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第2章
【2-32】ミルフィーユの罠
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「──リアム?」
己の側近の様子がおかしいと思い振り向いたキリエは、絶句した。リアムの顔は青ざめ、藍紫の瞳は動揺しているばかりか、明らかに傷ついていた。
しかし、キリエと視線を合わせたリアムはすぐに落ち着きを取り戻し、そのままランドルフへ微笑を向ける。
「おめでとう、ランドルフ」
「……ありがとう、ございます」
ランドルフの声には覇気が無い。彼は彼で、何故か傷心の様子だ。
キリエは困惑し、どうしたらいいのか分からない。そんな兄弟の様子を見て、代わりと言わんばかりにジェイデンが明るい声を上げた。
「そうかそうか、それはおめでたいことなのだよ、ランドルフ!」
「……ありがとうございます」
「予定日はいつ頃なのだ? 春くらいには生まれるか?」
「それは、その……、まだ身ごもったばかりでして、来年の夏くらいでは、ないかと」
ランドルフはちらちらとリアムを気にしつつ、歯切れ悪く答える。マクシミリアンは気遣わしげな視線をリアムへ向けているが、夜霧の騎士はそちらを見ようとはせず、まっすぐにランドルフを見ていた。
事情はよく分からないが、新たな生命の誕生は喜ばしいことだ。キリエもランドルフへと笑顔を向けた。
「おめでとうございます。元気な赤ちゃんが無事に生まれてくれますよう、神のご加護があらんことを」
そう祝福の言葉を述べてから、キリエは数秒間だけ両手を組んで簡易的な祈りを捧げる。ランドルフは辛そうな表情でキリエとリアムを交互に眺め、小さな声で「ありがとうございます」と返してきた。
「おめでとう、ランドルフ。アルス市国ではね、夏に生まれた子は体が丈夫になるって言われているの。きっと、元気な子が生まれるわ」
「はい、ありがとうございます、ジャスミン様。……皆様、本当に、祝福の御言葉を賜り、恐縮です。ありがとう、ございます」
沈痛な面持ちで深々と頭を下げるランドルフの横で、マデリンは愉快そうに笑っている。特に、リアムとキリエの様子を眺めて楽しんでいるようだ。
心配になったキリエが再び振り向くと、リアムは穏やかな微笑で「心配するな」と言うように頷いて見せる。きっと強がりなのだろうと察しつつも、この場では彼の意地を通させるべきだと考え、キリエもそれ以上は何も反応せず黙って前を向いた。
キリエと目が合ったマデリンは、意味深な笑みを深める。
「それでは、おめでたい発表も済んだことですし、そろそろお茶にしましょう。当家専属の菓子職人が一番得意なものを作らせましたのよ。初めて来てくださったキリエにも、ぜひ召し上がった感想をお聞きしたいですわ。──さぁ、運んでちょうだい!」
マデリンが手を打ち鳴らすと、ワゴンを押した使用人たちがぞろぞろと入って来た。すると、ジェイデンとジャスミンがナフキンを膝へ掛けたので、キリエも同じようにした。温かな茶を満たしたポットとカップがテーブルに置かれると、各側近たちがそれぞれの主のカップへ茶を注いでゆく。
そして、次に運ばれてきた皿が兄弟たちの目の前へ置かれていき、──そこに鎮座している菓子を見て、キリエの背筋は凍った。
茶菓子として出されたものは、何とも危ういバランスで作り上げられているミルフィーユである。
何層にもなっている生地のひとつひとつはとても薄く、その間にはクリームと木苺がたっぷりと挟まっていた。それが単に重なっているのではなく、見た目の美しさが重視されているために芸術的に積み上がっている状態だ。
美しく、美味しそうであると同時に、下手にナイフやフォークを差し込んでしまうと一瞬にして崩れてしまうことは容易に想像できる。
ここ数日間、キリエはリアムからテーブルマナーを教わり続け、ナイフとフォークはそれなりに使えるようになった。しかし、それは単純な切り分け等が出来るようになったというだけであり、複雑な形状の料理や菓子については不慣れなままだ。
「裏の森で今朝採れたばかりの、三種の木苺を使用しておりますの。この時期の木苺は、夏よりも酸味が強くなっていて、甘いクリームと合わせたときの味わいが素晴らしいのですわ。さぁ、どうぞ、召し上がれ。……そうね、まずはキリエの感想からお聞きしようかしら」
「えぇと、あの……」
「さぁ、キリエ。召し上がってみて?」
キリエは顔色を失いながら、ミルフィーユを見つめる。背後からリアムの心配そうな気配が伝わってくるが、そちらを振り向いて助けを求めるわけにもいかない。
「キリエ、美味しく食べられればそれでいいのだよ。ドーンと倒してしまえばいい、ドーンと!」
「あら、嫌ですわ。せっかく当家の菓子職人が美しく作り上げたのですから、綺麗な形を楽しんでいただかなくては」
ジェイデンがフォローを入れてくれたものの、マデリンによって即座に否定されてしまった。そのうえ、やはり整った形を維持しながら食べなければならないことが決定事項となったのである。
「さぁ、キリエ。早く召し上がって味の感想を聞かせてくださいな」
