジェイデン様の母君は十年ほど前に病死されている。ライアン様の母君がマデリン様のために動くことは無いだろう。つまり、現状では打つ手がない。……もし、先代国王陛下オズワルド様が育児に何かしら言及されていらっしゃれば、それにかこつけて宰相閣下から意見を申し上げることも出来ただろうが」
リアムからの説明を聞き、理屈上は納得できたキリエだが、悶々とした気持ちが収まらない。権力や立場がどうのこうのという問題があったとしても、何か出来ることは無いのだろうか。実際、マデリンはヘンリエッタから酷い仕打ちを受けているというのに。
無意識のうちに、キリエは膝の上に乗せていた手を強く握りこんでいた。怒りや悲しみの感情が震わせているその拳を、リアムの手がそっと包み込んでくる。ハッとしたキリエは、握り拳を解いた。
「なんとか助けて差し上げたいと考えているのは、キリエだけではないはずだ。ジェイデン様だって、ジャスミン様だって、お気持ちは同じはず。……だが、中途半端なことは出来ない。ヘンリエッタ様を確実に言い含められる立場からの意見でなくては、逆にマデリン様への当たりが強くなってしまって危険が増してしまう可能性がある」
確かに、その通りだ。逆上したヘンリエッタの暴力が更に激しいものになってしまう場合も、十分に考えられる。新たに次期国王候補の末席に加わっただけのキリエには、マデリンを救うだけの力は無い。無力な、「信じられないほどの最弱ザコ」なのだから。
「……僕はずっと、お父さんやお母さんがいる子が羨ましかったんです。小さい頃は、自分に両親がいないことが辛くて、寂しくて、夜中に何度も目覚めては泣いていました」
「キリエ……」
「でも、その度に、神父様やシスターたちが抱きしめてくれました。愛しているよ、キリエが大好きだよ、と何度も言ってくれました。だから、僕は決して不幸ではなかったんです。……マデリンにはお母さんがいるのに、すぐ傍にお母さんがいるのに、叩かれたり、いらないと言われてしまうなんて、そんな、……そんな不幸なこと、あってはならないと思います」
「……ああ、そうだな」
それきり、会話は途絶えた。サリバン邸に到着するまでの間、気を抜いたら涙が零れそうで黙り込むキリエの髪を、リアムはただ黙って撫で続けていた。
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