マデリンは綺麗な唇を歪めて、心底から愉しそうに笑って見せた。
己の側近の様子がおかしいと思い振り向いたキリエは、絶句した。リアムの顔は青ざめ、藍紫の瞳は動揺しているばかりか、明らかに傷ついていた。
しかし、キリエと視線を合わせたリアムはすぐに落ち着きを取り戻し、そのままランドルフへ微笑を向ける。
「おめでとう、ランドルフ」
「……ありがとう、ございます」
ランドルフの声には覇気が無い。彼は彼で、何故か傷心の様子だ。
キリエは困惑し、どうしたらいいのか分からない。そんな兄弟の様子を見て、代わりと言わんばかりにジェイデンが明るい声を上げた。
「そうかそうか、それはおめでたいことなのだよ、ランドルフ!」
「……ありがとうございます」
「予定日はいつ頃なのだ? 春くらいには生まれるか?」
「それは、その……、まだ身ごもったばかりでして、来年の夏くらいでは、ないかと」
ランドルフはちらちらとリアムを気にしつつ、歯切れ悪く答える。マクシミリアンは気遣わしげな視線をリアムへ向けているが、夜霧の騎士はそちらを見ようとはせず、まっすぐにランドルフを見ていた。
事情はよく分からないが、新たな生命の誕生は喜ばしいことだ。キリエもランドルフへと笑顔を向けた。
「おめでとうございます。元気な赤ちゃんが無事に生まれてくれますよう、神のご加護があらんことを」
そう祝福の言葉を述べてから、キリエは数秒間だけ両手を組んで簡易的な祈りを捧げる。ランドルフは辛そうな表情でキリエとリアムを交互に眺め、小さな声で「ありがとうございます」と返してきた。
「おめでとう、ランドルフ。アルス市国ではね、夏に生まれた子は体が丈夫になるって言われているの。きっと、元気な子が生まれるわ」
「はい、ありがとうございます、ジャスミン様。……皆様、本当に、祝福の御言葉を賜り、恐縮です。ありがとう、ございます」
沈痛な面持ちで深々と頭を下げるランドルフの横で、マデリンは愉快そうに笑っている。特に、リアムとキリエの様子を眺めて楽しんでいるようだ。
心配になったキリエが再び振り向くと、リアムは穏やかな微笑で「心配するな」と言うように頷いて見せる。きっと強がりなのだろうと察しつつも、この場では彼の意地を通させるべきだと考え、キリエもそれ以上は何も反応せず黙って前を向いた。
キリエと目が合ったマデリンは、意味深な笑みを深める。
「それでは、おめでたい発表も済んだことですし、そろそろお茶にしましょう。当家専属の菓子職人が一番得意なものを作らせましたのよ。初めて来てくださったキリエにも、ぜひ召し上がった感想をお聞きしたいですわ。──さぁ、運んでちょうだい!」
マデリンが手を打ち鳴らすと、ワゴンを押した使用人たちがぞろぞろと入って来た。すると、ジェイデンとジャスミンがナフキンを膝へ掛けたので、キリエも同じようにした。温かな茶を満たしたポットとカップがテーブルに置かれると、各側近たちがそれぞれの主のカップへ茶を注いでゆく。
そして、次に運ばれてきた皿が兄弟たちの目の前へ置かれていき、──そこに鎮座している菓子を見て、キリエの背筋は凍った。
茶菓子として出されたものは、何とも危ういバランスで作り上げられているミルフィーユである。
何層にもなっている生地のひとつひとつはとても薄く、その間にはクリームと木苺がたっぷりと挟まっていた。それが単に重なっているのではなく、見た目の美しさが重視されているために芸術的に積み上がっている状態だ。
美しく、美味しそうであると同時に、下手にナイフやフォークを差し込んでしまうと一瞬にして崩れてしまうことは容易に想像できる。
ここ数日間、キリエはリアムからテーブルマナーを教わり続け、ナイフとフォークはそれなりに使えるようになった。しかし、それは単純な切り分け等が出来るようになったというだけであり、複雑な形状の料理や菓子については不慣れなままだ。
「裏の森で今朝採れたばかりの、三種の木苺を使用しておりますの。この時期の木苺は、夏よりも酸味が強くなっていて、甘いクリームと合わせたときの味わいが素晴らしいのですわ。さぁ、どうぞ、召し上がれ。……そうね、まずはキリエの感想からお聞きしようかしら」
「えぇと、あの……」
「さぁ、キリエ。召し上がってみて?」
キリエは顔色を失いながら、ミルフィーユを見つめる。背後からリアムの心配そうな気配が伝わってくるが、そちらを振り向いて助けを求めるわけにもいかない。
「キリエ、美味しく食べられればそれでいいのだよ。ドーンと倒してしまえばいい、ドーンと!」
「あら、嫌ですわ。せっかく当家の菓子職人が美しく作り上げたのですから、綺麗な形を楽しんでいただかなくては」
ジェイデンがフォローを入れてくれたものの、マデリンによって即座に否定されてしまった。そのうえ、やはり整った形を維持しながら食べなければならないことが決定事項となったのである。
「さぁ、キリエ。早く召し上がって味の感想を聞かせてくださいな」
マデリンは綺麗な唇を歪めて、心底から愉しそうに笑って見せた。
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